売られて嫁いだ伯爵様には、犬と狼の時間がある

碧井夢夏

文字の大きさ
122 / 134
5章

相続人

しおりを挟む
 泣きはらした目をしたウィルとエイミーを連れて家に帰ったところ、出迎えてくれた他の使用人たちも一様に同じ目をしていた。ただ、暗いところでは光っていたけれど。

「おくしゃまああああ」

 涙でぐしゃぐしゃのシンシアがいて、私はその頭をよしよしと撫でる。

「ただいま帰ったわ。やらなくちゃいけないことだらけだからバートレットとあらゆることを相談したいと思っています。いたらない奥様だけれど、ユリシーズがいない今、どうか一緒にオルブライト家を支えて下さい」

 並んで待っていた使用人たちに向けて言うと、メイド長が鼻を啜りながら「勿論です、奥様」と答える。

「うぅっ……ご主人様は酷いです……奥様を置いて……奥様は人間なのに……」

 シンシアは泣きすぎたのか嗚咽を漏らしている。

「そうね。私は人間だから、人狼と違って伴侶を追って死んだりはしないのよ」

 使用人たちがグズグスと泣いている。
 頭に耳が生えている使用人も、そうでない使用人も、みんな主人の訃報に落ち込んでいた。

 ただひとり、バートレットを除いて。

 バートレットはいつもと同じ調子で、「取り急ぎまとめた資料をお渡しします」と私に書類の一式を渡してくれた。「ありがとう」といつも通りの調子で返すけれど、他の人と調子が違っていて戸惑った。


 部屋に戻ると、バートレットから渡された書類を読み込むことにする。

「あれ、屋敷の建物については所有者がユリシーズのお父様のままだわ。ユリシーズ、遺産の手続きをしなかったの?」

 口に出してハッとした。
 ここはユリシーズの部屋だから、自然に話しかけてしまっている。

「……この部屋にあなたがいないなんて」

 色々なことがあったからだろうか。夜は更けているのに眠くならない。

 外に明るい月が出ている。
 誘われるようにバルコニーに出た。風が吹いていて、肌寒い。

「ユリシーズ! どこなの?」

 バルコニーからユリシーズを呼んだ。
 耳の良いノクスなら、遠くにいても私の声が聞こえるはずだから。

「そうやって長く隠れていると……喪が明けたら新しい結婚相手を探してしまうかもしれないわよ? 私はまだ若いし、貰い手ならいくらでも見つかるのだから」

 この声が聞こえていたのなら、ノクスは黙っていない。
「お前と俺は生涯の伴侶だろ」とか「アイリーンは誰にも渡さない」と言いながら、怒ってくれるに決まっている。

「ねえ、私はいまだに夜になると古傷が痛むのに、さすりに来てはくれないの?」

 ディエスとノクスの声が、はっきりと思い出せない。
 ディエスの方がノクスよりも高くて、優しい声だった。ノクスはディエスよりも低くて響く声をしていたのは憶えているのだけれど。

 次は何を思い出せなくなるのかしら。
 尻尾の触り心地? 私に触れるときに感じる、硬い皮膚の感触? 頭を撫でた時の嬉しそうな顔?
 あなたの泣いている時の顔は、まだ思い出せるけれど……。

 私の涙は蒸発してしまったようで、こんな時でも泣けない。

「アオオォーーーン……」

 どこかで遠吠えをしている犬がいる。

 あれが、あなただったらいいのに。


 ***

 私はユリシーズの財産を継ぎ、領地経営から屋敷の経営までをバートレットと共に行っている。

 オルブライト家の使用人たちが私を女主人として受け入れてくれるようになってきているのは、全てバートレットのお陰だ。

 ペトラが誰よりも憔悴しきっているらしく、このままだと命が危険だと周りが必死にケアをしている。
 そんな様子を報告されるたび、彼女は本気でユリシーズを愛していたのかもしれないと思った。
 公爵家に攫われた件からペトラを許す気持ちにはなれないけれど、命を懸けるほどの想いを私が奪っていたとしたら、彼女にとって私は相当目障りだっただろうとは思う。

 ユリシーズが亡くなった場所にあったという黒い手のひらサイズの布切れを見ながら、「あなたは罪な人ね」と呟く。
 この遺品は皇帝陛下の手配で届き、ユリシーズの着ていた服の一部なのは分かった。

 ユリシーズは熊か何かに襲われたと見られている。

「ねえ、ユリシーズって熊に負けるの?」

 ユリシーズの部屋でデスクに座りながら、そばにいるバートレットに素朴な疑問をぶつける。私は喪に服しているため、毎日黒いドレスで過ごしていた。

「さあ……美味しくありませんから熊を狩ろうと思ったことはございませんが、ご主人様は当時、毒が抜け切れていなかったと思われますので」
「そう」

 その日、ユリシーズは宿で公爵家の暗殺集団に囲まれて、滞在していた町から森に入ったらしい。
 後を追った暗殺集団が2日後に見つけたのは、大量の血痕、細かく引き裂かれたユリシーズの衣服、野生動物が群がった痕だった。

 それが皇帝陛下に伝わって、私やオルブライト家に訃報が届いたというわけなのだけれど。


 あの人が、そんな最期を遂げたなんて。
 いつまで経ってもその想いが消えない私は、この帝国のどこかにユリシーズが生きている可能性も考えながら、何人かを捜索に向かわせている。


「奥様、ご主人様の匂いが途切れた場所が判明しました!」

 慌てたウィルが報告にやってきた。
 ウィルを含めた何名かが、通常の仕事と合わせてユリシーズの捜索を続けている。人狼の嗅覚を活かし、森に入って匂いを追っていたのだ。

「明日、そこに私も連れて行ってくれる?」
「はい。かしこまりました」

 オルブライト家だけで行った、棺もない葬儀が終わってから三カ月。
 ようやくユリシーズの手がかりらしいものが見つかった。



 翌朝、バートレットとエイミー、ウィルを連れてユリシーズの匂いが見つかった場所に向かった。
 私は乗馬服を着ていて、森の中を散策するつもりでいる。

「バートレット、また何か抗議の手紙が来ていたのではないの?」
「……そんなもの、無視してください」
「どんな『ご意見』が来ているのかを知るのも主人の役目ではないかしら」

 馬車の中で、バートレットに尋ねる。ユリシーズが亡くなってから、心無い手紙や異議申し立てが家に届くようになっていた。

「フリートウッド家が降爵になったのであれば、奥様の出自も見直される必要があるという意見が主です。伯爵の遺産を継ぐ資格はないのではないか、というものが3件、遺産を放棄して実家に帰るべきだ、というものが2件ほど来ておりました」
「他人の家のことに、よくもまあ偉そうに口を挟めたものだこと」
「わたくしめも全くの同意見です」

 バートレットは、以前よりも私の肩を持ってくれることが増えている。
 ありがたいような気もするけれど、ユリシーズがいなくなったからだと思うと複雑だ。

「世間は私を悪女に仕立て上げたいのでしょうね。英雄の元に嫁いで、父親である公爵様が裁判にかけられている最中に未亡人になり遺産を相続したのだから……まるで伯爵の遺産を狙っていたように見えてもおかしくはないけれど」
「奥様のことをご存じない方が勝手を言っているだけです!」

 エイミーは私よりもずっと怒っていた。ウィルは、向かいの席からエイミーを穏やかに見ている。正義感の強い彼女には、こういう人がそばにいるのがいいのかもしれない。

「私のことは稀代の悪女だとでも思ってくれたらいいわ。変に同情されるよりも、その方が気が楽だもの」
「奥様は、誤解されて悔しくないのですか?」
「どうかしら。狡い女だと思われて嫉妬されている方が、それだけ幸せに見えているのねと思えるのよ。見ず知らずの人に同情されるより、ずっとマシではないかしら」

 エイミーとウィルがしゅんとしてしまった。
 もうすぐユリシーズの手がかりがある場所に着くというのに、落ち込ませるつもりは無かったのだけれど。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました

大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――

天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎ ギルドで働くおっとり回復役リィナは、 自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。 ……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!? 「転ばないで」 「可愛いって言うのは僕の役目」 「固定回復役だから。僕の」 優しいのに過保護。 仲間のはずなのに距離が近い。 しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。 鈍感で頑張り屋なリィナと、 策を捨てるほど恋に負けていくカイの、 コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕! 「遅いままでいい――置いていかないから。」

皇帝陛下の寵愛は、身に余りすぎて重すぎる

若松だんご
恋愛
――喜べ、エナ! お前にも縁談が来たぞ! 数年前の戦で父を、病で母を亡くしたエナ。 跡継ぎである幼い弟と二人、後見人(と言う名の乗っ取り)の叔父によりずっと塔に幽閉されていたエナ。 両親の不在、後見人の暴虐。弟を守らねばと、一生懸命だったあまりに、婚期を逃していたエナに、叔父が(お金目当ての)縁談を持ちかけてくるけれど。 ――すまないが、その縁談は無効にさせてもらう! エナを救ってくれたのは、幼馴染のリアハルト皇子……ではなく、今は皇帝となったリアハルト陛下。 彼は先帝の第一皇子だったけれど、父帝とその愛妾により、都から放逐され、エナの父のもとに身を寄せ、エナとともに育った人物。 ――結婚の約束、しただろう? 昔と違って、堂々と王者らしい風格を備えたリアハルト。驚くエナに妻になってくれと結婚を申し込むけれど。 (わたし、いつの間に、結婚の約束なんてしてたのっ!?) 記憶がない。記憶にない。 姉弟のように育ったけど。彼との別れに彼の無事を願ってハンカチを渡したけれど! それだけしかしてない! 都会の洗練された娘でもない。ずっと幽閉されてきた身。 若くもない、リアハルトより三つも年上。婚期を逃した身。 後ろ盾となる両親もいない。幼い弟を守らなきゃいけない身。 (そんなわたしが? リアハルト陛下の妻? 皇后?) ずっとエナを慕っていたというリアハルト。弟の後見人にもなってくれるというリアハルト。 エナの父は、彼が即位するため起こした戦争で亡くなっている。 だから。 この求婚は、その罪滅ぼし? 昔世話になった者への恩返し? 弟の後見になってくれるのはうれしいけれど。なんの取り柄もないわたしに求婚する理由はなに? ずっと好きだった彼女を手に入れたかったリアハルトと、彼の熱愛に、ありがたいけれど戸惑いしかないエナの物語。

お飾りの妃をやめたら、文官様の溺愛が始まりました 【完結】

日下奈緒
恋愛
後宮に入り、妃となって二年。 それなのに一度も皇帝に抱かれぬまま、沈翠蘭は“お飾りの妃”としてひっそりと日々を過ごしていた。 ある日、文部大臣の周景文が現れ、こう告げる。 「このままでは、あなたは後宮から追い出される」 実家に帰れば、出世を望む幼い弟たちに顔向けできない――。 迷いの中で手を差し伸べた彼にすがるように身を預けた翠蘭。 けれど、彼には誰も知らない秘密があった。 冷たい後宮から始まる、甘くて熱い溺愛の物語。

ギルド回収人は勇者をも背負う ~ボロ雑巾のようになった冒険者をおんぶしたら惚れられた~

水無月礼人
恋愛
 私は冒険者ギルド職員ロックウィーナ。25歳の女で担当は回収役。冒険者の落し物、遺品、時には冒険者自体をも背負います!  素敵な恋愛に憧れているのに培われるのは筋肉だけ。  しかし無駄に顔が良い先輩と出動した先で、行き倒れた美形剣士を背負ってから私の人生は一変。初のモテ期が到来です!!  ……とか思ってウハウハしていたら何やら不穏な空気。ええ!?  私の選択次第で世界がループして崩壊の危機!? そんな結末は認めない!!!! ※【エブリスタ】でも公開しています。  【エブリスタ小説大賞2023 講談社 女性コミック9誌合同マンガ原作賞】で優秀作品に選ばれました。

中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】 ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!? 激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。 目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。 もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。 セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。 戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。 けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。 「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの? これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、 ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。 ※小説家になろうにも掲載中です。

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました【完結】

iru
恋愛
第19回 恋愛小説大賞エントリーしています。ぜひ1票お願いします。 小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

記憶喪失の私はギルマス(強面)に拾われました【バレンタインSS投下】

かのこkanoko
恋愛
記憶喪失の私が強面のギルドマスターに拾われました。 名前も年齢も住んでた町も覚えてません。 ただ、ギルマスは何だか私のストライクゾーンな気がするんですが。 プロット無しで始める異世界ゆるゆるラブコメになる予定の話です。 小説家になろう様にも公開してます。

処理中です...