上 下
30 / 36
新妻へ悪友上司からの依頼 編

26話 悪友上司の災難

しおりを挟む


 ――キイイィィィンッ!!!

 平穏な昼下がり。
 とある貴族の敷地内において、謎の奇怪音が突如として鳴り響いた。


「!?」


 ――久々の休息日。私室で本を読んでいた男は、跳ね上がるようにしてソファーから立ち上がる。
 急いで私室の窓から音の発生源へ目を向ければ、そこは色とりどりの花々が咲き誇る美しい庭園の片隅で――


「マジか……」


 男の口から零れたのは、なんともシンプルな言葉だった。
 しかし、その言葉と反するように、表情には焦りと困惑の色が滲んでいる。

 コンコンッ――。

 扉がノックされた。男は外に視線を向けたまま、「入れ」と言葉を返す。


「失礼致します」
「何があった?」


 部屋に入ってきた執事の顔を確認することなく、男は急かすようにすぐさま尋ねる。
 普段であれば、その態度に対しお小言の一つでも口にする執事も、今回ばかりはその問いに一拍も置かずにこう答える。


「【呪具の保管庫】――その扉に施されていた封印が破壊されました」
「……マジか」


 執事の言葉のあと、男は溜め息と混ぜるようにそう呟き、そして――

(あーーー面倒くせーーー)

 両目を固く閉じ、項垂れた。
 何もかも放り出して逃げたくなるほど、面倒くさすぎてどうしようもない。
 とにかく面倒くさい。
 本当に面倒くさい。
 面倒くさいと口にするのも面倒くさい。


「……今から旅に出るっつったら怒る?」
「怒る前にこの部屋から出しません」
「監禁じゃねぇの、それ」
「えぇ。世間一般的にはそれに値するでしょうね」


 そう言って、ニコッと笑う執事が怖い。
 今のどこに笑顔を作る要素があったのか。男にも謎だったようで、怪訝な表情を浮かべている。


「はぁ……。どうすっかな」


 嫌な魔力が漂い始めた保管庫辺りに視線を戻し、男は腕を組む。
 こういう非常事態が起こった時に限って、現当主である父は不在。
 しかし、その不在理由は仕事ではなく私用であるため、呼び戻すこと自体は容易なのだが……。


『多少の問題は自分で解決すること。何もせず泣き付いてきた場合は、今の職を辞して私の仕事を手伝ってもらおうか』


 と、先手を取られているため、連絡はしたくない。
 しかし、面倒くさい。
 だが、今の職はやめたくない。


「…………」
「いかがなさいますか?」
「はぁ……。とりあえず、仮封印すっから予備の封印魔道具持ってきてくれ」
「承知しました」


 ――結局のところ。
 面倒なことと職を天秤にかけられたら、男の選択は『面倒なことを片付ける』、これただ一択のみ。
 父は息子のことをよーく理解しているのだ。

『職を引き合いに出せば、息子は本気で事の解決に当たる』――と。

 男もそうやって手のひらで転がされているのをわかっているから、最後の最後まで逃げ道を探すわけだが……。
 それが見つかった試しは今の一度もない。
 父親の方が何枚も上手なのである。


「あと、一応聞くけどよ。自然に壊れたわけじゃねぇよな?」
「はい。封印に綻びはありませんでした。侵入者もおりません」


 そこまで聞いて、男は誰が封印を壊したのか見当をつけた。
 この家の中で、あの強固な封印を力技で壊すことのできる人物は一人しかいない。


「わざとじゃねぇんだろうなぁ……」
「はい。あの辺りを歩いていたところ、虫が飛んできたことに驚き、思わず腕を振り回した際、保管庫の扉にぶつかってしまったとのことです」
「普通、腕がぶつかったくらいじゃあ封印なんて壊れねぇんだけど」
「普通の方でしたらね」


 ニコッと笑う執事に、確かになぁと――濃紺の髪にアイスブルーの瞳をした男――グレン・ホーウェンは苦笑いを返す。

 ――数多ある【呪いの魔道具】の管理を国より任されている魔術家系の名家のひとつ、ホーウェン侯爵家。
 現当主の息子でありながら、魔術師団副団長を本業としている彼は――。
 言わずもがな、エルレインの悪友とも呼べるあの上司である。



しおりを挟む

処理中です...