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第三幕

⑦ 殿下。私、決めたことがございますの。聞いていただけますか?

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 魂に異なる色が混ざる、ということは義父の意思に他者の意思が混ざり込むということだろう。

 東方の呪術の理しかわからないローランには馴染みの無い言葉だが、言いたいことはよく理解出来る。

「その顔つきは、そなたも心当たりがあるという顔だな」
「無いとは申せません」

 さすがにこの期に及んでしらばっくれても、意味は無い。
 ローランはフェリシアの言葉を素直に認めた。

「ただし、公女殿下が心配しておられるようなものではないかと存じます」
「ふむ。詳しく聞いてもよいかな?」
「私の知る限りではございますが――」

 ローランはそう前置きして、彼女の知っている人の心を操る術。す
 なわち死人傀儡に関して説明を始めた。

「その呪術は弱った心につけいるのでございます。義父は母様を亡くして以来、別人のようになってしまわれました。母様を思い出させる私を遠ざけ、思い出の品はみな墓へと埋葬し、母様の記憶から逃れるように遮二無二仕事に走られました」
「なるほどな。それで?」
「その病んだ心に死者が囁くのでございます。望みを叶えてくれと。死者が操るゆえに死人傀儡と申します」

 死んだはずの親しき者が、耳元で囁けば平静でいられる者は少ない。
 夭折した子の望みを無視出来る親がどこにいるというのだ。
 先だった妻のために動かぬ夫がどれだけいるというのだ。

「死者の声は3つの魂のうち、人魂に染み入ります。フェリシア殿下の仰る、異なる色というのは、おそらくこれでございましょう」

 ローランの説明にフェリシアはしばらくじっと考え込んだ。

「どうやら、それに間違いあるまい。人の心を支配し意のままにする魔術、というのとは少し違うがの」
「はい。よほど心が弱っておりませんと、死者の囁きは生者には届きません」

 生者はあくまでも死者の頼みに応じて動くだけだ。
 術者の意のままに動くわけではない。

「確かにそれならば、心配はなさそうだの。ローラン、お主らを初めとして帝冠継承候補者の全員がヤツの意のままになったらと青くなっていたのだが」
「そんな怖ろしい呪術は存じません」

 いくらなんでも買いかぶりだ。
 そんな術があれば、とっくに世界は誰かの手に落ちているだろう。

 ローランの指摘にフェリシアは呵々大笑しながら、膝を打った。

「いや、安心した。そなたはアウグスト伯爵の元婚約者でもあったしな。魔術でなくとも情でもって操られておるのではというのも考えた。が、その様子では、それもなさそうよの」
「当たり前でございます。母様は夫である義父様にさえ、何も伝えておりませんのよ? 私、身持ちは堅いのです」

 汚らわしいとでも言わんばかりのローランの様子に破顔しながら、ふとフェリシアは真顔になった。

「では、あの男はどこでそなたの魔術を知ったのかの。この国でそなたの国の魔術を知るものは、まず居らぬと思うが」

 その疑問の答えはもう分かっていた。
 いや、分からされたというべきだろう。

「あの男は母様のお墓を暴いて、秘術書を手に入れたと確信しております。共に埋葬した秘術書を見せつけられましたから、間違いはございません」

 ローランの言葉の意味をゆっくりと咀嚼していたフェリシアは理解が及んだとたん弾かれたように立ち上がった。

「母御前の墓をだと!? 信じられん。婚約者の母の墓をか!?」

 さすがにこれは想像の外だったのだろう。
 その声にも顔つきにも演技の素振りは感じられない。

 やはり、この呪われた国であっても墓を暴くというのは赦されざる罪なのだ。

「なんという厚顔無恥な男だ。そなたの母御前の墓を暴き、それを隠しながら、何年もそなたの婚約者でございと嘯いておったのか。ありえん。貴族以前に人としてありえん」
「え? 何年も、ですか?」

 思いもかけぬフェリシアの言葉にローランは立ちすくんだように身体を強ばらせた。

「いえ。アウグスト様が母様のお墓を暴いたのはもっと最近かと存じます」

 塔に閉じ込めらる直前に暴かれたはずだ。
 少なくとも数年も前では無いと、思う。

 だが、フェリシアはローランの考えを断ち切るように否定した。

「それはない。考えてもみよ。年数が合わぬ。我らが公子を失ったのはもう何年も前のことだぞ? その時にはすでにそなたが言う魔術を知っておったはずだ。でなければ、そなたの義父殿は誰に操られたのだ」

 墓を暴いたことがローランにばれる前に、先手を打ってローランに罪を着せて追放した。
 完全にそう思い込んでいたのだが、確かに辻褄が合わない。
 
 動揺よりも先に理解が来た。
 どうにもはっきりしない違和感を感じていたのだが、一気に目の前の霧が晴れた気がする。

「その通りです。気がつきませんでした……。どうして、私、そんなことも気がつかなかったのでしょうか。てっきり義妹と義母がアウグスト様に母様のことを伝え、それで墓を暴き、邪魔な私を追放したのだと……」

 義母と義妹がローランの母の秘密をエサにアウグストをそそのかしたのだと、今の今まで信じ込んでいた。

「順序が逆なのではないか? アウグストが密かに墓を暴いたことを、そなたの義母か義妹が嗅ぎつけた、ということの方が収まりが良い気がするの。婚約者の母の墓を暴いたのだぞ? 公になれば爵位も危ういわ」

 確かにその通りだ。
 死人傀儡で心につけいり欺こうにも、精神が鋼鉄で出来ているようなあの2人には通用しまい。

「姑息な男よの。となれば、ローラン。そなたがヤツの墓を荒らしたことを知ったのは罪を被せられた時であろう。違うか?」

 アウグストの思考を追いかけていたらしい。
 フェリシアはしばらく視線を宙に遊ばせたあと、まるで見てきたかのようなことを言い放った。

「フェリシア殿下!? どうして、そんなことまで!? 殿下の魔術具はそんなことまでわかるのですか!?」
「まさか。ヤツならそうすると思っただけよ。そなたの義妹と義母に墓荒らしがバレた。が、今や共犯じゃ。しばらくは安心出来る。問題はそなたと義父殿よ。取引の出来る相手ではない」
「当然です!」

 思わず憤るローランをフェリシアは片手で制した。

「義父殿は魔術で操れる。残りはそなただけ。さて、どうするかの。殺すか? 婚約者を殺して、後妻の娘が新たな婚約者に収まる。外聞が悪すぎる。幽閉か? さして変わらん。となれば、追放する他ない。しかし、それでは秘密がバレんとも限らん。そなたなら、どうする?」
「……だから、私は罪を被せられたのですね」

 単なる腹いせ、だとばかり思っていた。

「そう。罪人が元婚約者は墓荒らしだと告発しても、誰も聞く耳はもたぬ。万が一、そんな奇特な者がおったとしても――ヤツが墓を荒らしたのはずいぶんと前のこと。ローランの言う、つい最近荒らした痕跡はない。姑息な先回りよ。どこまで、気が小さいのか」

 そう鼻で笑うフェリシアだったが、ローランはとてもそんな気分ではなかった。

「私、感謝しなくてはなりませんわね。義妹のシルヴィアと義母様に。あの2人がいなければ、私は何も知らずに幸せに、あの男と結婚していたに違いありませんもの」

 悍ましさに身体を抱きしめてうずくまりたくなるのを堪えて、顔を上げる。

 フェリシアと話をするまで、アウグストは唆されただけだと心のどこかで思っていた。

 だからだろう。母の残した呪術でもって義父を操っているのではないか? と疑った時に感じた怒りも長続きはしなかった。

 それよりも、義父の身が心配だった。
 あるいはとにかく関わりたくないという気持ちの方が強かったかもしれない。

 だが、今はそうではない。

 アウグストは唆されたのではなく、はっきりとした何かの目的のために母の墓を暴いたのだ。

 その目的が何かはまだわからないが、それを認めることは出来ない。
 絶対に。

「良いの。実に良い色をしておるぞ。そなた、腹を括ったか」

 ローランの魂の色を魔術具でもって眺めていたフェリシアが嬉しそうに呟いた。
 フェリシアに頷いたローランは、そのままゆっくりと頭を下げた。

 その聡明さに敬意を表し、感謝の意を込めて。


「フェリア殿下。今宵はお招き、ありがとうございました。とても有意義なお話を聞かせていただき感謝しております」
「こちらこそ、有意義であったよ。話は尽きぬが、今宵はそろそろお開きだの」

 部屋の外から聞き覚えのある声が聞こえてくる。

「殿下。カルンブンクルス公国のレオンハルト公子殿下がお見えでございます」

 人払いしていた部屋にフェリシアの侍従が姿を見せた。
 セバスティアンと同じく、やはり優秀そうだ。

「聞こえておる。ローラン、迎えが来たようだぞ」

 開いた扉の向こうには見慣れた小さな赤毛の少年の他に、クララやクラウス達の姿まで見える。
 わざわざ全員で迎えに来てくれるとは。

(ありがとう存じます、皆さま)

「ローラン、帰るぞ――なんだ? 妙にすっきりした顔だな。何かいいことでも、あったのか?」
「ええ、殿下。私、決めたことがございますの。話を聞いていただけますか?」
「それは構わんが……本当に何があったのだ? こっちはお前の帰りがあまりに遅いから、てっきり」

 穏やかに微笑むローランと豪快な笑みを浮かべるフェリシア公女を見比べていたレオンハルトが困惑したように首をかしげる。

「レオンハルト公子殿下。今代は良い魔術師に恵まれましたな。実に羨ましい。今後は良きお付き合いを願いたいものだ」
「どうやら疑いは晴れたようで何よりだ。話の経緯はよくわからんが、次はもっと分かりやすい招待状で頼む」
「うむ。今度は恋文でも送るかの――冗談に決まっとろうが」

 レオンハルトの言葉にフェリシア公女は満面の笑みでそう嘯いたのだった。
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