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2話:元傭兵と聖女
しおりを挟む岩肌が続く深い渓谷をノアは歩いていた。
その背中では魔力欠乏で動けなくなったオリビアがぐったりとしている。
火照った体に心地よい涼しい風が吹いているが、ノアにとっては背中に感じる温かみのせいで差程効果は無いようだ。
しかし彼は汗をかく事も無く、背中の少女を労るように優しい足取りで進んでいく。
先程のドラゴンは解体した後、何でも収納出来るアイテムボックスという便利な魔導具に収納してある。
そのためオリビア以外に気を向けなくて済むのはノアにとってありがたい事だった。
「なぁオリビア。頼むから後先を考えてくれ」
「ご迷惑をおかけしますぅぅ……」
彼女は未だに目眩に襲われているようで、その口調は弱々しい。
「と言うか、やはり魔石を買おう。毎回倒れていたら危険だし、効率も悪い」
「絶対いやですぅぅ……」
魔石とは、その名の通り魔力を宿した石の事だ。
使い捨てではあるが体外に魔力をストックできる唯一の方法で、この世界で旅をする者なら大小の差はあれど必ずと言って良いほど携帯している。
確かに高価なアイテムではあるのだが、二人はそれなり稼いでいる身だ。
通常なら複数個の魔石を携帯していても不思議ではない。
しかし、何故かオリビアが購入を頑なに拒むのだ。
理由を聞いても教えて貰えず、ノアは仕方なくそれに従っている。
だが、今回のように早とちりで魔力を使い果たす事が多い彼女に取って、魔石は必須と言っても良いほど有用性が高い。
その事もあってノアは度々魔石の購入を提案しているが、その度に断られて困惑してしまっていた。
※ここからファンタジー世界のお約束に関する説明が入ります。面倒な方は読み飛ばしてください。
体内から失われた魔力を回復させる方法は大きく分けて三つある。
一つ目は魔石から魔力を得る方法。
二つ目は睡眠などの休憩を取り自然回復を待つ方法。
そして三つ目が、他者から魔力を分けてもらう方法である。
この世界には魔力が溢れており、例外を除く全ての生き物が魔力を宿している。
長い年月を掛けて魔力を蓄積させた生物の事を魔物と呼ぶが、その中でも知能が低いものは魔獣として分類されていた。
人間も例外ではなく、その体内に魔力が蓄えられている。
そして決められた手順に沿って魔力を使用する事で、魔法と呼ばれる奇跡を使用すること可能となっていた。
だが、全ての者が強力な魔法を使えるわけではない。
その大半は初級魔法と呼ばれる生活に便利な程度の魔法しか使えず、体内に余剰魔力を持て余している事がほとんどだ。
オリビアのように最高級の魔法を使えるものなど、通常であれば組織の頂点に君臨できる程に稀有な存在である。
特に神の奇跡とされる回復魔法の使い手は、世界最大の宗教である女神教の大司祭ーー最高権力者であっても何ら不思議ではない程だ。
そんな彼女が魔石の有用性を知らない訳が無く、実際に昔は魔石を用いて魔力を回復していた。
しかしノアと共に旅を始めた頃から魔石を使う事を拒み出した次第である。
その事にノアは疑問を抱くが、その理由は未だに分かっていない。
※以上、説明でした。
さて。ここで本題に入ろう。
他者から魔力を分けてもらう方法には、二つのやり方がある。
一つ。専用の魔法を使用すること。
これは非常に高度な魔法であり、当たり前だが魔法使いではないノアに使えるような代物では無い。
そして二つ目。対象同士の粘膜接触。
魔力は丹田――へその下辺りに蓄積されると言われ、そこから全身へと流れていく。
その際、粘膜同士で接触している対象にも魔力を巡らせる事が可能だ。
魔力の譲渡は丹田に近いほど効率的に行えるため、性行為を行うのが最も効率が良いとされている。
つまり、オリビアが魔石の使用を拒んでいるのは。
その心の内に秘められた、乙女としての欲望が理由だった。
オリビアは、ノアに恋をしていた。
生まれて初めての一目惚れだった。
目があった瞬間に体中を雷のような何かが走り回り、声を聞いた瞬間に頭の中が蕩け切ってしまった。
元々住んでいた王都を出て巡礼の旅をしているのも、彼とずっと一緒にいたいから。
清楚可憐な外見とは裏腹に、オリビアは非常に行動力に溢れた少女だった。
対して、ノアは酷く鈍感な男だった。
恵まれた容姿を持っているにも関わらず、幼い頃から傭兵として生きてきた彼にとって色恋沙汰は他人事。
そんなものより日銭を稼ぐ事を優先してきた為、オリビアから好意を向けられていることは分かっても、それがどのような感情かまでは理解出来ていない。
しかしノアにとっても彼女は特別な存在で、彼はオリビアの願いを常に最優先にしたいと思っていた。
優しく、清らかで、儚く、美しい。
そんな少女を何よりも尊く感じ、ノアの中でオリビアは何者より大切な存在になっていた。
それが愛情と呼ばれる感情である事に彼はまだ気付いていない。
それでも、不自然な成長を遂げた純粋な青年にとって。
オリビアと共に過ごす日々は掛け替えの無いものであり、それを失う事など許容できるはずも無かった。
つまり。自分から求めることは無いが、オリビアの願いであればそれを断る事は無い訳で。
今まで幾度となく魔力を枯渇させてきたオリビアに対し、彼女の要望で粘膜接触による魔力供給――という名目で体を重ね合っていた。
彼女の想いとは裏腹に、未だに本番行為には至っていないのだが。
精々が互いに触れ合い、キスをする程度。それ以上は、オリビアの方から誘うのは乙女の意地が阻んでいる。
(言えない……えっちな事をする名目が無くなるから魔石を買いたくないなんて、絶対言えない!)
ノアに恋をしているオリビアは、そうして今日も魔石の携帯を拒むのであった。
そんな生物として当たり前な、しかし女神教の聖女として称えられるには淫らな事を考えていると。
「オリビア? 何かあったか?」
彼女を背負うノアから心配げな声を掛けられた。
低く優しい声。オリビアの性癖に突き刺さるそれは、気を張っていないと聞くだけで腰が砕けそうになる。
実際に今、不意を打たれて彼女の身体は激しく反応した。
「ひゃぁい!?」
「大丈夫か? さっきから返事が無かったが」
「だだだ大丈夫でしゅっ!」
混乱のあまり返答を噛んでしまう高貴な聖女様。
彼女はその清楚で麗しい外見とは裏腹に、本日も煩悩に塗れている。
自戒しようとも本能的な欲求には抗えず、オリビアは悶々とした日々を過ごしていた。
年頃になった恋する少女の煩悩は、想い人である青年には届かずとも。
その関係性は歪ながらも、酷く純粋なものだった。
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