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Epilogue

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「ほら、走るよ!」

 生ぬるい潮風が、べたっと顔に絡みつくように吹いている。
 優梨愛ゆりあが履いていたサンダルを脱いで砂浜に向かっていったのを見て、あたしと杏美あみは呆気に取られた。
 紗枝さえは、優梨愛に遅れないようにスニーカーと靴下を慌てて脱いでいる。

 暫くして、2人の笑い声と、キャーキャーという女性特有のはしゃぎ声が上がった。

「優梨愛がみんなで海の近くの民宿に行きたいって言ったときは、結構意外だったんだよね」
「うん、分かる……」

 あたしと杏美は楽しそうな優梨愛を見て、カラ元気じゃなければ良いよねと小さな声で言った。

「新曲、書いたんだ……」
「うそ! 聴きたい! っていうか、楽譜は?」
「一応、持ってる」

 杏美とあたしは砂浜には入らずに、コンクリートのブロックの上に腰掛けて楽譜を見た。
 楽譜に書かれた音符を、あたしはハミングで口ずさむ。
 杏美は、それを聴きながら体を前後に揺らしていた。

「いいね、この曲。いや、この曲に限らず杏美の曲はいいけど、これは特に良い」

 バラード調の楽曲で、途中をギターで聴かせる曲だ。優梨愛が見たら喜ぶに違いない。
 多分、杏美は優梨愛のためにこの曲を書いたんだろう。

「ありがと。真琴まこちゃんが言うなら間違いないね」

 杏美はそう言って、その場に立った。

「優梨愛!! わたし、優梨愛っぽい曲を書いてきた――!!」
「え――?? 何――??」

 優梨愛は何のことだか全然わかっていなくて、相変わらず紗枝と砂浜で楽しそうにしていた。


  *

「納得したわけじゃないんだけど、多分、私は社会人としてのスタートじゃなくても生きていけるってことなんだと思うんだ」

 優梨愛が言うと、紗枝は「でも、実家に帰んなくたってさ」と呟いていた。

「それに、私たちなら場所が多少離れていようが、またすぐ集まってライブができると思ったの」

 優梨愛の言葉に杏美が頷いていた。あたしも同じように頷いた。

「次はレコーディングしてさ、またMV作って……ライブも全国でやろう」
「杏美の仕事って土日も入ったりしないの?」
「アーティスト活動があるから土日の仕事はライブ優先にして欲しいって交渉した」
「すごい新人だね……」

 あたしたちは、人のいない海に向かって語った。
 大人になるって、大切な人たちとバラバラになっていくってことなのかもしれない。

 だけど、あたしたちには杏美の曲を世界一格好よく鳴らすっていう使命がある。

「ライブがした――――い!!」

 優梨愛が海に向かって叫んだ。

「このメンバーで、一生バンドがしたい」

 いつもは我儘を言わない杏美が、声を震わせて言った。あたしたち3人は初めて聞いた杏美の気持ちに、何か聞き間違ったのだろうかと耳を疑う。

「何言ってるの?」

 紗枝はそう言うと、杏美の髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。

「杏美が嫌って言う気がして黙ってたけど、あたしはずっとそう思ってた」
「私だって、杏美が勿体ないと思ってたくらいで……」

 音プロへの就職が内定した杏美は、もう音楽でご飯を食べていくことが確定している。
 あたしたちは、まだライブや配信の細かい収入でしか音楽でお金を稼げないけれど。

「一生やろうか。一生って、あと何十年か分からないけど」

 優梨愛が笑顔で言った。

 あたしたちが生きてきた年数よりも、もっと長く。
 これからも杏美の音楽を最高の音で奏でるために。

「一生やろう!」
「うん」

 バンドなんて、イマドキ流行らないよ、と誰かに言われたことがある。
 流行るか流行らないかなんて、あたしは気にしたことがない。

「おばあちゃんになったら、老人ホームの歌を歌おう」
「ロックだねー」
「優梨愛はその曲の最後にギター破壊してよ」
「やだー。そんな力ないもん」
「そっちかー」

 みんなが笑っている。


 あたしはいつだって、生きていく意味を探していた。

 でも、意味を探したこと自体が間違っていたんだろう。

 あたしはただ、このメンバーと最高の音を鳴らしたいだけだから。
 そのためだけに、明日が必要なんだ。




Music can change the world. ――Ludwig van Beethoven
(音楽は世界を変えることができる。―ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン)

<End>
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