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35 自覚

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 テオドールはふわふわとした気持ちのまま、フェリチアーノと共に会場入りした。
 その瞬間騒めきがピタリと止み、皆が食い入るようにこちらを見ている事が解る。そう言えば初めてフェリチアーノに会った夜会で初めて二人で会場入りした時も似たような感じだったなと思い出したテオドールは、フェリチアーノは今のこの状況は大丈夫なのだろうかと様子を窺う。
 しかしそこにはスッと背を伸ばし、瞳をハッキリと前に向けたフェリチアーノの姿があった。添えられている手からもあの時の様な震えを感じられはしない。
 その事に安堵したテオドールはふっと表情を緩ませる。その表情には溢れんばかりの慈愛の色が見え、フェリチアーノの事を心底愛おしいのだと如実に語っていた。

 そんな様子を見ていた人々は、感嘆の声を漏らしたり落胆の溜息を吐いたりと様々な反応を見せていたが、その中でマティアスだけは遠くからこの状況を一等苛立たし気に眺めていたのだ。

 ミネルヴァ達の待つ天幕の下ではピタリとテオドールに寄り添い、笑みを浮かべ合いながら楽しそうに喋るフェリチアーノが居る。
 先程まで見ていたフェリチアーノとは明らかに雰囲気が変わっており、何故かそこだけが煌びやかに光って見える。
 よく見れば王子であるテオドールと並んでも見劣りしない出で立ちで、いつもマティアスが見下し嘲笑っていた存在とはとても同一人物には見えない程だった。

 自分の目がおかしくなったのかと思う程に輝くフェリチアーノを見ている事に耐え切れなくなったマティアスはそのまま一人会場を後にした。
 何故だかわからないが無性に腹立たしい衝動に駆られ、自分が矮小な人間に思えて来る。金を産むためだけの存在に、何故これ程までに感情を乱されなければならないのか。
 今まで感じた事のない感情を人は劣等感と呼ぶのだが、生まれてこの方それを感じた事が無いマティアスは理解する事が出来ないその感情を持て余す事になる。



「本当に仲が良いのね? こちらまで胸がいっぱいになるわ」

 いつもよりピタリとくっつき、熱がこもった視線を向けて来るテオドールの様子に多少の困惑はしたものの悪い気はせず、むしろ何故だか嬉しいとまでフェリチアーノは感じていた。
 一方でテオドールはこれまでとは違い、フェリチアーノの一挙手一投足が気になり目で追ってしまい、耳もいつもよりフェリチアーノの声をその小さな息遣いまでをも捉えようとしているかの如く鮮明に聞こえると言う状況に陥っていた。
 いつもと同じ筈なのに、口付けひとつでこうも見方が変わってしまうのかと最初は戸惑いはしたが、テオドールはこの気持ちが何なのかをこの時既に理解していた。
 それは昔別の国に嫁いだ姉が読み聞かせてくれた恋愛小説にあった感情の描写と同じだったからだ。

――あぁこれが恋だ。

 ストンと落ちて来た感情を表す言葉に、溢れる程の喜びが駆け巡る。
 ずっと求めてやまなかった物をついにテオドールはこの時やっと手に入れたのだった。

 口付けは些細なきっかけに過ぎず、思い返せば小さな芽は自覚していなかっただけでテオドールの心の中で確かに芽吹いていたのだとその時に思い至る。
 今やフェリチアーノを愛おしいのだと、恋しいのだと募る思いが溢れて仕方がなかった。

 早くこの茶会を離れ、フェリチアーノと二人きりになりたい衝動にテオドールは駆られていたが、来たばかりで碌に会話をせずに辞する事は憚られる為それを必死で抑え込む。けれどもそわそわとした気持ちはどうしたって静まりはしなかった。

 二人の甘ったるい空気にミネルヴァ達は大層満足げにしていたが、マティアスが挨拶もせずに会場から出ていったと侍女から報告を受けたミネルヴァの機嫌は一気に下がった。

「貴方のお兄様は本当に礼儀がなっていないのね、フェリチアーノ」
「申し訳ございません」
「まぁいいわ。殿下、今日お呼びしたのは友人であるフェリチアーノへのサプライズもありましたけれど、もう一つ大事な事をお教えしようと思ってお呼びしたんですのよ」

 目を嫌そうに細め閉じた扇子を口元に充てていたミネルヴァは、その扇子を残ったデュシャン家の面々へと指示した。

「彼の御家族達は噂通りの人達なのですよ殿下。それに最近は殿下との事がありますから更に拍車が掛かっているとか……そうよね?」

 そう問われたフェリチアーノは苦笑しながらもミネルヴァに頷き返す。

「近づかれると大変ですから、ここから彼等を観察する事をお勧めいたしますわ」

 それから彼女達はテオドールにデュシャン家の過去から現在までの噂や事件を面白おかしく話し、如何にフェリチアーノが家を支えて来たのかを熱心に話す。
 テオドールはそれらの話を聞きながら、目線の先に居るデュシャン家の面々を見ていた。
 ギラついた下品な格好をし、大きな声を出し、マナーも何もあったものでは無かった。フェリチアーノから最初に聞いていたよりも実際に目にする彼等は酷いと言う言葉を通り越している様にテオドールは思う。

 すぐ隣で少しばかり悲しそうに微笑むフェリチアーノとは似ても似つかず、本当に家族なのかと疑いたくなるほどだった。
 この華奢な体で一体どれ程重さを背負ってきたのだろうか。家族に愛され育って来たテオドールには想像がつかない。
 以前に思った時とは格段に変わった感情でテオドールは、やはりフェリチアーノを家族の事を忘れる事が出来る様に甘やかし、そしてあの家族から守ろうと決意するのだった。
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