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第3夜
しおりを挟む春夏秋冬、いくつもの季節が廻った。
東西南北、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、日本全国の様々な場所を見て回った。
どこまでも地味で堅実な、けれどどこか現実感に乏しい時間は穏やかに過ぎてゆき、やがて終わりの気配を漂わせ始めた。
それまでとてどのくらいの間隔をあけて「仕事」が入っていたかなんて覚えていないけれど、明らかに間隔が伸びていた。
私も彼も、旅の終わりがそう遠くないことを知っていた。
それでも表面上は今まで通りの穏やかな時間が過ぎて行き、私は密かに安堵した。
きっともう、私が彼を置いて一人先に転生するということはないだろう。
最期の瞬間を同時に迎えられるなら、それは望外の幸福だった。
ある日、彼が言った。
「今日が、最期のドライブになるみたいだ」と。
寂しさと安堵の入り混じった何とも言えない表情をしていたが、それでも彼の声色は穏やかで落ち着いていた。
「今日は……、どこに行きますか?」
何をいって良いか分からず、私は尋ねた。
「どこか、行きたい場所はあるか?」
私は首を横に振る。
「いいえ、あばたにお任せします」
「……そうか」
そう言って、彼は神妙な顔をした。
「それなら、行きたい場所があるんだ」
彼は、いつも彼が通るのとは違う、よくわからない田舎道を進んでいった。田舎ゆえか道幅は広いもののアスファルトはひび割れ、隙間に雑草が覗いている。
周りは見渡す限り田畑しかなく、最期に観光地へ、という趣ではない。
それならば、ここはきっと―――……。
横にいる運転席の彼の顔を見るも、いつも通りの無表情があるだけだった。
やがてトラックは、空き地の前で静かに停車した。
ドアを開けて、二人、空き地の前に並んで立つ。
「ああ、もう何にも残っていないんだな……」
ポツリ、誰に聞かせるでもなく呟かれた声が耳に届く。
この場所は彼にとって思い出深い何か、例えば、家のようなものがあったのだろう。
そして何故か、記憶なないはずの私までもが強烈なデジャヴを覚えていた。
今は空き地が広がるばかりのこの場所に、住宅街の建ち並ぶ景色が瞼の裏に浮かぶ。
幼い頃の私がシャボン玉を飛ばして遊ぶ。縄跳びで二重飛びが出来なくていじける。走ってこけて、泣いている小さな女の子。
脳裏に浮かぶ映像の中の私の傍には、いつも少し年上の男の子がいた。
その子の顔は、前髪の陰になってしまって見えない。
貴方はいったい誰なの……?
でも、その答えを私はきっと知っている。
浮かび上がった記憶の波に翻弄され黙りこくってしまった私を、彼が振り返った。
「どうしたんだ、大丈夫か?」
そう言って顔を覗き込もうとして、彼が私の顔にかかる髪をそっと手で避けた。
その瞬間、今まで浮かんでいた記憶の中の顔の見えない男の子の顔が見えた。
どうして忘れてしまっていたのだろう。忘れて、いられたのだろう。
彼は、お兄ちゃんだ。近所に住んでいた3歳年上の、優しくて面倒見のいいお兄ちゃん。
思春期になり、周りの子供たちが私たちをからかっても気にせず、ずっと私を守ってくれていた。
ずっとずっと昔にも、転んでしゃがみ込んだ私を今みたいに覗き込んで心配してくれた。
「お、お兄ちゃんなの……?」
泣きそうになりながら彼を見ると、大きく目を見開いた。
「思い、出したのか」
「うん、うん。どうしてずっと一緒にいたのに教えてくれなかったの。私、わたし……」
言いたいことは沢山あるはずなのに、何を言っていいのか分からない。
お兄ちゃん、私、お兄ちゃんが死んじゃってすごく悲しかったんだよ。おばさんもおじさんも、みんな泣いてたよ。
何でお兄ちゃんが、まだまだ若いのに、優しい人なのに、どうしてお兄ちゃんがこんなに早く死ななくちゃいけなかったの。当時の感情が波のように押し寄せる。
そこで、私は自分が死んだときのことを思い出した。死んだはずのお兄ちゃんが、泣きそうな顔をしながら私に向かってハンドルを切った瞬間を。
「ねえ、お兄ちゃん。お兄ちゃんはどうして私を殺したの」
「俺の……、俺のためだ」
苦虫を嚙み潰したような顔をして、小声で答えた。
「俺が死んでこのトラックの運転手になった時、今までよりも確かな来世の存在を感じた。だから、俺は本部の連中に頼んで来世でお前と一緒に生まれ変われるよう頼んだんだ。」
何も答えられないでいると、彼が続ける。
「悪かった。お前は、自分を殺した俺なんかとは離れたいだろうけど」
沈黙を非難と勘違いしたようだが、私は別に怒ったり咎めたりするつもりは全くなかった。
「お兄ちゃんが、私にとって良くないことをするはずがないって知ってる。だから、別にいいよ」
それに、元は私たちの実家があった空き地を見るに、私たちが現世を離れたのはきっとずっと昔の話だ。
そっとお兄ちゃんの手に自分の手を重ねると、はじめ、私の反応を伺うようにおずおずと握られた。私が握り返すと、お兄ちゃんも固く握り返してくれた。
その時、はじめてトラックに乗った時にだけ会った金髪の女性が現れた。
「お二人とも、お久しぶりです。長らくのお勤めご苦労様でした」
長い豊かな金髪の、女神のような美女だ。
「本日を持ちまして、日本における……、というか、この世界における異世界転生トラックの機能は停止されることになりました。つきましては、長年の働きに対する報酬として、あなた方を別の世界へと転生させようと思います。」
女性が先端に大きな丸い石のついた杖を一振りすると、何もない空間に突然大きな扉が出現した。
鈍い音をあげながら扉が開く。
扉の向こうは真っ白な光に包まれ、何も見えない。
「さあ、どうぞ。お通りください。これは、異世界に続く扉です。生身の人間が通ればいわゆる異世界トリップをすることになりますが、あなた方は生者と死者の中間的存在なため、あちらの世界で赤子から生まれ直すことになります。長年の働きへの報酬なので、比較的落ち着いた暮らしやすい世界を選んでおきました」
そう言って、美女は微笑んだ。
私とお兄ちゃんは黙って頷くと、もう一度、強くお互いの手を握りなおした。
「行こう、―――」
酷く久し振りに、懐かしい私の名前を呼ばれた。
大好きなお兄ちゃん。来世では長生きしてね。もっとずっと、私と一緒に生きてね。
手を引く彼に身を任せ、私たちはその扉をくぐったのだった。
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