18 / 26
第三章 あなたがいるから
口づけ 2
しおりを挟む次の日、デラールフは村から姿を消した。
「昨日今日と、しばらくデラールフを見かけないな。彼がどこに行ったのか聞いているかい、ローサシア?」
デスクで物書きをしていた父が、ふと思い出したようにローサシアに尋ねる。
ローサシアはその時、父の隣の安楽椅子で本を読んでいたが、答えられなかった。
「わ、わからないわ……。お父さんもデラからなにも聞いてないの?」
「ああ。そもそもあの子は、わたしなどよりお前に話していくだろう。この寒さでいったいどこへ向かったのだろうな」
「そうね……」
過去これまでも、彼が急にどこかへいなくなることはあった。数日帰ってこないと思ったら、ふらりと無精髭を生やして戻ってきたりする。
彼はもう大人の男だし、いくら仲がいいとはいえ、伴侶ではない。
だから毎回、いつ、誰とどこへ行くとか、ローサシアに説明する義務はないのだ。それでも大抵の場合デラールフは行き先と目的を告げてくれたが、なにも言わずにふらりと消えることもあった。
でも、今回は……いつもと違う気がしてならない。
ローサシアは椅子から立ち上がり、居間にある唯一の小さい窓から外の世界を眺めた。
雪が降っている。粉雪だ。
まだ昼下がりだというのに、灰色の雲が重苦しく、辺りは暗かった。
(やっぱりキスなんて、ねだらないほうがよかったのかな……)
三日前の夜、誕生日のプレゼントの代わりとしてローサシアがねだったキスを、デラールフは与えてくれた。
初めてのキスだったローサシアには、あれが世間の常識と比してどのくらい情熱的だったのか、もしくは情熱的ではなかったのか、比べる術はない。でも、ローサシアにとっては一生の思い出になる、熱い口づけだった。
ーー冬の空気にさらされたふたりの唇は、とても冷たかった。
ただ、割れた唇の間から漏れる吐息が熱くて、抱きしめてくれたデラールフの体が力強くて、寒さは一切感じなかった。
身体の芯が火照り、恋心を秘めた胸が高鳴ったが、魂はやっと安楽の地を見つけたかのように安堵していた。
それがふたりのキスだ。
少なくとも、それがローサシアにとっての、ふたりのはじめてのキスだった。
(でも、デラにとっては違ったのかな。わたしとのキスなんて、妹としてるみたいで気持ち悪かったとか……。それでわたしを避けるために、どこかへ行ってしまった……とか?)
そんなはずはないと……思いたい。
でも、確信は持てなくて、こんなことならキスなんて頼まなければよかったいう後悔が頭をもたげはじめる。
結局、ローサシアが求めるのはデラールフの存在そのものであって、キスが欲しいとか、ローサシアを女として愛して欲しいとか、そういったことは二次的な願望にすぎないのだ。彼がそばにいてくれれば、それでいい。
それだけで。
「わたし、探しに行こうかな」
外を眺めながらローサシアはささやいた。
小さなささやきのつもりだったのに、父と、台所にいた母がバネに弾かれたように顔を向ける。
「とんでもない! この寒さで外を歩き回るなんて言語道断、もってのほかだ。雪で森に迷うのが関の山だぞ」
「そうよ、そんな無茶なことデラールフも望んでいないわ! やめなさい」
父と母が次々にローサシアを止めた。
「た……ただの思いつきよ。そんなにムキにならなくても……」
ローサシアはもごもごと言い訳をし、父母ともそれにすんなり納得してくれたのに安堵して、安楽椅子に戻った。しょうがなく読んでいる途中だった本をまた開いたが、そこにある文章はもう頭に入ってこない。
父と母は、時々ローサシアに目を向けては、互いに小さくうなずき合ったりしている。思春期独特の親を鬱陶しいと思う気持ちと同時に、そんな、長年連れ添った夫婦の息の合った掛け合いを、羨ましいと思ってしまう自分がいる。
(わたしとデラールフも、こんなふうになれたらいいのに)
(いつか)
(今日じゃないのはわかってる。でも、いつか)
ローサシアは暖炉の火に目を移した。
よく燃えている。
おそらく、くべてある薪の量に比して、大きすぎるほどの炎が煌々と踊っている。
(きっと……遠くにいても……デラはこの家を温めてくれているのよ、ね?)
彼の優しさに胸がいっぱいになる。
でも……
(すごい《能力》よね。どんどんすごくなっていく……。離れた場所の火まで正確に操れるなんて)
もしかしたらデラールフは、ローサシアが思っているよりずっと遠くに行ってしまうのではないだろうか。
これだけの《能力》を持った者が、こんななんの変哲もない田舎町に居続けていいはずがない。きっと中央政府の正規軍がいつか彼を欲しがるだろう。
なぜならローサシア達が住むこの世界は、ある驚異に包まれつつあるからだ。
「デラールフなら心配ないとは思うが、無事であることを祈るよ」
父はささやくように言った。
そして続ける。
「天上の悪魔どもが首都を荒らし、時には人間の命を奪っているという。このままではいつか虐殺が起きるだろう。戦争が。我々はどうなってしまうのか……」
0
あなたにおすすめの小説
彼は亡国の令嬢を愛せない
黒猫子猫
恋愛
セシリアの祖国が滅んだ。もはや妻としておく価値もないと、夫から離縁を言い渡されたセシリアは、五年ぶりに祖国の地を踏もうとしている。その先に待つのは、敵国による処刑だ。夫に愛されることも、子を産むことも、祖国で生きることもできなかったセシリアの願いはたった一つ。長年傍に仕えてくれていた人々を守る事だ。その願いは、一人の男の手によって叶えられた。
ただ、男が見返りに求めてきたものは、セシリアの想像をはるかに超えるものだった。
※同一世界観の関連作がありますが、これのみで読めます。本シリーズ初の長編作品です。
※ヒーローはスパダリ時々ポンコツです。口も悪いです。
※新作です。アルファポリス様が先行します。
偽りの愛の終焉〜サレ妻アイナの冷徹な断罪〜
紅葉山参
恋愛
貧しいけれど、愛と笑顔に満ちた生活。それが、私(アイナ)が夫と築き上げた全てだと思っていた。築40年のボロアパートの一室。安いスーパーの食材。それでも、あの人の「愛してる」の言葉一つで、アイナは満たされていた。
しかし、些細な変化が、穏やかな日々にヒビを入れる。
私の配偶者の帰宅時間が遅くなった。仕事のメールだと誤魔化す、頻繁に確認されるスマートフォン。その違和感の正体が、アイナのすぐそばにいた。
近所に住むシンママのユリエ。彼女の愛らしい笑顔の裏に、私の全てを奪う魔女の顔が隠されていた。夫とユリエの、不貞の証拠を握ったアイナの心は、凍てつく怒りに支配される。
泣き崩れるだけの弱々しい妻は、もういない。
私は、彼と彼女が築いた「偽りの愛」を、社会的な地獄へと突き落とす、冷徹な復讐を誓う。一歩ずつ、緻密に、二人からすべてを奪い尽くす、断罪の物語。
冷徹公爵の誤解された花嫁
柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。
冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。
一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。
白い結婚のはずが、旦那様の溺愛が止まりません!――冷徹領主と政略令嬢の甘すぎる夫婦生活
しおしお
恋愛
政略結婚の末、侯爵家から「価値がない」と切り捨てられた令嬢リオラ。
新しい夫となったのは、噂で“冷徹”と囁かれる辺境領主ラディス。
二人は互いの自由のため――**干渉しない“白い結婚”**を結ぶことに。
ところが。
◆市場に行けばついてくる
◆荷物は全部持ちたがる
◆雨の日は仕事を早退して帰ってくる
◆ちょっと笑うだけで顔が真っ赤になる
……どう見ても、干渉しまくり。
「旦那様、これは白い結婚のはずでは……?」
「……君のことを、放っておけない」
距離はゆっくり縮まり、
優しすぎる態度にリオラの心も揺れ始める。
そんな時、彼女を利用しようと実家が再び手を伸ばす。
“冷徹”と呼ばれた旦那様の怒りが静かに燃え――
「二度と妻を侮辱するな」
守られ、支え合い、やがて惹かれ合う二人の想いは、
いつしか“形だけの夫婦”を超えていく。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる