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39.帰路
しおりを挟むオトニエル祭祀長の傍付きの神官に導かれて来たのは、大神殿にやって来た時に到着した正門の、おそらく真逆の方向にあるのだろう裏門に通じる一角だった。
周りを高い塀に囲まれ、さらに針葉樹の木々が建物を隠すように連なっているからか、建物の出口から門までの道のりはそれなりに遠い。
来る時には薄日が差していたのに、いつのまにか薄い雲が一面を覆って、雪に覆われているのに暗い空からはちらちらと粉雪が舞い落ちている。聖堂内でも、オトニエルの執務室内であっても底冷えがするので外套を着たままだったせいか、外に出てもさほど外気温との差は感じられなかった。
大聖堂内はやや暖かかったが、と思い返せばそれはきっと参列客で一杯だったからだろうとルカは思い直す。建物から離れて木々の間を歩けば、風が吹くと剥き出しの頬や耳たぶに切れるような寒さが感じられた。
「神殿の内側はあまり暖房が入っていなかったが、さすがに外は寒いな」
ルカを片腕で抱き上げたまま、凍った雪を踏むシオンが小さく呟く。小さく頷くルカに向かって、片目を瞑ってみせた。
「だが、私はルカを抱き上げているおかげで暖かいがな。……藍衣殿、その荷物は重いのではないか」
「いいえ、大丈夫でございますよ。力には自信がございますので」
にっこりと笑う藍衣神官は、両手に大きな木箱を抱えた状態で一向を先導する。オトニエル王曰く、谷に着いたらルカに渡そうと思っていた荷物がそのままだったので、ちょうど良い機会だから渡したい、との事だった。
ルカにしてみても、ルドラから渡された封書があったのだが、今日会えるとは思っていなかったため持参していなかった。だが、今回面会が適ったので、次回からはマナセを通さずともオトニエル付きの老侍従や、先導をしてくれている藍衣神官を通して、折を見て渡せば良い。
「ああ、ちょうど車がこちらへ回ってまいりましたね。では、どうぞ道中お気をつけて」
シオンの調達した立派な箱車が木々の間に見える門の向うに停車する。ゆるゆると近寄れば、御者が片膝を付いて一行を迎えた。
御者台にエフライムが乗るのを待ってから、藍衣神官は涼しい顔のまま木箱を荷台に載せる。それを麻紐でしっかりと荷台に括りつけたユディは、シオンらが車に収まるのを待ってから箱車後ろ側の架台に立った。
「またのお越しをお待ち申し上げております」
深々と腰を折る藍衣神官と御者に、窓越しに軽く手を振る。エフライムの運転は危なげなく、滑るように車が道を走り出した。
車を曳く毛長コルフォはよく調教されているらしく大人しく、鳴き声さえ上げずにエフライムの指示に従っている。
「……停めている間に、すっかり車の中も冷えたな」
ルカを対面する側ではなく、自分のすぐ隣の長椅子へ下したシオンが、大神殿が遠ざかるのを眺めつつ小さく呟く。ルカはシオンと並んで座り、高い塀越しに小さくなる大神殿の屋根へと視線を移してから、ルカの足元に並べられた靴へと痛めた方の足先をそっと載せる。
「まだ痛むか? 転ぶ前に私が抱えて昇るべきだったな。その靴では平な場所でも歩くのは難しかったろう」
心底気の毒そうな表情をするシオンへと、ルカは小さく微笑んで見せた。
「長い裾に気を取られて、咄嗟にシオン殿の腕に縋れば避けられたものを、うっかり着地の受け身を取ってしまったのは私の失敗なのだから」
オトニエルの執務室を出る前に、捻挫用の膏薬を貼ってもらい、きちんと包帯で包まれた足はいかにも大怪我に見えるが、実のところ数日休ませれば後は歩くのにも難儀はしない程度だろう、とルカは自己診断する
「数日大人しくしていれば、後は旅程に障るほどではない……筈」
「ならば良いが。……そのような恰好で連れ出したのはこちらのせい故、少しばかり気が咎めて、な」
目尻を下げるシオンへと手を伸ばして、ルカは彼の冷えた頬へ片手を添えた。
「今日、オトニエル祭祀長に会えたのもシオン殿のおかげ。感謝こそすれ、そなたが気に病む必要はないだろう」
「だが、自分の戯れで斎王君を怪我させてしまったのもまた事実だ。……とはいえ、今日の貴方の姿は、視界に入る度に心を奪われる。貴方を見慣れている筈の侍従騎士殿ですら、動作に半拍ほどの遅れがあるようだ」
「まさか、そんな」
「……おそらくは」
ルカの掌に片頬を預けて、シオンが隣に座るルカへと顔を寄せた。鼻先の触れるほどに近づいてから、甘い微笑みを浮かべる。
「我が麗しの愛妾殿に、口づけても?」
「否やなど、言う訳もない」
「薔薇草の咲き零れるような」と形容される笑みを浮かべてみせれば、シオンが破顔する。
背もたれから、脇道から少し広い通りに抜けたと判る振動が届く中、シオンはルカへ、啄むような口付けを繰り返す。大人しく唇を受けていたルカは、そっと薄目を開いてシオンの向う側の窓を通り過ぎる景色を確認した。
枝に雪を載せた街路樹が道の両側に並んで、街並みはあまり見えない。
「……ん、ぅ」
いつしか口づけは深くなって、重ね合わせた唇の内側で湿った舌を絡め合う。唇をわずかにずらして、角度を変えて重ねる毎に漏らす熱い吐息が、車の内部の冷えた空気に混じって散る。
互いの頬に触れる掌と重なる唇から注がれる熱は肌を浸透して体内を巡り、やがて再び唇から相手へと注がれる。
そうやって、暫くの間互いの熱を交わしあって、ふと間近に視線を絡める。
長椅子の角に背を預けるルカは、覆い被さるように密着するシオンを焦点の定まりきらない瞳で見上げた。交わした熱の余韻で頭の芯がぼうっと痺れたような熱を帯びて、中途半端に高められた下腹の疼きがじれったい。いっそこのまま最後まで抱いてくれればいいのに、とぼんやりと思う。
「……ルカ、貴方は」
「…………?」
いつもならば、相手の言葉の前半を聞けば、後半は聞かずとも予想が出来るのだが、この時ばかりは熱に浮かされた頭が回らない。朱の上った頬が熱いな、などとどうでも良い事に気をとられつつ、シオンの言葉の続きを待っていると、ふいに飾り結びにした帯の下で、盛大に腹が鳴った。
「……っふ、これは」
真顔でルカを見つめていたシオンが軽く噴く。くつくつと笑う声に、さらに大きな音が重なって、ルカは慌てて両手で腹を押さえた。
「申し訳ない、どうにも腹が減ったようだ」
「昼食がまだだったし、……あの程度の菓子では斎王君には足りぬだろう」
春分の日に奇縁から始まったシオンとは、宿の部屋が隣なこともあって何度も食事を共にしている。だからシオンは、ルカがほっそりとした見た目に似合わない健啖家で、焼き菓子数個では昼食を済ませられないとよく知っている。
「大丈夫、ちゃんと昼食の手配はしている。それに、途中の屋台でめぼしい物があれば買っておくようにエフライムにも言ってある」
「ああ、それで先ほどから時々停まっているのか」
ルカは片手で乱された襟元を直しつつ、車の窓から外を見やった。てっきり渋滞しているせいで停まりがちなのだと思っていたら、そろそろ終わりになるだろう春分の祭りの屋台に寄って、あれこれと買い求めているらしい。
「さあ、そろそろ宿に着く」
シオンの声が聞こえたように、車がぴたりと止まった。外からユディの声がして、玻璃の周りに浮彫を施した美しい扉が開く。
「宿に着きました。……お髪の飾りが曲がっているようですが」
車内を覗き込んだユディが、不審そうに眉を顰める。ルカは片手で結い上げた髪に刺した簪の向きを直してから、ゆったりと微笑んでみせた。
「……背もたれに寄りかかっていたから、揺れた時に曲がったのだろう。シオン殿、この後は?」
長椅子の出入口側に座ったまま、片手を顎に当てて扉口から顔を覗かせているユディと、奥に座るルカとを眺めていたシオンがわざとらしいまでの笑顔を浮かべる。
「道中に買い集めた食べ物と、エフライムがこの通りの屋台の売り物を集めてくれる筈だから、すぐに昼食にできるだろう。まず、私の部屋へ」
当然のように頷いて、ルカの腰を引き寄せる。たとえ車の出口からほんの数歩の距離に宿の入り口があろうとも、護衛の騎士が両手を塞いでしまうのはよろしくない。
それが判っているからか、あっさりとユディは身を引いた。暖房のない車の中は、乗った時には外気と変わりなく寒いと思ったが、いざ外に出てみれば、小雪の舞う外気温よりは暖かかったようだ。
そこまで考えて、シオンと唇を重ね熱を注ぎ合ったからこそ、車内が暖められたのだと気づいて、ルカはうっすらと頬に朱を昇らせた。
「お帰りなさいまし」
シオンの右腕に抱えられたルカからは、背中側になる方角から宿の従業員が声を掛ける。てっきり挨拶だけで帳場に戻るのだろうと思っていたら、ご丁寧に周り込んでルカの視界へと入ってくる。背の高い、ひょろっとした背格好の従業員は投宿したこの数日、何度か帳場やルカ達が泊っている翼の入り口等で見かけたことがあった。
「こちら、ロクソマ商会のサヤラス様から、ルカ様へと」
後ろ手に持っていたのか、いきなりルカの眼前に豪勢な花束が差し出される。色とりどりの春の花と薄紅の薔薇草、目に眩しいほどに青々とした葉で彩られた花束は、春の遅い北国の王都では恐ろしい高値がつくだろう。
「……は? でも」
両手で抱えるほどの花束を差し出され、ルカは咄嗟に身を固くする。斎王院にいた時分は、温暖な地域であるからこそ聖堂の祭壇にも自室にもふんだんに花が飾られ、それをごく当たり前としていたが、いかにルカが世間知らずだとしてもポーラスタの王都に至るまでの道で野に咲く花の一輪もない雪原ばかりで、春分を迎えてすら青草の見えない風景である地方な事は承知している。
それを、両手に抱えるほどに大きな花束を、どうして受け取る事ができるだろうか。
「……ルカ、受け取ってやった方が良い。彼が困っている」
「あ、ああ……そう、ですね」
浅く頷いてみせれば、従業員の男はあからさまにほっとした表情を滲ませた。とはいえ、こちらはシオンに抱きかかえられている身、実際には受け取らずに脇に控えるエフライムに視線を送った。
「どうぞ、こちらへ。……後ろに積んだ荷物をお願いします」
「承知しました」
大きな花束を受け取ったエフライムが、オトニエル王に渡された木箱や、道中で買った食べ物を入れた籠等を搬入する手筈を整える。ルカを抱えたシオンは、途中呼び止められたせいでうっすらと粉雪の積もったルカの結い髪を空いた方の手で軽く払った。
「さて、麗しの君、中へ入ろうか」
「頼みます」
くすくすと笑いあって宿へと消える二人の姿はとても睦まじく、(実際はどうあれ)彼らが貴人とその相方の神官であることを疑う余地は全くと言っていいほどにない。だのに、そのルカに名指しで、しかも匿名にすることもなく花束を送るサヤラスの大胆さに、ユディは小さく溜息を零した。
大神殿からの途中で買った屋台と、花街の通りの両脇に連なる屋台から買い集めた食べ物を、ずらりと卓上に並べた昼食は、二組の主従が一緒に食事するに十分な量の上に、出来立てな事も相まって彼らをすっかり満足させた。
ことに、揚げた薄パンに燻製肉と塩漬け野菜、酢漬け胡瓜を挟んだ物や、粒辛子をたっぷりかけた腸詰を載せて巻いた物、耳長ネズミの肉にピリッと辛くてコクのある香辛料をかけて炭火で焼いた串、そして外はカリッと、中はホクホクに上げた芋の素朴な美味しさに、四人は無心に食べ進める。
甘い物をと思えば、果物の砂糖煮や蜜煮、干した棗やイチジクを刻んで入れた焼き菓子ーーこれは豪華にも粉砂糖を振りかけてあるーー定番の木の実の飴掛け等、卓の端まで選びたい放題、の有様だった。
水とリモネの汁で割った蒸留酒は癖もなく、冷えた体を温めてくれる。卓の上を占拠していた食べ物がすっかりなくなる頃になって、エフライムが食後の茶を淹れようと席を立った。
「……それで、ロクソマ商会のクソ坊ちゃんが花束をくれた、と」
あの後、花束を花瓶へ移すようにいいつけてーー大きすぎる花束だからと、花瓶二つに生けられて運ばれてきた花は、結局ルカとシオンの部屋の寝室それぞれに飾られている。
食事中は、大神殿での春分の礼拝や、オトニエル祭祀長や彼の甥の事などが話題に上げられたが、なんとはなしに全員で花束の事は避けていた。
腹がくちくなった手元に茶杯が配られてようやく、話題が花束へと及んだのだった。
「……普通、相方のいる神官に贈り物をしたりするのか? マナセがいた頃は一度もなかったぞ、そんな事」
腑に落ちない様子のシオンが、小首を傾げる。エフライムに渡された茶を一息に飲み干して、さっそく茶杯に蒸留酒を注いでいる。
「……さあ、私は神官を侍らせている貴人を直接知らないので、なんとも。……だが、普通はないのではないだろうか」
茶杯を片手にルカも小首を傾げる、視線を送られて、ユディも力なく首を振った。
「一般に、神官との相方の契約は、愛妾を交わす契約と同等とみなされます。シオン様は他の方に囲われている愛妾に、贈り物を渡そうと思われますか」
「……ないな」
エフライムの問いに即答して、だがシオンは深い溜息を落とした。
「だがなぁ、あのクソ坊ちゃんのする事だ。こちらが南方王国の地方領主の三男だと判った上で、このルステラでは自分の方が上だと誇示したいのかもしれん」
「……あるいは」
溜息混じりにルカが続けた。
「あの様子では、何も考えていないやも」
「……それもあり得る」
はぁああ、と二人同時に大きな溜息を零す。ルカは美々しい衣装を汚すまいと首元に広げていた手拭いを外して手元でたたんで、軽く口元を拭う。予想に反して食事の油分以外は手拭いに着く事もなく、いつのまにかすっかり紅は落ちてしまっていたらしい、と小首を傾げた。
ふと視線を感じて顔を上げると、何故かユディが険しい顔をしてルカを見ている。もう一度小さく小首を傾げてから、ルカは正面に座るシオンへと視線を移した。
「そういう軋轢を一切忖度せずに、やりたい事をやれる立場だと、そういう含みはあるのやもしれなぬが」
「いっそ、売られた喧嘩を買いたい気もしてきた」
苦々しげに呟くシオンに、ユディが眉を顰める。
「ですが、それが元でここにいる藍衣神官が御身様だと気づく輩が出ないとも限りません」
「……そうだな、ルカ程の容姿を持つ神官、そうそう居るものでもない」
「左様でございましょうね」
最後にはエフライムまでが同意して、ひどく憂鬱そうな溜息を零した。ルカは一人、反論しようかと思いつつも適当な言葉を思いつけずに唇を尖らせる。
「とにかく、クソぼっちゃまのせいで御身様のご身分が露見しないよう、細心の注意を払う必要があるかと」
諦めの混じった声音で締めくくるユディに、他の三人は沈黙のまま深く頷く。
せっかくの楽しい昼食がやや重たい雰囲気で解散となり、ルカとユディは自室へと移動する。ルカを腕に抱えて、なんとはなしに満足気な雰囲気を漂わせるユディを見送ってから、シオンは長椅子に身体を投げ出した。すっかり片付けられた卓上には、シオンの茶杯と蒸留酒の瓶だけが残されている。
「……どうにも、調子が狂うな」
小さく零せば、新しく茶を淹れるためについ先ほどまで使っていた茶器を片付けていたエフライムが、ふっと薄い笑みを口元に浮かべた。
「シオン様は、競売に参加されるおつもりなのでは?」
語尾に含まれるうっすらとした揶揄に、シオンは眉尻を下げる。
「そのつもりだったが、気が変わった。……遊び半分は止めだ。競売が何時になるかは判らんが、それまでに私自身の印象と価値を高めておくべきだろう。……選ぶのはこちら側だけではない、あちらにもその権利はある」
「おや、お珍しい」
清々しく爽やかな茶の香気を纏うように、エフライムが新しい茶杯を卓上へ配置した。
自分も片手に茶杯を持って、シオンの正面に腰かける。
「……つまりシオン様は」
「本気になった。……珍しくも、な」
手に持っていた杯から一息に酒を煽って、シオンは口元に笑みを浮かべる。卓上へと手を伸ばせば、すかさずエフライムがシオンの手の届かない位置へと酒瓶を退かした。
「夕食は間近です、しばしお待ちくださいませ」
「そう言うな、景気付けだ」
「……では、夕飯時の晩酌はなしでよろしいでしょうか」
「――う、それは」
時々、実の母よりもずっと手強くなる侍従を恨めし気に見上げてから、シオンは渋々湯気を立てる茶杯を手に取った。
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