潮騒サンセットロード

内野蓉(旧よふ)

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第四章

06

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 夏の初め、K市で一番大きい由緒ある神社の七夕祭の日に、すれ違いを乗り越えて、晴れて両想いになれた洋太と順平だったが――。
 数日後に順平の所属する部隊も参加する大きな演習が控えていたことから、順平はその日も準備のためあわただしく帰営しなければならず、蓮池のほとりで熱い想いのこもったキスをした後は、二人で短冊形の絵馬に願い事を書いて、手を繋いで一緒に奉納するくらいしか出来なかった。
 せっかく夜のお宮という絶好のデートスポットにいたにも拘らず、その場はどちらかというと神事の清浄な雰囲気に包まれていて、あまり恋人同士でイチャついているカップルも見かけなかったので遠慮したのだが、何となく洋太は不完全燃焼だった。
 それは順平も同じだったようで、次に会えるのが約一ヵ月後とわかった時に一瞬、落胆したものの、洋太からちょうどその頃には、同じ神社の境内で「ぼんぼり祭」というものがあるから、また来よう、と誘われて急に目の色を変えた。
 騒がしく人が行き交う駅の改札の前で、駐屯地の方角に向かう帰りの電車を待ちながら、順平が洋太に質問する。
「ぼんぼり……ということは、その祭りは夜にやるのか?」
「そうだよ。神社でやる七夕祭とは違って、出店とかも出るし、けっこう賑やかで人も多いから、楽しいよ」
「そうか……」
 順平が何か考え込むように目を泳がせているので、洋太がちょっといたずら心を起こして、耳元に口を寄せて囁いた。
「その祭の時さ、……浴衣……着てきてやろうか?」
「……えっ?!」
 何か思い当たる節があったのか、急に順平が真っ赤になった。
「ゆ、浴衣って……あの浴衣……か?!」
「あのって、どの浴衣のことかしらないけど……たぶんその浴衣だと思うよ。うちにあるから、当日お母さんに着付けしてもらおうかなって」
「そ、そうなのか……浴衣……」
 興奮を隠しきれないように、順平が俯いて繰り返している。洋太には何のことかわからなかったが、そこで順平が乗る予定の電車が入線するアナウンスがあったので、二人は熱っぽい目線を交わして一か月後の再会を約束し、改札口で別れた。
 何事もなかったような帰宅途中のサラリーマンで溢れるJRの車内に立って、順平はまだ赤い顔で考え込んでいた。
(浴衣って、アレだよな……?)
 じつは順平が思い浮かべていたのは、以前、時代物企画のAVで観て、わりと気に入っていた和装の”屋外プレイ”ものだった。
 洋服と違って着物、特に浴衣や着流し姿だと、裾をはだけるだけでどんな体位でも難なくこなせて、しかも事後は帯をちょっと直して合わせと裾を整えるだけでいいのか……と感心した記憶があったのだ。
 順平が幼い頃に住んでいたのは古い家だったので、いつからあるのかわからない色あせた、安っぽい柄の女物の着物なども箪笥の奥に眠っていたが、それらを誰がどうやって着たのかは、教わったことがなかった。
 そんなわけで、順平にとって着物とか浴衣というのは、どことなくエロティックで非日常感のある、特別な記号になっていた。
 さっきの洋太の「浴衣を着てきてやろうか」という囁き声を思い出し、順平はあわてて、また真っ赤になった顔を窓の外に向ける。
(今から一ヵ月後……そんなに長くおあずけをくらって、当日、オレは正気を保っていられるだろうか……?)
 一日も早く、ようやく両想いになれた洋太にまた会いたい、という気持ちとともに、その後の自分の行動と理性に対しては、一抹の不安も覚える順平だった。
 しかし、会えない期間も、どうにか演習の空き時間を縫って洋太と、今までの隙間を埋めるようにアプリで大量のメッセージのやり取りをしているうちに、そんな心配もいつしか忘れていた。

 K市の最も有名な観光スポットでもある由緒あるお宮で、八月の初めに開催される「ぼんぼり祭」は、昭和の時代にK市に在住していた文士らが街に観光客を呼ぶために中心となって企画したという。
 その名の通り、お宮の参道から境内まで、作家や著名人が絵や文を寄せた三百を超えるぼんぼりが飾り付けられ、夜の闇に幻想的に浮かび上がる様は、季節の風物詩として地域ニュースや観光ガイドブックを毎年賑わせて来た。
 当然のように、祭当日はかなりの人出になるので、駅で待ち合わせて落ち合うのも一苦労だった。
 真夏の日が暮れて、ようやく吹く風が涼しくなってきた頃。駅入り口の混雑を避けて、片隅にある貸自転車屋の前で待ち合わせた順平は、洋太の姿を見た時、思わず眼を釘付けにされたまま頬を赤く染めて、その場に立ち尽くしてしまった。
 わずかに湿り気を帯びた髪の毛で湯上りらしいとわかる洋太は、清涼感のある白地に細目の紺のよろけ縞の模様の浴衣を着て、腰には茶の献上柄角帯をゆるりと締め、アクセントに黒と灰の格子柄の鼻緒の下駄を履いていた。
 順平は、メンズ用の浴衣といえば、黒や濃紺くらいしか想像していなかったので、まさかこんなにも柔和で華やかで、人目を引くようなデザインの、いわゆる”男っぽくない”姿の浴衣が存在するということに驚いていた。
 と同時に、これほど洋太に似合う浴衣もちょっと他に思いつかなかった。
 藍染の小さな手提げ袋を持った全身の立ち姿は眼にも涼しげで、軽やかな紺と青のよろけ縞の模様の不規則なリズム感が、浮き立つような楽しい気分にさせる。
 それでいてふとした時に見せる、襟元の合わせに出来た仄暗い影や、大きく開いた袖口の奥、帯の下の細い腰と、裾から覗く足首のなまめかしさなど、これを自分以外の他人にも見られることに、順平は妙な焦燥感を抱いてしまうのだった。
(何て……綺麗だけれど、性的で、危なっかしい恰好なんだ……今夜は、絶対に洋太を一人には出来ないな……)
 赤い顔で、順平がそんなことを固く決心していると、にかっと笑って洋太が小袋を持った手を上げた。
「よっ、順平! どうだ? 浴衣、着てきてやったぞー」
 朗らかな声を聞くまでもなく、着慣れた洋太の和装は十分に通行人の視線を集めていた。その中には時折、邪な男の欲をちらつかせたいやらしい目つきが含まれているような気がして、順平はあわてて洋太に駆け寄って自分の大柄な体を壁にした。
「わ、わかったから……あまり目立つな、洋太……」
「ん? どういう意味だ?」
「そのままだ……今日のお前は、あんまり、エロっ……いや、魅力的すぎるから……」
「そっか。お母さんが選んでくれたこの浴衣、カッコいいもんな」
「いや……そういう意味、だけじゃなくて……」
「まあいいや、混む前に行こうぜ。オレ、かき氷とたこやき食べたいな」
 順平の心配をあまり理解していない洋太が、明るい声で言ってさっさとお宮のほうへと歩き出した。ぴたりとその横を離れずに歩き、SPよろしく周囲に険しい目線を送って牽制しながら、順平もついて行く。
 すぐ近くで歩いていると風呂上りらしい洋太のうなじから、ほのかに石鹸の爽やかで甘い香りが漂ってきて、順平はそれだけで鼓動が高まりすぎて目が眩んだ。
 浴衣の薄い生地一枚を隔てて、そこに夢にまで見た恋しい人の裸体が存在していると思うと、今すぐ腕を引いて胸の中に抱き寄せ、思う存分その体温と、柔らかい肌を味わいたかった。が、周囲に人目があるので必死に堪えるのだった。
 大通りの赤い大鳥居をくぐって大勢の人の波とともにお宮の広い参道を歩いて行くと、次第に夜が深まってきた通りの両側にぽつぽつと、橙色のぼんぼりの灯がほのかに揺らぐ温かな光を放ち始めていた。
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