神の箱庭

兵藤ちはや

文字の大きさ
5 / 7

しおりを挟む
人が互いを思い合い、傷つきながらも貫き通すその姿を何よりも美しいと思った。

 その鮮やかな笑顔を。

 その深い悲しみも。

 それを理解したくて望まれるまま手を取り、あの人の願いを叶えたのに。











【5】











 メイアに手を繋がれながら真っ直ぐに延びる臙脂の絨毯の上を歩いていく。黙したまま歩くメイアをちらりと見上げれば、毅然と前を見据えて進むその表情には確かな怒りが見て取れた。



「ママ?」



 何をそんなに怒っているの?

 あの男の人は誰?

 浮かんだ疑問は多少の躊躇いの後に呑み込もうとした時。



「…アシュリー様、あんな人のことは…いえ、失礼しました。…アシュリー様はこの邸で住みたいですか?」



「…ここ、私の家なの?」



「本来であれば……エヴェリン様がご存命であれば、アシュリー様はこのアインホルン公爵家の公女なのです…」



 険しい表情からいつもの微笑みを浮かべたメイアの声が、ひと言毎に沈んでいくかのようだった。



 ───私は、この家の娘だったのね。



 それはアシュリーの中であまりにも現実離れした夢物語に聞こえた。物心ついた頃から古いあの邸がアシュリーの世界だった。アメリは邸の外へ出ることを禁止し、いつも優しい面には怯えすら窺えていたように思う。親だと思い込み慕っていた彼女を悲しませたくなくて、漠然と独りで外へ出ようと思ったことはない。

 今から思えば、あの男──この家の主──に見つからないように気を配っていたのだろう。

 動いたことのない心が、僅かな痛みを感じた。

 この国の身分制度は理解していたから、亡き母が貴族だったという話はアメリがよく話していたからわかっていたけれど。

 所詮、あの襤褸邸が自分の身分なのだろう。



「…ねぇ、ママ。わたくしが大きくなったらこの邸を出ていきましょう?二人で働けば生きていけると思うのだけど…?ママは平民になるのは嫌?」



 ゆっくりと歩を進めながら、アシュリーは小さく問いかけた。

 繋がれた手が僅かに震え、メイアは悲しそうに目を細めた後柔らかく笑う。



「アシュリー様とご一緒でしたら嫌なわけがございません。いつまでもこの生活をしていくわけにはいかないので、その時には喫茶店を開くのもいいと思いませんか?」



「素敵ね。それなら、お茶やお菓子の本も借りましょう」



「そうですね」



 ああ、楽しくなってきた。

 ただ無駄に目的もなく邸が倒壊するまで行動制限されながら貴族でいるなら、いっそ誰の目も気にせず彼女とお店ができる平民になった方が何倍も魅力的だ。

 こんな贅沢な夢を持つことできるなんて。

 優しく抱きしめてくれるメイアを抱き返しながら、初めて作り笑顔以外の笑みを浮かべる。彼女には自分を育てるためにさせた苦労以上に楽をさせてあげかったのだから。



















 アシュリーは物心つく前から長い長い夢を見続けていた。

 まだ感情や自我も目覚めるずっと前から。

 それか何なのか考えるようになったのは、3歳頃からだった。鮮やかだったり、モノクロだったり色は様々だったが、髪をなびかせる風の冷たさも、その匂いもただのそれとは思えないほどの臨場感だった。

 そこは争いの絶えない血生臭い地だった。

 この地の王は好戦的で近隣の国へ繰り返し侵略を繰り返していたが、数十年後に平民の反乱で王は討たれたという背景を、何故か理解出ていた。

 常にどこかしら煙が上がり、焦げ臭い悪臭が満ちている。崩れた瓦礫、荒れ果てた街並み。その隙間もないほど夥しい遺体に埋め尽くされているのを、俯瞰から眺めながら身を震わせた。



 胸が痛い。

 なぜ人は争うのか。

 ここは何百年物間、緑豊かな穏やかな土地だったのに。



 ほろほろと伝い落ちる涙をそのままに、アシュリーは茫然と地獄絵図を見つめる。

 どうしていいのかわからない。「どうして」、「助けたい」という思いはあっても、体が竦んでどうしても動かなかった。奥底からくる震えから膝から崩れ落ち、血だまりの中膝をつく。



『──────様、穢れが…』



 背後から深みのある低い声が、静かにかかる。

 その人を知っている。知ってはいるが、名前が出てこなかった。そして呼ばれた名前もはっきりとは聞こえず───。





 叫びたいのに声が出ない、吸い込んだ息がひゅっと音を鳴らした衝撃にはっと目が覚める。

 そんな夢を、数えきれないほど繰り返し見た。

 その中で自分が何者なのか、その世界はどこなのか、夢の中では解っているのに目覚めと共に砂が零れ散るように思い出すことはなかった。

 ただ、引き絞られるような心の痛みと喪失感に涙が頬を伝う。

 そんな感情など、今の生活では感じたことなど一度もないのに。



 ───本能からか、この話をメイアに語ったことは一度もない。

 命を賭して産んでくれた母へ、若く尊い時間を自分を育てるために費やしてくれた彼女へ、あまりにも罪深くて口にはできなくて。



 この世界を愛する価値はない、その憎悪を。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

行き場を失った恋の終わらせ方

当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」  自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。  避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。    しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……  恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。 ※他のサイトにも重複投稿しています。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

いまさら謝罪など

あかね
ファンタジー
殿下。謝罪したところでもう遅いのです。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
【3月中――完結!】 積み上がった伏線の回収目前!! 夫にも子どもにも、私は選ばれなかった。 長年の裏切りを抱え、離縁状を置いて家を出た――。 待っていたのは、凍てつく絶望。 けれど同時に、それは残酷な運命の扉が開く瞬間でもあった。 「夫は愛人と生きればいい。  今さら縋られても、裏切ったあなたを許す力など残っていない」 それでも私は誓う―― 「子どもたちの心だけは、必ず取り戻す」 歪で、完全な幸福――それとも、破滅。 “石”に翻弄された者たちの、狂おしい物語。

思いを込めてあなたに贈る

あんど もあ
ファンタジー
ファナの母が亡くなった二ヶ月後に、父は新しい妻とその妻との間に生まれた赤ん坊を家に連れて来た。義母は、お前はもうこの家の後継者では無いと母から受け継いだ家宝のネックレスを奪うが、そのネックレスは……。

処理中です...