もっと「えんじぇる おぶざ~ば~」

蒼上愛三(あおうえあいみ)

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変わらぬ世界

若田 敏彦

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 あるよく晴れた日、男は1人大学の講堂の脇にあるベンチに座っていた。ただ流れ行く雲を眺め、過ぎ行く時間に身を任せる。男は、それでいいと思っていたが、人生というやつはどうしてか社会という檻に翻弄させられる。  
 男の名は、若田敏彦。この国で最も名の通った学校の理工学部に所属していて、彼はその講義を受け終わりひと息ついていた頃であった。若田は、次の年には、社会人として、社会の一部となり、その身を削り血眼で働く姿を思い描いて見たが、どうにも想像ができなかった。なので、大学院への道も検討してみたものの、こちらもやはり、これといった研究材料が見つかるはずもなく、こうしてここでボーッと過ごす日が増えていた。何がやりたいのか不明瞭で、目標など到底見つからないはずだった。しかし彼の、姉、若田 天照(わかた てる)結婚して、今では、羽沢という姓に変わっていたが、久しぶりの姉からの連絡に敏彦は驚いた。連絡は、一本の電話で聞かされた。
「あっ、トシ。元気、悪いんだけどさ娘預かってもらえないかな。1週間ほど、海外へ行かなくちゃいけないのよ。タケルさんも一緒に行くのよ。ごめんね」
「姉さん、娘を置いて旅行かい?」
「違うわよ。仕事よ、シ・ゴ・ト」
天照は、敏彦に海外派遣の医師ボランティアをしているとだけ前々から伝えていたが、今回は珍しく夫の羽沢 剛(はねさわ たける)も同行するようだった。2人は、とある病院で出会い意気投合して、結婚。2人の間には、1人の娘、羽沢 真理亜を授かった。
「真理亜ちゃんか、いくつになったんだろう」
1人大学のベンチで、真理亜の記憶を呼び起こそうとするが、敏彦が以前真理亜と会ったのは、産まれて間もなくという頃だったので、お互い覚えているはずもない。
 後日、天照に連れられて、真理亜は敏彦の借りていた家にやってきた。
「真理亜、おじさんのいうことちゃんと聞くのよ」
「うん」
「じゃ、よろしくね」
「ああ、姉さんも気おつけて」
「ハイハイ」
そして天照は、剛の運転する車で空港へと向かった。空港へ行ってもいい敏彦は、思ったが天照が家でいいと言ったので、家で待つことにしたのだ。
「真理亜ちゃん、おじさんと1週間よろしくね」
「・・・・・」
「真理亜ちゃんいくつかな」
真理亜は、小さな手で3本の指を立てるが、「4歳」と子供らしいちぐはぐとしたことを言っている。
「ははは、4歳かじゃあそろそろ、小学生だな」
「うん」
産まれてすぐの小さくて、触れれば淡く溶けてしまうような、赤子からは見違えるほど、大きくまた、落ち着きのある子に成長したと、敏彦は思った。(こんな子を残して、海外へ行くなんてまったく)と姉の自由さにも思うところがあった。
「さあ、おじさん、今日はおやすみなんだ。何して遊ぶ」
敏彦は、頭を巡る思考を振り払うように言った。すると、
「お出かけ」
と真理亜が呟く。
「お出かけか。どこへ行くんだい」
「神社」
「し、渋いねぇ。いや、いいんだ。行こう神社」
この町にある神社といえば、1つしかなかった。小高い山の中にある神社で、初詣では長蛇の列ができるのだが、敏彦は人混みが苦手であるため、一度も行ったことがなかった。だが、いまは、春先大学はまだ春休みで、新学期までは、まだまだだ。真理亜は、勾玉を2つ首から提げていた。翡翠色のと瑠璃色の宝玉。古来より日本の神への貢物。勾玉の上部にある穴に紐を通してあるので、勾玉は寄り添うように、ぶら下がっていた。
「綺麗な勾玉だね」
家を出て数分、何も話すことがないので、敏彦は思いつきに任せて、なんでもないようなことを聞く。
「うん、これはねお母さんとお父さん」
2つの勾玉は、天照と剛の代わりだと、真理亜はいう。
「へぇー」
と、敏彦は関心した。単に身につけていただけだと思っていたからだ。敏彦は、自分の浅はかさに情けなくなった。明白な理由があったことを知ったからだ。
「ごめんな」
敏彦は、思わずそう口にしていた。
「どうして謝るの」
「え、ああ、早くお母さんとお父さん帰ってくるといいな」
「うん」
敏彦は、ごまかしてそう言った。
 そうこうしているうちに、2人は、神社の麓に辿り着いた。境内へ続く階段を登って行く。一段一段は、とても低くなんて事はないが、ただ長さが問題である。運動不足を感じていた敏彦にとっては、少々息を切らし、汗をかくほどだった。しかし、真理亜は、ぴょこぴょこっと、弾むように駆け上がって行く。
「はあ、はあ、ちょっと、待って」
「おじさん、おそーい」
「子供は、元気だな。ふう」
敏彦は、身体を起こして、境内を眺めるが、どうもまだ到着する気配は感じられなかった。いつになったら着くんだ。敏彦は、心の中で愚痴をこぼした。辺りには竹林が生い茂り、風に任せて、笹の葉がサラサラと音を立てなびいている。
「ねぇ、おじさん。赤い街灯に電気がついたよ」
真理亜が、指を指して言う。見るとそれは、街灯ではなく灯籠だった。目分量で大体5メートル間隔ぐらいで配置されている。電気型の灯籠に灯がともり出していた。
「確かに電気なら街灯でもいいか」
「綺麗ね。でもお空は真っ暗」
真理亜の言葉に従って敏彦は空を見上げるとすでに、星の光が確認できた。
「今日はもう帰ろうか」
真理亜は、ふるふると首を横に振る。
「どうして」
「お願いしないと、お母さんとお父さん、帰ってこない」
「・・・・・」
敏彦は、どう言い返したものかと私案するがよい答が見つからなかった。
「いつもね。お留守番するときは、お母さんとお願いしたの、お父さんが帰って来ますようにって、その次は、お父さんとお母さんが早く帰って来ますようにってお願いしたら、お母さんはすぐに帰って来てくれた。だから今日は、おじさんもお願いして欲しいな」
俯いて真理亜は、言った。敏彦は、腕時計を確認すると、もう6時を迎える頃で、姉夫婦の安全祈願をするなら、急がないと、この辺りはかなり暗くなる。敏彦はその事をここに住むようになってから知った。
 2人は、少し駆け足で境内にやって来た。真理亜はスカートのポケットから、5円玉を2枚取り出して賽銭箱ヘ優しくいれた。そして、決して大きくはない鈴をガラガラと鳴らし、手を2回叩く。敏彦も同じ要領で祈願した。
だがその時、パキンッと妙な音が境内に響いた。
「んっ、なんの音だ」
隣にいる真理亜を見ると、涙を流しながら、一所懸命にお願いしているが、その首から提げていた勾玉は、どんどん、傷を負って行く。そして、瑠璃色の勾玉がパリンと音を立て霧散した。欠片ひと粒さへ残さずに。
「うっうふーー、お父さんが、お父さんが」
敏彦には、何が起こっているのか理解出来なかった。しかし、理解する努力はした。だが、その結末を敏彦は否定したかった。そして、敏彦はさらに予想していない事態が起こった。ピキッピキッと翡翠色の勾玉までも弾けようとしていた。泣きじゃくる真理亜をよそに、敏彦はただ、勾玉を強く握った。
「そんな、嫌だ。姉さん、子供を、自分の娘を置いて先に行くのか」
言葉が通じるはずもなく、勾玉は砕け散り敏彦の指をすり抜けて暗く冷たい空へと舞い上がる。
「お、おかあ、さん。いっいっ、イヤーーーー」
真理亜は、頭を抱えてしゃがみ込むとそのまま気を失ってしまった。敏彦が咄嗟に受け止めたので、真理亜に怪我はない。だが、心の傷はすぐには、治りそうになかった。
 その後敏彦は、警察と外務省から手紙で、天照と剛が乗っていた行きの飛行機が、エンジントラブルを起こし墜落した事を知らされた。遺体は無く海の底だという。
「あんまりじゃないか、姉さん、剛さん。ううっくううー」
天照と敏彦の両親は、離婚し母親が女手ひとつで2人を育てたが、敏彦の大学入学と同時に、病に倒れ帰らぬ人となった。父親の行方は未だわかっていない。そんな天照と敏彦は、なんとか協力し合って、天照は家庭を持ち、敏彦は卒業間近だったというのに、今回の件で敏彦は、意気消沈してしまった。だが、敏彦はまだ完全に廃人となったわけではなかった。
 神社から帰った翌日、死亡通知が送られてくる前、真理亜が目を覚まし起き上がると、
「おじさん、おはよう何して遊ぶ」
いつもと変わらない、ようすで、  「?」敏彦は疑問を思った。いや、いつもと同じ少女ではない。と直感で感じ取った敏彦は真理亜に質問する。
「お父さんとお母さんは」
「お父さん?お母さん?知らない。私はずっとおじさんと一緒よ」
彼女の心は壊れてしまっていた。実際には、精神的ダメージから自我を守るために、両親の死というショッキングな出来事だけでなく、悲しみの根源となる両親の存在そのものを記憶から消去してしまったのだ。
 そんな出来事を経て、手紙を前にしても、敏彦は真理亜に対する保護意識だけで、前へ進む事を決めた。
「まず、僕のすべきことは」
敏彦は、卒業の決まっていた大学のことすでに眼中になく、オカルト系に精通している同僚を当たって、あの真理亜の勾玉について調べることにした。だが、その仕組みはわからずじまいで10年後の今に至る。
 彼の書斎の机の引き出しの中には、今でも勾玉を結びつけていた紐だけが残っている。いづれ真理亜にも話すつもりでいる。この変わらない世界で1人の少女の記憶を取り戻すために。
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