売られて嫁いだ伯爵様には、犬と狼の時間がある

碧井夢夏

文字の大きさ
40 / 134
2章

そばにいるから

しおりを挟む
「まさかあんなに長時間ボール遊びをするなんて……」

 ノクスに背負われて部屋に戻ってきた。
 ベッド脇に降ろされると手足ががくがくする。力が残っていないんだわとベッドに倒れ込むと、ノクスは隣に座って私の頭をポンポンとした。

「みんな楽しそうだったな」

 にこりと笑う顔から犬歯がはみ出している。

「体力が尋常じゃないのね、人狼って」
「半分狼だからな。人間とは違う」

 ちょっと油断していた。
 犬のボール遊びはそこまで激しくないから、こんな風になるなんて想像もできなかった。
 使用人たちまでもが入り乱れてボールを巡って大興奮するなんて……。

 最後全員にボールの取り合いをさせていたから「次をください」の要求がすごくて、ひたすらボールを投げ続け、ずっと歓声が上がっていた。

 投げる側に来ようとする人は誰もいなくて、要するにみんなボールを追ってキャッチしたらこちらまで持ってくる、という行為が楽しそうだったのよね。

 走ってくるときのみんなの尻尾は揺れていて、確か尻尾でバランスを取って走っているんだったわねと感動してしまったし、ボールを持っている時の顔が全員生き生きしていて嬉しかった。

 私は周りがよく見えていなかったけど、みんなの目が暗闇で光っていた。
 人狼の耳と尻尾は動きが割と見えることがあって、キュンとしてしまったりして……。

「うちの使用人は、みんなアイリーンを好きになった」
「ほんとに? ただボールを投げていただけよ?」
「あんな風に根気よく付き合ってくれる『奥様』などいない」
「アイリーンって本名を普通に使われてしまったから、公爵家が何か言ってこないか心配」

 反応が返ってこなかったから、どうしたのかしらとベッドでごろんと体勢を変えてノクスを見上げる。

「公爵家と皇帝は、何を狙っているんだろうな」

 ノクスが腕を組んでいつになく真剣な顔をしていた。
 ディエスと違い、ノクスは公爵様にも皇帝陛下にも会ったことはないはずだ。
 戦時中は、ディエスが黒魔術でノクスを封じていたから。

「公爵様と皇帝陛下の記憶は? ノクスにもあるの?」
「ディエスを通して見ていた。悪意をこちらに向けてきたりはしなかったが、あそこまで冷酷になれる人間を他に知らない」
「それは、公爵様のこと?」
「皇帝だって大して変わらない。あの二人は人の犠牲をなんとも思っていない」

 そうでしょうね、と私はうなずく。
 心を痛める人であれば、私に対してもう少し同情や気を遣う素振りをしたはずだもの。

 皇帝陛下は、一度も身代わりになる私のことを気にかけていなかったように思う。
 少なくとも、私に対して伝言のひとつすらよこさなかった。
 それが皇帝陛下という人なのだと思ったから、別に傷ついたりはしなかったけれど。

「アイリーンのことをどう思ってるのかが不気味だ」
「ユリシーズとうまくやっているから、それで納得してくれないのかしら」
「ディエスから聞いただろ? 少なくとも公爵は俺を消したがってる」

 そう、確かに聞いた。
 ユリシーズは公爵様に殺されそうになっていたらしいし、それが成功しなかったことで報復される心配だってしているに違いない。

 私を送り込んだ狙いに、ユリシーズの暗殺があってもおかしくない。

 顔を覆う。
 悔しい。
 ユリシーズは何も悪いことなんかしていないのに。

 戦争が終わったら使い捨てのように殺されるなんて、そんなの納得できないわ。

「アイリーン。泣いてるのか?」
「泣いてないわ。腕が疲れただけ……」

 誤魔化したけれど、ノクスは顔を覆った手についた涙を丁寧に舐めて「泣くな」と静かに言った。

「大丈夫だ。死神伯の正体は人狼で、簡単にはやられない」
「だけど、こんなのってないでしょう? ユリシーズは英雄なのに」
「戦争に英雄なんか要らない。ただの人殺しだ」
「そんな……」

 私の涙がぽろぽろとベッドに零れていく。

「いいんだ。人狼は殺人に対する罪の意識は薄い。テリトリーを侵すやつを容赦なく殺す遺伝子が入ってる。それより、アイリーンに危険が及ばないか心配だ」

 ノクスはそう言いながら私の涙を舌で拭っていた。
 狼は、身内を守るために生死をかけて戦う生き物なのだと思う。
 だから、ユリシーズは家族や仲間を戦場で失った心の傷が深い。

「あなたの迷惑にならないように、こうしてなるべく一緒にいることにしたの」

 ノクスが目を細めて、私に沿うようにベッドに横になった。
 頬を甘噛みされると、そっと唇が重なる。

「アイリーンと少しでも長くいられるのは、嬉しい。腕が使い物にならなくなるまでボールを投げ続けてくれる妻を持てて幸せだ」
「あんなに楽しんでくれるなんて思わなくて、もうくたくたよ」

 くすくす笑うと、ノクスにぎゅうっと抱きしめられた。
 気持ちが伝わってきて、胸が苦しい。

 私が人質に取られたら、ユリシーズはディエスもノクスも簡単に屈してしまう。
 そんなのは絶対に嫌だ。

 抱きしめられた腕の中、力の出ない手でノクスの服をぎゅっと握る。

「そんなに幸せなのだと言うなら、ずっと私といればいいんだわ」
「言われなくても、そのつもりだ」

 ノクスの声は自信満々で、力強く言い切ってくれる。
 そっと顔を見上げるようにすると、嬉しそうに頬を緩めてこちらを見てきた。

 ゴツゴツとした手が首元を通って髪の中に入ってくる。
 身を委ねるように目を瞑り、顔中に甘噛みを受け入れた。
 最初は怖いと思った行為だったけれど、今なら分かる。

 柔らかく当たる歯の感触に、この人がどれだけ私のことを愛おしんでくれているのか。
 そっと確認するように、壊さないようにと口に含まれる。
 初めて首を噛まれ、「きゃ」と声が出て身体が逃げてしまったけれど、「違うの、痛かったんじゃ無くて……」と弁解したら尻尾を激しく振って喜ばれた。

 隣で大きな尻尾を振っているノクスは、噛んだり舐めたりすることで私を確かめる。
 その間じゅう、「アイリーン」と何度も私の名前を呼んでいた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました

大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――

天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎ ギルドで働くおっとり回復役リィナは、 自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。 ……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!? 「転ばないで」 「可愛いって言うのは僕の役目」 「固定回復役だから。僕の」 優しいのに過保護。 仲間のはずなのに距離が近い。 しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。 鈍感で頑張り屋なリィナと、 策を捨てるほど恋に負けていくカイの、 コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕! 「遅いままでいい――置いていかないから。」

皇帝陛下の寵愛は、身に余りすぎて重すぎる

若松だんご
恋愛
――喜べ、エナ! お前にも縁談が来たぞ! 数年前の戦で父を、病で母を亡くしたエナ。 跡継ぎである幼い弟と二人、後見人(と言う名の乗っ取り)の叔父によりずっと塔に幽閉されていたエナ。 両親の不在、後見人の暴虐。弟を守らねばと、一生懸命だったあまりに、婚期を逃していたエナに、叔父が(お金目当ての)縁談を持ちかけてくるけれど。 ――すまないが、その縁談は無効にさせてもらう! エナを救ってくれたのは、幼馴染のリアハルト皇子……ではなく、今は皇帝となったリアハルト陛下。 彼は先帝の第一皇子だったけれど、父帝とその愛妾により、都から放逐され、エナの父のもとに身を寄せ、エナとともに育った人物。 ――結婚の約束、しただろう? 昔と違って、堂々と王者らしい風格を備えたリアハルト。驚くエナに妻になってくれと結婚を申し込むけれど。 (わたし、いつの間に、結婚の約束なんてしてたのっ!?) 記憶がない。記憶にない。 姉弟のように育ったけど。彼との別れに彼の無事を願ってハンカチを渡したけれど! それだけしかしてない! 都会の洗練された娘でもない。ずっと幽閉されてきた身。 若くもない、リアハルトより三つも年上。婚期を逃した身。 後ろ盾となる両親もいない。幼い弟を守らなきゃいけない身。 (そんなわたしが? リアハルト陛下の妻? 皇后?) ずっとエナを慕っていたというリアハルト。弟の後見人にもなってくれるというリアハルト。 エナの父は、彼が即位するため起こした戦争で亡くなっている。 だから。 この求婚は、その罪滅ぼし? 昔世話になった者への恩返し? 弟の後見になってくれるのはうれしいけれど。なんの取り柄もないわたしに求婚する理由はなに? ずっと好きだった彼女を手に入れたかったリアハルトと、彼の熱愛に、ありがたいけれど戸惑いしかないエナの物語。

お飾りの妃をやめたら、文官様の溺愛が始まりました 【完結】

日下奈緒
恋愛
後宮に入り、妃となって二年。 それなのに一度も皇帝に抱かれぬまま、沈翠蘭は“お飾りの妃”としてひっそりと日々を過ごしていた。 ある日、文部大臣の周景文が現れ、こう告げる。 「このままでは、あなたは後宮から追い出される」 実家に帰れば、出世を望む幼い弟たちに顔向けできない――。 迷いの中で手を差し伸べた彼にすがるように身を預けた翠蘭。 けれど、彼には誰も知らない秘密があった。 冷たい後宮から始まる、甘くて熱い溺愛の物語。

理想の男性(ヒト)は、お祖父さま

たつみ
恋愛
月代結奈は、ある日突然、見知らぬ場所に立っていた。 そこで行われていたのは「正妃選びの儀」正妃に側室? 王太子はまったく好みじゃない。 彼女は「これは夢だ」と思い、とっとと「正妃」を辞退してその場から去る。 彼女が思いこんだ「夢設定」の流れの中、帰った屋敷は超アウェイ。 そんな中、現れたまさしく「理想の男性」なんと、それは彼女のお祖父さまだった! 彼女を正妃にするのを諦めない王太子と側近魔術師サイラスの企み。 そんな2人から彼女守ろうとする理想の男性、お祖父さま。 恋愛よりも家族愛を優先する彼女の日常に否応なく訪れる試練。 この世界で彼女がくだす決断と、肝心な恋愛の結末は?  ◇◇◇◇◇設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 R-Kingdom_1 他サイトでも掲載しています。

ギルド回収人は勇者をも背負う ~ボロ雑巾のようになった冒険者をおんぶしたら惚れられた~

水無月礼人
恋愛
 私は冒険者ギルド職員ロックウィーナ。25歳の女で担当は回収役。冒険者の落し物、遺品、時には冒険者自体をも背負います!  素敵な恋愛に憧れているのに培われるのは筋肉だけ。  しかし無駄に顔が良い先輩と出動した先で、行き倒れた美形剣士を背負ってから私の人生は一変。初のモテ期が到来です!!  ……とか思ってウハウハしていたら何やら不穏な空気。ええ!?  私の選択次第で世界がループして崩壊の危機!? そんな結末は認めない!!!! ※【エブリスタ】でも公開しています。  【エブリスタ小説大賞2023 講談社 女性コミック9誌合同マンガ原作賞】で優秀作品に選ばれました。

記憶喪失の私はギルマス(強面)に拾われました【バレンタインSS投下】

かのこkanoko
恋愛
記憶喪失の私が強面のギルドマスターに拾われました。 名前も年齢も住んでた町も覚えてません。 ただ、ギルマスは何だか私のストライクゾーンな気がするんですが。 プロット無しで始める異世界ゆるゆるラブコメになる予定の話です。 小説家になろう様にも公開してます。

中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】 ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!? 激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。 目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。 もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。 セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。 戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。 けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。 「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの? これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、 ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。 ※小説家になろうにも掲載中です。

処理中です...