看取り人

織部

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看取り落語

看取り落語(17)

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 酸素を送る機械の音が静かに居室を走る。
 息苦しい。
 幾ら酸素を送られても足りる気がしない。
 しかし、それは身体だけの影響で起きているのではない。
 身体以上に心が詰まって呼吸を塞いでいるのだ。
 茶々丸は翡翠の目でじっと師匠を見る。
 師匠は、黄色く濁った目で力なく茶々丸を見返す。
 茶々丸は、ぱたんっと尻尾を揺らす。
「……答えは出たかにゃ?」
「えっ?」
 師匠は、茶々丸を、茶々丸の後ろにいる看取り人を見る。
 もう話しは、終わったはずなのに看取り人は黒子の幕を上げない。
 つまり、看取り落語は続いていると言うことだ。
 殊勝なことだ、師匠は笑う。
「いーやっまったく」
 師匠は、ベッドに頭を預けたまま首を横に振る。
「話し自体は悪くなかったぜ。よく調べたもんだ」
 恐らくネットやホスピスの所長から聞いて構成したんだろう。即興にしては良く話せていし、感情は乏しいが茶々丸にも良くなりきっていた。
 しかし……。
「看取り落語・・・ではないな」
 これはただの語り。自分の事を過去や気持ちを思い出させる為のよく出来た創作回顧録だ。
 そんなものを聞いたところで気持ちは昂っても、悲しみや後悔を思い出す事はあっても、決して答えが出ることなんてない。
「俺が聞きたかったのは茶々丸の落語だ。こんな昔話しじゃない」
 そう自分が聞きたかったのは茶々丸の落語だ。
 自分の昔話しなんかじゃない。
 俺は自分の人生を振り返りたい訳でも、懺悔をしたい訳でもない。地獄に行くだろうから死んでも妻と娘と暮らせるとも思ってない。
 ただ、知りたかったのだ。
 自分は妻に報いることが出来たのか?
 妻は旅立つことが出来たのか?
 あっちで娘に会えたのか?
 それなのに……。
「結局、俺は何も出来なかった訳だ……」
 師匠は、力なく目を閉じる。
 姿が見えなくなった妻の姿を真似した死神にもう連れてっていいと呼びかけた。
 もういい。
 自分にはもう何もない。
 さっさと地獄に連れていって閻魔様の炎で焼いてくれ。
 しかし、答えたのは死神ではなかった。
「そんなのは当たり前にゃ」
 茶々丸は、ふんっと鼻で笑うように言う。
 師匠は、驚いて目を開ける。
「こんな落語のらの字も知らない、遊びも知らない、友達もいないようなクソガキの声を借りたってあんたに響く訳ないにゃ」
 茶々丸は、きつく目を細める。
「だってあんたは聞く側でじゃにゃい。噺す側にゃ」
 師匠の黄色く濁った目が震える。
「どんなに聞いたって答えなんて出るわけがにゃい。答えを見つけたいなら噺すにゃ。形にするにゃ。気持ちを表すにゃ!」
 茶々丸は、尻尾を思い切り振る。
「だから……娘さんもあんたを通して私にくれたにゃ。茶々丸という名を!」
 師匠は、狼狽える。
「あんたと落語をする為に!あんたの落語を聞く為に!」
 霞がかった脳裏に愛らしく微笑む娘の顔が浮かぶ。
 茶々丸は、ふうっと息を吐くように舌舐めずりする。
「奥さんは……あんたの噺を聞けて嬉しかったはずにゃ」
 師匠の目は大きく震える。
「人は死を前にすると心を覆っていた殻が剥がれるにゃ。全員が全員ではないにゃ。中には最後の最後まで本心を隠したまま逝く人もいるにゃ。でもそこにあるのは穢れのない純粋な想いにゃ」
 茶々丸の翡翠の目が揺れる。
 まるで泣くのを堪えるように。
「奥さんは死ぬ前に会いたいと思ったのはあんただった。私を通してあんたの落語を聞いて満足して、きっと娘さんにも会えたにゃ」
 茶々丸は、笑うように口を開ける。
「あんたはちゃんと二人を送り出すことが出来たにゃ」
 黄色く濁った師匠の目に涙が溜まる。
「本当に……?」
「にゃい」
 茶々丸は、尻尾を振る。
「猫に嘘は付けませんにゃ」
 師匠の黄色く濁った目と茶々丸の翡翠の目が重なる。
 まるで初めて出会った時のように。
「ニャア」
 茶々丸は、嬉しそうに鳴いた。
 師匠の目から涙が溢れ、力なく咽び泣いた。
 茶々丸は、看取り人の膝から飛び降りる。
 ピンクの着物に歩きにくそうにしながらも師匠の横たわるベッドに近寄り、勢いをつけて飛び上がり、男の胸元に飛び乗る。
 師匠は、驚いて目を開く。
 茶々丸は、じっと師匠を見る。
 いつまで寝てるんだよ、と言うように。
 早く落語しようよ、と言うように。
「おいっ」
 涙に濡れた師匠の目が看取り人に向く。
「どこまでがお前の考えた落語だ?」
 看取り人は、ふうっと力を抜くように息を吐く。
「……僕は茶々丸の言う通りに動いて言葉を発しただけです」
 顔を覆った黒幕を上げる。
 顔は汗に塗れ、疲れた様子を見せるも三白眼はしっかりと師匠と、茶々丸を見据えていた。
「でも、茶々丸が言おうとしていることは分かります」
 看取り人は、小さく息を吸う。
「何を寝てるにゃ。まだオチは付いてないにゃ。早く起きてやるにゃ。最後の落語を……」
 最後の落語……。
 師匠の目つきが鋭く変わる。
 生気を失っていた身体から気迫が滲み出る。
 茶々丸の翡翠の目が大きく輝く。
 師匠は、震える手でベッドのリモコンを手に取る。
「看取り人……依頼変更だ」
 ベッドの背もたれがゆっくりと上がる。
「最後の客は……お前だ」
 背もたれが完全に持ち上がる。
 茶々丸が師匠に背を向けて座る。
 嬉しそうに。
 師匠は、茶々丸の身体を優しく触れる。
 茶々丸は気持ち良さそうにニァアと鳴く。
「こいつのこと……頼んで平気か?」
「はいっ」
 看取り人は、小さく頷く。
 師匠は、小さく口元に笑みを浮かべ茶々丸の頭を撫でる。
「さあ、茶々丸。俺らの最後の落語だ」
 師匠は、茶々丸の両前足を持ってゆっくりと身体を起こす。
「たっぷり笑わせてやろうぜ」
 茶々丸の翡翠の目が大きく輝かせ、大きな声でニャアと鳴いた。
 看取り人は、椅子を移動させて師匠と茶々丸と向かい合うように座る。
 その横に嬉しそうに微笑む妻と、娘の姿が見える。
 仲睦まじく横に並び、茶々丸と師匠を見守っている。
 師匠は、涙が溢れそうになるのを堪え、大きく息を吸う。
「にゃんにゃん亭茶々丸にございますにゃあ!」
 病人とは思えない声で師匠が名乗る。
 茶々丸は、両前足を上げて頭を下げる。
「今宵は私の最後の高座にお越しいただきましてありがとうございますにゃ。此度の落語は看取り落語でございます。この命がオチるまで!どうぞ心ゆくまでお楽しみくださいにゃ!」
 師匠の声に合わせて茶々丸は鳴く。
 まるで咽び泣くように。
「それではお聞きください。十八番"猫の皿"!」

 にゃんにゃん亭茶々丸の、二人の落語は夜が明けるまで休むことなく続いた。
 師匠は、蝋燭の火が尽きかけた身体を奮い起こして声を張り上げ、自分の知る限りの全ての噺を絞り出し、茶々丸は時折り泣くように鳴きながら力一杯、落語を繰り出した。
 そして……。
「ニャア」
 茶々丸は、ベッドに横たわる師匠の真っ白になった顔を優しく優しく舐める。首元を肉球で触れ、柔らかい毛を力を失った身体に擦り付ける。
 甘えるように。
 感謝するように。
 別れを告げるように。
 看取り人は、そんな茶々丸と師匠に向かって小さく頭を下げる。
「どうぞ安らかに。ご冥福をお祈りします」
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