星の海で遊ばせて

nomaz

文字の大きさ
17 / 43
1章 星の海で遊ばせて

ためらう風鳥(7)

しおりを挟む
 詩乃の鈍い反応に、柚子は違和感を覚えた。照れ隠しとは微妙に違う表情と沈黙。

 招き猫に手を合わせて、本殿の階段横にちんまり佇む石の猫像のペア――〈石なで猫〉のつるつるした頭を二人で撫でる。

 猫をなでながら柚子が訊ねた。

「人込み、苦手だった……?」

 柚子にそう聞かれて、詩乃は、やっぱり自分は、ダメだなと思った。好きな子を気遣わせてしまっている。自分はなんて幼稚なのだろう。拗ねて周りの気を引こうとする子供そのものじゃないか。

「いや、大丈夫だよ」

 無理やり笑顔を作って、詩乃は答えた。

 慣れない作り笑いと、作り声。

 詩乃は〈石なで猫〉から離れてちょっとした空間に移動する。柚子は後ろからついて歩いてゆき、詩乃の背中を、軽く両手で叩いた。

「わっ!」

 突然背中を触られて、詩乃は驚いて振り返った。

「驚いた?」

「な、何?」

 急にどうしたのかと、詩乃は動揺する。触られた背中が妙に熱い。

「水上君の背中、広いなぁと思って」

「広い?」

「うん」

 はぁあっと、詩乃はため息をつく。詩乃は、自分が華奢な体格をしているのをよく自覚していた。背は低くないが、運動部に比べれば、体のどのパーツも、細くて小さい。

「初めて言われたよ」

「ホント? 広いよ、ちょっと負んぶしてもらいたいもん」

 思わず、詩乃は頬を緩めた。

「潰れちゃうよ」

「ちょっ! 水上君、それ失礼だよ!?」

「あ、いや、そうじゃなくて……力弱いから」

「ううん、いいの、実際私、重いから……」

「そうは見えないけど……」

 柚子の体形は、出るところはしっかり女性らしいが、手足も長く、腰も細い。マイケルジャクソンの男装がバッチリ決まるくらいだ。仮に体重が多少あったとしても、それが一体何だというのだろうか。

「いやいや、持ったら吃驚するよ。持ってみる?」

「そんな、物みたいに」

 詩乃が言うと、柚子は笑った。この、なんでもないやり取りが、柚子には楽しくて仕方が無かった。しかしふとした瞬間、詩乃の言葉や瞳が冷たくなるので、会話がはずめば弾むほど、冷たさから離れれば離れるほど、その冷たさの正体がわからないことへの不安が増していく。このまま、何でもない会話を続けることもできるけど、でも、それは嫌だなと柚子は思った。

「本当は今日、水上君、来てくれないと思ってたんだよ?」

 柚子は、詩乃にそう言った。

「え?」

 思わず詩乃は聞き返した。

 柚子は詩乃の目を見つめる。

「体育祭の後、水上君、私の事避けてたでしょ……?」

 詩乃は息を呑んだ。

 確かにそうだったが、まさかそのことを、柚子から指摘されるとは思っていなかった。自分の行動なんて、いちいち新見さんが気にしているわけがない、そう思っていた。

 詩乃は、素直に認めるのも、嘘をつくのも、どちらもしたくなかった。いっそ、この恋心も全部さらけ出してしまおうかな、とも思った。しかしそれは、詩乃にはしたくない賭けだった。

 柚子に自分の「好き」を知られること。自分が柚子のことを「好き」と認めること。それは、今となってはそこまで苦痛ではない。振られることさえ、詩乃にとっては大きな問題ではなかった。

 両思いだなんて、到底思っていない。この関係も蓋を開ければきっと、中に入っているのは優しさや同情で、新見さんの恋心は見つからないだろう。そのことはもう、受け入れている。

 それならいっそ、蓋は開けないままにしておきたい。新見さんは美しいままで、この思い出の中にとどめておきたい――詩乃はそう思っていた。自分をその気にさせて楽しんで遊んでいるような女の子とは、思いたくない。実際はそうなのかもしれないが、せめてもの救いが欲しいのだ。

 詩乃は答えが見つからず、黙ってしまった。

 それに対して柚子は、恨み言の一つくらいは言わせてよと思った。

 そして、言い訳もさせてほしかった。

 男の子と踊っていた。それを見た水上君に嫌な思いをさせてしまった。紗枝ちゃんは水上君が悪いと言うけれど、どっちが悪いとか良いとか、そんなことは関係ない。嫌な思いをしたことを、ちょっとくらい水上君も、私に言ってほしい。私に少しは気持ちがあるなら、皮肉の一つでも伝えてほしい。

「――あの時は、たくさん短編が書けたよ」

 苦し紛れに、詩乃が言った。気づかせるつもりのない詩乃なりの皮肉だった。

 はぐらかされたと思って、柚子は俯いた。

「ちょうど短編の懸賞があって、一つ、出してみようかと、思ってる」

「……」

 柚子は、どう反応して良いかわからなかった。

 水上君は、何を思って私に話をするのだろうか。小説も大事だけど……水上君にとっては確かに、小説はすごく大事なことなのかもしれないけど、そこに、ちょっとは私の場所があるのだろうか。それとも、全く無いのだろうか。

 ――新見さんには、どうでも良い事だったかな。

 詩乃は苦笑した。自分の短編に、文章に、興味を持ってくれていると、やっぱりまだ少し期待していたのだと自覚して、それがどうしょうもなく哀れに思えた。もう、つまらない期待はやめにしようと、詩乃は顔に笑顔を張り付けた。

「体育祭の後は、小説に集中してたんだ。だからちょっと、他人と距離を置きたかった。ごめんね」

 詩乃の声に、柚子ははっとして顔を上げた。

 詩乃が、遠くに行ってしまったように感じた。柚子は、詩乃の笑顔がすぐに、作りものだとわかった。優しい、穏やかな声も作り物。そんなのは、望んでいないのに。

 柚子は、どうしょうもなくなって、詩乃のポロシャツの袖を摘まんだ。

 触れば、伝わるような気がした。

 詩乃は笑って答えた。

「手、繋ぐ?」

 やりたいのは、恋人ごっこなんだろう?

 それくらいなら、付き合うよ。

 こんな自分で良ければ。

 新見さんの暇つぶしの相手くらいしかできないけど。

 詩乃は柚子の手を握った。

 小さい手、白い指、やわらかくて、しっとりした肌。

 ひんやり冷たい。

「……」

 柚子はじっと、詩乃を見つめた。

 返ってくるのは、穏やかな笑顔。

「花火、ここから見えるかな?」

 詩乃は、柚子に訊ねた。柚子は、握られている手を、ぎゅっと握り返した。

「見えると思う。ここで見る?」

「そうだね」

 ――なんでそんな笑顔なの。

 やめて、と柚子は思った。こんなに近くにいて、手まで繋いでいるのに、どうしてこんなに遠いのだろう。私の体温も、視線の意味も、水上君には伝わっていない。それだけはわかる。

「私、水上君の事、好きなんだよ?」

 柚子は、思わず口にしてしまった。

 今告白する気なんてなかった。でも、水上君を遠くに感じるのは、耐えられない。

「好き?」

 詩乃は一瞬驚いたが、すぐに柚子に笑顔を取り戻して、言った。

「うん、自分も、新見さんは優しい人だと思ってるよ」

 何それ、と柚子は思った。

 ――私今、振られたの? いやでも……。

 柚子は、詩乃の言葉をどう受け取ったら良いかわからず、ただ詩乃を見つめるしかなかった。詩乃の目には、告白を受け入れるような優しさも、拒絶するような冷たさもない。どちらでもない、生暖かい壁のようなものが詩乃の目の奥にはあって、それのせいで、柚子は詩乃の感情が全く読み取れなかった。ただ一つ、私の「好き」は、水上君にはちゃんと伝わっていない、それだけははっきりわかった。

 ちょうどそこへ、川野とその友人たちがやってきた。川野は、ダンスの発表の後、柚子を誘って花火を見ようと思っていたのだ。二人というのは抵抗があるが、友達との幾人かのグループなら、柚子も誘いに乗りやすいだろうと川野は思っていた。男が三人、女が二人。これなら変に警戒されることもない。

「おー、柚子じゃん」

 偶然を装って、川野は柚子に話しかける。

 柚子は驚いて、思わず詩乃と繋いでいた手を離してしまった。

 あっ――と、柚子は思ったが、話しかけられているので、詩乃の顔を見ることはできない。

「ここで見んの、花火?」

「う、うん、そうしようかなって、思ってたんだけど……」

「一緒に見ようぜ」

「え……」

 柚子は、ちらりと詩乃の顔を覗いた。

 詩乃は、柚子の視線を感じながら、軽蔑したような眼差しを川野に向けていた。柚子に手を振り払われたことはショックだったが、わかっていたことでもある。今はそれ以上に、川野の無礼な振舞いへの怒りの方が大きかった。突然来て、連れを無視して勝手に話を進めるなんてのは、喧嘩を売っているにも等しいと詩乃は思った。

「新見さんは、自分とここに来てるんだけど」

 詩乃が言うと、初めてその存在に気付いたという素振りで、川野が詩乃に視線を向けた。川野は、こいつには負ける気がしないと思った。見た目もぱっとしないし、背は俺と同じくらいだが、腕も細いし、胸周りの筋肉なんかは無いに等しい。そして決定的なのは、柚子を「新見さん」なんて呼んでいることだ。二人で歩き出した時はビビったけど、こいつが柚子の彼氏なんて、やっぱりありえなかった。どういう関係かは知らないが、こいつは、俺の敵じゃない。

 川野のその侮りは、その態度に露骨に表れていた。

「え、誰? 柚子の彼氏さん?」

「彼氏じゃないけど、一緒に来てるのは自分だよ」

「あー、そうなんだ。良いっしょ、一緒に見ようぜ」

「なんで――」

 言いかけて、詩乃は言葉を止めた。

 詩乃は、こんな無礼な奴と一緒に花火を見るなんて真っ平だった。折角の花火が台無しになってしまう。でもそれは自分の感情で、新見さんのではない。

「な、柚子、見ようぜ一緒に」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

処理中です...