星の海で遊ばせて

nomaz

文字の大きさ
7 / 43
1章 星の海で遊ばせて

恋色リトマス紙(3)

しおりを挟む
 そうしてそこに、意外な人物が立っていたので、息を呑んだ。多田紗枝である。同じ班であるため、詩乃も、紗枝のことは他の生徒よりは多少は知っていた。家が道場で、腕っぷしが強い。バトルコックとか、戦闘系料理部とか、男子からそう呼ばれたりしている。そして何より、自分のことを嫌っている。そんな女子がこんな人気のない所で声をかけてくる理由は、恐ろしいこと以外、全く浮かばなかった。

「水上、どこ行くの?」

 にこっと笑顔を振りまいて、紗枝は詩乃に質問した。

 詩乃は身の危険を感じながら、答えた。

「部室、だけど」

「水上、何部なの?」

「ぶ、文芸部、だけど」

「へぇ。じゃあ、小説とか書いたりするの?」

「……まぁ、書くけど」

 よし、と紗枝は心の中でガッツポーズを決めた。まずは立ち止まらせて、無理やりにでもターゲットを会話に引きずり込む。一対一なら、いくらなんでも、水上とはいえ、応じるしかあるまい。

「林間学校でさ、カレー作りの時の事、覚えてる?」

「まぁ……」

「柚子の火傷」

「ちょっと大袈裟すぎたね」

「いやいや、あれはポイント高いよ」

「ポイントねぇ……」

「柚子のこと助けてくれてありがとね」

「え……」

「やっぱ、それはちょっとね、友達として言わなきゃなって思ってたんだ。あの時の水上、ちょっと格好良かった」

「いいよ、気使わなくて」

 詩乃が照れ隠しに俯くのを、紗枝は見逃さなかった。再び、計画通りというガッツポーズを心の中で決める。男子は、とにかく褒める。褒めれば誰だって悪い気はしない。柚子には必要のない恋愛テクだろうが、私のようなパンピー女子にとっては必修科目だ。

「嘘じゃないよ。でも、水上って、すぐどっか行っちゃうでしょ? 皆でいるの苦手?」

「まぁ……」

「こうやって、二人で話すのは」

「まぁ、それなら……」

 柱の後ろで二人のやり取りを聞いていた柚子は、そこで、焦りのようなものを感じた。詩乃の言葉の続きが気になってしまう。『それなら』何だというのだろうか。夜食の思い出が、柚子の脳裏によみがえる。あの時も二人だった。暗い森の中に二人きり。あの思い出が、薄れていくような不安に駆られる。

「水上さ、実は、彼女とかいるの?」

「え? なんでそんなこと……」

 にやっと笑う紗枝。その質問はちょっと、とさらに焦る柚子。柚子は、自分でも一体何を焦っているのか、よくわからなかった。

「だってほら、気になるじゃん」

「どうでもいいでしょ」

「じゃあさ、好きな子とかいないの?」

 どくん、と柚子の胸が高鳴る。雨の音が、急に小さくなった。

「知ってどうするの」

「どうもしないけど」

 あ、これは急ぎすぎたな、と紗枝は悟った。本当はここで、俺に気があるのかと思わせて、さらに浮かれさせようと思ったのだが、水上には逆効果だったようだ。なぜだが、不機嫌そうである。不機嫌というより、声音も目も冷たさを増している。

「じゃあ何か、あだ名とかある?」

 詩乃は眉間にしわを寄せる。これだから女の子との会話は嫌いなんだと詩乃は思う。話の要点も、目的も、全然わからない。伏線を乱発した挙句、どれ一つ回収せずに終わるミステリーのようだと、詩乃はこの手の会話を聞いているといつもそう感じるのだった。

「ないけど」

「じゃあ、私が作ってあげよっか」

「別に――」

「ミーナは?」

「ふぇ?」

 間の抜けた声を出す詩乃。柚子は、しかし、その声そのものの面白さを感じる余裕は全くなかった。あだ名って何? そんな声、私初めて聞いたんだけど? なんでそんな私の知らないところを、紗枝ちゃんにはさらっと見せてるの! 柚子は、シャツの裾をぎゅっと掴む。

「水上だから、ミーナ。どう?」

 詩乃は、皆の前で〈ミーナ〉と声をかけられる自分を想像した。すぐに、最悪だと思った。女の子っぽいからミーナ。華奢だからミーナ。どっちにしても、それを呼ばれた後は、いたるところでケラケラと、笑いものにされている映像しか思い浮かべることができない。他人にどう思われようと構わないが、そうは言っても、人の醜い感情に晒されるのは、嫌な気分になる。とはいえ、もうすでにこの女子は自分をからかおうとしているようだから、手遅れだろう。やっぱり多田さんは、自分のことが嫌いなんだ。

 もう、勝手にしてくれと詩乃は思った。

「……呼びたきゃ、勝手に呼べばいいよ」

 ひょおおっと、紗枝は急に、真冬の風に煽られたような気がした。冷たい声と、乾いた眼差し。紗枝は、自分の本質的な醜さを指摘されたような気がして、思わず呼吸を止めてしまった。

「う、嘘嘘、呼ばないよ。あだ名は、嫌いなんだね、ははは……」

 何とかフォローする紗枝。なんでこんなに不機嫌になるの、と驚いてもいた。柚子の気持ちを確かめるための実験で、自分が言い出したことではあるが、なんで水上に、こんな気を使わなきゃならないのよと、遅れてそんな不満を覚える。

「――でもちょっとね、水上と、話してみよっかなって思って」

 完全な作り笑顔を浮かべる紗枝。それを、疑惑の目で見つめる詩乃。

「ほら、私って、知ってると思うけど、暴力系じゃない?」

「暴力系?」

 詩乃は突然紗枝の口から飛び出してきた言葉を繰り返し、思わず、くすくすと笑ってしまった。女子高生をタイプ分けするという発想はわかるが、それに暴力系というグループがあるとは知らなかった。

「だから、誤解されちゃうこと多いんだよね」

「あぁ、そうなんだ」

 あれ、と紗枝は思った。急に水上の緊張というか、敵対心のようなものが綻んだような気がする。少し笑ってるし。

「多田さんも、大変だね」

 そんな労いの言葉を、詩乃は自然と口にする。突然励まされて、紗枝は、この男子は本当に、やっぱり全然わからないなと思った。そして、思っていたより、嫌な奴ではないかもしれないとも感じるのだった。

「――皆で話すのは苦手だけど、こういう感じだったら、話せるよ」

「なんか、水上の事、私ちょっと、誤解してたかも」

 そう言う紗枝に、詩乃は微かな笑みを浮かべて言った。

「いいよ、誤解してても。打ち解けようとしない自分のせいだから」

 詩乃はそう言うと、会話を一方的に終えて、CL棟に入っていった。やっぱり変わった男子だなぁと、紗枝はその背中がCL棟の玄関口から消えるのを眺めていた。詩乃の気配が消えると、柱の陰から柚子が出てきた。

「さて、それで、柚子、何か――」

 気持ちの変化はあった? と聞こうとした紗枝だったが、言葉を言い終える前に柚子に正面から抱きつかれ、驚いてしまった。

「何、どうしたの!?」

「紗枝ちゃん……」

「う、うん? どうした?」

 紗枝は柚子を抱きとめ、ぽんぽんと背中を、あやす様に叩いた。雨で寒かったのだろうか。シャツにも髪の毛にも雨粒が付いている。

「――ら、ないで」

「え?」

 小さな柚子の声。

 紗枝が聞き返すと、柚子は顔を持ち上げて、下からすくう様に紗枝を見つめていった。

「水上君、取らないで!」

「ええぇ!?」

 予想外の反応に驚愕する紗枝。これは何かの冗談だろうかと、思わずあたりをきょろきょろしてしまう。

「なんであだ名とか付けるの! ずるい!」

「ちょ、ちょっと柚子!?」

「笑わせたりするの!」

「えー……」

 紗枝は、こんな柚子を見るのは初めてだった。我が儘とは縁遠い、駄々をこねないことで有名な思いやり女子である新見柚子。そんな柚子が……。

 柚子の反応と、そこから導き出される結論を認めたくない心情によって、紗枝の思考はフリーズしてしまう。紗枝は、詩乃との会話の後、あっけらかんと出てくる柚子を想定していた。『ね、水上君って面白いでしょ、紗枝ちゃんも友達になってみなよ』とか、そんなことを言うはずだろうと思っていた。

 ところがこれは――。

「マジ、で……?」

 柚子の頭を撫でつけながら、紗枝は大きく息を吸い込んだ。





 ギュ、ギュ、ギュ、シャッ。

 ギュ、ギュ、ギュ、シャッ。

 印刷機がA4用紙に文字を刷り、排出する音が部屋に響く。十ページ、約一万文字の短編。題材は〈猫〉。たった十枚が印刷されるのが待ち遠しく、詩乃はホッチキスを片手に印刷機の前でうろうろしながら、印刷が終わるのを待っていた。

 やっと印刷が終わると、詩乃はすぐに、ミスプリントがないかをざっと確認し、十枚をまとめた。パチンと、用紙の右上の角にホッチキスを打つ。この瞬間の達成感は、ランナーがゴールテープを切った時のそれと等しい。

 柚子が文芸部部室の扉を叩いたのは、ちょうど詩乃が、達成感を一人堪能している時だった。入っていいですか、という声。詩乃は、その主がすぐに柚子だとわかった。

「どうぞ」

 いつもより大きい声だなぁと思いながら、柚子は扉を開けて部屋に入った。

「いやぁ、雨だねぇ」

 開口一番露骨な話題作りをする柚子に、詩乃は不意を突かれて小さく笑った。部室にまでやってきてそれは無理があるだろうと思ったのだ。とはいえ、柚子がここに来る理由が、詩乃にはまだ全くわからない。単に面白がっているだけ、というのが、今のところ詩乃の中では最も信憑性の高い説だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

処理中です...