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第二章 これはモテ期などではない

この状況をどう捉えるか

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 家に着いて腕時計を外すタイミング、ようやくそこに爺さんが現れた。
 いきなり液晶に老人男性が映る現象に、すっかり慣れている自分がいる。

「なんで今日は出てこなかったんだよ……」

 何度も呼んだのに出てきてくれなかったから、ちょっとクレームじみたことを言ってしまった。

「自分の頭で考えた方が良いだろうと思っただけだ」
「考えてはみたけど、正直、どうしたらいいのか分からないよ」

 宮垣さんとの約束があるのに、明日が来るのがちょっと憂鬱だ。
 渡部のこと、小川のこと。
 渡部の気持ちには応えられそうにないし、それを知った小川と同期で仲良くしていくことも気まずい。
 そして、小川が手を繋いでいる男性が誰なのかってことも、見てしまった以上は会話をしなきゃいけないのだろう。

 知らなければ良かった、のだろうか。

 渡部の気持ちを知らなければ、小川が手をつなぐような男性と歩いていることを知らなければ。
 こんなに頭がぐちゃぐちゃになることもなかったのだろうか。

 だけど、僕は渡部に好きだと言われたこと自体は嬉しかったんだと思う。
 それと同時に、とても申し訳なくなった。
 僕みたいな男が、渡部みたいな綺麗な人に好かれるなんて奇跡に近いって言うのに。
 それを受け止められないなんて身の程知らずも甚だしいのに。

 男女のことって、どうしてこんなにうまく行かないんだろう。
 4月の時点で、宮垣さんに会う前に渡部に告白されていたら。
 僕はきっと渡部と付き合っていたんだろう。

「男女ってのは、タイミングみたいなところがある」

 爺さんは、僕の考えていることがなんとなくわかるらしい。

「どんなに運命の相手でも幼児期に出会えば恋愛には発展しにくいように、出会う時期で結ばれなくなることばかりだ」
「そうなのか。うん、そうなのかもね」

 この世の中に成立しているカップルは、みんな恵まれた人間なんだと思っていた。
 だけど、恵まれた度合いでいえば今の僕は相当恵まれている。
 それなのに、僕には彼女がいない。渡部に告白されて、本当だったら断る理由なんかないくせに。
 渡部は僕にはもったいないような子なのに。

「爺さんは、渡部の告白を受け止めたうえで宮垣さんと付き合えばいいって、言うかと思ったよ」
「人間、そんな簡単にはできていない」
「不倫したくせに?」
「好きになった人がいて、成就する前に他の人を好きになるのは難しい」
「そういうもんなんだ。爺さんでも」
「逃した魚が一番よく見えるからな」

 爺さんが女性を魚に例えるから、忘れていた鯖ッキーがフラッシュバックした。
 今日はしめ鯖を食べてしまったし、明日宮垣さんに謝らないとな。
 鯖ッキー、あんなにいつも「〆ないで」って懇願してるのに、〆られたやつを食べちゃったよ。

「爺さんは、祖母(ばあ)ちゃんに追い出された時……祖母ちゃんを失ったわけだろ?」
「そうだよ」
「それって、つらかった?」
「当たり前だ」

 スマートウォッチの液晶サイズだから、爺さんの表情まではハッキリ読めない。
 だけど、言っていることは嘘じゃないんだろうって分かる。

 爺さんは、祖母ちゃんも不倫相手のことも好きだったんだ。
 だからきっと、祖母ちゃんを失ったときは悲しかったんだろう。逃した魚が一番よく見えたんだろう。

「なんかさ、『好きな人が多いと楽しい』みたいなやつって諸刃の剣じゃない?」
「諸刃の剣か」
「好きな人が多ければ多い分、失う人も多くてつらいことも多いよ」

 僕は渡部のことを思い出していた。
 渡部には、幸せになって欲しい。宮垣さんとは違うけど、渡部のことは好きだから。
 僕のことで傷ついたりして欲しくない。

「新しい理論だな。好きな人が多ければ失うことも多いか」

 爺さんはそう言った後で、一度うーんと唸った。

「でもな、失うとつらいような人がいない人生なんて、味気ないもんだぞ」

 それは間違いないだろう。だけど、僕には愛は分からない。
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