便箋小町

藤 光一

文字の大きさ
上 下
3 / 22
始動編

3.毛むくじゃらにおまかせを

しおりを挟む
 この会社に勤めてから三ヶ月が経過した僕だが、行っていた業務は
お茶汲み、掃除、窓拭き、事務、伝票作成くらいだった。
社長は、時折どこかへ外出しているが行き先は教えてくれない。
聞けば「無限の彼方」とどこかの宇宙レンジャー隊のようなセリフを吐き捨て、
こちらを振り向く事なく右手でグットサインを示しながら、扉の向こう側へと去っていく。

 メルは、仕事という仕事を目にした事がない。
コーヒーを飲みながら、スポーツ新聞に目を通していると思えば
崩れたプリンのようにぐったりしているので聞けば「一種のヨガみてぇなもんだ。」
としっかりとチルタイムを満喫している。
ワイドショーが流れるテレビに1人談義をしたりとペットのような姿とは雲泥で
さながら休日の親父を観るような自分でもわかるぐらい冷たい視線を送っている気がする。

 そんな訳で、僕にとってこの便箋小町で実際の依頼を受けたのは今回が初めてなのだ。
所謂、初任務。そして初陣でもある。

 社長は、まだ野暮用が残っているとの事で事務所に残るようだ。
実際に行動するのは、僕とメル、そして今回の依頼人である桐谷も同行する事となった。
桐谷を同行させた理由は、契約した“ギフト“との接触を図る為だそうだ。
その方が事実説明も手間が省けるんだとか、一見すると同行させるのは危険のように思えるが
社長曰く「契約者不在の契約の破棄手続きが不可なのは、君の社会でも同一であろう?」
と、言われては確かに危険ではあるが同行せざるを得ないのだろう。
桐谷も渋々ではあるが、同行に同意し僕たちは事務所を後にした。


 辿り着いたのは、駅前のファストフード店。
安価で食せる全国チェーン展開されるハンバーガー店だ。
さすがに人目につくこともあって、メルは僕のリュックの中だ。
時折、モゾモゾと動いておりリュック越しでも生温かさを感じる。
6月と云えど30度に近い気温なのだ。流石の妖怪も暑いのは仕方ないのだろう。
月の前半は梅雨ともあって蒸し暑く、纏わり付く湿気が体全体を包み込む感覚は
今日まで毎年のように味合うのだが、一向に慣れる気配はない。
雨、雨、雨。と降り続く大地の恵みは、時にナーバスなのかも知れないが流石に鬱陶しかった。
そんな中での本日は晴天なり。グレイに染まった雲空は影すら残さず、太陽の独壇場だ。
数日の雨続きに久々の晴天と湿気は、体の体温をみるみる上げていく。
これから本場の夏が差し掛かろうというのに既に「暑い」という言葉が漏れそうだ。
 それもあってファストフードへと逃げるように駆け込み、涼む試みを図ったのだ。
だが、その期待とは裏腹にこのファストフード店も現在は節電対策中。
24度キープと暑い訳でも涼しい訳でもない、人がギリギリ文句を言わない程度の温度だ。
拭う汗と纏わり付く湿気を振り払い、僕たちはショートサイズのアイスコーヒーを注文し
湿度にやられた身体を引きずりながらの足取りで客席へと腰掛けた。

「えっと、垂さんでしたか・・、これからどうしましょうか?」

 どうしましょうも何しましょうでも、僕だってどうしましょうかだ。
都会で蛍探しでもなければ、山へツチノコ探しをする訳ではない。
存在を安価でもいるとは言い難い悪魔を探せというのだ。

「あー・・・、そうですね・・・。やっぱ聞き込みっすかね・・・とか?」

 正直なところ解決策が見当も付かず、まるで一向に犯人を探せない後輩刑事みたいな
そんな案しか出ないのだ。冷たいコーヒーが身体に潤ったせいか冷や汗が出る。

(馬鹿か、お前?)

「うぉ⁉︎なんだこれ⁉︎」

 急に声が聞こえたと思えば、その発信源は右でも左でもない。
後ろや上でもなく頭の中心部から音の波を感じる。
それは、同じリアクションをした桐谷も同じようだった。

(流石にこんな場所だからなぁ、俺の能力だ。)

「メルか?なんだこれ、気持ちわるっ!」

 俗に言う「お前の脳に直接語り掛けている」ってやつなんだろうか。
つい言葉に出てしまったが、本当に気持ち悪い。
頭の中で拡声器で宣説されているみたいだ。しかもメルの声でだ。
だからこそ何度も言うが、実に気持ち悪い。

(あぁ?別に良いんだぞ?ちょいとイジればお前なんて、ボンっ!だぜぇ?)

「は?な、何?ボンって!!ふざけんなよ、勝手にやっといて!!」

 本当に何がボンっなんだか。頭の電気回路でショートさせるのか、
はたまた鼓膜でも破裂させるくらいの信号を送ることもできるのか。
だとしたら、このモジャモジャは侮れん。

(まあ、そこは嘘だ。早速だがぁ新人、本題だ。)

 嘘かよ、正直なところビビった。少なくとも自分の鼓膜が破裂したら、
なんて実際こいつならやりかねない出来事をイメージしてしまったのだから
余計に堪忍袋が膨らんだのが更にイメージされた。

(まず、客人。桐谷だったかぁ?)

「⁉︎・・・うっ!・・・ゴホッゴホッ・・あ、はい・・・。」

 僕もこの現象は慣れていないが、桐谷こそこの現象だけでなく
こんな奇々怪々な連中との絡みも殆どないのだから、僕以上に不慣れだろう。
その証拠に少しコーヒーを口に含んだだけなのに、名前を呼ばれただけでむせかえる始末だ。

(お前を狙ってる“ギフト“は、まだこの時間は現れないと思うぜ。)

「この時間は・・・、いや、現れるとしたらいつ頃になるんですか?」

(奴は、夕暮れから動き始める。具体的にはなぁ・・・。)

 メルの言葉が一句一句多いから要約するがこの“ギフト“の行動というと
一.夕暮れから深夜にかけてその“ギフト“は行動している。
二.ターゲットとなる獲物を見つけたら、マーキングをする。
三.獲物が熟したら、いよいよ捕食する。

(つまりだなぁ。今、桐谷はマーキング状態なんだよなぁ。)

「マーキングってそもそも、どんな状態なんだよ?」

 僕は、メルに問い出した。
先程からメルを視界に入れていない分、電話をしているような感覚なのだ。

(桐谷よ、願いを叶えたんだろ?そん代わりに呪いを受けたんだよなぁ。
お前が、大事に抱えこんでるぬいぐるみがそれだ。)

まるで野生動物にいそうなハンターのような狩りの狡猾さを感じる。
 しかし、なぜ一思いに食さない?柿のように美味しくなるのを待っているのか。
よくはわからないが、魂のようなものを熟すのを待っているのだろうか。

いや、待てよ・・・。熟すのを待つのだから・・・。

(おぉ!新人、気付いたかぁ?)

「え!え?どういうことですか?」桐谷は混乱してる。

 桐谷はまだ気付いていないようだ。いや、かえって好都合でもある。
まだ桐谷は右往左往と文字通りの行動している。

(じゃあ、必要なもんはわかってるよな?)

「あぁ・・・。けど本当に大丈夫なのか?」

 短く頷きを入れたが不安点も残る。だが時間はない。
夕暮れまで2時間といったところか。移動時間も考えるとギリギリだろう。

(そいつぁ、新人、お前次第だぜ?)

 それもそうか。覚悟を決め、僕は残りのアイスコーヒーを一気に飲み干した。

「桐谷さん‼︎今はとりあえず、何も聞かず、僕を信じてください!」
 と同時に、半ば強引にまだ混乱している桐谷の腕を引っ張り、足早にファストフードを後にした。

 それから僕達は、最寄りのホームセンターへと立ち寄り
敢えて桐谷を店の前で待たせ、僕とメルだけホームセンターの奥へと進み
必要なものを揃えた。少々痛い出費だが背に腹は変えられないだろう。
悪魔どころか熊のような猛獣すら戦った事なんてないんだ。
僕が出来るだけの事をするだけだ。


 時刻は夕暮れ時、僕たちはS第一緑ヶ丘公園に着いた。
6月といえど、湿気は先程よりは少なく肌寒さを感じ始める。
「えーっと・・・、垂くん?なぜこのような場所に?」
ワンルームの集合住宅が立ち並ぶこの公園は、団地マンションのように子供も多いわけではないので
他の公園より人気はない。

「はい、ここはこの時間になると大人も子供も少なくなります。」

僕は桐谷に背を向けたままリュックを降ろし、振り返らず準備をすすめる。

「あと、この位置ならあなたを見るとき西日を受ける事はないですからね。」

「え?」

 意外な回答に驚く桐谷を隙に取り、僕は全速力で彼の懐へと詰める。
同時に桐谷の喉元へと寸前にギラリと向けたのは、僕の精一杯の殺意と、
先程ホームセンターで買った「稲刈り用の鎌」である。

「ヒッ!・・・し、垂くん・・・、こ、コレは一体⁉︎。」

 懐まで飛び込んだ為か、桐谷の緊張を飲み込むゴクリという喉を通る音さえ聞こえる。

ーピリリッ。

 少し痺れるような電流が放出された感覚が走る。
畳み掛けるようにそれは悪寒へと変え、涼しさを通り越した寒気を感じさせた。

ブジュルジュル

 私生活では、まず耳にしない不気味な音。
何か粘度の強いものの中で蠢いているような音が聞こえる。

ブジュルジュル、ゴキ、ゴキ

 先程の音に混ざるよう、骨が軋むような回らないはずの関節を
無理くり動かすような音も響いてきた。

 それもそのはず。
桐谷の影から一本、また一本と腕が現れ始めた。腕と言っても人間のそれではない。
獣のような禍々しい腕である。それが留まることなく何本も現れ始めた。

「来たぜ!新人ッ‼︎」

 リュックからメルが勢いよく飛び出す。

「やっぱり来たか!」

 僕の憶測通りだった。すぐに桐谷の腕を掴み、ともにその異形なものから距離を取る。
桐谷の影から無数に重なる腕の塊、
その中から覗き込むようにギョロリと真紅な瞳をこちらへ睨みつけているのがわかる。

「なんだ?小僧が。寝起き一番に俺の獲物を横取りするとはいい度胸だな?」

 それは鳥のような限りなく黒に近い大きな翼を広げ、禍々しい威嚇を放っている。
背中には無数の腕を生やし一本一本が別の生き物のように蠢めき、
その全てがこちらを掴みかかろうとする様である。
太く頑強そうなその一本の足は、とてもホームセンターで買えるような鎌では傷すら与えられないだろう。
足の先に生やした鉤爪は、コンクリートを刳り取り、そいつの全体重を支えていた。
真紅に光る悪魔の目がギョロギョロとこちらを視界に捉え、
鋭く尖った嘴からはドロドロと大量のヨダレが地面に滴りながら、こちらへ咆哮を与えていた。
やはり寝起きだったようだ。まだ動きも覚醒しきってはいないのだろう。
悪魔でも人間味があって助かった。

「いい目覚めだろ?便箋小町だ!依頼人からのお届け物を配達に来た‼︎印鑑かサインよろしく‼︎」

 参ったな、就職して初めての現場が悪魔と対峙するとは思わなかった。
しおりを挟む

処理中です...