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女性を魅了するだけの簡単なお仕事 2
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事務所に戻ると、恭祐は明日の11時に大手町のオフィスに着くように移動すると大雅に告げた。
時刻は22時半を過ぎているが、2人は2台のデスクを挟んで立ったまま話している。
「水沼さんが内通していない可能性もありますか?」
ネクタイを外し、首を締め付けるシャツのボタンを上から2つほど外しながら大雅は恭祐に尋ねた。
「俺たちとの打ち合わせが終わった日にターゲットと合流した時点で、その可能性は薄いだろうな」
「そういう統計でもあるんですか?」
「いや、勘」
何の根拠もない理由に説得力があるのは職業によるものだろうか。
普段であれば顔をしかめなねない「勘」がどんな理屈よりも反論しづらい。
「じゃあ、明日僕が水沼さんを捕まえられたら、ターゲットの話は出さない方がいいですか?」
「そうだな、向こうが話題に出すまでは、単に営業活動の一環として親睦を深めるようにしろ。桂の能力があれば怪しまれずにできるだろ?」
自分は食事の同席すらできないくせに、と思わなくはなかったが、大雅にとって朝飯前なのは間違いない。
「それだけでいいんですか?」
「その後で少しだけ水沼の尾行をする。ターゲットに電話するくらいの行動を起こしてくれたら良いんだが、メッセージアプリを使われたら証拠を取るのは難しいだろうな」
はぁ、と大雅はため息をつく。
水沼を探るということは、恭祐は前面には出ないのだろう。これはどうやら自分の出番が多そうだ。
「ひとつ確認しておきたいんですけど。所長の能力って何なんですか? あと、『末裔』って一体……」
「『不忍奇譚』って分かるか?」
「いえ。何ですかそれ」
「人ならざる力を持つ、妖怪と人の混血種が出てくる江戸時代後期の資料を基に作られたマイナーな物語だ。大正時代に誰かによって書かれたんだが」
「作り話ってことですよね?」
「でも、それがどうやら作り話の体裁を取った末裔の記録だった可能性が高くてな。犬山家の蔵で全部を読んで、他の末裔の家にも同じ本があるんじゃないかとか、そんなことを思ってた。うちは『人狼』の末裔なんだ。お前は『桂男』の末裔に違いない」
「僕は初耳です。まあ、家族らしい家族もいないので分かりませんが」
「そうか。きっと桂の親のどちらかが、桂男の血を引いているはずだ」
現実離れしたことを真面目に言われ、大雅は小さく笑ってしまう。
桂男の血を引いているなど、これまで身の回りで聞いたことがない。
「そんな変な話、信じようにも信じられません。なんで僕が末裔だと分かるんですか?」
「末裔の匂いがする」
「匂い……」
ーーそんなこと言われても。
恭祐の言っていることは、ときどき大雅の理解を超える。
「僕、桂男がなんなのか全然ピンと来てません」
「日本で桂男といえば見目のいい男を指すが、もともとは中国の妖怪だな。不忍奇譚によると、セイレーンと同じ特徴をもっている。人を誘惑する見た目を持ち、美しい声で惑わせるらしい」
「セイレーン……って、あの、コーヒーショップのマークになっている人魚でしたっけ?」
「それだ。桂の成分に魚は入ってなさそうだが」
「肺呼吸ですし、鱗もありませんし、泳ぎも得意じゃないですし、水もそんなに好きじゃありません」
「よし、セイレーンは人魚じゃなかった説を推す」
どっちでもいいけど、と大雅は確かめようのない自分のルーツに頭を振った。
「誘惑するだけで戻す方法がないのなら、これまで苦労したんじゃないか?」
「……なんですか、急に」
「いや、俺も人とは違ったからなんなとくだけど」
自分を人狼だと名乗るおかしな男に「同じ末裔だ」と言われるのは複雑だが、自死を選ぶくらいには全てに追い詰められていた。
確かに大雅は、この世で生きていく自信を失っていたのだ。
「僕に関わると、みんな不幸になるんです。自分を抑えられなくなって犯罪者になる人が後を絶たないし、僕のファンが犯罪者ばかりだと言われて事務所をクビになるし、もう、なにもかもがうんざりで」
「うん、そうか……理解者がいなかったんだな」
「僕の母が美しい人だったらしいですが、痴情のもつれで殺されていて。僕は父親が誰なのか分からない。母の親戚にたらい回しにされ、行く先々で僕を中心に親戚の家が崩壊して行くんです。それで、芸能事務所に入って一人暮らしをしたんですが、ストーカーには遭うし、親切にしてくれる人みんなに下心があって、誰も信用できなくて……」
溢れ出したのは、これまで溜め込んできた大雅の悩みだった。
ーーこんなこと誰にも理解されない。
ーー身の回りで起きることは、自分が変だからだ。
ーー僕は生まれてはいけなかった。人を不幸にすることしかできない。
どこかに、同じような境遇で生きている「仲間」がいるなんて想像もしなかったのだ。
ボロボロと大粒の涙が溢れ出す。
この世界は、誰も助けてくれない。誰も理解してくれないと思っていた。
恭佑は大雅の隣まで歩いてくる。
「まあ、さ、俺はきっと桂がいてくれたらすげー助かると思うんだ。家事は全くできないし、女と仲良くなるとか連絡先を交換して連絡を取り合うとか、苦手中の苦手だし」
「でも、それ以上に迷惑をかけるかもしれません」
「うん。まあ、想定内だよ。人と違うってことは、工夫して生きなきゃいけない。探偵として影の存在になって、人間を暴くようなことやってりゃ、ああ世の中こんなもんかって笑えるぜ?」
そう言うと、恭祐は大雅の頭をガシガシとかき混ぜるようにする。
髪がボサボサになり、こんなに荒っぽく扱われるのは初めてかもしれないと大雅は戸惑った。
「所長も、僕を利用するために呼んだんですよね?」
どんなに親切にされても、間違ってはいけない、と大雅は思う。
利用価値があるから置いてもらえているだけだ。
「馬鹿言うな。利用じゃねえ、雇用だよ」
「違いが分かりません」
「活躍を期待してる、ってこと。運命共同体としてお前を育てる覚悟だぞ、こっちは」
ニヤリ、と笑った恭祐の笑顔には、やはり犬歯の鋭さが目立った。
大雅が生きてきて初めて出会った、自分の能力が通じない存在ーー。
「すいません、じゃあ……改めて、よろしくお願いします……」
尻つぼみになっていく挨拶に、恭祐が大雅の背中をバシンと叩く。
「よし、明日は桂の大舞台だ。頼むぞ」
「大舞台って、水沼さんをランチに誘うだけですよね?」
「ああ。朝一番で携帯を買って、俺と通話した状態で水沼と接触しろ。こっちで録音しておく」
「ええ?? 連絡先を交換する時、アプリを立ち上げたいんですけど」
「その段階になったら、携帯を触る時に通話を切ればいい。こっちは会話を聞きながら、常に作戦を考えたいんだ。連絡先を交換するのって、最後だろ?」
「まあ、はい」
恭祐がどこで水沼との会話を聞く気なのか分からないが、やり取りの一部始終を聞かれるのが任務なのかと緊張感が増す。
恭祐は大雅から離れていき、部屋のドアノブに手をかけて扉を開けようとしていた。
それぞれの部屋に入ってしまう前に、と大雅は口を開く。
「水沼さんの事情は知りませんが、槇田さんと通じているのがあの会社にとって良くないことであれば……気になりますね」
「おお。急にやる気になったな?」
ぱあっと顔を輝かせた恭祐は、切長の目を細くして笑みを浮かべた。
くしゃりと笑った顔に小さく笑窪が浮かんでいて、嬉しい時にはそんな顔をするのかと思う。
「いや、だって、今日は変装も似合わなくて落ち着かなかったですし……」
慌てて言うと、「俺も、誰かを雇うのは初めてで色々悪かったな」と素直に謝られた。
「いえ、じゃあ、お休みなさい!」
なんだか調子が狂って、大雅は自分の部屋に逃げ込む。
ーー私利私欲じゃなく、僕を必要としてくれている?
そう思うと、無性に落ち着かなかったのだ。
事務所に戻ると、恭祐は明日の11時に大手町のオフィスに着くように移動すると大雅に告げた。
時刻は22時半を過ぎているが、2人は2台のデスクを挟んで立ったまま話している。
「水沼さんが内通していない可能性もありますか?」
ネクタイを外し、首を締め付けるシャツのボタンを上から2つほど外しながら大雅は恭祐に尋ねた。
「俺たちとの打ち合わせが終わった日にターゲットと合流した時点で、その可能性は薄いだろうな」
「そういう統計でもあるんですか?」
「いや、勘」
何の根拠もない理由に説得力があるのは職業によるものだろうか。
普段であれば顔をしかめなねない「勘」がどんな理屈よりも反論しづらい。
「じゃあ、明日僕が水沼さんを捕まえられたら、ターゲットの話は出さない方がいいですか?」
「そうだな、向こうが話題に出すまでは、単に営業活動の一環として親睦を深めるようにしろ。桂の能力があれば怪しまれずにできるだろ?」
自分は食事の同席すらできないくせに、と思わなくはなかったが、大雅にとって朝飯前なのは間違いない。
「それだけでいいんですか?」
「その後で少しだけ水沼の尾行をする。ターゲットに電話するくらいの行動を起こしてくれたら良いんだが、メッセージアプリを使われたら証拠を取るのは難しいだろうな」
はぁ、と大雅はため息をつく。
水沼を探るということは、恭祐は前面には出ないのだろう。これはどうやら自分の出番が多そうだ。
「ひとつ確認しておきたいんですけど。所長の能力って何なんですか? あと、『末裔』って一体……」
「『不忍奇譚』って分かるか?」
「いえ。何ですかそれ」
「人ならざる力を持つ、妖怪と人の混血種が出てくる江戸時代後期の資料を基に作られたマイナーな物語だ。大正時代に誰かによって書かれたんだが」
「作り話ってことですよね?」
「でも、それがどうやら作り話の体裁を取った末裔の記録だった可能性が高くてな。犬山家の蔵で全部を読んで、他の末裔の家にも同じ本があるんじゃないかとか、そんなことを思ってた。うちは『人狼』の末裔なんだ。お前は『桂男』の末裔に違いない」
「僕は初耳です。まあ、家族らしい家族もいないので分かりませんが」
「そうか。きっと桂の親のどちらかが、桂男の血を引いているはずだ」
現実離れしたことを真面目に言われ、大雅は小さく笑ってしまう。
桂男の血を引いているなど、これまで身の回りで聞いたことがない。
「そんな変な話、信じようにも信じられません。なんで僕が末裔だと分かるんですか?」
「末裔の匂いがする」
「匂い……」
ーーそんなこと言われても。
恭祐の言っていることは、ときどき大雅の理解を超える。
「僕、桂男がなんなのか全然ピンと来てません」
「日本で桂男といえば見目のいい男を指すが、もともとは中国の妖怪だな。不忍奇譚によると、セイレーンと同じ特徴をもっている。人を誘惑する見た目を持ち、美しい声で惑わせるらしい」
「セイレーン……って、あの、コーヒーショップのマークになっている人魚でしたっけ?」
「それだ。桂の成分に魚は入ってなさそうだが」
「肺呼吸ですし、鱗もありませんし、泳ぎも得意じゃないですし、水もそんなに好きじゃありません」
「よし、セイレーンは人魚じゃなかった説を推す」
どっちでもいいけど、と大雅は確かめようのない自分のルーツに頭を振った。
「誘惑するだけで戻す方法がないのなら、これまで苦労したんじゃないか?」
「……なんですか、急に」
「いや、俺も人とは違ったからなんなとくだけど」
自分を人狼だと名乗るおかしな男に「同じ末裔だ」と言われるのは複雑だが、自死を選ぶくらいには全てに追い詰められていた。
確かに大雅は、この世で生きていく自信を失っていたのだ。
「僕に関わると、みんな不幸になるんです。自分を抑えられなくなって犯罪者になる人が後を絶たないし、僕のファンが犯罪者ばかりだと言われて事務所をクビになるし、もう、なにもかもがうんざりで」
「うん、そうか……理解者がいなかったんだな」
「僕の母が美しい人だったらしいですが、痴情のもつれで殺されていて。僕は父親が誰なのか分からない。母の親戚にたらい回しにされ、行く先々で僕を中心に親戚の家が崩壊して行くんです。それで、芸能事務所に入って一人暮らしをしたんですが、ストーカーには遭うし、親切にしてくれる人みんなに下心があって、誰も信用できなくて……」
溢れ出したのは、これまで溜め込んできた大雅の悩みだった。
ーーこんなこと誰にも理解されない。
ーー身の回りで起きることは、自分が変だからだ。
ーー僕は生まれてはいけなかった。人を不幸にすることしかできない。
どこかに、同じような境遇で生きている「仲間」がいるなんて想像もしなかったのだ。
ボロボロと大粒の涙が溢れ出す。
この世界は、誰も助けてくれない。誰も理解してくれないと思っていた。
恭佑は大雅の隣まで歩いてくる。
「まあ、さ、俺はきっと桂がいてくれたらすげー助かると思うんだ。家事は全くできないし、女と仲良くなるとか連絡先を交換して連絡を取り合うとか、苦手中の苦手だし」
「でも、それ以上に迷惑をかけるかもしれません」
「うん。まあ、想定内だよ。人と違うってことは、工夫して生きなきゃいけない。探偵として影の存在になって、人間を暴くようなことやってりゃ、ああ世の中こんなもんかって笑えるぜ?」
そう言うと、恭祐は大雅の頭をガシガシとかき混ぜるようにする。
髪がボサボサになり、こんなに荒っぽく扱われるのは初めてかもしれないと大雅は戸惑った。
「所長も、僕を利用するために呼んだんですよね?」
どんなに親切にされても、間違ってはいけない、と大雅は思う。
利用価値があるから置いてもらえているだけだ。
「馬鹿言うな。利用じゃねえ、雇用だよ」
「違いが分かりません」
「活躍を期待してる、ってこと。運命共同体としてお前を育てる覚悟だぞ、こっちは」
ニヤリ、と笑った恭祐の笑顔には、やはり犬歯の鋭さが目立った。
大雅が生きてきて初めて出会った、自分の能力が通じない存在ーー。
「すいません、じゃあ……改めて、よろしくお願いします……」
尻つぼみになっていく挨拶に、恭祐が大雅の背中をバシンと叩く。
「よし、明日は桂の大舞台だ。頼むぞ」
「大舞台って、水沼さんをランチに誘うだけですよね?」
「ああ。朝一番で携帯を買って、俺と通話した状態で水沼と接触しろ。こっちで録音しておく」
「ええ?? 連絡先を交換する時、アプリを立ち上げたいんですけど」
「その段階になったら、携帯を触る時に通話を切ればいい。こっちは会話を聞きながら、常に作戦を考えたいんだ。連絡先を交換するのって、最後だろ?」
「まあ、はい」
恭祐がどこで水沼との会話を聞く気なのか分からないが、やり取りの一部始終を聞かれるのが任務なのかと緊張感が増す。
恭祐は大雅から離れていき、部屋のドアノブに手をかけて扉を開けようとしていた。
それぞれの部屋に入ってしまう前に、と大雅は口を開く。
「水沼さんの事情は知りませんが、槇田さんと通じているのがあの会社にとって良くないことであれば……気になりますね」
「おお。急にやる気になったな?」
ぱあっと顔を輝かせた恭祐は、切長の目を細くして笑みを浮かべた。
くしゃりと笑った顔に小さく笑窪が浮かんでいて、嬉しい時にはそんな顔をするのかと思う。
「いや、だって、今日は変装も似合わなくて落ち着かなかったですし……」
慌てて言うと、「俺も、誰かを雇うのは初めてで色々悪かったな」と素直に謝られた。
「いえ、じゃあ、お休みなさい!」
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