夜の街物語

あんのーん

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#12 澪

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 ──助けて
 ──助けて、兄さん──

 長じてそんな悲痛な叫びを聞かねばならないなどと、誰が予見しただろう。幼く愛しい存在がそんな言葉を発することになろうなど、考えることすらできなかった。
 澪が巫女になる前、まだ物心つく前には、ふたりは当たり前の兄妹だった。ヨウは小さな花のような澪が愛しくてならず、澪もヨウを慕って側を離れなかった。手を繋ぎ、笑いあい、言葉を交わして日々を過ごした。あの頃は──。


 ヨウの村が匪賊に襲われたのは、十五年ほども前のことだ。
 突然の来襲に加え、戦に慣れない村人の抵抗はむなしかった。ヨウの生家が一帯の実質のおさであったため、匪賊どもは家の者を殺し、その館を簒奪と暴虐の根城とした。
 家人で生き残ったのはヨウとミオだけ。澪がたいそう美しかったこと、そして巫女であったことから、匪賊どもは慰み者にするために生かしたのだ。ヨウはそのついでだった。
「こいつも生かしておくのかよ」
 縛られ庭に転がされたヨウを、憎々しげに蹴りながらひとりが言った。
「こいつには仲間がさんざんやられたぞ」
「巫女さまもおひとりでは寂しかろうから今のところは、な」
 頭目らしき男が薄笑いで答えた。
「人間ひとりぼっちじゃすぐ死んじまわあ、なあ? それじゃわしらもつまらねえ。こいつへの借りは巫女さんに払ってやりゃいい」
 頭目は恐ろしいことを笑いながら言うと、倒れているヨウの脇腹を蹴り上げた。
 悲鳴が上がる。澪のものだ。もうやめて、と叫んでいる。頭目はそれを無視すると、身体をくの字に折って呻吟するヨウに言った。
「いいか、わしらに逆らうな。おまえが逆らえばそこの女が痛い目を見るぞ」
 それから男たちはヨウの利き腕を叩き折り、足かせを嵌めた。ふたりを石蔵の牢に閉じ込め、澪のみを引き出してはヨウの目の前で代わるがわるに嬲った。だがそんな有様を見ながらも、ヨウは声ひとつ上げられずにいた。ただ、鉄格子を叩き、揺さぶりながら、見ていることしかできなかった。
「ほら、手当てしてやんな。おまえの大事なぬし様だろう」
 血を流し、息も絶え絶えな澪とともに、男が小瓶や小鉢の類いをばらばらと投げてよこした。
 館に蓄えてあった薬草や軟膏だった。しかしそれらを適切に用いるための道具もなく、また匪賊どもの乱雑な扱いにより、とうてい本来の薬効が得られる状態ではなかった。
 何もないよりはましだったろうか。しかし救援の望みがなければ、生きることは苦しみでしかない──。
 それでも、ヨウは澪の手当をした。片腕でできることはますます少なかったが、今、現にある苦痛を、ほんのわずかであっても減じてやりたかった。
 与えられたわずかな食べ物をくくませていると別の男がやってきて、また澪を犯した。
 ばっくりと割れた傷をなおも犯されて、悲鳴があがる。
「兄さん……! 助けて、兄さん……!」
「──!」
 ヨウの背骨を稲妻が走った。
 もう忘れていた、否、忘れたと思っていた。澪はかしずくべき主であり、穢れた口でその名を呼ぶなど、到底許されることではなかったから。だがその澪の悲痛な声を聞き、気づいたのだ。
 もうずっと、生まれたときから──、俺は──巫女さまの──。
「澪……!」
 ついに、言葉が漏れた。
「……うん?」
 澪を犯していた男が顔を上げ、ヨウを見た。
「なんだア? おまえおしじゃなかったのか」
「やめろ、妹を放せ……!」
 別の男が大仰に驚いた風な声を上げた。
「唖でもないのに、今まで黙って見てたのかよ。しかも妹だと? ろくでもねえ兄だな」
 そう嘲ると、男たちはげらげらと笑った。
「澪を放せ! 俺を嬲れ!」
「おうよ、おまえもそのうちにな」
 男たちはなおも笑いながら、しかしもうヨウを見ずに言った。
「だが女が生きてるうちは、こっちだ」
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