看取り人

織部

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最愛

最愛(10)

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 宗介は、変わった。
 言葉にするとそれはとても陳腐な言葉だがそれがもっとも適した言葉だった。
 まず、傲慢さが消えた。
 人を馬鹿にするような態度や言葉が消え、受け答えがとても柔らかく、課題の分からないところも聞きやすくなったし、頼み事もしやすくなった。相変わらず優秀すぎるくらい優秀なので友達と呼ぶには敷居が高いがクラスメイトと呼ぶには十分な立ち位置になっていた。
 もう1つは協調生だ。
 高校生とは思えない卓越した技術は変わらない。しかし、その技術を自分が活躍するためだけに使うのではなく、チームプレーとして使うようになった。特に部員1人1人と話し、個性を知り、相手に興味を持ってサポートした。その結果、彼らを実力以上にまでパフォーマンスを引き上げ、なんと夏のインターハイではベスト4まで進出し、その年のMVPにまで選出された。
 男子バスケ部始まって以来の快挙と言ってもいい。
 一年前の宗介ならそれを当たり前と思い、喜びもしなかったろう。
 しかし、今は違う。
 自分がチームの為に貢献し、自分がチームの為にやったことが評価された。
 それが堪らなく嬉しかった。
(これが他者と関わると言う事なのか?)
 宗介は、部員たちの称賛、そして夏休みを終えて登校してきた時の教師や生徒達の嫉妬とは無縁な、憧れと喜びに満ちた反応を見て180度変わってしまった世界に戸惑いつつも熱く満たされていくのを感じた。
 そしてその気持ちを誰よりもアイに伝えたいと思った。
 アイに宿題をしっかりとこなした自分を褒めてもらいたい。
 多少なりとも変化した、成長した自分を見てもらいたい。
 そして何よりもアイに会いたい。
 そして・・・気持ちを伝えたい。
 この長い長い時間で気づいてしまった感情を。
 自分がアイに恋焦がれてしまった事を。

彼女との再会は、2学期が始まって1ヶ月が過ぎた10月の始めの頃だった。
 彼女は、宗介のクラスの実習生として配属された。
 授業の始まる前のホームルームの時間に彼女が担任と入ってきた時に宗介は驚いてしまった。
 彼女がクラスに入ってきたことにではない。
 彼女が自分のクラスを受け持つことは前情報としてしっかりと掴んでおり、表情にこそ出さなかったが、内心は舞い上がっていた。
 しかし、それでも彼女を見た瞬間に宗介は、驚いてしまった。
 それほどに彼女は綺麗になっていたのだ。
 少し茶色を入れていた髪は黒く、前よりも長くなって胸の辺りまでかかっている。丸かった輪郭は少し細くなったものの愛嬌は変わらない。むしろ目を引く綺麗さが引き立っていた。ガッチリとしているが華奢な身体は少し細くなった印象があるも女性らしい印象が際立った気がし、何をとっても輝いて見えた。
 原石が磨かれ、カットされて宝石となる。
 その言葉が相応しい変貌に宗介は、目を奪われた。
 彼女は、変わらない低い声で挨拶する。
 そして宗介と目が合うと驚いたように目を開き、そしてにっこりと微笑んだ。
 それだけで宗介の胸は高鳴る。
 彼女は、一限目の古文の授業を担当した。と、いっても古文の教論のサポートという立場だが、彼女の教え方はとても分かりやすく、アルト歌手が歌うような滑らかな口調は心地よく、宗介以外の男子生徒達もうっとりとして聴き、女子達も楽しそうに耳を傾けていた。
 特に光源氏が自分の父親の後妻に初めての恋心を抱き、当てた恋文を読んだ時は背筋が震えてしまった。

 物思ふに 立ち舞ふべくも あらぬ身の 袖うちふりし、心知るきや

"袖うちふり"とは"袖を振る"という当時の愛情表現のことだ。その当時の光源氏が何歳かは知らないが彼は禁断の愛と知りながらも後妻への、義母への愛を言葉として表現したのだ。
 愛の対象こそ違うが、宗介が抱いている思いも禁断の愛と言うことになるのだろう。教育実習生とは言え、自分は教師に恋心を持ってしまったのだから。そして自分はこの恋心を決して胸に秘めるだけにも、文章に書くだけにもしないつもりだ。
 宗介は、ノートの端の部分を握るとそこに文字を綴った。とても短い文字を。そして授業が終わるとトイレに行くふりをして、教壇の前に立つアイに近づき、教壇の前にその紙を置いた。
 アイは、少し驚いた顔を浮かべつつもその紙を手に取り、ポケットに入れた。
 その紙にはこう書かれていた。
"夕方、あの公園で待つ"と。
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