春輝と冬治

明月かおる

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【春輝と冬治】バレンタインデー

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『わたしは、はるきがバレンタインにもらったチョコを全部溶かそうとしました』
 用がなくなった書類の裏紙に、でかでかと黒マッキーでそう書いてある。ビニール紐が紙の両端に括り付けられていて、俺はそれを首から下げている。
 今日は一日、このイカしたアクセサリーをつけていないといけないらしい。

 一時間ほど前のことだ。ダイニングテーブルに、春輝が職場でもらってきたチョコが山になっていた。どれも既製品で、よくある見た目のものから、見るからに高そうなものまで混ざっている。
 恋人と一緒に住んでいることを公言している春輝に、よくもぬけぬけとこんなことができるな、ともはや呆れてしまう。受け取って来る春輝も春輝だ。初めから断ればいいのに、それができないのは高校生の時から変わっていないようだ。
 さて。春輝はと言うと、夜勤に備えてシャワー浴びている。その間にチョコを全部溶かして、マッチョな型に流し込んで固めたら、頭からバリバリ食べてやるつもりだ。
 箱や包み紙を開けては、銀色に光るボウルにチョコを放り込む。テーブルを占拠するほどの山になっていた割に、包みを開けてしまえば大したことはない量だ。
 そんなのんきなことを考えていたら、風呂場からばたばたと音がする。
「ボディーソープの詰め替えって買ったよね? どこやったっけ? 」
 声のする方を向くと、裸の春輝が濡れたまま立っていた。
「少しは恥じらいを持て」
 キッチンのタオルを丸めて投げつける。投げられた方はというと、あまり気にしていないのかきょとんとしている。仕方なくこちらが背を向けることにした。
「玄関に置きっぱなしになってる袋がそうじゃないのか」
 ドア越しに見える、白い影を指差す。「そうだった。ありがと」と言うや否や、玄関から袋を持って戻ってくる。
「ところで何作ってるの? 」
 春輝が俺の肩ごしに手元を覗く。積まれた空箱、開いたままの包み紙、ボウルの中のチョコ。
「……これ僕がもらってきたチョコだよね? 」
「……」
「ね? 」
 笑顔で詰め寄られる。もう誤魔化せないようだ。
「こら! 溶かそうとするな! 戻しなさい!」
「……はい」
 春輝がそう言うなら仕方がない。渋々だが、上に積みあがっているチョコから順に箱に戻していく。
「戻せるんだ……」
「春輝が戻せって言うから」
「どの箱のどこに入ってたかも覚えてるのがすごいって話なんだけどな……」
 一瞬答えに詰まる。ボウルに開けた順番の逆から詰めているだけだ。箱に一つは包み紙入りのチョコが入っていて、いちいち剥がしていたから入っている場所を覚えていた。そんなような話をしながら、三箱分を元に戻した。
「そんなところまでハイスペなんて聞いてないよ……」
「何か言ったか」
「ううん、なんにも。じゃなくて! シャワー終わるまでに戻しといてよね! 」
「はいはい」
 ふたつの意味で肩を落としながら、春輝が歩いたところを雑巾で拭く。ひとつはチョコ合体作戦が失敗したこと。もうひとつは春輝に『ハイスペ』と言われたこと。
 『ハイスペ』と最後に言われたのはたぶん、リモートワークになる前だ。どの環境でも、最初は褒め言葉として言われるのだが、徐々に「自分たちとは違う」というような意味合いに変わっていく。一見すると尊敬されているようだが、爪弾きにされている感覚の方が近かった。
 今日のはいったいどちらの意味だろう。もやもやした思考を振り払いながら、チョコを全部箱に戻し終えた。
 春輝がシャワーから戻ると十分もしないうちに、俺の首にイカしたアクセサリーがかけられた。春輝の手作りだから、明日になったらどこかに飾ろう。
「これ、まだシールついてる。よかった」
 春輝の手には、義理チョコだとひと目でわかるような小さな箱があった。見た目の割に大事そうにしているので、あまりいい気がしない。
「……誰からのだよ」
「尊敬する先輩から。僕が前にいた病棟にいる人で、随分お世話になったんだ。異動を勧めてくれた人でさ」
 春輝が小児病棟に勤めはじめたのは去年の4月ごろ。それより前は、激務で有名な救急の方にいた。
 引っ越し前後で身の回りのことは俺が手伝えたが、勤務中のことまでは手が出せず気にはなっていた。春輝の話しぶりからして、文字通り春輝の恩人であり、間接的に俺の恩人ということにもなる。先ほどとは違う種類の興味が湧いてきた。
「へぇ、どんな先輩なんだ? 」
 春輝はおおげさに肩をすくめて、
「おっかない人だよ。配属初日から『異動しろ』って言っててさ。でもその人の言う通りだった」
 と答えた。少しの沈黙のあと、もう開いている別の箱に手を伸ばす。
「冬治とおんなじ、ハイスペの人だよ」
 室温で冷えたチョコが、小気味よく砕けた。
「お返し考えるの、手伝ってよね」
「なんで俺が」
「そういうの得意そうじゃん? 」
「あー、俺がハイスペだから」
「それもあるけど、高校のときはチョコいっぱいもらってたじゃん。そのときのでいいから、知恵をお貸しください! 」
 同じ言葉をわざと繰り返してみたものの、春輝は全く気に留めず、両手を合わせて懇願してきた。
 彼は本当に、心からその言葉を発しているらしい。俺の考えすぎだった。
「……お返しはしない派だ」
「えー! あんなにもらってたのに! 」
「だからだよ。受け取るとき、ホワイトデーは何もないぞって言って受け取ってた」
「……じゃあ僕もなしでいいかな? 」
「もらったときに言っとかないと使えない手なんだよ。それに、尊敬する先輩くらいはちゃんとしたの送れよ」
「冬治も一緒に考えてくれる? 」
 春輝のすがりつくような目には勝てない。
「わかった、わかったよ」
 こうしてまたひとつ、カレンダーに印が増えた。
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