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叶わぬ恋の相手
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----ハルキはもしかして、私のことが好きなのかしら。
先日思い詰めた表情で問い詰められた記憶を思い出し、悦子は頭を抱える。
思い当たる事由はある。というか、思い当たりすぎるほどある。
ハルキがやってくることになって、座敷わらしのことについて悦子は改めて調べ始めていた。
座敷わらしというのは、その名の通り家に憑くパターンと、人に憑くパターンがあるらしい。
----ハルキの場合は、家に憑いていたところを、私が言いたい放題言った結果、私を宿主として気に入って憑いてきてしまったということなのよね、きっと。なに彼の心の琴線に触れたのかはよくわからないけど。
今晩もアルバイトに出ているハルキは、きっとまた二時帰りだ。悦子は一足先に、ベッドルームに向かい、寝る支度を整える。
初めは単に、座敷わらしの特性として自分に懐いているのだと思っていた。スキンシップも甘えた態度も、軸がそういう「人が好き」なあやかしなんだと。あとはまあ、一応あやかしでも男ではあるから、そういう下心みたいなものもあるかもしれないと悦子は考えていた。
でも、最近はちょっと違う。
嫉妬したような態度や、熱のこもった視線を向けてくるようになった。
----じゃあ、私は? 私はハルキのことをどう思っているんだろう。
言葉を交わすうち、傷を見せ合ううち。お互いのことを知るたびに、ハルキは悦子の内面に入り込んできた。温かくて、包み込むような優しさがあって。頼りなくてそそっかしいが、愛すべき性格をしていると、今では思っている。
「でも、ハルキはあやかしよ。人間の男じゃないもの」
すでに五十年以上も生きていてあの容姿なのだ。きっと悦子よりずっと長生きする。思いが通じ合ったとしても、いつか年老いた悦子を見て、幻滅するかもしれない。なにかのきっかけで、他の宿木を見つけてどこかへ消えてしまうことだって考えられる。
「生きてる世界が、違いすぎる」
深いため息をついて、悦子はテーブルライトのスイッチを切った。
----あんまりハルキに勘違いさせないように、気を引き締めなきゃ。私は彼に「結婚相手探し」という仕事を依頼している代わり、衣食住を提供しているだけなのだから。
ベッドに腰掛け、スマートフォンのカレンダーを見る。もうすぐ、お盆の時期だ。
エリと飲んだ時の記憶が思い起こされ、自然と眉間に皺が寄った。エリが実家の話を持ち出して来たせいで、あの日は現実逃避の如く大量に酒を飲んでしまったのだ。介抱してくれたハルキには悪いことをした。
「……気が重いけど。ここ数年は帰ってなかったから、やっぱりさすがに帰らないとね。ハルキはお留守番ちゃんとできるかしら」
悦子は陰鬱とした気持ちになりながら、布団を目深にかぶって目を閉じた。
◇◇◇
「おはよう、悦子さん」
「ん……早いわね、ハルキ」
「悦子さんが遅いんだよぉ。もう十時だよ」
「……私、そんなに寝ちゃったのね」
ベッドルームから出てきた悦子は、まだ眠そうな顔をしていた。ハルキが帰る頃にはベッドに入っていたはずなのに、目の下にはクマができている。
「あのさあ、悦子さん。……なにか、辛いことがあるなら、ちゃんと話してね」
「別にないわよ、なにも」
ハルキの方には一瞥もくれず、彼女は洗面所へ向かった。この間から、なんだか態度がよそよそしくなってしまった気がする。視線を合わせてくれることも減ってしまった。やはり、江南に気持ちがいっているからなんだろうか。
顔のケアと着替えを手早く済ませた彼女は、コーヒーメーカーのスイッチを入れ、タブレットを手に取ってダイニングのテーブルについた。これが単なる「板」じゃなくて、パソコンと同じようにネットができるものだとハルキが知ったのは、つい先日のことだ。
「今日はどこに出かけるの」
「この間の江南さんのディーラーに行ってみるわ」
「えっ」
「なによ」
コーヒーの香りが部屋に広がる。悦子はいつものようにタブレットで新聞を読んでいるようだ。
「ねえ、悦子さん。江南さんのお店、今日は定休日じゃないかなあ」
「あそこのお店の定休日は火曜日だし、江南さんは月曜シフト休みって言ってたわ。今日は水曜日よ。予約も入れてある」
「やっぱり車を見に行くのは、大安吉日がいいんじゃないかなあ」
「納車ならまだしも。車を見に行くだけなんだから、そんなに気にしなくていいと思うわ。そもそも私、そういうの気にしないタチなの」
「見て! 悦子さん! 下駄の鼻緒が切れてる……! 不吉だよ」
「……服は捨てたのに、下駄だけまだ持ってたの? 特に思い入れがないなら、下駄ごと捨てなさい。鼻緒が切れてるのはもう古いからよ」
「えっと、えっとじゃあ」
「とにかく、行ってくるから。あ、ついてきちゃダメよ」
ビシ、と指をさす格好で言われてしまい、ハルキはその場に立ち尽くす。
––––どうしよう。このまま悦子さんの気持ちが育ってしまったら、傷が深くなる。
ハルキは玄関から忙しく出ていく悦子に爽やかな笑顔を向け、ドアが閉まるのを確認してから、幽体に切り替えて彼女のあとをついていった。
「本当にご来店いただけるとは思いませんでした」
先日お店に覗きにいった時と変わらぬ笑顔で、江南は悦子を出迎えた。
「車検の時期が近づくと、毎回こうやって気になる車があるディーラーを回るように行くようにしてるんです。今回は江南さんが目当てですけどね」
––––悦子さん、すごい口説き文句ですね……。僕にはそんなこと言ってくれないのに。
江南は照れたような、嬉しそうな顔をして、「そうですか」と言いながら、悦子を席に案内した。悦子が姿勢良く堂々と店内を歩いていると、客や販売員が、チラチラと彼女の様子を伺っている。バーでの佐久間の態度も含めて、こういう反応を見ると彼女が「有名人」なのであることを実感させられる。まあ、それでなくてもこの人は美人だし、容姿が派手だから、知らなくても振り返る人はいるのかもしれないが。
ハルキは幽体で姿を消したまま、悦子の隣に座り、彼女の横顔と江南の表情を交互に観察した。
––––なんか僕、彼女と間男の浮気現場に遭遇した彼氏みたいだな。実際は、単なる居候なんですけど。
若干の居心地の悪さを感じながらも、ハルキは前のめりで二人の会話を聞いた。
「国産車でご興味を持たれている車種はありますか」
「具体的にこの車種を見たいっていうのはないわ。燃費性能と走りの良さで選びたいのよね。あとはデザインかしら。スポーティーなタイプが好きなの」
「それでは、まずご要望を具体的にする作業からしてまいりましょう。こちらのシートに、ご希望や気になっている点などをまずお書きいただけますか」
「わかったわ」
悦子も江南も、普段と変わらず淡々と会話を展開していた。甘酸っぱい雰囲気など微塵もなく、話の中で彼女が気に入った車を試乗して、見積もりを出して、それで終わった。
ずいぶんあっけない。悦子は江南を本気で落とす気はあるんだろうか。
「とても楽しかったわ。最近の車は進化してるのね。勉強しちゃった」
「またお気軽にお立ち寄りください。他の車も比較検討されたい場合は、また試乗もできますので」
「ありがとう。また連絡するわ」
悦子が席を立とうとした時、入口の自動ドアが左右に開いた。お店に入ってきたのは、悦子と同じように気の強そうな細身の女性。でもゴージャス系美女の悦子と比べると、ナチュラル系の美人といった雰囲気だろうか。亜麻色の長い髪が胸まで伸びていて、空色のシャツにカーキのパンツを履いている。その女性が視界に入ったときに、江南の表情が一瞬揺らいだ。
----もしかしてこの人が?
「鈴木様、ご来店ありがとうございます。江南が只今接客中ですので、こちらのお席でしばしお待ちください」
他の販売員に促されて、鈴木さんは席に座った。
––––……間違いない、この人が江南さんの。
彼女も江南に視線を向けて、先ほど他の販売員さんに見せていた無表情が嘘のような緩んだ表情を見せた。
彼はまだ悦子を見送る最中だったので、言葉を返すことはしなかったが。鈴木に会釈をした江南の顔は、赤く染まっていた。
悦子もハルキと同じように、彼女と江南の顔を交互に見比べている。
––––どうしよう、気づいちゃったかな。悦子さん、気づいたら落ち込むよね。
ハルキは彼女の肩に手を置こうとして、やめた。どっちにしろ、今そんなことをしても、実際に彼女の体に触れることはできない。それにこっそりついてきているし、慰める前にバレて怒られるのがオチだ。
「では、また」
そう言ってお店を出る彼女の顔を、ハルキは覗き見ることができなかった。
先日思い詰めた表情で問い詰められた記憶を思い出し、悦子は頭を抱える。
思い当たる事由はある。というか、思い当たりすぎるほどある。
ハルキがやってくることになって、座敷わらしのことについて悦子は改めて調べ始めていた。
座敷わらしというのは、その名の通り家に憑くパターンと、人に憑くパターンがあるらしい。
----ハルキの場合は、家に憑いていたところを、私が言いたい放題言った結果、私を宿主として気に入って憑いてきてしまったということなのよね、きっと。なに彼の心の琴線に触れたのかはよくわからないけど。
今晩もアルバイトに出ているハルキは、きっとまた二時帰りだ。悦子は一足先に、ベッドルームに向かい、寝る支度を整える。
初めは単に、座敷わらしの特性として自分に懐いているのだと思っていた。スキンシップも甘えた態度も、軸がそういう「人が好き」なあやかしなんだと。あとはまあ、一応あやかしでも男ではあるから、そういう下心みたいなものもあるかもしれないと悦子は考えていた。
でも、最近はちょっと違う。
嫉妬したような態度や、熱のこもった視線を向けてくるようになった。
----じゃあ、私は? 私はハルキのことをどう思っているんだろう。
言葉を交わすうち、傷を見せ合ううち。お互いのことを知るたびに、ハルキは悦子の内面に入り込んできた。温かくて、包み込むような優しさがあって。頼りなくてそそっかしいが、愛すべき性格をしていると、今では思っている。
「でも、ハルキはあやかしよ。人間の男じゃないもの」
すでに五十年以上も生きていてあの容姿なのだ。きっと悦子よりずっと長生きする。思いが通じ合ったとしても、いつか年老いた悦子を見て、幻滅するかもしれない。なにかのきっかけで、他の宿木を見つけてどこかへ消えてしまうことだって考えられる。
「生きてる世界が、違いすぎる」
深いため息をついて、悦子はテーブルライトのスイッチを切った。
----あんまりハルキに勘違いさせないように、気を引き締めなきゃ。私は彼に「結婚相手探し」という仕事を依頼している代わり、衣食住を提供しているだけなのだから。
ベッドに腰掛け、スマートフォンのカレンダーを見る。もうすぐ、お盆の時期だ。
エリと飲んだ時の記憶が思い起こされ、自然と眉間に皺が寄った。エリが実家の話を持ち出して来たせいで、あの日は現実逃避の如く大量に酒を飲んでしまったのだ。介抱してくれたハルキには悪いことをした。
「……気が重いけど。ここ数年は帰ってなかったから、やっぱりさすがに帰らないとね。ハルキはお留守番ちゃんとできるかしら」
悦子は陰鬱とした気持ちになりながら、布団を目深にかぶって目を閉じた。
◇◇◇
「おはよう、悦子さん」
「ん……早いわね、ハルキ」
「悦子さんが遅いんだよぉ。もう十時だよ」
「……私、そんなに寝ちゃったのね」
ベッドルームから出てきた悦子は、まだ眠そうな顔をしていた。ハルキが帰る頃にはベッドに入っていたはずなのに、目の下にはクマができている。
「あのさあ、悦子さん。……なにか、辛いことがあるなら、ちゃんと話してね」
「別にないわよ、なにも」
ハルキの方には一瞥もくれず、彼女は洗面所へ向かった。この間から、なんだか態度がよそよそしくなってしまった気がする。視線を合わせてくれることも減ってしまった。やはり、江南に気持ちがいっているからなんだろうか。
顔のケアと着替えを手早く済ませた彼女は、コーヒーメーカーのスイッチを入れ、タブレットを手に取ってダイニングのテーブルについた。これが単なる「板」じゃなくて、パソコンと同じようにネットができるものだとハルキが知ったのは、つい先日のことだ。
「今日はどこに出かけるの」
「この間の江南さんのディーラーに行ってみるわ」
「えっ」
「なによ」
コーヒーの香りが部屋に広がる。悦子はいつものようにタブレットで新聞を読んでいるようだ。
「ねえ、悦子さん。江南さんのお店、今日は定休日じゃないかなあ」
「あそこのお店の定休日は火曜日だし、江南さんは月曜シフト休みって言ってたわ。今日は水曜日よ。予約も入れてある」
「やっぱり車を見に行くのは、大安吉日がいいんじゃないかなあ」
「納車ならまだしも。車を見に行くだけなんだから、そんなに気にしなくていいと思うわ。そもそも私、そういうの気にしないタチなの」
「見て! 悦子さん! 下駄の鼻緒が切れてる……! 不吉だよ」
「……服は捨てたのに、下駄だけまだ持ってたの? 特に思い入れがないなら、下駄ごと捨てなさい。鼻緒が切れてるのはもう古いからよ」
「えっと、えっとじゃあ」
「とにかく、行ってくるから。あ、ついてきちゃダメよ」
ビシ、と指をさす格好で言われてしまい、ハルキはその場に立ち尽くす。
––––どうしよう。このまま悦子さんの気持ちが育ってしまったら、傷が深くなる。
ハルキは玄関から忙しく出ていく悦子に爽やかな笑顔を向け、ドアが閉まるのを確認してから、幽体に切り替えて彼女のあとをついていった。
「本当にご来店いただけるとは思いませんでした」
先日お店に覗きにいった時と変わらぬ笑顔で、江南は悦子を出迎えた。
「車検の時期が近づくと、毎回こうやって気になる車があるディーラーを回るように行くようにしてるんです。今回は江南さんが目当てですけどね」
––––悦子さん、すごい口説き文句ですね……。僕にはそんなこと言ってくれないのに。
江南は照れたような、嬉しそうな顔をして、「そうですか」と言いながら、悦子を席に案内した。悦子が姿勢良く堂々と店内を歩いていると、客や販売員が、チラチラと彼女の様子を伺っている。バーでの佐久間の態度も含めて、こういう反応を見ると彼女が「有名人」なのであることを実感させられる。まあ、それでなくてもこの人は美人だし、容姿が派手だから、知らなくても振り返る人はいるのかもしれないが。
ハルキは幽体で姿を消したまま、悦子の隣に座り、彼女の横顔と江南の表情を交互に観察した。
––––なんか僕、彼女と間男の浮気現場に遭遇した彼氏みたいだな。実際は、単なる居候なんですけど。
若干の居心地の悪さを感じながらも、ハルキは前のめりで二人の会話を聞いた。
「国産車でご興味を持たれている車種はありますか」
「具体的にこの車種を見たいっていうのはないわ。燃費性能と走りの良さで選びたいのよね。あとはデザインかしら。スポーティーなタイプが好きなの」
「それでは、まずご要望を具体的にする作業からしてまいりましょう。こちらのシートに、ご希望や気になっている点などをまずお書きいただけますか」
「わかったわ」
悦子も江南も、普段と変わらず淡々と会話を展開していた。甘酸っぱい雰囲気など微塵もなく、話の中で彼女が気に入った車を試乗して、見積もりを出して、それで終わった。
ずいぶんあっけない。悦子は江南を本気で落とす気はあるんだろうか。
「とても楽しかったわ。最近の車は進化してるのね。勉強しちゃった」
「またお気軽にお立ち寄りください。他の車も比較検討されたい場合は、また試乗もできますので」
「ありがとう。また連絡するわ」
悦子が席を立とうとした時、入口の自動ドアが左右に開いた。お店に入ってきたのは、悦子と同じように気の強そうな細身の女性。でもゴージャス系美女の悦子と比べると、ナチュラル系の美人といった雰囲気だろうか。亜麻色の長い髪が胸まで伸びていて、空色のシャツにカーキのパンツを履いている。その女性が視界に入ったときに、江南の表情が一瞬揺らいだ。
----もしかしてこの人が?
「鈴木様、ご来店ありがとうございます。江南が只今接客中ですので、こちらのお席でしばしお待ちください」
他の販売員に促されて、鈴木さんは席に座った。
––––……間違いない、この人が江南さんの。
彼女も江南に視線を向けて、先ほど他の販売員さんに見せていた無表情が嘘のような緩んだ表情を見せた。
彼はまだ悦子を見送る最中だったので、言葉を返すことはしなかったが。鈴木に会釈をした江南の顔は、赤く染まっていた。
悦子もハルキと同じように、彼女と江南の顔を交互に見比べている。
––––どうしよう、気づいちゃったかな。悦子さん、気づいたら落ち込むよね。
ハルキは彼女の肩に手を置こうとして、やめた。どっちにしろ、今そんなことをしても、実際に彼女の体に触れることはできない。それにこっそりついてきているし、慰める前にバレて怒られるのがオチだ。
「では、また」
そう言ってお店を出る彼女の顔を、ハルキは覗き見ることができなかった。
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