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異常現象

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 魔術師としての食いつなぎ生活が始まってから約半年が過ぎた。今は冬の中期であり、レインはこの月におそらく9歳の誕生日を迎えていた。

「もう、お祝いもしてくれないんだから……って、グレンさん誕生日知らないか」

 レイン自身も誕生日を知らなく、たぶんそうであると思っただけなのでお祝いの言葉を求めているわけではない。

 今のレインは生活が安定し、生活水準もそれなりのものとなってきていた。初めのころ、レインは民間のお手伝いのような……魔術なんて関係ないような簡単な依頼をこなして生きていた。休みの日にグレンに呼び出され、長い長い道のりを走って研究を補助した。

 毎日の日課としての朝の走り込みも忘れずに行っているからか、猫としての体力がとてつもないほど上がった気がする。心なしかちょっとだけマッチョにもなったような気がする。

 そして、レインの魔力体の性能と偽装度はこの半年でかなり上昇し安定してきた。

 まず、レインの魔力体を猫としての体の身体能力をそのまま反映するように変更し、更に今までは魔力体の身体の中に猫であるレインの本体を隠すことで人間となっていたのだが、これでは身体に一部ではあるが当たり判定が生まれてしまう。それを失くすために体に生まれる影すらもレインの魔力で生み出すことで、その中に身体を埋め込むことで完全に当たり判定を失くすことに成功した。

 つまり、レインは魔力体をたとえ高火力で吹き飛ばされたとしても、即死級の魔術で粉微塵にされても生き残ることが出来るようになったのだ。これは、自分自身で見つけ出したものであり、グレンには一切そのことを話してはいない。

 それ以外にも、必要となってきた水の魔術はその都度に覚えていくことで魔術界からは「よく働いてくれる」と評価されている。

 そのおかげもあってか、レインはわずか半年で中級魔術師に昇格していた。半年での昇格はかなりの速度であり、出世の道を歩んでいると言える。

「なのに、お金はちょっと足りないんだけどね」

 安定はしてきたものの、魔術師の本分たる研究をするほどのお金の余裕はなかった。上級魔術師に昇格するための条件として研究論文を魔術界に提出するというものがあるのだが……これはまだまだ先のことになりそうだ。

「ロザリー、紅茶を」

「はい、坊ちゃま」

「……坊ちゃま?」

「はい!最近読んだ小説の中に坊ちゃまに仕えるメイドのお話があったんですが、それがとても泣けたので私も真似しようかと!」

「ほどほどにね」

 宿で寝泊まりしている魔術師なんて僕しかいないのではないか、と嘆くことはない。少なくともロザリーがここ半年親身に付き合ってくれているおかげで寂しくなることはない。

 お金は貰っていますので、と言っているのだがおそらくそれだけではなく心配して一緒に付き合ってくれているのだと心の中では気づいていたので感謝を伝えておく。恥ずかしいから心の中でだけど……。

「あ、そういえば先ほど魔術界から何やら手紙が届いておりました」

「手紙?」

「はい、何やらわからないのですけど、厳重に魔術で封じられていたので、私じゃ開けられませんでした」

 渡された封筒をよく見えると、何やら魔術陣が刻まれている。

「これは……上級魔術だ」

 中級魔術師には扱えないほど高レベルの魔術である。

「僕を試しているのか?」

 疑問に思いつつ、僕はゆっくりと魔力を流していく。刻まれている魔術の穴を探し、カギを一つ一つ解除していく。ダミーの魔術陣が刻まれており、少々解除するのに苦戦しつつもレインは問題なくその封筒を開くことに成功した。

「ここまで厳重に封をしているなんて……どれどれ」

 中を開く。

 そこに書かれていたのは端的な文字であった。

「『至急魔術界マデ戻ラレタシ』」

「帰還命令でしょうか?」

「わからない、けど急いで行く必要がありそうだ」

「あ、私もついていきます?」

「悪いんだけど、今回もロザリーはお留守番だ。ごめんね、すぐに帰ってくるから」

「分かりました、お土産待ってます!」

 満面の笑みでそういうロザリーに手を振りながら、レインは部屋を後にした。


 ♦


 魔術界についたレインは受付にまず近づく。手に持っている封筒を見せて、事情を聞こうと思っていたのだが、それよりも先に受付から声をかけられた。

「レイン様!お待ちしておりました、こちらへお越しください」

「は?え、ちょっと!」

 無理やり腕を引っ張られて受付の人に裏へと連れていかれる。何かやらかしてしまったのだろうか?今まで任務も依頼も達成率は100パーを維持してきたつもりではあったが、とんでもないことをやらかしてしまったのだろうか?

 部屋の中へと案内されると、そこには見覚えのない人たちが何人もいた。魔術師のローブを羽織っており、階級は見えないが風格が明らかに違う。おそらく上級魔術師の一団であろう。

「レイン様を連れてきました」

「ありがとう」

 受付にそう返したのは女の人であった。短髪の髪はろくに整えられておらずボサボサで、緑色の瞳はレインを見定めるかのようにこちらへとむけられていた。

「君が、レイン君?」

「はい、そうですが……あなたはどちら様でしょうか」

「失礼した、私はヴァージ……上級魔術師に認定されている」

 予想は正しくヴァージと名乗った女性は「ふむ……」と何やら考え事をしている様子。

「可哀そうに」

「え?」

 いきなりの言葉に訳も分からず疑問符を浮かべていると、パチンと隣にいた男が手を叩いた。

「はいはい、暗い話はしないの。ここからは仕事の話をするよ」

 軽い口調で話すその男は茶髪の茶目で温和そうな印象を受ける。この男もそこらにいる魔術師とは風格が異なっているようにレインには見えた……いや、この部屋にいる全員……レインを覗いた四名は上級魔術師なのだろう。

「そうだね、オリバー。レイン君、仕事の話を始めようか」

「はい」

 仕事と聞いてなんとなく集められた理由が窺えた。何かしら、緊急事案が発生したため、手の空いている人員をここに集めたのだろう。

「いきなりで悪いけど、レイン君には私たちの任務に参加してもらうことになった。これは『魔術界からの指令』であり、拒否権は君にはない」

「承知しております」

 ヴァージはテーブルを囲うように立っている四人の近くまで来るよう促し、レインの心の準備が整っていると判断してから喋り始めた。

「ここ最近、とある事件が国中で発生している」

「事件?」

「それは、おそらく魔術的な要因であり、今までにない類のものだ。先月に発生した事案なのだが、ここから30キロ離れた隣町にて『通常ではありえない椅子』が出現したと報告を受けた」

「い、椅子ですか?」

「ただの椅子と侮ってはいけない。それは座った人を24時間以内に死に至らしめるほどの強力な呪いがかかっているものだった」

「っ!」

 魔術とは少しかけ離れてはいるものの、この世界には呪術というものが存在する。それは一般的に考えると『物』に付与することはできないはずなのだが……。

「椅子にかかっている強力な呪術は上級魔術師にも解呪できず、呪術師を呼んだのだが、こちらも同様の結果であった。故に、この椅子は魔術界で厳重に保管する運びとなった」

 てことは、その椅子はもう解決したのか?

「二週間前にはここから20キロ離れた町で特定の床を踏んだものに幻覚を見せるものが発生した」

「今度は床?」

「その床は踏んだ人間に異常性を付与し、その人を狂暴化させる能力を持っていた。そして……踏んだ人間が歩いた床にも、同様の効果を持った床が出現しだした」

 踏んだ人間が歩いた場所を基準に効果範囲が広がっている?

「魔術界はこれにすぐさま対処するため、魔術師をよこしたのだが、その時にはすでに十数名の民間人が狂暴化しており、鎮圧化のため止む追えず殺害」

「……………」

「そして、派遣された初級魔術師一名が死亡する事故となった」

「椅子と、床の関連性は?」

「話は最後まで聞いて。そして、一週間前とある村で1キロ圏内にいるすべての生物を一定時間おきに転移させる空間の出現を魔術界が発見した。これにも魔術師が数名派遣されたが消息を絶ってしまった……通信魔術は向こう側につながったのだが、つながった魔術師は最後まで『何か』に怯えている様子だったそうだ」

 関連性はないように思えるが、異常現象がここ最近で頻発していると……しかも魔術的なものである。

「魔術的でありながら、あまりにも荒唐無稽な効果……魔術界はこれを自然現象における異常現象としてとらえ、『私たち』に調査するように依頼したというのが今回のことの運びだよ」

「ってことはその中に僕も入っているんですね」

「そうだ、可哀そうにって言ったのはそういう意味だ」

「?」

「まだ言ってなかったな。つい先日、この街でも同様の異常現象が発見された。一軒の封鎖された建物の中に『何か』が出たらしい。調査に向かった中級魔術師三名と上級魔術師一名がその建物の中で死亡したとみられている」

「な!?」

 上級魔術師が一人死亡した?特級魔術師一歩手前のエリートたちだぞ?知識と経験を豊富に得ているため、そう簡単に死ぬような人たちではないはずだ。

「今日はその建物の中に私たちが入る。いわば我々は『調査隊』だ。君は……見たところ、まだ十歳前後だろう?こんな危険な任務に駆り出されるなんて……可哀そうに」

「……僕のことはお気になさらず」

 これは……おそらく僕は捨て駒的な役割なのかな。上級魔術師たちを何人も犠牲にさせるわけにはいかないから、それなりに役立つ中級魔術師の僕で代用させようというわけか。

 魔術界は思っていたよりも黒い社会のようだ。

「すまない、これは命令であり君に拒否権はない……悪いが、今から我々に同行して任務を遂行してもらう」

「分かりました。命令というのであればしょうがありません。パパっと解決してしまいましょう」

 ヴァージは驚いたような顔をしてから苦笑いを浮かべる。

「はは、頼もしいな……じゃあ行こうか」
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