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閑話 Gardenia sub rosa――薔薇の下の梔子
蕾はいまだかたく
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* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
其れは、偶々だった。
偶々乗った電車の向かいの席に、其の家族は座って居た。
何処にでも居そうな、父親と母親と、其れから幼稚園か保育園に通っているだろう小さな女の子と。
彼等の会話から、よくある共働きの家族で、久し振りの一家揃った外出である事が分かった。
私は何の気無しに彼等を眺めて居た。
女の子はにこにこと、とても楽しそうに笑って居た。
其れが眩しくて、少しだけ腹立たしかった。
けれども、其れは自分の持って無い物を他人が持っている時に生じる類の物でしか無かったから、八つ当たりなのは自明の理だった。
不意に女の子と目が合った。
彼女は少し瞬きをして、其れでも物怖じや人見知りをし無いタイプだったのか、にこっと笑った。
心の内に寒さが湧いた。
嗚呼、良く無い。実に良く無い兆候だ。
喉が渇く。渇いてしまう。
其れが心理的な影響を大きく受ける事は、長年の経験で分かり切っていた。
だから、私は次の駅で降りたのだが、其処が其の家族の目的地でもあったらしい。
其れでも、一緒だったのは改札迄で、彼らは人波に消えていった。
私も私で、抗い難い喉の渇きに辟易とし乍ら、人波を彷徨って獲物になりそうな人間を探した。
適当に見繕った人間で喉を潤し、其の温もりに一息ついて、私は又当て処無い放浪に出る為、人波に戻った。
仮説の実証が如何すれば出来るのか。
其れを考え乍ら、又踏ん切りのつかない儘に、流離う心算だった。
だったのだ。
つい先程、視線を交わした女の子が、べそを掻いて居るのを見つけなければ。
人混みの中で逸れてしまったのだろう事は、容易に解った。
喉を潤したばかりで、皮肉にも人心地ついて居た私は、気紛れに彼女に話しかけた。
「お父さんやお母さんと、逸れたのかい?」
「ん……」
其れがみぃちゃんとの初めての会話だった。
泣き出すのを堪える様に、呼吸に合わせて鼻を鳴らす様に答えた彼女は私を見上げた。
有り体の表現で言うなら、捨てられた子犬のような潤んだ、くりくりとした瞳で私を見上げて、そして、ぐしぐしと其の目元を手で拭った。
「……でんしゃでいっしょだった、おにいちゃん?」
「……そうだよ」
彼女がそう言ってきたのは意外だった。
基本的に印象に残ら無い様に暗示(便宜上)を使って居たから、其の時はうっかりして居たのだろうかと思った。
今思えば、私の脇が甘かった訳では無く、彼女のそういった物に対しての感覚が鋭敏だっただけだ。
「よく、覚えているね」
「あのね、きれいだなっておもったの。すっごいきれいなくろ」
そう彼女は言って、目元が赤い目を細めて笑った。
今泣いた烏がもう笑う、とはこういう事かという様で、その無邪気さに車内で苛立ちを覚えた私自身に呆れるしか無く、其の眩しさに思わず目を細めた。
「……おにいちゃんと、おまわりさんのとこに行こうか」
自然と、其の気になって居た。
優しいフリで彼女に手を差し伸べれば、彼女は疑う事無く、其の小さな手で掴んできた。
化物の癖にと、内心で自身を嘲笑う思いもあった。
けれど、掴まれた手に伝わる子供特有の高めの体温は少し心地良かった。
何か、他愛も無い話を幾つかした様に思う。
二百メートルも離れていない交番までの束の間で、其れでも名残惜しく感じるには十分過ぎた。
「おとうさん、おかあさん!」
私の手を放して駆けていく彼女はとても嬉しそうで、彼女に気が付いた両親も又、駆け寄る彼女を大きく両手を広げて抱き留めた。
「ごめんね、みぃちゃん」
そう言い乍ら、彼女の頭を撫でて、其れから、なんとお礼をすれば、と両親は何度も何度も、私に感謝の念を表した。
一言二言、他愛も無い会話を交わし、嬉しそうな彼女を連れて、安堵の表情で感謝を繰り返し乍ら、両親は立ち去った。
其の去り行く家族の背を眺めて、そして此の中でなら証明出来るのではなかろうかと、私は思いついてしまったのだ。
其れは、偶々だった。
偶々乗った電車の向かいの席に、其の家族は座って居た。
何処にでも居そうな、父親と母親と、其れから幼稚園か保育園に通っているだろう小さな女の子と。
彼等の会話から、よくある共働きの家族で、久し振りの一家揃った外出である事が分かった。
私は何の気無しに彼等を眺めて居た。
女の子はにこにこと、とても楽しそうに笑って居た。
其れが眩しくて、少しだけ腹立たしかった。
けれども、其れは自分の持って無い物を他人が持っている時に生じる類の物でしか無かったから、八つ当たりなのは自明の理だった。
不意に女の子と目が合った。
彼女は少し瞬きをして、其れでも物怖じや人見知りをし無いタイプだったのか、にこっと笑った。
心の内に寒さが湧いた。
嗚呼、良く無い。実に良く無い兆候だ。
喉が渇く。渇いてしまう。
其れが心理的な影響を大きく受ける事は、長年の経験で分かり切っていた。
だから、私は次の駅で降りたのだが、其処が其の家族の目的地でもあったらしい。
其れでも、一緒だったのは改札迄で、彼らは人波に消えていった。
私も私で、抗い難い喉の渇きに辟易とし乍ら、人波を彷徨って獲物になりそうな人間を探した。
適当に見繕った人間で喉を潤し、其の温もりに一息ついて、私は又当て処無い放浪に出る為、人波に戻った。
仮説の実証が如何すれば出来るのか。
其れを考え乍ら、又踏ん切りのつかない儘に、流離う心算だった。
だったのだ。
つい先程、視線を交わした女の子が、べそを掻いて居るのを見つけなければ。
人混みの中で逸れてしまったのだろう事は、容易に解った。
喉を潤したばかりで、皮肉にも人心地ついて居た私は、気紛れに彼女に話しかけた。
「お父さんやお母さんと、逸れたのかい?」
「ん……」
其れがみぃちゃんとの初めての会話だった。
泣き出すのを堪える様に、呼吸に合わせて鼻を鳴らす様に答えた彼女は私を見上げた。
有り体の表現で言うなら、捨てられた子犬のような潤んだ、くりくりとした瞳で私を見上げて、そして、ぐしぐしと其の目元を手で拭った。
「……でんしゃでいっしょだった、おにいちゃん?」
「……そうだよ」
彼女がそう言ってきたのは意外だった。
基本的に印象に残ら無い様に暗示(便宜上)を使って居たから、其の時はうっかりして居たのだろうかと思った。
今思えば、私の脇が甘かった訳では無く、彼女のそういった物に対しての感覚が鋭敏だっただけだ。
「よく、覚えているね」
「あのね、きれいだなっておもったの。すっごいきれいなくろ」
そう彼女は言って、目元が赤い目を細めて笑った。
今泣いた烏がもう笑う、とはこういう事かという様で、その無邪気さに車内で苛立ちを覚えた私自身に呆れるしか無く、其の眩しさに思わず目を細めた。
「……おにいちゃんと、おまわりさんのとこに行こうか」
自然と、其の気になって居た。
優しいフリで彼女に手を差し伸べれば、彼女は疑う事無く、其の小さな手で掴んできた。
化物の癖にと、内心で自身を嘲笑う思いもあった。
けれど、掴まれた手に伝わる子供特有の高めの体温は少し心地良かった。
何か、他愛も無い話を幾つかした様に思う。
二百メートルも離れていない交番までの束の間で、其れでも名残惜しく感じるには十分過ぎた。
「おとうさん、おかあさん!」
私の手を放して駆けていく彼女はとても嬉しそうで、彼女に気が付いた両親も又、駆け寄る彼女を大きく両手を広げて抱き留めた。
「ごめんね、みぃちゃん」
そう言い乍ら、彼女の頭を撫でて、其れから、なんとお礼をすれば、と両親は何度も何度も、私に感謝の念を表した。
一言二言、他愛も無い会話を交わし、嬉しそうな彼女を連れて、安堵の表情で感謝を繰り返し乍ら、両親は立ち去った。
其の去り行く家族の背を眺めて、そして此の中でなら証明出来るのではなかろうかと、私は思いついてしまったのだ。
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