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第四章
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しおりを挟む全国的な有名観光地であるK市の名所旧跡の中でも、とりわけ名の知られた一番大きな神社では毎年、夏越の祓から七夕祭の前後までの期間を結んで複数の神事や奉納の舞を執り行う、夏の一大イベントが開催されていた。
夏越の祓とは、半年の間に知らず知らずのうちに身についた罪や穢れを祓い、これから始まる暑い夏を無事に乗り切れるよう、本殿前に設置された茅の輪をくぐったりして健康などを祈る季節行事であり、このちょうど七日後に七夕の神事がある。
大通りの参道にある赤い大鳥居の下から、境内まで続く石畳の通路の両側に竹竿を高く立てかけ、そこに渡した紐から色とりどりのくす玉が吊り下げられる。
他にも、舞殿や石段、本殿の手前などに笹飾りや吹き流しが飾られ、それらが夏のからりとした風に揺れる様は、まるで天女の羽衣が色鮮やかに空を舞っているような、気品のある華やかさがあった。
七夕の祭といって連想される、よくある屋台の出店などが並ぶ派手で賑々しい眺めではなく、風格のある神社の境内らしい、清涼感に満ちた景色だった。
観光客や着物姿の地元の婦人らが参詣に訪れる境内の中央、神事の時に巫女が奉納の舞を舞う「舞殿」の周囲は、あの順平が受け取った封書に入っていた緑とピンクの梶の葉をかたどった色紙が、七夕らしい短冊型の絵馬とともに綺麗に並べて飾り付けられていた。
その舞殿の建物の正面の、ちょうど笹飾りの下で日陰になっているあたりに、洋太は一人で立っていた。
襟ぐりが広めに開いて、白地に細めの紺のボーダーが胸から下にプリントされた、ゆったりしたデザインの半袖シャツと、インディゴブルーのハーフパンツを身に着け、シューズ型のサンダルを履いて、肩からは黒いチェストバッグを掛けている。
ぱっと見ると誰かと待ち合わせをしているようにも見える洋太だったが。実のところ、この宮の七夕祭期間の最初にあたる夏越の祓の日から、七夕の神事がある今日まで毎日……それもほぼ一日中、境内のこの場所で過ごしていた。
もちろん、順平を待っているのだ。ただし、本当に来るかどうかは”賭け”のようなものだった。
順平とスマホのメッセージアプリで連絡が取れなくなってから、洋太は色々と考えた結果、順平の所属する駐屯地気付で手紙を出すことにした。これなら、もしも既に除隊していれば宛所不明で送り返されてくるだろう。
その封書の中に思いを綴った便箋ではなく、この宮で七夕の時に配布される「梶の葉の色紙」を入れたのは、古来の星祭の由来である、天の川を挟んだ二人が年に一度だけ巡り会える、という伝説になぞらえて神様にお願いをする……ような気持ちが、どこかであったからだ。
洋太は、順平が意思を持ってメッセージアプリに既読を付けないのだろうと思っていたので、もうそれを確認するのはやめていた。ただ「祭で待っている」とだけ書き添えて、あとは運を天に委ねることにした。
順平と自分の間に、まだ何かしらの”縁”が繋がっているのなら、きっとまた会えるはずだ――そう信じて。
さすがに八月の最繁忙期シーズンには、叔父に頼っていた寺の仕事に復帰しないとならないので、それまでの休みを思い切って、順平との長い長い待ち合わせのために使わせてもらうことにしていた。
朝、お宮の広大な蓮池に薄紅色の大きな蓮の花が開き始める頃から、夏の強い日差しが照りつける昼を過ぎて、夕方、鎮守の森の向こうに太陽が沈みきってしまう頃まで、涼しい日陰を追いかけて時々場所を移しながら、洋太はずっと待ち続けた。
洋太にとっては、以前の、順平との待ち合わせの時にしょっちゅう、あまり考えもなしに遅刻していた自分の行いを、この場所で振り返っている思いがした。
いつも先に来ていた順平を、よりいっそう長く待たせることに、あの頃の自分は特に何も感じていなかった。
(待ってる時間って、本当に長いんだな。……あの時、毎回すげー待たせちゃって、ごめんな順平……)
舞殿の周囲の絵馬を飾る棚に、休憩のためにもたれ掛かりながら、洋太は記憶の中の穏やかな眼差しの順平に、そう言って泣き笑いのように微笑みかけた。
一日経ち、二日経ち……とうとう七夕の神事の当日になった。祭の期間の九日までは待つつもりだったが、連日の暑い屋外での立ち待ちの時間と、少しずつ体に蓄積した疲労とで、徐々に弱気な心が頭をもたげて来た。
(やっぱり無理だったのかな……こんな方法で会うのって。でも、他に連絡取る手段を思いつかなかったし……)
寂しそうに眉を下げて俯きそうになった洋太だが、すぐにぱちん! と頬を両手で叩いて、まぶしい光で満ちた青い空のほうに顔を向ける。澄んだ明るい茶色の瞳には、強い信念のようなものが見て取れた。
(落ち込んじゃ駄目だ! この程度で……きっと順平は、もっとずっと長い間、独りで悩んでたに違いないんだから)
順平が何事かに苦悩していたことに、自分は少しも気づけなかった。そのことが、順平を追い詰め、苦しめていたに違いないのだ。
洋太にとって、順平をこの場所で一人待ち続けることは、どこかでその”罪滅ぼし”の時間のように感じていた。
暑かった午後もようやく陽が傾き始め、七夕当日の夕方からの奉納神事に備えて、本殿や、舞殿の周囲も人が集まって騒がしくなってきた。
今日もそろそろ潮時か……と思いながら、洋太が帰ろうとして舞殿の正面に歩み出した。――その時だった。
蓮池のほうから吹いてきた風が、くす玉や吹き流しをざあっと揺らし、その向こうに、大鳥居まで続く参道の奥のほうから、こちらへ全力疾走で走って来る、若い男性らしき黒っぽい人影が見えた。
(え……?)
ドキン、と心臓が大きく高鳴って、洋太が思わず息を呑んでその青年を見つめる。
走ってきたのは黒いTシャツに、いつものアースカラーのカーゴパンツを身に着け、ごつい黒のランニングシューズを履いた順平だった。
(順平……あの手紙を見て、本当に来てくれたんだ……!)
洋太は思わず涙が滲んで前が見えなくなりそうなのを、あわてて手の甲でごしごしとこすった。スピードを落として洋太の目の前まで歩いて来た順平は、駅からどれだけの勢いで走り続けて来たのか、珍しく息を弾ませ、額には汗が浮かんでいる。
もし会えたら、あれも言おう。これも話そう。そう思って何度もシミュレーションしていた内容は、順平の顔を見たとたんに一瞬でどこかに飛んでしまい、洋太は何も言えなくなってしまった。順平も、洋太を見つめたまま黙っている。
(……初めて実家の寺の境内で話した、あの時も、こんな風に傾きかけた日差しが、斜めに順平を照らしていたっけ……)
懐かしい気持ちでその光景を思い出しながら、ようやく洋太がはにかむような笑顔を浮かべて口を開いた。
「……久しぶり。元気だったか? 順平……」
洋太の声を聞いた順平が、急に弾かれたように目を開いて、頷きながら答える。
「……ああ。洋太も……」
そのまま二人は、しばらくの間、一メートルほどの距離を挟んで立ち、懐かしそうな眼差しでお互いを見つめ合っていた。
夕方が近づいて涼しい風が吹き始めた境内には、参拝する人々のさざめきと、飾り付けられたくす玉や吹き流し、願い事を書いた梶の葉の色紙などが風に揺らされる音が、さらさら、はたはたと心地よく響いていた。
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