Forgiving

泉野ジュール

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番外編

Forever

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 When it's about forgiveness and love, it's never too late, nor too early.


「それでね、聞いてよあかねちゃん。彼ったらこれが初めての結婚じゃないのよ。わたしプロポーズされるまで知らなかったんだから」
 眩しいほど白いウェディング・ドレスをまとった佳苗かなえが試着室から出てくると、あかねはその豪華さに目を奪われて、なにを告白されたのかすぐには気付かなかった。
 シルク地に縫われた透明のビーズが、試着室の控えの大袈裟な照明に照らされて光っている。大胆に胸元の開けたドレスで、スタイル抜群の佳苗によく似合っていた。
 あかねは座ったまま首を傾げた。

「え? マ、マシューさん?」
「他に誰が居るのよ。もぅ、あかねちゃん! わたしは今、ここで、彼のためのウェディング・ドレスを選んでるんでしょうが」
「そうだけど、ちょっとビックリしちゃって」

 あかねはいじっていた携帯電話を閉じ、控え室の柔らかいソファから立ち上がって佳苗に近づいた。
 ここは、ロンドンの西辺りにあるウェディング・ドレスを用意したブティックで、あかねは数ヶ月前から親しくしている友人、佳苗の試着に付き合っているのだ。


 外国にいるとどういうわけか、同じ日本人だというだけの理由で、今までならあまり親しく付き合わなかったタイプの人間とも親密になったりする。あかねと佳苗もそんなようなもので、年も違うし、性格も正反対なのだが、コーヒーチェーン店のレジの列で偶然出会ってから、ずっと友人として親しくしている。
 佳苗は今年31歳のキャリア・ウーマン。
 日本の大学を中退して世界を目指し、最初はアメリカに渡ったのに、どういう訳か最終的にロンドンに落ち着いたという活動的な才女だった。
 そして、そんな彼女は今、1年越しのフィアンセとの結婚式を再来週に控えているのだった。

「佳苗さんすごく綺麗。スタイル良くて羨ましいな」
「あかねちゃん、あなた聞いてた?」

 煌びやかなウェディング・ドレスを纏ったまま、佳苗は腰に腕を当てた。もちろん美しいのだが、なかなか迫力があって、あかねはつい一歩下がった。
「マシューってばこれが初婚じゃないのよ。前の結婚は25歳の時で、半年しか続かなかったんですって。子供もいないし、わたしも過去の女性関係なんて聞きたくなかったから聞いたことなかったの。それが、ブーン!」
 擬音がブーン! なのは、普段英語に染まっているせいらしい。
 たぶん、ジャーン、的な衝撃を表したかったのだろう。
「最初の結婚は失敗したけど、君となら生涯愛し合っていけると思う、なんてプロポーズされたわけよ。まぁ、昔のことだし、気にしてないけど……」
 と言って、佳苗は呆れたように目を回して見せた。
「ケネス君はどうなの?」
「え!」
「結婚歴とか、知ってる? 彼って、確かわたしとマシューと同じ年くらいだったよね。過去に一回や二回そんなことがあっても、おかしくない年じゃない? 彼、結構格好いいし」
「そ、そんなの……聞いたことないから」
 あかねは口ごもった。

 そんなこと考えたこともなかったし、まだ結婚の二文字が二人の間で話題になったことすらない。もちろん、最初の頃の嘘のプロポーズを除いて、の話だが。

 ケネスに結婚歴があるかもしれない?
 そんな、はずは、ない……と、思う。しかし、あかねはケネスの過去の女性関係さえほとんど知らないのは事実だった。もう半年以上付き合っているのに、その影を見ることさえない。そもそも彼は自分の過去の話はあまりしたがらないし、あかねも、相手がしたがらない話をわざわざ根掘り葉掘り聞こうとするタイプではない。

「やだわ」
 黙り込んだあかねを見て、佳苗は少し罪悪感のようなものを感じたらしかった。
 床まで届くウェディング・ドレスの長いスカートを揺らしながら、自分より背の低いあかねを覗き込むように屈み、肩に手を乗せる。
「怖がらせちゃったらごめんね。ただ、わたしたちは外国にいるわけだし、そういう事もあるから気をつけてねって言いたかっただけなのよ」
「うん……」
「大丈夫よ、どちらにしてもケネス君があかねちゃんにぞっこんなのは火を見るより明らかだしね。今のは、ほら、忘れて。ね?」


 それからさらに数着を試着して、佳苗は結局、一番最初に着たドレスを選んだ。
 二人はブティックを出ると、すぐ近くにあった洒落たカフェで紅茶を飲みながら、再来週に迫っている佳苗の結婚式についてしきりに語り合った。
 もうすぐ式だというのに、佳苗は紅茶と一緒にスコーンを二つも口に放り込んでいる。
 あかねは、彼女のこうしたサバサバした性格が好きだった。一人っ子だったあかねには、佳苗はまるで急にできた姉のような存在で、彼女の結婚を心から祝福している。
 話は弾みに弾み、気が付けば時間は6時半を回っていた。佳苗は携帯電話で時間を確認すると、顔を上げる。
「あーあ、そろそろ帰らなきゃ。わたしは地下鉄チューブ使って帰るけど、あかねちゃんも来る? 途中まで同じ方向だよね」
「そうしたいけど……ちょっと待って。確認してみるね」
 あかねは急いで携帯を開き、ケネスにメールを送った。携帯電話の通信システムが違うので、正確にはメールではなく、テキストというのだけれど。
 返事はすぐに来た。

「I'll finish my work in 5 minutes. I will pick you up. Wait for me there」

 あかねが携帯の画面をじっと見ていると、佳苗がそれを覗き込んできて、ニヤニヤと締まらない笑いを見せた。
「相変わらず過保護ねぇ。そこで待ってろですって」
「う、うーん」
 返事に困って、あかねは携帯電話に顔をうずめた。
 ケネスが過保護なのは本当で……チューブも出来るだけ避けるように言われている。夕方以降になると、大抵はこうして、仕事を少し押してでも迎えに来てくれるのだ。
 嬉しいと言えば嬉しいのだけれど、こうして友人にからかわれると、どうしようもなく恥ずかしくなる。
 それに、結婚歴がどうのという話があった後では、よけいだった。

 気になる、が、もし聞くなら、どんな顔をして聞けばいいというのだろう。佳苗がいれば、余計な気など使わず、ズバッと尋ねてくれるのかもしれないけれど。
 しかし、その佳苗は、
「じゃ、わたしは帰るわね。変な男の人やおじさんに声を掛けられても無視しなきゃダメよ。あなたに何かあったら、わたしきっとケネス君に殺されちゃうわ」
 そう言ってコロコロと笑いながら、地下鉄の駅の方角へ消えていった。



 暦の上ではもうすぐ春といっていい季節なのに、ロンドンはまだまだ暖かさにはほど遠かったから、カフェに入ってきたケネスもまだ、コート姿だった。
 長身の彼がベージュのコートを羽織っている姿はなかなか魅力的で、すぐ近くに座っていた白人女性が物欲しそうな視線をケネスに投げかけるのを、あかねは見てしまった。

「待ったか?」
 あかねを見つけるなり、ケネスは真っ直ぐ大股で進んでくる。
「ううん、大丈夫。早くてびっくりしちゃった。お仕事よかったの?」

 ケネスは、あかねの前の席までくると屈み込み、彼女の頬に優しくキスをした。
 あっという間にあかねの頬がほてる。
 それを見てケネスはいたずらっぽく微笑んだ。この挨拶のキスに、あかねはまだ慣れない。受けるのはなんとか普通にできるようになったけれど、自分からするのはまだ恥ずかしかった。
 あかねの前に座ったケネスは、コーヒーを注文し、前に向き直った。
 すぐ横の女性はまだケネスをうっとりと見つめ、続いて、あかねの方には嫉妬と軽蔑が混じったような視線を送ってきている。これも珍しいシチュエーションではなかった。
 そう、モデルのような典型的な美形とは少し違うかもしれないが、ケネスは魅力的だ。男としての香り立つなにかが、彼にはある。色気とでもいうのだろうか。そう……異性を引きつけるなにかが。

 つまり、彼があかねと付き合う以前もずっと一人だった可能性はかなり低く、結婚はともかく、フィアンセくらいはいたかもしれない……ということだ。
 どうして今まで考えた事もなかったんだろう。

「あ、あのねっ、今日は佳苗さんのドレス選びに付き合ってたの。佳苗さん、日本人にしてはすごく背が高いし、どのドレスもすごく似合ってて羨ましかったなぁ」
 なにか他のことを考えたくて、あかねは適当に喋り出した。あまり賢い話題選択ではないかもしれないけれど、ケネスは真剣に聞いていてくれた。
「式はいつだった?」
「再来週の日曜日。ケンも来られる?」
「俺も招待されているならね。空けておくよ。ちょうどいい」
 その時、注文したコーヒーがケネスの前に届けられた。
「ちょうどいい?」
 あかねは聞き返した。ケネスは少し、しまった、というような顔をする。
「Nothing」
 ケネスは素早くそう答えて、その後に小声で付け足した。「Anything」

 細かいニュアンスがよく分からなくて、あかねは首を傾げた。しかし、ケネスにそれを説明する意思はなさそうだった。彼はコーヒーを啜ると、話題を戻す。
「それで、その結婚式の時間帯は?」
「ちょうどお昼頃に神父さんが来て、式を挙げて、その後みんなで遅めのランチをとりながらパーティーをするんだって。招待状には11時半から3時ってあるけど、終わりまでいたらきっと夕方になるんじゃないかな」
 あかねが答えると、ケネスはしばらく黙ってじっとあかねの顔を見ていた。
 その視線があまりに真剣で、あかねはつい自分の顔に異常がないか気になって、片手で頬と口元を触って確認した。よかった、スコーンが付いているわけではなさそうだ。
「じゃあ、その夕方から夜まで、空けておいてくれ」
 ケネスは言った。
 あかねは反射的にうなづいた。
「う、うん……大丈夫、だけど」
 すぐ、理由を聞きたくなったけれど、ケネスの視線があまりにも真面目で、口を挟む気にはなれなかった。そのせいか、気がつくとあかねは結婚歴云々の話をすっかり忘れていた。


     * * * *


 多くの木々に囲まれた古い邸宅の庭で、佳苗とマシューの結婚式は執り行われた。
 幸せそうな新郎新婦、明らかに緊張していてかわいそうなくらいの日本の親族たち、誓いの言葉に情熱的なキス、豪華な食事、そして明るい音楽。
 時間はまたたく間に過ぎていった。

 あかねは初めて、映画に見るようなロマンチックなダンスをケネスと踊った。意外にも彼はダンスが上手くて……あかねは何度も息が止まりそうな思いをした。こんなの反則だ。
 濃いグレイのスーツにネクタイはなし、というのがケネスの格好で、毎日一緒に暮らしているはずのあかねでさえ見惚れてしまうのだから、他の女性陣は言うに及ばず。
 あかねは時々、彼女らからのチクチクとした視線に堪えなければならなかった。
 そのせいか夕方近く、式が長引いて4時を過ぎたころになると、あかねは休息を求めて人気の少ない場所へふらふらと一人で移動していた。少し、一人になって深呼吸したい気分だった。ケネスは知り合った英国人の仲間たちとスポーツの話題で盛り上がっていたので、離れるのは楽だった。

「ふぅ……」
 19世紀後半に建てられたというその邸宅は、典型的な英国庭園を有していて、あかねが特にこれといった当てもなく歩いていると、木の板で蓋をされた古い井戸に行き当たった。
 可愛らしい小さな桶が装飾代わりに板の上に乗っていて、あかねはなんとなく立ち止まってその桶をいじりはじめた。
(結婚、かぁ……)
 今までそれほど深く考えたことはなかったのに、幸せそうな佳苗と、それを祝福する大勢の人たちを前にしていたら、あかねは急にそれを意識しはじめてしまった。
 当然、相手は……。

「Hi there」
 突然後ろから声を掛けられて、あかねは慌てて振り返った。
 結婚式の参加者の一人が、スーツのポケットに手を入れたまま井戸の方に歩いてきている。名前は知らないが、確か新郎の友人の一人だ。
「こんにちは、一人?」
 濃い色合いのブロンドの男性だった。ケネスほどではないが、背も高い。あかねはほんの少し警戒心を抱いたが、かといって無視するわけにもいかず、曖昧な笑みを浮かべた。
「いいえ、連れが居ます。少し疲れたからここで休んでるだけで」
「そっか、ここなら静かだもんね」
 男は、適当にうなづいたあかねの横に、特に悪びれもせず立ち止まった。あかねがいじっていた桶をじっと見ていると思うと、急に顔を上げて、あかねの瞳を覗き込む。
「君の連れって言うのは、君のフィアンセなの?」
 あかねは顔を上げた。

 初対面の会ったばかりで、いきなり失礼な……と思わなくもなかったが、男は思ったより真剣な表情をしている。あかねはすぐには答えられなかった。
 フィアンセ、ではない。
 結婚の約束をしているわけではないのだから。ケネスは、言うなればあかねの「Boy Friend」に当たるのだろうが、もうボーイという年齢でもないし、こういう聞かれ方はよくするのだ。その度、いつも答えに少し困る。
 あかねが口ごもっていると、男はそれを否定とでも受け取ったのか、さらに一歩近づいてきた。

「それならさ……僕にも、」

 と、男が言いかけたとき。
 彼は急に後ろを振り返った。そして驚いたように背を反らして、一歩下がる。
「な、なんだよ……」
 誰かが男の肩をぐっと掴んでいた。
 いや、誰かもなにもない。口を引き結んで眉間にしわを寄せたケネスが、男の肩を強引に引き寄せ、あかねから遠ざけた。
「彼女は連れがいると言ってるだろう。耳が聞こえないのか?」
 普段の落ち着いた彼の声とは明らかに違う、低い、ざらついた声。男は怖じ気づいたようにさらに数歩、自らあかねから離れた。
「し、しょうがないだろ、一人だったし、フィアンセってわけでもないみたいだから……」
「うせろ」
「分かったよ!」
 いじけた少年のように高い声を上げた男は、ケネスの腕を振り払い、早足で人混みの方へ消えていった。あかねはなかば呆然とその場面を眺めながら、動けずに立ちすくんでいた。

 目の前にはケネス──それも、怒ったケネスがいる。
 その迫力に押されて、あかねは肩を狭めた。なにか怒鳴られるかもしれない。いつもの彼はそんなことしないけど、今ばかりはそんな気がして、あかねは緊張していた。
 しかし。
「大丈夫だったか?」
 彼の声は優しかった。あかねはほっとして、緊張を解いた。
「うん、ちょっと声を掛けられただけで……たぶん、彼はシャンパンで酔ってたんじゃないかな」
 ケネスは首を振った。
「奴はずっと最初からお前のことをチラチラ見てたよ。隙あらばとお前が一人になるのを待ってたんだろう」
「え」
 そんなこと、全く気がつかなかった。
 それどころか、ケネスが一人になるのを待っている女性を、何人も見つけたけれど。

 ケネスはしばらくあかねの前に立って彼女を見下ろしたあと、片手を差し出してきた。優しい仕草だったので安心して、あかねは彼の手を取る。二人は手をつないだ。
「もう帰ろうか」
 ケネスは提案した。あかねはうなづく。
「うん」
「家に帰る前に、少しだけ寄っていきたい場所があるんだ。いいか?」
 再び、あかねはうなづいた。
 柔らかい夕方の木漏れ日に照らされた灰色の砂利道を、二人はゆっくりと歩いて、駐車場まで進んだ。



 車を走らせること半時間近く。
 行き先はロンドンの二人のフラットとは全くの別方向で、あかねはサイド・ウィンドウから見える景色をぼんやりと眺めていた。
 時々、運転席のケネスの横顔を見る。
 ──なにかを深く考えている時の、真剣な表情だった。あかねは余計な口は挟まず、静かに目的地へ着くのを待っていた。
 しばらくした後、ケネスはある石橋の側で車を停めた。
 いかにも古き良き英国という感じの石造りの橋で、川縁には長く散歩道が延びている。何組かの老夫婦がのんびり歩いていたりして、落ち着いた雰囲気だった。
「ここは……?」
 車を降りながら、あかねはケネスに尋ねた。
 バタンと車のドアを閉める音がして、外に出たケネスはあかねの前に進む。
「リッチモンド。子供の頃、しばらく住んでいた街なんだ。ロンドンの中央ほどうるさくないし、この川沿いの道が好きだった」
 そして、「おいで」と、あかねに手を出す。
 二人は少しの間、その川沿いの散歩道を無言で歩いた。そして、夕日が本当に橙色に染まり出したころ、石橋の上に登って、川の流れを見下ろした。

 ケネスはテムズ川の流れのはるか向こう、夕日に照らされた空を見ている。
 乾いた石橋に手を触れながら、あかねはそんな彼の横顔を見て、どうして今日に限って、この場所に彼女を連れてきたのだろう、と考えた。
 いくつかの車や歩行者が二人の後ろを通り過ぎていくが、喧噪は心地いい程度で、ロンドンの街中と比べるとずいぶんのんびりした空気が流れているような気がした。かといって中心地からそう遠い訳でもないし、散歩道の向こうにはレストランや商店が並んでいる。のんびり子供を育てたりするのにちょうどいい土地なのではないだろうか……あかねはそんなことを考えていた。

「そのうち」
 唐突な感じで、ケネスは切り出した。
「え?」
「そのうち結婚して子供ができたら、この辺りに住みたいといつも思ってたんだ」
 ケネスはもう、夕日を見てはいなかった。
 片手を石橋に置いたまま、あかねの方に向き直って、じっと彼女の瞳を見つめている。あかねの鼓動は急にせわしく鳴りはじめた。
「わたしも……今、そんなこと考えてたの。きっと、落ち着いて子育てするにはいい場所だろうなぁって」
 その答えに、ケネスは満足したようだった。
 彼は穏やかに微笑んで、石橋に置いていた手をスーツのポケットの中に入れると、すぐになにかを取り出した。
 ──小さな、ベルベッド張りの紺色の箱。
 あかねは息を呑んで両手を口に当てた。
 まさか。

「Will you marry me?」

 小箱が開かれると、中には小さなダイヤモンドが中央に光るシンプルで上品な指輪があった。
 ああ……確かに、今日はずっと意識していた。
 いつかこんな日が来るかもしれないと、心の何処かで夢見ていた。嘘だったとはいえ、一度は彼にプロポーズもされていた。それでも今、こうして指輪と、真剣な表情のケネスを前にしたあかねは、膝が震え出しそうになるのを止めることができなかった。
 あかねが答えられずにいると、ケネスは少し居心地の悪そうな微笑を見せた。

「今回のは、本物だよ」
 そして付け加える。
「日本で俺がお前にしたことを後悔しない日はない……それでも、あれがあったからこそ俺はお前に会いに行ったんだ。それについては後悔していない」

 涙が溢れてきそうで、あかねは一生懸命首を横に振った。
 立っているのがやっとで、イエスとノーの単純な答えさえ、なかなか口にできない。でも、あかねの心は決まっていた。そうでなければこんなに故郷から遠く離れた場所に、立っていない。
「ケンはこれが……これが、初めてなの?」
 あかねはなんとか震えた声で呟いた。
「は?」
「その……プロポーズ。とか、結婚、とか」
 言ってしまった後ですぐ、あかねはひどく後悔した。
 せっかくケネスが美しい場所でロマンチックなプロポーズをしてくれているというのに、いくら気になっていたからといって、なにを口走ってしまったのだろう。少なくとも、もうちょっと違う機会に聞けばいいことなのに。
 しかし、ケネスは動じなかった。
 少し考えたあと、一語一語をしっかり区切るようにして、告白する。

「I proposed to a woman once」
 。あかねはビクリとしたが、ケネスはすぐに続けた。
「It was you」
 

 ああ……あかねはすぐ安堵のため息を漏らした。あの過去はもう、今はあまり二人の間で話題にはならない。それでも、ケネスはそれを忘れようとか、隠そうとかはしなかった。
 それでもまだあかねが返事をする心の準備ができないでいると、ケネスはさらに一歩あかねに近づいて、彼女の手を取った。器用に指輪を箱から取り出したケネスは、それをあかねの薬指にはめる。
 ゆっくりと。
 まるで、あかねの答えを確認するように。

「You are my first, and you are my forever」

 永遠。
 一生、でも生涯、でもなくて。永遠。
 あかねは自分の薬指にはまった指輪を見下ろし、そして顔を上げた。少し悔しいことに、ケネスはあかねの答えをすでに知っているようだった。
 そうでなければ、こんなに幸せそうな彼の笑顔を見ることは……ないだろう。

「Yes」
 あかねは涙声で答えた。胸の奥が震えるような幸せと、未来への決意を込めて。
「You are my forever, too」

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