こちら図書医院第3補習科です!

千代杜 長門

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 崖の上には一人の少女が立っている。少女の視線の先には海が、そしてその先に世界を構成する『文字』がはらはらと、音もなく解けて落ちていくのが見えた。
 
 綻びの穴の先に見える何もかもを飲み込みそうな黒とそこかしこに散りばめられた星々のように輝く物語の世界。

  風に弄ばれる髪を手で押さえ、世界の終わりを見届けようとする少女。
 
  それは息を呑むほど美しく、そして同時に胸が張り裂けそうなほど切ない光景だった。

  風の音と波の音しか聞こえない、その空間を壊すことにハロウ・ルー・リーンは僅かに胸に痛みを覚えた。

「ねえ。私がこの世界で最後の一人になったの?」

 声をかけようとしたハロウを先回りするように少女は振り返らずに声をかけた。

「そうだよ、君以外はインクと紙に戻った」
「そう…ねえ、何故私は幸せを願ってはいけないの?」 
「……物語の住人は、物語を保つための最大限の努力を。それがこの世界のルールだから」

 問いかけとともに振り返る少女の目には何の感情も浮かんでいなかった。

  少女のその問に納得して応えられる解答をハロウもまだ知らない。
杓子定規な答えを返しながら手に持ったライフル銃の照準を少女の胸に合わせた。

「何故物語の中にいるだけで私は不幸を押し付けられるの?」
「…それが君の生まれ持った役割だから」

 引き金を引けば弾丸が少女の胸を貫き、少女をインクと紙に戻す。それが1番手っ取り早いなのにハロウはなかなか会話を止めることが出来ないでいた。

「物語の外の[街]にいる貴方たちはいいわね、自由に生きることが出来て。自由に恋ができて。…さようなら私の可愛いハロウィン」

 銃声がひとつ、誰もいなくなった世界にこだました。

ーーー

「…僕の名前はハロウ・ルー・リーンなんだけどなぁ」

ジリジリと照りつける太陽に鬱蒼とした森。
 古代ギリシャ、神話の世界。
 じわりと浮かんだ汗を袖で拭いながらハロウは昔を思い出した。削除されることが決定した世界で、心を通わせた少女のことを。

ー彼女は最後まで僕の名前を間違えていた。

「なに独り言言ってるのハロ」
「ハロじゃない、ハロウだよスース」

 昔のこと、覗き込んできた頭を手で軽く押しながらと簡潔に答える。
 しかし肩に乗った小さな四足のドラゴン、スース・ニック伯爵はその対応がいたく気に入らなかったようでバタバタと翼をはためかせた。

「スース、羽が頭に当たって痛いよ」
「スースじゃないでしょ!スースはスース・ニック伯爵!」
「はいはい、ごめんね伯爵」

 プライドの高い、この小さな友人は敬意を持って呼ばないと怒る。彼のお気に入りのモノクルと紳士帽を落とさないように頭を撫でるとさらに気に入らなかったのか指を噛まれた。

『ふたり いちゃいちゃ ずるい まじめ しごと るぅ だけ るぅ かなしい』
「ルーもごめんよ」

 おでこにぷにょりと押しつけられたメモのつたない字で悲しみを表現するルゥ・ルック・ドゥ。
 見た目を簡単に言うならメンダコかシーツをかぶったおばけのような姿、だろうか。

 手のひらサイズの白いメンダコのような、おばけのような彼女の周りには蓋の外れたインク壺と無題の本、そして筆談用のメモ帳がふよふよと浮いている。

 彼女のお気に入りは[街]で買った硝子ペン。
 繊細な細工を施してあるそれを両手で抱えながら、器用に全身を使って文字を書いている。

 不思議なことに彼女の裾はその時々の感情で色をほんのり変える。今の色は青。すなわち悲しみだ。

『はろー、すー、るぅ わすれて いちゃいちゃ るぅ がんばててたのに』

 どういう仕組みかシーツの開けられた目の穴の部分の穴からぽろぽろと涙が落ちていく。
幼さゆえか彼女の字は誤字が多く、それが愛らしい。

「ごめんね。ルゥ」
「ルゥ、泣かないで僕が高い高いしてあげるって言ってるよ」

 ぺちぺちと手に持った小さなメモ帳で抗議をしてくる彼女をハロウは手のひらで包む。 ふにゅふにゅもちもちとしていて、ほんのり暖かい。
謎生物だ。

『はろー の たかいたかい?』

 ぺらり、と見せられた言葉に2人は反射的に頷いた。
 図書医院の仕事にルーはとても重要な役割を持っているから彼女の機嫌を今、損ねるのはかなりまずい。

「この修正が終わったらルゥが疲れて寝るまでずっとしてあげるって!スースの添い寝もあるよ!」
「ほら、ルゥ。伯爵がこう言ってるんだから泣き止んで。僕もルゥの好きな物作ってあげるからもちろん高い高いもね」
『るぅ かれーのおこめ たべたい』
「カレーライス?いいよ。たくさん作ってあげる。だから世界の主人の下へ、門を開いてくれる?」

ーこれで連続1週間の3食 カレーライスだ。

肩の上で伯爵がたまにはステーキを食べたいと小さな声でぼやいた。

 うるさい僕だってステーキが食べたい。そんなジト目を送りながらもハロウは猫なで声をだしてルゥの機嫌を伺う。何せ物語を自由に行き来出来るのは彼女の力があってこそなのだから。

『わかった  るぅ ひらく 』

 ルゥがメモ帳に覆いかぶさるようにしてメモ帳をどこか、体内に仕舞い、題名のない本の決められたページを開く。

 ルゥの額に鍵のような紋章が浮かび、それに合わせて本のページとページの境目からじわじわと光が溢れていく。

「図書医院第3補習科所属ハロウ・ルー・リーンよりブランク・ノアの始まりのページへ。物語はギリシャ神話、オリュンポス。物語の管理者は白き腕をもつ貴婦人、ヘラ!」

 繋ぎとなる言葉を唱えると光は1層強まり、僕らを包んだ。
瞼を刺す眩しい光を耐え、管理者に失礼にならないように出来うる限り丁寧に見えるように膝をつく。

「ふたりとも、お辞儀をして大人しくしていてね」
「わかったー」

 二人が大人しく後ろに隠れると同時に光が弱まった。
光が収まると同時に空気が変わるのを肌で理解した。ざわめいていた森の音は静まり、どこからか麗しい琴が流れ、突き刺すような太陽の熱は和らぎひどく心地がいい。

「…顔を上げなさい」

 鼓膜を震わせる蜂蜜のように甘い掠れた声。
釣られるように顔を上げると美しい女神がいた。

 黄金の林檎の木は玉座のような形に生え、そこに、1柱の女性神が腰掛けている。
 豊満な肉体を白い一枚布でのみ隠し、装飾品は必要最低限。
 その乳白色の肌は日差しの強いギリシャでは珍しいものだ。
 切れ長の目を笑みの形に固定し、手慰みに見事な羽を持つ孔雀を撫でている。
 艶やかな紅を差した唇はぽってりとしていて男なら思わずむしゃぶりつきたくなる、そんな色気を漂わせていた。

 彼女は名はヘラ。婚姻を司る愛の神であり主神ゼウスの神后。この世界の管理人の1人。

「はじめまして白き腕をもつ貴婦人、僕は図書医院第3部隊のハロウ・ルー・イーン。世界を紡ぐ者たちからの要望に応えるためにブランク・ノアから修正に参りました。どうぞご協力をお願いします」
「ふぅん、その異常って?」

ちろり、と流し目を送る姿に背後で伯爵が、たまらないとでも言うように落ち着かない様子で羽をばたつかせていた。

「…主神ゼウスが色好みな性格をかえ、ヘラ様に一途になったと、それにより物語に齟齬が生まれるため修正を求めると要請が来ました」
「嫌よ」
「へ?」
「  い   や  。誰が自分の夫を元の浮気男に戻すのを手伝うのよ。寝言は寝て言いなさい」

間抜けに聞き返した僕の額に優雅に指を突きつけると彼女はどこか悲しげな顔をして言った。

「私の幸せを奪う貴方は要らない」

 次の瞬間、僕達は元いた神殿の外に立っていた。

「……どうしよう。スース、女神様のこと好きになっちゃったかも!」
「…お気楽だね、伯爵。でも、お願いだからそれ口に出さないで。正規の神話でもヘラ様に手出しした人間は恐ろしいことになったらしいから」
『へらさま おこてた なぜ?』
「分からない。ゼウスの浮気癖がないとギリシャ神話の大半が機能しなくなって世界が崩れてしまうのをヘラ様だって分かってるはずなのに」

 物語の世界は膨大な文字と人々の想いで紡がれている。
 物語を紡いだ人の想いやそれを読んだり、聞いたりした人達の想い。
それが鎖のように結ばれ、常に物語を血液のように巡り魂を込めるのだ。

そして古い物語ほど様々なものに対して影響を及ぼすのだ。

「ルゥ。ヘラとゼウスに絡む神話を見せて」
『わかった』

 彼女が先程まで開いていた無題の本を閉じ、表紙をぷにょりと撫でると題名の欄にじわじわと『ギリシャ神話』という題が浮かんできた。

「ありがとう」

 重たそうな装丁の表紙をゆっくりと開いて内容を読み込む。

 物語は人間が作り、人間に生かされているという特性上、必ず誤差が起きてしまう。

 例えば他の国に翻訳されて出版するなら誤訳。        
 好きな登場人物に死んで欲しくないと二次創作を書く。
その時の情勢に左右されることもあるし、物語ができる前消えていった登場人物たちが消えたくないと無理やり登場することもある。
 

 物語に影響が出るとどんどん物語の世界が崩れ始め、人々に物語として知覚されなくなっていく。そして最後は消えてなくなってしまい、周りの物語にも悪影響を及ぼす。

 その物語の流れを守り、維持管理するのが物語を紡ぐ者や紡がれた物語の管理人の仕事。

どうしても出てしまった綻びを治すのが僕達図書医院の仕事。

「ヘラ様は何故、管理人の役目を放棄してまで歪みを放置していたのか…」

 そしてその仕事の中には役目を放棄した管理人や本来いるはずのない物語の住人を殺して書き直すという仕事もある。

「カリスト、ディオネ、ムシュネモネ、エウロペ、イオ、レダ、カリオペ、ガニュメデス…うわ、なんだこの量…」

 読み進めたギリシャ神話には無数のゼウスの浮気。そしてその浮気で起きた悲劇の数々が乗っていた。

「こりゃ、女神様もいや!って言いたくなるよね。スースなら言っちゃうもん」
「まあ…分からなくもないけど…許されないことなのは確かだから」

――――私の幸せを奪うあなたは要らない

果たして彼女は今、幸せなのだろうか。

「…物語の住人の幸せを考えるのは紡ぐ者の仕事。僕達は世界を修正するだけだよ。ほら、ほかの神様に会ってみよう。なにか分かるかもしれない」
『わかた』
「はーい」

物語の訂正はいつも憂鬱だ。
人を食べたくないと泣いて拒否をした狼。
愛されず、永遠の命すら貰えないのならばと王子を殺した人魚姫。
愛する娘であるかぐや姫を守りたくて監禁した老夫婦。

 当事者の苦悩も決意も全てなかったことにして円滑に物語を修正する。それはいつも胸の痛みを伴う仕事だ。


「ハロー、あそこ。変な女の人がいるよ」

  スースの指し示す方向を見ると、月桂樹の根元で一人の女性が泣き伏していた。

「嗚呼、嗚呼、嗚呼!」
「すみません、どうかなさいましたか?」
「嗚呼!これは恐ろしい呪いよ。私の言葉はだれにも届かない。必ず当たる予言なのに誰も信じないの!」

 髪を振り乱し泣き叫ぶ普通ではない様相の女性に言葉が通じない。

「すみません、すみませんっ。どうか話をお聞かせください!」
「嗚呼っ、無理よ、あの方の呪いは絶対。貴方も私の言葉なんて信じないわ!」
「どうする?スース」
「スースは放置でいいと思う。」
『すーす、はろーあのひと  の   おはなし きく』
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