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3章

乳母の来訪

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 お兄様が屋敷に突然来てから、公爵様から手紙が来た。内容は、凄腕を連れて行ったが到底敵わないようだったからお前も何か協力しなさい、というものだった。

 図々しいわね、と思ったけれど、『私の細腕でできることなどあるのでしょうか?』と返事を送ってみてから音信が途絶えている。

「アイリーン、さっき、3人の刺客をうちの屋敷の人間が捕まえた。夜が得意な隠密部隊を寄越したみたいだが、こっちは屋敷に人狼だからな」
「……大丈夫なの? その人たちはどこへ?」
「とりあえず豚小屋に繋いである」
「……そう」

 私たちは既にベッドで休み始めていて、ノクスは私の肩をさすりながらそんなことを報告してきた。
 ちなみに、ノクスはこの部屋から一度も出ていない。
 人狼の耳はかなり離れた場所の会話も聞こえるらしい。

「誰が黒幕なのかは絶対話さないらしいが、どう考えても公爵家だろうな。匂いがそんな感じだと言っていた」
「頭から生えた耳や尻尾は見られてないの?」
「大丈夫だ。尻尾は服の中に隠せるようになっているし、耳の方は折りたたんでおけばいい」
「それはないと思うのだけれど」

 人間の視力を舐め過ぎじゃないかしら。
 でも、夜で暗い中だから分からないのかも。
 人狼の人たちは夜になると目だけが光っているように見えるから初めて見た人は怖かったはず。まあ、同情はしないけれど。

「これで通算何人になった?」
「13人よ」
「既に10人を牢屋に送ったのか。公爵も自分に逆らえない人間をどんどん犯罪者にしていくんだな」
「本当ね」
「まあ、捕まって釈放されれば公爵家とは縁が切れるだろ」

 ノクスはふさふさの黒い耳をぴょこんと動かして、私の耳に口づける。
 そのまま舌で私を味わうようにしながら、「アイリーン」と撫でるような甘い声を出した。
 ディエスに比べてノクスからは尖った声がするのだけれど、時々こうして声を使い分けているらしい。

「公爵家の刺客に入ってこられたらどうするのよ」
「ここはそんな簡単な家じゃない」
「でも……」
「あちらも焦っているのかもしれないが、派手に動いて公爵家のやっていることが広まりでもしたら立場が危うくなる。隠密部隊しか来ないのはそういうことだ」

 お兄様ーー正確にはクリスティーナ姫のお兄様だけれどーーがこの部屋を見に来たのは、恐らくユリシーズがどこで生活しているのかを調べて狙うため。
 公爵様だって10人も犠牲が出ていれば新しい作戦を練ってやってくるに違いないわ。

「俺が心配しなきゃならないのは、アイリーンの前で本気で戦って怖がられることくらいだ」
「私がユリシーズを怖がると思っているの?」
「人狼の戦い方は銃で相手を撃って終わり、じゃないんだぞ」
「……でも、銃も使えるんでしょ?」
「接近戦になったら身体でぶつかっていく。アイリーンの目の前で惨劇を見せないように、ああやって人を捕らえられるくらいの行動に留めておいて欲しいのは確かだ」

 ノクスが心配しているように、「死神伯」と呼ばれて恐れられた姿を見せられたら、こんな風に一緒に居ることすら怖くなってしまうのだろうか。

「でも、あなたが戦うのは、あくまでも仲間や身を守るため」
「アイリーン」
「なあに?」
「理解してくれようとしているのか?」
「それはまあ、夫婦だし」

 私は、夫婦というのがどういうものなのかよく知らない。
 こうやってお互いを尊重し合う関係を築くのは、初めてのことだった。


 ***

 不審な人たちが我が家で捕まるようになってから数日、とうとう乳母のオルガさんがやってきた。それも夕方に到着するというなかなか予想外なことをしてくれる。
 いつか来るんじゃないかと思っていたけれど、早々に現れてくれてとても嬉しいわ。嫌なことはさっさと終わらせたい主義だから。

 この方はお兄様に比べてユリシーズを殺そうとか、私を貶めようとか、そういう雰囲気はない。
 ただただ面倒な人という印象なのよね。

 私たちは応接で向かい合っていて、オルガさんは立派な花の飾りがついた帽子を脱いで灰色の髪を撫でながら部屋を見回していた。その隣には、ちょっと陰のある若い女性がついている。肩までの黒い髪に黒い目の若い女性。見たことがないけれど、公爵家の使用人かしら。

「クリスティーナ様、こちらに誰かを泊めたことはおありですか?」
「いえ、誰も泊めておりませんが」

 泊めろとか言われたら、この家の人狼たちを見られてしまうかもしれないし。
 ユリシーズが夜になったらおよそ伯爵らしくない口調に変わってしまうのも、なにかとまずい。人相も悪くなるし。頭にふさふさの耳が生えているし。

「本当は、もっとわたくしがクリスティーナ様に妻としての心得を教えておくべきでした。なにしろ、急に嫁入りになってしまったものですから」

 この人に教わる妻としての心得ってなんなのかしら。ちょっとだけ興味があるけれど、何の役にも立ちやしないでしょうねと決めつけている自分もいる。

「オルガ様、妻は……クリス様は素晴らしい女性です。私は毎日を穏やかに過ごしておりますし、屋敷の者たちも皆、クリス様のことが大好きなのですよ」

 驚いた顔をしたオルガさんは、首から銀色のチェーンでぶら下げていた眼鏡を持ち上げてさっと装着した。
 そして改めてユリシーズの顔をまじまじと見ている。ユリシーズの表情を確認することにしたのかしら。ユリシーズは嘘なんかついてないわよ、失礼ね。

「それでは、オルブライト伯爵にお願いがございます。どなたか、屋敷の者をこちらにお呼びいただけますか?」
「屋敷の者、ですか?」
「クリスティーナ様をどう思っていらっしゃるのかをお聞かせいただきたく」
「はあ……。シンシアは来られますか?」

 ユリシーズは普段より少し声量を上げてシンシアを呼んだ。
 本当だったらそんなことをしなくてもシンシアには聞こえるだろうけれど、驚かせないためにも大きな声を出したから聞こえたという体にしたほうがいい。

「ご主人様、お呼びでしょうか!」

 すぐに駆け付けるのがシンシア。多分遠くから急いで走ってきたのだと思うけれど。

「こちらにクリス様の乳母、オルガ様がいらっしゃるので、一緒に話をしてくれませんか?」
「はいっ」

 シンシアは扉からすっと現れると、静かに戸を閉めて私の隣までやってきた。
 普段からユリシーズの隣よりも、私の隣に来る。

「初めまして。お嬢さん、クリスティーナ様はいい奥様でいらっしゃるの?」
「はいっ! それはもう!!」
「それはどんなところが?」
「どんな、ですか??」

 きょとんとしているシンシア。そうよね、難しいわよね。

「お優しいです! あとは、とても真っすぐで純粋な方でいらっしゃいますし、ご主人様が心から愛されていらっしゃる素敵な方です」
「でも、女主人には足りないところが多いでしょう?」
「私は奥様のことを女主人様だと思っておりますが」

 シンシア……あなた本当にかわいいわね……。栗色の毛の上に白い耳が、白い尻尾がフリフリしていそうな幻が見えてきたわ。

「あらそうなの。まあいいわ、本日はこちらに泊まらせていただくから、その辺の話をじっくり聞かせて頂戴な、シンシアさん」
「はい?!」

 ちなみに、シンシアの「はい」に被せて疑問形で尋ねたのは私だ。
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