ポーカーフェイス

堂宮ツキ乃

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一章 ポーカーフェイスとパーフェクト人間

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 侵入した男はこの学校の卒業生で、今は大学生だそうだ。

 大学に進んだのはいいもの、何もかもうまくいかない毎日に嫌気がさしたらしい。楽しかった中学からやり直したい、楽しそうな今の中学生が許せない────と、警察に供述していたらしい。

 校門にはパトカーが何台も停まっており、停止線が張られている。その前では私服姿の生徒や近所の人たちがのぞきこんでいた。

 アルトたちは保健室に連れていかれ、川添にこっぴどく叱られた。しかし、バスケ部の顧問の口添えのおかげで”悪魔の川添”が降臨することはなかった。

「ったくお前らは……無鉄砲なことしやがって……」

「一件落着なんだからよかったじゃないですか」

「ケガしたヤツが何言ってんだ! 刺されなくてよかったものの、顔に傷作りやがって……」

「まぁ……殴られたところを切られたのはさすがに痛いですね────いたたたた」

 アルトは保健室の先生に湿布を剥がされながら声を上げた。

 男の凶刃からタイムを守ろうと飛び出したのは、とっさに体が動いてのことだった。

 いつもの自分だったら間に合ってなかったはず。間に合ったとしても、タイムの体を横に押すことしかできなかっただろう。

 頬を切られて血が流れた時、両親が惨殺された時の記憶がよみがえった。

 瀕死の重傷を負いながらも、刀の男から守ってくれた父親。最後に見た表情は苦悶に満ちていた。

(おとーさんもこんな気持ちだったのかな……)

 今なら分かる。自分が痛い思いをしても守りたかった、と。

 自分もそうだ。タイムが、好きな人が傷つくのは見たくない。

 彼を守ることができてよかった、とホッとしていたが、タイムは申し訳なさそうな顔をしていた。

「アルト……ごめん、俺が気を抜いたばかりに」

「ううん」

「ここはタイム! 責任取らなくちゃね」

 ハルヒは傷を消毒されているアルトの両肩に手をかけた。その反動で茶髪が揺れる。

「結婚するしかないんじゃない?」

「けっこ……」

「結婚!?」

 アルトが絶句している横で立ち上がったのはミカゲだった。中途半端に広げた手がわなわなと震えている。

「おいおい冗談じゃねーぞ!」

「本当だよ……変なこと言わないでよ」

 熱く止めるミカゲに対して、アルトは視線をそらしただけ。

 消毒液がしみるのか、眉間にシワが寄りかけている。ぎゅっと目をとじないのはやはりポーカーフェイスだからだろうか。

「てかミカゲ、どうしたの? めっちゃムキになるじゃん」

「別に……なんでもねーよ」

 タイムが苦笑いしていると、ミカゲは手の甲で口元を隠した。その顔は赤い。彼は顔を背けてメガネを押し上げた。

 アルトの手当てが終わると、川添と保健室の先生に今度こそ下校するように促された。

「ありがとうございました」

「お大事にね。傷、残らないといいね」

 保健室の先生に頭を下げると、そう言ってほほえまれた。

「残っても……名誉の負傷ということで」

「麗音さんはよく知ってるわね」

(タイムが傷つくのは見たくないから……)

 褒められたが、本当にそう思っているのだ。彼が殺されるくらいなら自分が死んだっていい。

(もう……? もうって何……?)

 まるで以前、タイムがケガをしたのを見たことがあるような。彼との付き合いは長いが、アルトの目の前でケガをしたところなんて見たことない。

 しかも彼が死ぬくらいなら、なんて大げさなことを想像してしまった。

(タイムのことが好きだから? それとも……)

 保健室を出ながらアルトは、傷口を覆ったガーゼにそっとふれた。ひりっとした痛みが走る。

 今日のことを知ったら祖父母が失神するかもしれない。ガーゼの理由はマイルドに話さなければ。

「ねぇ、アルトったら……」

「おーいどうした?」

 ハルヒとミカゲが一緒に車で帰ろうとか話していたような気がするが、耳に入ってこなかった。

「アルト!」

 泣きそうな大きな声。この場にはいない人の声に、アルトはハッとして意識を戻した。

 ガーゼから手を離すと、昇降口に華と肇とテツがいた。あの騒ぎの中、帰らずに残っていたのだろう。

「ケガしたの? 大丈夫?」

 華はいつまでたっても戻ってこないアルトたちのことを思い、泣いていたようだ。目が赤い。人のために一日に二度も涙を流すなんて、なんて優しい人なのだろう。

 先ほど、ハルヒとミカゲがアルトのことを優しいと言ったが、そんなことはないと思う。アルトは”あの……”と、小さく切り出した。

「アルト……っ」

 今度こそ今までのことを謝ろうとしたが、華に抱きしめられた。アルトよりわずかに身長が高いので、勢いでわずかに後ずさってしまった。

「お姉ちゃんを……バスケ部の皆を助けてくれてありがとう」

「全然……私は何もできなかったよ」

「そんなことない! 皆、アルトたちに感謝してたよ。アルトがいなかったらあの場に立ちすくんだままだった、って後輩たちが言ってた」

 ぎゅうっ、と力強く抱きしめられた。苦しかったが、頭の中では別の光景が広がっていた。

 それは幼稚園の時にバスに乗らず、たまたま休みだった父親が迎えにきてくれた日のこと。

 ハルヒとミカゲと遊ぶのに夢中になってしまったのだ。家に帰ると母親に”本当に心配したんだから……!”と抱きしめられた。

 その腕の強さに思いきり泣いた。心配かけてごめんなさい、でもちょっぴり嬉しくて。

(おかーさん……)

 アルトは下ろしていた腕をゆっくりと上げ、手を広げた。まだ行き先を迷っている。

 華はまた泣いていた。すすり泣く声に、鼻の奥がツーンとなる。もう何年泣いてないのだろう。もはや泣き方も忘れてしまった。

「アルト……!?」

 肇が口を開けて目を見開いていた。テツもおおよそ同じ表情をしている。

 タイムと双子は優しい表情で見守っていた。ハルヒなんかは涙ぐみ、手を組んでいる。

 それもそのはず。アルトは華のことを抱きしめ返していた。





 打ち解けたアルトと華は手をつないで歩いていた。展開が早くないかと思ったが、華が嬉しそうでよかった。

 アルトは鼻の下をこすって、つないだ手を見下ろした。肇にうらやましがられるかもね、と思って振り返ったら指をくわえてこちらを見ていた。

 彼らは昇降口を出て校門へ向かっていた。

 朝はここで言い合いというか、いつもの冷たいあしらいをしていたのが信じられない。

 晴れやかな気持ちとは反対に空は泣きだしそうだが、気にする者はいなかった。





「……おい、肇」

「なんだよ……」

 ミカゲはメガネを光らせながら肇を見下ろした。まだこちらはいざこざが残ったままだった。肇は相変わらずビクッとして距離をとっている。

「お前……幼なじみ思いなんだな。見直したよ」

『アルト、俺からもありがとう。華のために……』

 肇もアルトに向かってお礼を言い、頭を下げた。殴ったことに対しても。

「華のことを思ってしてくれたのは本当だからよ……。今までのことはまだ許せねーけど……」

「ちょっとずつ分かり合えたらいいんじゃね? お前とは気が合いそうだ」

「そ、そうか……?」

 肇が後頭部をかくと、ミカゲはニッと笑ってみせた。

「俺も幼なじみは大切だから」

「ちょ、何回も幼なじみって言うな。俺はアイツのこと……」

「あ、好きなんだろ? 応援してるぜ!」

 ミカゲが肇の背中をバシバシ叩くと、彼は耳まで真っ赤にした。後ろで聞いていたテツはニヤニヤし始める。

「な、なんで知ってんだよ!? 転校してきたばっかのくせに!」

「皆知ってるんだろ? お似合いだと思うぜ。おーい華、肇が話があるって……」

「おいやめろバカ!」

 その瞬間、華が振り向いた。ぱあっと顔を輝かせて肇の方へ向かってくる。

「チャンスだぞ肇、ここでバシッと決めろよ」

「このやろー……」

 首も真っ赤になった肇はミカゲを睨みつけたが、咳払いをして服装を整えた。

 急遽終わった部活の後、肇は涙ぐむ華のことを見つけた。正確にはテツが連れてきた。

 その時思ったのだ。やはり彼女に涙は似合わない。ずっと笑っていてほしい。そのためには彼女の一番近くにいて守りたい。彼氏として。

「華、俺は────え?」

「お姉ちゃん!」

 駆けつける華のことを抱きとめようとしたが。腕は空気をかすめただけ。肇は思わずたたらを踏んだ。

 華は肇の横を、タイムとテツの間をすり抜けて女子高生に飛びついた。

「お姉ちゃん……?」

「肇、ドンマイ」

 ミカゲとテツは肇の肩に手を置いて慰めた。しかし、テツはうつむいて震えていた。










「お姉ちゃん! こんなところにいたんだ……! 無事でよかった……!」

「華……!」

 妹の顔を見たら安心した。加奈は駆け寄ってきた華のことを抱きしめた。

 彼女が事件に巻き込まれなくてよかった。あんな怖い思いはさせたくない。

「どうしたの? 帰らないの?」

 親に迎えに来てもらった生徒や卒業生が多い中、加奈は校内に残っていた。

 華麗な飛び蹴りをした彼に会わなければ帰れない。一目でも見たい、一言でも言葉を交わしたい。

 そんな時に見つけてしまった。同級生たちと帰るタイムのことを。

「えっと……。帰ろうか。あ、でも華は皆と帰るよね」

 さすがに彼らの中に割って入って話すことはできない。注目されるだろうし、そんな度胸はなかった。

 加奈が黙っていると、華は姉の腕をグイグイと引っ張った。

「お姉ちゃんも一緒に帰ろうよ! タイムもいるよ」

「た、タイム君がいるからって何……!?」

 華のいたずらっぽい顔に思わず飛び上がった。顔が熱くなってきたのが分かる。

 妹は底なしに人思いなのだが、鈍感で人の気持ちを察するのが苦手だ。

「本当は知ってるんだ、お姉ちゃんはタイムが好きだってこと。私がタイムのことを話す時、いつも楽しそうなんだもん。恋する乙女って顔してたよ?」

 華にバレていたとは。絶対にありえないと思っていた。

 確かにタイムのことを知りたくて、華にそれとなく彼の様子を聞いたこともあった。

「誰にも言ってない……?」

「うん。でも、本人に言ったら?」

 華は後ろを振り返った。そこには妹の同級生らしき生徒が何人かかたまっている。肇だけは幼い頃からの顔見知りだ。

「今日がチャンスだよ。お礼を言いたいってことにして、呼んであげるからさ!」

「でも……」

「もう! お姉ちゃんは恋に遠慮しすぎ! 勉強頑張ったり、進路のことも大切だけど恋だってしていいじゃん。タイムに彼女がいないのは有名な話だよ」

 華も気にかけていてくれたのか。進路のことで不安な顔をするのは、妹には見せたことないはず。

 加奈は”ありがと”、と小さくつぶやいた。





 タイムのことを呼びにきた華が彼に何やら耳打ちをし、加奈の元へ行かせた。彼は首をかしげていたが、加奈に近寄って軽く会釈をしている。

 アルトは華が姉とよく似ているのを見て、自分にもいたはずの妹のことを思った。

 妹は母親のお腹の中にいて、惨殺事件に巻き込まれてしまった。

 もし生まれていたら似ていただろうか。どんな声で、どんな顔で笑うのだろう。

 華の姉の笑顔は、やはり華によく似ていた。タイムを前にして顔を赤くするところは見たことがないが。

 アルトはハルヒたちが肇をからかう声を、右から左に流していた。意識はもっぱら、遠くで話している加奈とタイムに向いていた。

 風が吹き、満開の桜から花びらが散る。風が強くなると花びらの枚数は増えていく。幻想的な光景に、加奈とタイムが桜にさらわれるのではないかと錯覚した。

 花びらがアルトの顔に当たるようになり、思わず目を細めた。髪とスカートがなびき、髪を耳にかける。

 その時、外しかけた視線が捉えた。加奈がタイムを抱きしめたのを。

 ぎゅっと強くとじた目は恥ずかしそうで、頬は桜よりも濃いピンク色に染まっている。

 目に力を入れ過ぎたのか、体に回した腕は遠慮がちで。手は彼にふれず、空中で軽く握っているだけ。

(……!)

 怒りにも似た炎が、胸の中で一気に燃え上がるのを感じた。これほどまでに強い感情を覚えたことはない。

 これはヤキモチ? いや、強い嫉妬だ。体中が燃えるように熱くなったように感じた自分が怖かった。

 せめてものすくいは、タイムが驚いた顔で加奈を離したこと。もしも彼がほほえんだりその気持ちに応えたら、何をしでかしていたか分からない。

 アルトはうつむいてさっさと歩きだした。もうここにはいたくない。同じ光景を二度と見たくない。

 その瞬間、とうとう空が泣き出した。黒い雲から大粒の雨が落ちてくる。

 今日の雨は、アルトの心の内の炎を鎮火させるように冷たかった。
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