御徒町不忍探偵奇譚 ーオカチマチシノバズノタンテイキタンー

碧井夢夏

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尾行開始、だけど

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 恭祐と大雅が白いワゴン車を置いたマンションの前に急いで戻ると、道の先に遠ざかっていくスーツ姿の男性がいる。

「いいか、速足で歩き、ターゲットを追い抜く。抜いてから2つめの電柱で歩みを止めて上を見ながら二人で話をするぞ」
「え……??」
「電柱と電線を見ているふりをしながら、視線をなるべくターゲットに向けずに観察する」
「そんな器用なことできませんよ」
「ああ、お前は上だけ見てろ」

 言いながら恭祐は黒いスーツ姿の背中を速足で追いかけ始める。
 遅れまいと大雅が付いて行くと、恭祐は小さく振りかえって「合わせろ」とささやいた。

「よし、一旦距離を測るぞ」
「……はい?」
「そこの電柱からどの程度距離があるか確認しよう」
「は、はい」
「図面が正確とは限らないからな」
「そうなんですか?」

 電気工事の話を振りながら恭祐がうなずく。ターゲットは5メートル先に迫っている。

「最近は材料費が高騰しているせいで、余分な材料を見越した工事はできない。ちゃんと無駄がないように働くぞ」
「時代なんですか? 昔は無駄があったんですか?」
「俺も最近の人間だから昔のことは知らないけどな」

 ――ターゲットを追い抜いてから2つめの電柱って、ターゲットも歩いているわけだし、そんなに観察する時間ないんじゃ……。

 大雅が心配をしながら恭祐に続いてターゲットを追い抜く。
 黒いスーツ姿のターゲットは頭髪を整髪料で固めているようだ。

「面取りは俺だけでやるから、カツラは電柱の観察に専念しろ」
「はい……」

 そこまで念押ししなくても、と嫌そうな顔をしてひとつめの電柱を過ぎ、30メートル先にあるふたつめの電柱を視界に入れる。

「あれだ」

 恭祐はそう言いながらふたつめの電柱を指差し、地図と図面を大雅に渡す。
 ターゲットは後ろを歩いている。見てはいけないと言われると何故か振り返ってみたくなるものだ。

 恭祐が歩みを止めると、大雅も立ち止って電柱の上を見るように顔を上げた。
 黒い電線が何本も空を横切っている。

 恭祐はターゲットの方に身体を向け、電柱を確認するふりをしていた。
 槇田は歩きスマホをしながら、イヤホンで何かを聞いているようだ。

 伏し目がちで顔の特徴が捉えづらい。
 この状況で「面取り」ができるのだろうかと思いながら、大雅は自分の手に握られた図面に視線を戻した。

 ターゲットが視界に入ってから通り過ぎていくまでおよそ10秒間。
 「大丈夫でしたか?」と大雅が小さく尋ねると、「ああ」とそっけなく返される。

「面取りは、着ている服や身に着けているものを把握したり、歩き方や不意に出るクセを知ったりするのが重要だ」
「スマホを見ていたので、顔がよく見えませんでしたね」
「個人が持つ独特の雰囲気と匂いさえ記憶できればいい」
「……匂い??」

 大雅が顔をしかめると、恭祐はくすりと笑う。

「『末裔』だと言っただろ。目は悪いが鼻は人一倍良いから安心しろ」
「……さすが犬山ですね」
「馬鹿にしてんのか? ぶっ飛ばすぞ」
「暴行罪……いや、脅迫罪で訴えます」
「……シツレイイタシマシタ」

 恭祐は棒読みで謝ると、そのままマンション前に停めた白いワゴン車に戻る。

「俺はスーツに着替えてターゲットを追う。後部座席に移動するから駅までカツラが運転しろ」
「ええっ……はい?」
「この道を真っすぐ行けば駅ロータリーに着く。恐らくターゲットは電車に乗るつもりだ。今から向かえば先に着けるだろう」
「じゃあ、急がないと」

 焦る大雅に比べ、恭祐は落ち着いていた。後部座席に乗り込み、作業着からスーツに着替え始めている。

「車の運転なんて普段しないので、事故ったらすいません」
「絶対事故るな。職質も受けるな」

 そんな無茶な、とエンジンをかける。
 運転自体が久しぶりだというのに、この車は大きい。

「運転する予定があるなら先に言ってくださいよ。練習したのに」
「尾行なんてケースバイケースで何が起きるか分からないもんなんだよ」
「指示が荒いんですよ、ったく、上司としてどうなんですかね?!」
「あーあーあーあー俺が悪うございましたね」
「そういう、ただ謝ればいいみたいな対応、女性ウケ最悪ですよ」
「男が女ウケを語るな。『たで食う虫も好き好き』だ」

 果たして意味が分かっていてそのことわざを使ったのか、確かに人の好みとは千差万別かもしれない。
 恭祐はたでで、虫にでも好かれたいのだろうか。
 不意に、50歳手前で小麦色の肌をした『たけよ』の顔が浮かんだ。
 
 ーーいや、あれは女じゃないよな。

 大雅が運転する白いハイエースワゴンは、ターゲットの槇田浩介をあっさりと追い抜いて駅に向かっていく。
 槇田はイヤホンを外しており、もうスマホを見てはいない。

「猶予はせいぜい30秒だな。駅前のコンビニで降ろせ」
「はあ? どこですか?」
「向かって右」
「ああっ通り過ぎた」
「そこで停まれ!」
「はいっ」

 車はロータリーで停車し、恭祐は車を降りる準備をしている。槇田は来ていない。

「いいか、これから尾行に入る。車のカーナビで俺のGPSが見られるようになっているから色々いじってみろ。変なところに車を停めていると職質されかねない。大通り沿いにあるコンビニの駐車場で寝ているふりをしろ。何なら寝てて良い」
「え、所長はいつ頃の戻り予定ですか……?」
「知るか。いちいち説明している時間がない。待機していろ」

 もっと詳しく、と思っている間に、恭祐は後部座席のドアを開けてコンビニエンスストアに消えて行った。

「はあ?! なんなんだよ、あの人……」

 大雅は所持金がなく、小銭くらいしか持っていない。
 尾行がいつ終わるか分からないのに、どう過ごせというのか。携帯電話も持たされていない。

 恭祐が駅前のコンビニエンスストアに入って雑誌コーナーで外を見ていると、槇田が駅ロータリーに到着した。
 その槇田の後ろに恭祐がついて行く。どうやら槇田は駅舎に入り、恭祐もその後に続いたようだ。

「GPSって……地図を見ても土地勘無いんだけどな……」

 駅ロータリーにいたら警察に声をかけられるかもしれない、と、大雅は車を駅ロータリーから移動させることにする。
 近くには交番があり、ここにいたら職務質問を受けかねない。
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