25 / 31
第二十四話 因縁
しおりを挟む
太陽が随分と頭上高く昇った頃、未だ王都に留まっていたミーナとジェフは帰郷の手はずを整え、宿を後にしようとしていた。
だが宿の者に出立の声を掛けると、女将は首を大きく横に振る。諸侯の軍が街に迫っている事は、既に市井の者たちにも伝わっていたのだった。
「まあ内輪揉め程度で済むと思うんだけどねぇ……、正直、フィオレンティーナ様でもセレスティーヌ様でも、どちらが女王でもあたしゃ変わらないと思うよ。でも、悪いこと言わないから、落ち着くまで出歩かないで、しばらくはうちに居なよ。宿代はまけとくからさ」
二人を案じるかのような女将の言葉だったが、それを受けたジェフは眉間に深いしわを刻んでミーナに向かって口を開く。
「本当にエリーさんを放っておくのか?」
彼の目は真剣そのものだった。そんな少年の視線から目を逸らした少女は、小さなため息をつくと言葉を返した。
「だってエリー自身が、わたしたちを邪魔だって……」
「だから何だよ。それなら邪魔じゃなくて役に立てるようにすればいいじゃないか」
「ジェフ……」
煮え切らぬ幼馴染を傍目にジェフは荷物を部屋の隅に置くと、愛用の革鎧を身に着け、そして長剣を腰から提げ直す。
「女将さん、また後で荷物取りに来ますから、しばらく預かって下さい」
そう言い残すと、少年は勢いよく宿を飛び出していった。
「ちょっと坊や!」
「ジェフ!」
女将の傍らで、残されたミーナは鞄の肩ひもを強く握りしめたまま、立ち尽くしていた。
都を囲う城壁、その周囲を取り囲むかのように巡らされた堀、そして胸壁の間には大きく口を開けた最新鋭の大砲が十数門設置されていた。物々しい雰囲気に包まれた都の住民は皆、家に閉じこもり、まるで嵐が去るのを待つかのように息を潜めている。
そんな様子の報告を、宮殿内の玉座に座したまま受けたフィオレンティーナは、傍らに立つ妹に声を掛けた。
「セレス、悪いがお前には前線へ赴いてもらう事になるかもしれない」
「ええ、覚悟は出来ているわ」
若草色の鎧に身を包んだエリーは、報告を終えて戻る兵士の背を見つめたまま言葉を返した。
「敵方も正面からの戦闘は避けたいはずだ。交渉の為の者を送って来るとは思うが、そんな交渉が上手くまとまる確証は無い。そうなれば、奴らが擁立する者が偽者である事を示しつつ、こちらから攻勢を掛ける予定だ。その際にはお前には先陣を切ってもらう事になるかもしれない」
「……ええ」
「怖いか?」
姉妹の他には、たった二人だけの近衛兵しか居ない、静まり返った玉座の間にフィオレンティーナの声が響く。
「そうじゃないわ。戦いを避ける方法がないかと考えているだけ……」
「それはあちら次第だ。もっとも、偽者を使って王位を奪おうなどと考えている連中と、まともな交渉が出来るとは思ってはいないがな」
僅かに震える声のエリーに対し、感情を抑えるかのような淡々とした声色のフィオレンティーナ。姉の言葉が終わると、再びその場には静寂が訪れた。
だがその静けさは長くは続かなかった。駆け足で玉座に近づく一人の兵士、彼は直ぐ様に片膝をつくと、息も絶え絶えに口を開く。
「反乱軍の使者が対話を求めています。人数は五人で、代表はジェラルド卿です!」
「やはり来たか。受け入れを表明しても警戒は怠るな。あたしも直ぐにそっちに向かう」
「はっ! 御意に!」
一度頭を垂れ直した兵士は、顔を上げると急ぎ足でその場を後にする。
「恩師との感動の再開だな」
「……」
姉の嫌味に返す言葉も無く、エリーは瞼を伏せていた。
「まずはあたしが奴と話をする。合図があるまで、お前は身を隠していろ」
妹の様子など気にも留めないフィオレンティーナは、そう言って玉座から立ち上がった。
「どっか抜け道とか無いもんかね?」
王宮を囲う塀をきょろきょろと見回していたジェフは、腕組みしたまま呟いた。
何としてもエリーの元へと馳せ参じたい少年の想いとは裏腹に、見上げる程に高い白亜の壁が彼の行く手を遮っている。
「そんな都合の良い物がそこかしこにあるわけないじゃん」
すると聞き覚えのある、少女の、何とも人を小馬鹿にしたような台詞が背後から聞こえた。その声を聞き、ジェフは目を輝かせると口角を上げたまま振り返る。
「やっぱり来てくれたんだな!」
「まあね。ジェフの言う通りだよ。それに、あんな風に言われても、わたしはエリーの事を仲間だと思ってるよ。仲間同士助け合わなきゃね!」
愛用の鞄は宿に置いて来たのか、腰から投擲用の感応石を入れたポーチだけを提げたミーナは、肩を竦めたが笑顔で答える。
「で、エリーはこっちに居るの? 兵隊さんと一緒に城壁の方に行ってるとかじゃないのかな?」
「いや、あっちには居なかったよ。それに少し確かめたい事があるんだ」
そう言うとジェフは眼前の壁に目を遣った。
「その為にも、何とかして王宮の中に入りたいんだ」
「よし! じゃあ手伝いましょう!」
ミーナは胸を叩くと不敵な笑みを浮かべ、そんな少女の表情を見た少年もその瞳に闘志をたぎらせたかのようであった。
数人の近衛兵を連れたフィオレンティーナは王宮を離れ城門を目指し歩いていた。
そして、王宮と城門を結ぶ中間に位置する大きな噴水の近くに差し掛かった頃、兵たちに囲まれて歩みを進める、目深に頭巾を被った人物たちを従えた者の姿が視界に飛び込んできた。
やがて双方の顔を見て取れるほどの距離まで近づくと、女王は緋色の法衣をはためかせて、その一団に駆け寄った。
「やはり貴様か! ジェラルド!」
一団を率いていると思われる、湖水色の法衣に身を包んだ青年風の男は、フィオレンティーナの怒声を浴びながらも、なんとも涼やかな表情を浮かべていた。
そして、何一つ悪びれもせずに余裕たっぷりな会釈を一度すると、ゆったりとした口調で言葉を返した。
「お久しぶりです陛下、今回の件に関しては心中お察し致します。陛下と諸侯たちの仲裁役としてこの場に馳せ参じた次第ですが、あまり時間が無いので本題に入らせて頂きます。単刀直入に言わせて頂きますが、本日を以って陛下にはご退位して頂く事になりました。もうご存じとは思いますが、行方知れずだったセレスティーヌ様がお戻りになりまして、さらには諸侯の三分の二がセレスティーヌ様のご即位に賛成しております」
「何を戯けた事を! そこまで言うのなら、セレス本人を連れてくるのだな!」
今にも飛び掛かりそうなフィオレンティーナ相手に、かつての宮廷術士長は顔色一つ変えずに言葉を続けた。
「そう仰られると思って、もちろん殿下をお連れしております」
かつての師と姉のやり取りを物陰から見守るエリーは、息を潜めたままにその会話の行方を注意深く聞いていた。
ジェラルドに頭巾を取るようにと促された、女性と思しき小柄な人物はおもむろに頭巾に手を掛ける。そこには数日前にエリーたちと別れたシルヴィの姿があった。
けれどもその顔には表情が無いかの様で、顔色は土気色、ともすれば死人のような色を呈しており、瞳も焦点が合わないかのように虚空を見つめていた。
「六年ぶりの再会ですね。抱き合って感慨に耽って頂く時間くらいはありますよ」
まるで自身の勝利を確信するかのようなジェラルドだったが、彼がセレスティーヌと呼ぶその人物を見たフィオレンティーナは、一目その姿を見るや否や、辺りに響く様な高笑いを始めた。
「ハハハハッ! なかなか面白い冗談だ! 確かに、どことなくあいつに雰囲気は似ているが、どこの誰だか分からん小娘をセレスと称して、即位させようと連れてくるとはな!」
だがジェラルドは表情を崩すことなく彼女の言葉に反論する。
「では、私の傍らに居るこの方がセレスティーヌ様でない事を証明して頂きたい。殿下が御幼少の頃から、その傍らで仕えさせて頂いていた私の言葉を認めないというのであれば尚の事です。出来ないのであれば陛下の振る舞いは、臣下や諸侯、そして民の目には、法を軽んじ、退位を拒み、駄々を捏ねる我儘な女王と映るでしょう」
とんだ屁理屈を言い出すジェラルドではあったものの、その言葉によって、エリーは既に反乱を起こした者たちが穏便に事を進める気など無い事を認識することとなった。
またそれはフィオレンティーナも同様だった。それと同時にこの瞬間、彼女は妹が自身の助けとなるべく、放浪の旅から戻ったことに深い感謝の念を抱いた。
「そうか、ならばその小娘がセレスでは無い事を証明すれば良いのだな?」
不敵な笑みを浮かべた女王は、さらにその表情を勝ち誇ったものへと変えていく。
「セレス! 出番だぞ!」
フィオレンティーナの合図を聞いたエリーは、物陰からゆっくりとその姿を現す。
あの夜、半狂乱になり逃げだした少女は、再び王族としての責務を果たすべく、凛々しい鎧姿を皆の前に披露した。
「セレス……ティーヌ……!」
これにはさしものジェラルドも顔を引きつらせた。こぼれるかのように口にした姫の名、それは彼自身が敗北を認めた証ともいえる言葉だった。
「見ての通りだ。さあジェラルド、容姿が似ているだけの小娘をセレスと騙り、王位を奪わんとした狼藉に対してどう弁明する?」
見ものだと言わんばかりにほくそ笑むフィオレンティーナだったが、次の瞬間にジェラルドのとった行動は、彼女の予想には無いものだった。
彼はエリー、つまりはセレスティーヌの傍へ駆け寄り膝まづくと顔を上げ、彼女の瞳を見つめながら懇願するかのように口を開いた。
「セレスティーヌ様、よくぞご無事に戻られました。ですが今この様な事を話している時間はありません。……私どもは、確かにセレスティーヌ様の偽者を仕立て上げ、陛下に退位を迫りましたが、これは民の為、国の為を思っての事だったのです」
師の言葉を受けたエリーは不意に表情を曇らせるが、それがこの期に及んでの聞き苦しい彼の言い訳への嫌悪なのか、それとも別のものに因るものなのかは、彼女自身も分からなかった。
「セレス! 聞く耳を持つな! そいつは二枚舌の大罪人なんだぞ!」
「先生……それはどういう事でしょうか?」
フィオレンティーナは怒声を上げたが、エリーはそんな彼女を無視するかのように言葉を返した。
「私のような者の言葉に耳を傾けて頂けるご慈愛に感謝いたします。では話の続きですが、フィオレンティーナ様は即位後すぐから国内の改革に動かれました。それは産業や軍事の面だけでなく、政治に関しても隣国グレンフェルから学び、模倣するというものでした。確かに陛下の政策によって、近年の経済難に光明が見えた事は確かでした。しかしながら陛下は事もあろうに国の舵取りを国民自身にさせ、君主すらも国民の中から選出させると提案されました。ですが民というものは往々にして近視的な物の見方をするもので、短絡的に利益を得ようとするものです。そんな民に政治を押し付けるというのは、王侯貴族としての責務を放棄し、亡国への道を歩む事にほかなりません。そこで諸侯たちは陛下のご意向に従う事よりも、民を守るために立ち上がったという事です」
ともすれば演説のような彼の言葉をフィオレンティーナは鼻で笑ったものの、エリーはといえば姉とは対照的に眉間に深いしわを刻む。
そんな姫の様子を見たジェラルドはここぞとばかりに言葉を続けていく。
「どうか私たちをお救い下さい。今この場で陛下を御説得した後に、私と共に諸侯たちの元へ赴き、アルサーナの新たな時代を築く為にも、我々をお導き下さい」
要約すれば、このままフィオレンティーナを退位させて、自身の王位継承権を主張しろという彼の訴えに、エリーは直ぐ様に返事をする事は無かった。
ジェラルドの言う通り、自分が即位すれば、その女王としての権力を以って姉の身の安全を保障する事は容易い。何よりも眼前に迫る闘争を回避するならば、王侯貴族の手足となり戦う兵たちの、つまりは何の決定権を持つ事の無い民たちの命を無駄に散らす事を避けられる事もはっきりと分かっていた。
「もちろん、陛下の、フィオレンティーナ様の今後に関してはセレスティーヌ様の一存にお任せします。諸侯との折衝に関しては、このジェラルドが粉骨砕身で必ずや丸く収める事もお約束いたします」
「でも……、私は……」
いつにない、苦悶の表情を浮かべるエリーに、ジェラルドは言葉の嵐を浴びせ続ける。
「私の言葉を信じていただけない気持ちは重々承知の上です。そして、それとともに、あの夜の私の軽薄な言動を謝罪したいのです。かつて私はアンジェリーヌ様へ淡い恋心を抱いておりました。そしてあの時、美しく成長なさったセレスティーヌ様を前に抱いてはいけない劣情を抱いてしまいました。あのような下卑た言動をした男の言う事など信じられないと言いたいのでしょう。ですから私の事など、卑しく矮小で唾棄すべき存在として見て頂いて結構です。しかし、我々がこのアルサーナの為に命を掛けて蜂起した事実に関してだけはどうか信じて頂きたいのです……」
まくし立てるかのように言葉を終えると、彼は銀縁眼鏡を外し、何ともわざとらしく目頭を押さえる。
けれども、その様子を見たエリーは眉を八の字に、それは同情にも似た悲し気な表情でジェラルドへ歩み寄ろうとする。
「セレス! 目を覚ませ!」
フィオレンティーナは激昂し、二人の間に割って入ろうとした時だった。不意に一団に投げ掛けられる声が、市民の居なくなった広場に響く。
「その人の言葉は全部嘘だよ!」
「話に聞いちゃいたが、どこまでも卑怯なおっさんだな!」
言葉の主、ミーナとジェフの方をその場に居た全員が見遣った。
だが宿の者に出立の声を掛けると、女将は首を大きく横に振る。諸侯の軍が街に迫っている事は、既に市井の者たちにも伝わっていたのだった。
「まあ内輪揉め程度で済むと思うんだけどねぇ……、正直、フィオレンティーナ様でもセレスティーヌ様でも、どちらが女王でもあたしゃ変わらないと思うよ。でも、悪いこと言わないから、落ち着くまで出歩かないで、しばらくはうちに居なよ。宿代はまけとくからさ」
二人を案じるかのような女将の言葉だったが、それを受けたジェフは眉間に深いしわを刻んでミーナに向かって口を開く。
「本当にエリーさんを放っておくのか?」
彼の目は真剣そのものだった。そんな少年の視線から目を逸らした少女は、小さなため息をつくと言葉を返した。
「だってエリー自身が、わたしたちを邪魔だって……」
「だから何だよ。それなら邪魔じゃなくて役に立てるようにすればいいじゃないか」
「ジェフ……」
煮え切らぬ幼馴染を傍目にジェフは荷物を部屋の隅に置くと、愛用の革鎧を身に着け、そして長剣を腰から提げ直す。
「女将さん、また後で荷物取りに来ますから、しばらく預かって下さい」
そう言い残すと、少年は勢いよく宿を飛び出していった。
「ちょっと坊や!」
「ジェフ!」
女将の傍らで、残されたミーナは鞄の肩ひもを強く握りしめたまま、立ち尽くしていた。
都を囲う城壁、その周囲を取り囲むかのように巡らされた堀、そして胸壁の間には大きく口を開けた最新鋭の大砲が十数門設置されていた。物々しい雰囲気に包まれた都の住民は皆、家に閉じこもり、まるで嵐が去るのを待つかのように息を潜めている。
そんな様子の報告を、宮殿内の玉座に座したまま受けたフィオレンティーナは、傍らに立つ妹に声を掛けた。
「セレス、悪いがお前には前線へ赴いてもらう事になるかもしれない」
「ええ、覚悟は出来ているわ」
若草色の鎧に身を包んだエリーは、報告を終えて戻る兵士の背を見つめたまま言葉を返した。
「敵方も正面からの戦闘は避けたいはずだ。交渉の為の者を送って来るとは思うが、そんな交渉が上手くまとまる確証は無い。そうなれば、奴らが擁立する者が偽者である事を示しつつ、こちらから攻勢を掛ける予定だ。その際にはお前には先陣を切ってもらう事になるかもしれない」
「……ええ」
「怖いか?」
姉妹の他には、たった二人だけの近衛兵しか居ない、静まり返った玉座の間にフィオレンティーナの声が響く。
「そうじゃないわ。戦いを避ける方法がないかと考えているだけ……」
「それはあちら次第だ。もっとも、偽者を使って王位を奪おうなどと考えている連中と、まともな交渉が出来るとは思ってはいないがな」
僅かに震える声のエリーに対し、感情を抑えるかのような淡々とした声色のフィオレンティーナ。姉の言葉が終わると、再びその場には静寂が訪れた。
だがその静けさは長くは続かなかった。駆け足で玉座に近づく一人の兵士、彼は直ぐ様に片膝をつくと、息も絶え絶えに口を開く。
「反乱軍の使者が対話を求めています。人数は五人で、代表はジェラルド卿です!」
「やはり来たか。受け入れを表明しても警戒は怠るな。あたしも直ぐにそっちに向かう」
「はっ! 御意に!」
一度頭を垂れ直した兵士は、顔を上げると急ぎ足でその場を後にする。
「恩師との感動の再開だな」
「……」
姉の嫌味に返す言葉も無く、エリーは瞼を伏せていた。
「まずはあたしが奴と話をする。合図があるまで、お前は身を隠していろ」
妹の様子など気にも留めないフィオレンティーナは、そう言って玉座から立ち上がった。
「どっか抜け道とか無いもんかね?」
王宮を囲う塀をきょろきょろと見回していたジェフは、腕組みしたまま呟いた。
何としてもエリーの元へと馳せ参じたい少年の想いとは裏腹に、見上げる程に高い白亜の壁が彼の行く手を遮っている。
「そんな都合の良い物がそこかしこにあるわけないじゃん」
すると聞き覚えのある、少女の、何とも人を小馬鹿にしたような台詞が背後から聞こえた。その声を聞き、ジェフは目を輝かせると口角を上げたまま振り返る。
「やっぱり来てくれたんだな!」
「まあね。ジェフの言う通りだよ。それに、あんな風に言われても、わたしはエリーの事を仲間だと思ってるよ。仲間同士助け合わなきゃね!」
愛用の鞄は宿に置いて来たのか、腰から投擲用の感応石を入れたポーチだけを提げたミーナは、肩を竦めたが笑顔で答える。
「で、エリーはこっちに居るの? 兵隊さんと一緒に城壁の方に行ってるとかじゃないのかな?」
「いや、あっちには居なかったよ。それに少し確かめたい事があるんだ」
そう言うとジェフは眼前の壁に目を遣った。
「その為にも、何とかして王宮の中に入りたいんだ」
「よし! じゃあ手伝いましょう!」
ミーナは胸を叩くと不敵な笑みを浮かべ、そんな少女の表情を見た少年もその瞳に闘志をたぎらせたかのようであった。
数人の近衛兵を連れたフィオレンティーナは王宮を離れ城門を目指し歩いていた。
そして、王宮と城門を結ぶ中間に位置する大きな噴水の近くに差し掛かった頃、兵たちに囲まれて歩みを進める、目深に頭巾を被った人物たちを従えた者の姿が視界に飛び込んできた。
やがて双方の顔を見て取れるほどの距離まで近づくと、女王は緋色の法衣をはためかせて、その一団に駆け寄った。
「やはり貴様か! ジェラルド!」
一団を率いていると思われる、湖水色の法衣に身を包んだ青年風の男は、フィオレンティーナの怒声を浴びながらも、なんとも涼やかな表情を浮かべていた。
そして、何一つ悪びれもせずに余裕たっぷりな会釈を一度すると、ゆったりとした口調で言葉を返した。
「お久しぶりです陛下、今回の件に関しては心中お察し致します。陛下と諸侯たちの仲裁役としてこの場に馳せ参じた次第ですが、あまり時間が無いので本題に入らせて頂きます。単刀直入に言わせて頂きますが、本日を以って陛下にはご退位して頂く事になりました。もうご存じとは思いますが、行方知れずだったセレスティーヌ様がお戻りになりまして、さらには諸侯の三分の二がセレスティーヌ様のご即位に賛成しております」
「何を戯けた事を! そこまで言うのなら、セレス本人を連れてくるのだな!」
今にも飛び掛かりそうなフィオレンティーナ相手に、かつての宮廷術士長は顔色一つ変えずに言葉を続けた。
「そう仰られると思って、もちろん殿下をお連れしております」
かつての師と姉のやり取りを物陰から見守るエリーは、息を潜めたままにその会話の行方を注意深く聞いていた。
ジェラルドに頭巾を取るようにと促された、女性と思しき小柄な人物はおもむろに頭巾に手を掛ける。そこには数日前にエリーたちと別れたシルヴィの姿があった。
けれどもその顔には表情が無いかの様で、顔色は土気色、ともすれば死人のような色を呈しており、瞳も焦点が合わないかのように虚空を見つめていた。
「六年ぶりの再会ですね。抱き合って感慨に耽って頂く時間くらいはありますよ」
まるで自身の勝利を確信するかのようなジェラルドだったが、彼がセレスティーヌと呼ぶその人物を見たフィオレンティーナは、一目その姿を見るや否や、辺りに響く様な高笑いを始めた。
「ハハハハッ! なかなか面白い冗談だ! 確かに、どことなくあいつに雰囲気は似ているが、どこの誰だか分からん小娘をセレスと称して、即位させようと連れてくるとはな!」
だがジェラルドは表情を崩すことなく彼女の言葉に反論する。
「では、私の傍らに居るこの方がセレスティーヌ様でない事を証明して頂きたい。殿下が御幼少の頃から、その傍らで仕えさせて頂いていた私の言葉を認めないというのであれば尚の事です。出来ないのであれば陛下の振る舞いは、臣下や諸侯、そして民の目には、法を軽んじ、退位を拒み、駄々を捏ねる我儘な女王と映るでしょう」
とんだ屁理屈を言い出すジェラルドではあったものの、その言葉によって、エリーは既に反乱を起こした者たちが穏便に事を進める気など無い事を認識することとなった。
またそれはフィオレンティーナも同様だった。それと同時にこの瞬間、彼女は妹が自身の助けとなるべく、放浪の旅から戻ったことに深い感謝の念を抱いた。
「そうか、ならばその小娘がセレスでは無い事を証明すれば良いのだな?」
不敵な笑みを浮かべた女王は、さらにその表情を勝ち誇ったものへと変えていく。
「セレス! 出番だぞ!」
フィオレンティーナの合図を聞いたエリーは、物陰からゆっくりとその姿を現す。
あの夜、半狂乱になり逃げだした少女は、再び王族としての責務を果たすべく、凛々しい鎧姿を皆の前に披露した。
「セレス……ティーヌ……!」
これにはさしものジェラルドも顔を引きつらせた。こぼれるかのように口にした姫の名、それは彼自身が敗北を認めた証ともいえる言葉だった。
「見ての通りだ。さあジェラルド、容姿が似ているだけの小娘をセレスと騙り、王位を奪わんとした狼藉に対してどう弁明する?」
見ものだと言わんばかりにほくそ笑むフィオレンティーナだったが、次の瞬間にジェラルドのとった行動は、彼女の予想には無いものだった。
彼はエリー、つまりはセレスティーヌの傍へ駆け寄り膝まづくと顔を上げ、彼女の瞳を見つめながら懇願するかのように口を開いた。
「セレスティーヌ様、よくぞご無事に戻られました。ですが今この様な事を話している時間はありません。……私どもは、確かにセレスティーヌ様の偽者を仕立て上げ、陛下に退位を迫りましたが、これは民の為、国の為を思っての事だったのです」
師の言葉を受けたエリーは不意に表情を曇らせるが、それがこの期に及んでの聞き苦しい彼の言い訳への嫌悪なのか、それとも別のものに因るものなのかは、彼女自身も分からなかった。
「セレス! 聞く耳を持つな! そいつは二枚舌の大罪人なんだぞ!」
「先生……それはどういう事でしょうか?」
フィオレンティーナは怒声を上げたが、エリーはそんな彼女を無視するかのように言葉を返した。
「私のような者の言葉に耳を傾けて頂けるご慈愛に感謝いたします。では話の続きですが、フィオレンティーナ様は即位後すぐから国内の改革に動かれました。それは産業や軍事の面だけでなく、政治に関しても隣国グレンフェルから学び、模倣するというものでした。確かに陛下の政策によって、近年の経済難に光明が見えた事は確かでした。しかしながら陛下は事もあろうに国の舵取りを国民自身にさせ、君主すらも国民の中から選出させると提案されました。ですが民というものは往々にして近視的な物の見方をするもので、短絡的に利益を得ようとするものです。そんな民に政治を押し付けるというのは、王侯貴族としての責務を放棄し、亡国への道を歩む事にほかなりません。そこで諸侯たちは陛下のご意向に従う事よりも、民を守るために立ち上がったという事です」
ともすれば演説のような彼の言葉をフィオレンティーナは鼻で笑ったものの、エリーはといえば姉とは対照的に眉間に深いしわを刻む。
そんな姫の様子を見たジェラルドはここぞとばかりに言葉を続けていく。
「どうか私たちをお救い下さい。今この場で陛下を御説得した後に、私と共に諸侯たちの元へ赴き、アルサーナの新たな時代を築く為にも、我々をお導き下さい」
要約すれば、このままフィオレンティーナを退位させて、自身の王位継承権を主張しろという彼の訴えに、エリーは直ぐ様に返事をする事は無かった。
ジェラルドの言う通り、自分が即位すれば、その女王としての権力を以って姉の身の安全を保障する事は容易い。何よりも眼前に迫る闘争を回避するならば、王侯貴族の手足となり戦う兵たちの、つまりは何の決定権を持つ事の無い民たちの命を無駄に散らす事を避けられる事もはっきりと分かっていた。
「もちろん、陛下の、フィオレンティーナ様の今後に関してはセレスティーヌ様の一存にお任せします。諸侯との折衝に関しては、このジェラルドが粉骨砕身で必ずや丸く収める事もお約束いたします」
「でも……、私は……」
いつにない、苦悶の表情を浮かべるエリーに、ジェラルドは言葉の嵐を浴びせ続ける。
「私の言葉を信じていただけない気持ちは重々承知の上です。そして、それとともに、あの夜の私の軽薄な言動を謝罪したいのです。かつて私はアンジェリーヌ様へ淡い恋心を抱いておりました。そしてあの時、美しく成長なさったセレスティーヌ様を前に抱いてはいけない劣情を抱いてしまいました。あのような下卑た言動をした男の言う事など信じられないと言いたいのでしょう。ですから私の事など、卑しく矮小で唾棄すべき存在として見て頂いて結構です。しかし、我々がこのアルサーナの為に命を掛けて蜂起した事実に関してだけはどうか信じて頂きたいのです……」
まくし立てるかのように言葉を終えると、彼は銀縁眼鏡を外し、何ともわざとらしく目頭を押さえる。
けれども、その様子を見たエリーは眉を八の字に、それは同情にも似た悲し気な表情でジェラルドへ歩み寄ろうとする。
「セレス! 目を覚ませ!」
フィオレンティーナは激昂し、二人の間に割って入ろうとした時だった。不意に一団に投げ掛けられる声が、市民の居なくなった広場に響く。
「その人の言葉は全部嘘だよ!」
「話に聞いちゃいたが、どこまでも卑怯なおっさんだな!」
言葉の主、ミーナとジェフの方をその場に居た全員が見遣った。
0
あなたにおすすめの小説
竜皇女と呼ばれた娘
Aoi
ファンタジー
この世に生を授かり間もなくして捨てられしまった赤子は洞窟を棲み処にしていた竜イグニスに拾われヴァイオレットと名づけられ育てられた
ヴァイオレットはイグニスともう一頭の竜バシリッサの元でスクスクと育ち十六の歳になる
その歳まで人間と交流する機会がなかったヴァイオレットは友達を作る為に学校に通うことを望んだ
国で一番のグレディス魔法学校の入学試験を受け無事入学を果たし念願の友達も作れて順風満帆な生活を送っていたが、ある日衝撃の事実を告げられ……
タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。
渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。
しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。
「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」
※※※
虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
最弱スキルも9999個集まれば最強だよね(完結)
排他的経済水域
ファンタジー
12歳の誕生日
冒険者になる事が憧れのケインは、教会にて
スキル適性値とオリジナルスキルが告げられる
強いスキルを望むケインであったが、
スキル適性値はG
オリジナルスキルも『スキル重複』というよくわからない物
友人からも家族からも馬鹿にされ、
尚最強の冒険者になる事をあきらめないケイン
そんなある日、
『スキル重複』の本来の効果を知る事となる。
その効果とは、
同じスキルを2つ以上持つ事ができ、
同系統の効果のスキルは効果が重複するという
恐ろしい物であった。
このスキルをもって、ケインの下剋上は今始まる。
HOTランキング 1位!(2023年2月21日)
ファンタジー24hポイントランキング 3位!(2023年2月21日)
完結【進】ご都合主義で生きてます。-通販サイトで異世界スローライフのはずが?!-
ジェルミ
ファンタジー
32歳でこの世を去った相川涼香は、異世界の女神ゼクシーにより転移を誘われる。
断ると今度生まれ変わる時は、虫やダニかもしれないと脅され転移を選んだ。
彼女は女神に不便を感じない様に通販サイトの能力と、しばらく暮らせるだけのお金が欲しい、と願った。
通販サイトなんて知らない女神は、知っている振りをして安易に了承する。そして授かったのは、町のスーパーレベルの能力だった。
お惣菜お安いですよ?いかがです?
物語はまったり、のんびりと進みます。
※本作はカクヨム様にも掲載しております。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう
お餅ミトコンドリア
ファンタジー
パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。
だが、全くの無名。
彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。
若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。
弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。
独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。
が、ある日。
「お久しぶりです、師匠!」
絶世の美少女が家を訪れた。
彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。
「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」
精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。
「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」
これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
(※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。
もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです!
何卒宜しくお願いいたします!)
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる