売られて嫁いだ伯爵様には、犬と狼の時間がある

碧井夢夏

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5章

相続人

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 泣きはらした目をしたウィルとエイミーを連れて家に帰ったところ、出迎えてくれた他の使用人たちも一様に同じ目をしていた。ただ、暗いところでは光っていたけれど。

「おくしゃまああああ」

 涙でぐしゃぐしゃのシンシアがいて、私はその頭をよしよしと撫でる。

「ただいま帰ったわ。やらなくちゃいけないことだらけだからバートレットとあらゆることを相談したいと思っています。いたらない奥様だけれど、ユリシーズがいない今、どうか一緒にオルブライト家を支えて下さい」

 並んで待っていた使用人たちに向けて言うと、メイド長が鼻を啜りながら「勿論です、奥様」と答える。

「うぅっ……ご主人様は酷いです……奥様を置いて……奥様は人間なのに……」

 シンシアは泣きすぎたのか嗚咽を漏らしている。

「そうね。私は人間だから、人狼と違って伴侶を追って死んだりはしないのよ」

 使用人たちがグズグスと泣いている。
 頭に耳が生えている使用人も、そうでない使用人も、みんな主人の訃報に落ち込んでいた。

 ただひとり、バートレットを除いて。

 バートレットはいつもと同じ調子で、「取り急ぎまとめた資料をお渡しします」と私に書類の一式を渡してくれた。「ありがとう」といつも通りの調子で返すけれど、他の人と調子が違っていて戸惑った。


 部屋に戻ると、バートレットから渡された書類を読み込むことにする。

「あれ、屋敷の建物については所有者がユリシーズのお父様のままだわ。ユリシーズ、遺産の手続きをしなかったの?」

 口に出してハッとした。
 ここはユリシーズの部屋だから、自然に話しかけてしまっている。

「……この部屋にあなたがいないなんて」

 色々なことがあったからだろうか。夜は更けているのに眠くならない。

 外に明るい月が出ている。
 誘われるようにバルコニーに出た。風が吹いていて、肌寒い。

「ユリシーズ! どこなの?」

 バルコニーからユリシーズを呼んだ。
 耳の良いノクスなら、遠くにいても私の声が聞こえるはずだから。

「そうやって長く隠れていると……喪が明けたら新しい結婚相手を探してしまうかもしれないわよ? 私はまだ若いし、貰い手ならいくらでも見つかるのだから」

 この声が聞こえていたのなら、ノクスは黙っていない。
「お前と俺は生涯の伴侶だろ」とか「アイリーンは誰にも渡さない」と言いながら、怒ってくれるに決まっている。

「ねえ、私はいまだに夜になると古傷が痛むのに、さすりに来てはくれないの?」

 ディエスとノクスの声が、はっきりと思い出せない。
 ディエスの方がノクスよりも高くて、優しい声だった。ノクスはディエスよりも低くて響く声をしていたのは憶えているのだけれど。

 次は何を思い出せなくなるのかしら。
 尻尾の触り心地? 私に触れるときに感じる、硬い皮膚の感触? 頭を撫でた時の嬉しそうな顔?
 あなたの泣いている時の顔は、まだ思い出せるけれど……。

 私の涙は蒸発してしまったようで、こんな時でも泣けない。

「アオオォーーーン……」

 どこかで遠吠えをしている犬がいる。

 あれが、あなただったらいいのに。


 ***

 私はユリシーズの財産を継ぎ、領地経営から屋敷の経営までをバートレットと共に行っている。

 オルブライト家の使用人たちが私を女主人として受け入れてくれるようになってきているのは、全てバートレットのお陰だ。

 ペトラが誰よりも憔悴しきっているらしく、このままだと命が危険だと周りが必死にケアをしている。
 そんな様子を報告されるたび、彼女は本気でユリシーズを愛していたのかもしれないと思った。
 公爵家に攫われた件からペトラを許す気持ちにはなれないけれど、命を懸けるほどの想いを私が奪っていたとしたら、彼女にとって私は相当目障りだっただろうとは思う。

 ユリシーズが亡くなった場所にあったという黒い手のひらサイズの布切れを見ながら、「あなたは罪な人ね」と呟く。
 この遺品は皇帝陛下の手配で届き、ユリシーズの着ていた服の一部なのは分かった。

 ユリシーズは熊か何かに襲われたと見られている。

「ねえ、ユリシーズって熊に負けるの?」

 ユリシーズの部屋でデスクに座りながら、そばにいるバートレットに素朴な疑問をぶつける。私は喪に服しているため、毎日黒いドレスで過ごしていた。

「さあ……美味しくありませんから熊を狩ろうと思ったことはございませんが、ご主人様は当時、毒が抜け切れていなかったと思われますので」
「そう」

 その日、ユリシーズは宿で公爵家の暗殺集団に囲まれて、滞在していた町から森に入ったらしい。
 後を追った暗殺集団が2日後に見つけたのは、大量の血痕、細かく引き裂かれたユリシーズの衣服、野生動物が群がった痕だった。

 それが皇帝陛下に伝わって、私やオルブライト家に訃報が届いたというわけなのだけれど。


 あの人が、そんな最期を遂げたなんて。
 いつまで経ってもその想いが消えない私は、この帝国のどこかにユリシーズが生きている可能性も考えながら、何人かを捜索に向かわせている。


「奥様、ご主人様の匂いが途切れた場所が判明しました!」

 慌てたウィルが報告にやってきた。
 ウィルを含めた何名かが、通常の仕事と合わせてユリシーズの捜索を続けている。人狼の嗅覚を活かし、森に入って匂いを追っていたのだ。

「明日、そこに私も連れて行ってくれる?」
「はい。かしこまりました」

 オルブライト家だけで行った、棺もない葬儀が終わってから三カ月。
 ようやくユリシーズの手がかりらしいものが見つかった。



 翌朝、バートレットとエイミー、ウィルを連れてユリシーズの匂いが見つかった場所に向かった。
 私は乗馬服を着ていて、森の中を散策するつもりでいる。

「バートレット、また何か抗議の手紙が来ていたのではないの?」
「……そんなもの、無視してください」
「どんな『ご意見』が来ているのかを知るのも主人の役目ではないかしら」

 馬車の中で、バートレットに尋ねる。ユリシーズが亡くなってから、心無い手紙や異議申し立てが家に届くようになっていた。

「フリートウッド家が降爵になったのであれば、奥様の出自も見直される必要があるという意見が主です。伯爵の遺産を継ぐ資格はないのではないか、というものが3件、遺産を放棄して実家に帰るべきだ、というものが2件ほど来ておりました」
「他人の家のことに、よくもまあ偉そうに口を挟めたものだこと」
「わたくしめも全くの同意見です」

 バートレットは、以前よりも私の肩を持ってくれることが増えている。
 ありがたいような気もするけれど、ユリシーズがいなくなったからだと思うと複雑だ。

「世間は私を悪女に仕立て上げたいのでしょうね。英雄の元に嫁いで、父親である公爵様が裁判にかけられている最中に未亡人になり遺産を相続したのだから……まるで伯爵の遺産を狙っていたように見えてもおかしくはないけれど」
「奥様のことをご存じない方が勝手を言っているだけです!」

 エイミーは私よりもずっと怒っていた。ウィルは、向かいの席からエイミーを穏やかに見ている。正義感の強い彼女には、こういう人がそばにいるのがいいのかもしれない。

「私のことは稀代の悪女だとでも思ってくれたらいいわ。変に同情されるよりも、その方が気が楽だもの」
「奥様は、誤解されて悔しくないのですか?」
「どうかしら。狡い女だと思われて嫉妬されている方が、それだけ幸せに見えているのねと思えるのよ。見ず知らずの人に同情されるより、ずっとマシではないかしら」

 エイミーとウィルがしゅんとしてしまった。
 もうすぐユリシーズの手がかりがある場所に着くというのに、落ち込ませるつもりは無かったのだけれど。
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