からっぽの空

藤 光一

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3.境界の彼方

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朱色に染まる草原。
その一つ一つの色を作り出したのは、一種の花。

彼岸花。

その花たちが作り出す草原に一本の大きな線が入る。

その線の正体は、大きな透明な川。
水流は速く、大人でも生身で渡るには困難であり、
深淵まで沈みそうな程の深い川である。

世界中どこを探しても無いくらい寂しく、どこか空しさを彷彿させる。
生前している現世の者が希に訪れてしまうと云う三途の川。

その川の中央部に、一つの舟が流れている。
不思議にもこの舟は、激しい川の流れに反発する事も押し出される事もなく、
悠々と浮かんでゆっくりと前へ進んでいた。
まるで、川が舟を避けるように舟自体は水流を物ともせず、

櫂一本のみで、舟は進んでいる。進航するこの舟には、乗組員は二人。
櫂を漕ぐ者と客間に座り込む者。何れも黒いコートを羽織り、顔は見えない。

「ミトは、もう向かったのか?」

座り込む者が重たい声色で発した。

「はい。既に死者となる者と接触し、監視に入っております。」

座り込む者とは相反し、透き通った女性の声だった。

「そうか。」

座り込む者は、見えない表情の下で軽く折り曲げた指を顎に当て、
少し考え込むような仕草を見せた。

「心配ですか?ミトに逝かせたのは。」

先程まで漕いでいた櫂を休ませ、余力で舟を進ませていた。

「あぁ、あの者も死神と言えど、未だ半人前なのだ。」
「卑しいお人。逝かせたのは、ひいらぎ様ではないですか。」

はぁ、とため息を洩らし、漕ぐ者は呆れた様子を見せた。

さん。そなたはどう思う?」

燦は、再び櫂を漕ぎ始める。
ただ前を見つめ、柊には語り掛けるが顔は柊には向けず、漕ぎ続ける。

「ミトは、私の子の様な者。信じて上げるのも親の勤めであります。」
「親・・・か。」

燦の発する言葉を深く受け止め、柊は懐からキセルとマッチを取り出す。

右手に持ち変えたマッチを舟の縁側に擦り付け、
ジュッ、と音を奏でた刹那には小さな灯火がマッチに装飾された。
その火をキセルに放り込む仕草を行う途中。

「柊様、ここは禁煙でございます故。」

と、制裁が下る。

「失敬。近頃、煙を呑む処も狭くなったものだ。」

柊はやむを得ず、灯したマッチを振った。灯した火は消え、代わりに煙の残り香が漂う。

「時に燦よ。何故、あのような者を子として引き取ったのだ?
親の肩代わりなど、そなたらしくもない。」

キセルをクルリと返し、指揮のように燦へ向けながら尋ねた。
「何故」の言葉に反応したのか、櫂を動かしていた腕は止まっていた。
瞬間、時が止まった感覚が走った後に下から掬い上げるような風が舞い、
燦の顔を覆っていたフードが捲れ上がった。

捲れ上がったフードからは、長く美しい銀色の髪が華のようになびく。
まるで雪結晶を彷彿させるその色は、彼岸花の草原を背景としているためか
より一層、幻想的な美しさであった。

先程から奏でていた透き通った声の主は、やはり女性だった。

前を見つめていた燦は、ゆっくりと柊へと顔を向け、淡い紅を施した唇がふわりと動く。

「そうせずには、居られなかった。では駄目でしょうか。」

先に通り過ぎた風とは違い、緩やかな冷たい風が燦の銀色の長く伸びた髪をなびかせる。
彼岸花たちも、なびく風に煽られ花弁が重なる音を奏でていた。

「左様か。」

柊はキセルを懐に戻し、寒さを凌ぐように腕を組んだ。

「やはり、秋は苦手だ。どうも侘しさが募る。
早く舎に戻るとしよう。」

それを聞いた燦は、頷き再び櫂を動かし始めた。
懸河の如く流れる三途の川を上に舟は前へと進んでいく。






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