水の神女と王印を持つ者~婚約破談のために旅に出た神女は出会った美麗の青年に可愛がられてます~

千賀春里

文字の大きさ
10 / 17

朝帰り

 身体が重い。

 寝返りが打てず、身体に違和感のある重みを感じて蒼子は目を覚ました。

 差し込む光からもう起床しても良い時間だという事が分かる。
 遠くから包丁がまな板を叩く音を聞けば柊が朝食の準備をしている事も分かる。

 ガシャンと食器が割れる音がした。

 おそらく柊と朝食の準備をしていた椋が割ったのだろう。
 神経質そうで何でも器用にこなせそうな印象を受けたが彼は家事の一切を不得意とする。

 遠くで聞こえる二人の会話も何となく想像出来る。
 しかし蒼子は今の状況だけは理解出来ない。

「苦しいんだけど」

 蒼子が目を開けた時、そこにはいなかったはずの鳳の顔があった。

 鳳は蒼子の身体を抱き締めるようにして眠っている。

 最初は夢かと思い、もう一度寝て目が覚めた時にはいなくなっているはずだと思ったのだが、何度寝て覚めても鳳の姿は消えなかった。

 決して寝心地が良いとは言えない腕枕から頭を外して視線を動かすと、蒼子が使っていた枕は鳳の頭の下にあった。

 蒼子の腹の上には鳳の片腕が絡まっている。

「重い訳だ」

 そして何か冷たいものが手に触れた。
 何かと思えば鳳の髪である。
 まだ乾ききっていない鳳の黒く長い髪が寝台を濡らしていた。

 びしょびしょじゃねーか。

 それだけではなく、寝間着の襟の合わせも大きく開いて胸元が丸見えで、その寝間着も湿っている。

 蒼子は鳳の顔や手に触れるとその冷たさに身体を震わせた。

 起こすか。

 蒼子は身体に絡みついた腕をどかしてなんとか上体を起こす。
 そして大きく息を吸い込んで空気を腹に満たし、鳳の耳元に口を寄せた。

「起きろ! 風邪引くから!」

 室内に蒼子の声が響く。
 その声にゆっくりと鳳の双眸が開かれた。

「うるさいぞ……静かにしろ」
「うわっ」

 鳳の腕が伸びて再び寝台に沈められ、そのまま鳳の下敷きになる。

「お、重い……」

 ずっしりと身体全体に重みが掛かかり、身動きが出来ない。

 すーすーと気持ち良さそうな寝息が蒼子の頬に掛かる。
 目の前にある美しい鳳の顔に少しばかり胸が高鳴る。

 色白の肌に長い睫毛、形の良い唇、右目は眼帯で覆われて見えないが端整な顔立ちだ。

 男性特有の隆起した喉元、浮き出た鎖骨の線、からは並の女なら目を回すような色気が滲み、やや疲れた表情は母性を擽られる。

 そんな男に抱き締められていると思うと蒼子は落ち着かない気分だ。

 何しろ重いし、苦しいし、潰れる。

 密着した身体の所々がじんわりと冷たい。
 その冷え冷えとした感触に身震いする。

 どうにかして起こして着替えさせないと本当に風邪を引く。私まで風邪引く。

 どうしたものかと考えあぐねていると部屋の扉が控えめに叩かれた。

「どうした蒼子、でかい声だし……」

 扉から顔を覗かせたのは椋だ。
 そして状況を見るなり目を大きく見開いて絶句する。

「貴方という人は……! 何をしてるんですか!」

 椋の怒声が室内に轟く。

「一体どうしたので……」

 椋の声を聞きつけ様子を見に来た柊も蒼子の上にのしかかる鳳を見て絶句する。
 ぎりっと奥歯を強く噛み締めて鳳の背中を睨み付けた。

「貴方という人は……!」

 柊は乱暴に鳳をどかして蒼子を助け出す。
 その際、乱暴過ぎて鳳が寝台から転げ落ちた。

「ぐぁ……っう」
「目が覚めましたか、この人でなし」

 柊が寝ぼけ眼の鳳を汚い物を見るような目で見つめた。

「自分の主がここまでろくでなしだとは思わなかった」

 椋は腕を組みながら同様の視線を鳳に向ける。

「……何だ?」

 腹心達からの侮蔑の視線の意味が分からず鳳は首を傾げる。
 そして表情のない蒼子の顔を見るとふらふらと立ち上がって蒼子を抱き上げようと腕を伸ばす。

 しかし、それを阻止するように素早く柊が蒼子を抱き上げた。

 貴方には触れさせませんよ、とばかりに。

「何だ」
「鳳様、貴方は金輪際、彼女と接触禁止です」
「会話する時も一定の距離を保つ事とする」
「は? 何故」
「「危険だから」」

 口を揃えて言う柊と椋の言葉に納得出来ない様子の鳳は不機嫌そうに顔を顰めた。

「ねぇ」

 会話の外にいた蒼子が険悪な空気を壊した。

「お風呂入った方が良い」
「何だ、まだ臭いか?」

 そう言って鳳は眉間にしわを寄せて自分の匂いを確かめる。

「違う。髪も服も湿ってて身体が冷えてる。風邪引くよ」
「そう言えばいつ帰って来たんですか?」

 柊が訊ねる。

「夜明け前だ」
「それからお風呂に入ったんですか?」
「あぁ。臭くて敵わないからな」
「それ水風呂じゃないですかっ! もう!」

 その時間帯では沸かした風呂のお湯は既に冷めて水になっている。

「疲れて眠くて寒かったな」
「当たり前です!」

 柊は蒼子を降ろすと湯の準備をする為に部屋を飛び出す。

「では何で蒼子の部屋にいたんですか?」
「寝顔を見ていたらそのまま眠ってしまったようだ」
「おい。女の部屋に勝手に入るな」

 衝撃的な事実が発覚し、蒼子は鳳を睨む。

「布団を蹴って風邪を引いては困るだろう?」
「私の寝相は悪くない」
「状況は分かりました。とりあえず、一度着替えて下さい。湿った服では風邪を引きます」
「仕方ない」

 そう言って鳳は服を脱ぎ始めた。

「ここで脱ぐな」
「良いだろう。何なら一緒に入るか?」
「入らないよ!」

 先程見た鳳の肌を思い出して、顔に熱が集中する。

「何だ、赤くなって」

 意地の悪い笑みを浮かべて蒼子を自分の目線より高く抱き上げた。

「ちょっ、降ろせバカ!」
「……」

 顔を真っ赤にしながら慌てる蒼子を見て鳳は目を丸くして急に動かなくなった。

「?」

 一体どうしたのだろう……?

 蒼子が小首を傾げていると着替えを持った椋が入って来た。

「じゃれてないで風呂に行きますよ」
「……あぁ」

 言葉少なく蒼子を床に降ろして部屋を出て行った。

「疲れてるのかな……」

 女の所か、飲み屋か……。

「女だな」

 臭くて敵わないと言っていた。

 香や化粧品の匂いが混ざって本来の香りを失い、悪臭を振りまいている人も結構いる。
 男の気を引くどころか真逆の事をしてしまっている女は割と多い。

 鳳の疲労の窺える寝顔を思い出す。

 なら相手にしなければ良いと思うのだが、昨日の様子から見ると粗雑に扱えない相手なのだろう。

「大丈夫なのかしら」

 当事者の問題だ。蒼子の預かり知る事ではない。

 だが、気掛かりだ。
 私に出来る事はないだろうか?

 しかし今の自分に何が出来るかと問えば大した事は出来ない。

 自分を保つだけで一杯の状況なのだ

 ダメだ……考えるだけで疲れる。

 蒼子は寝台の湿って冷たくなっていない場所を探して寝転ぶ。

「日に日に身体が重くなってる」

 起きているだけで疲れるなんて末期だ。

 早く仲間と合流したい。

 そんな事を考えているうちに自然と意識は闇に溶けた。



感想 0

あなたにおすすめの小説

『病弱な幼馴染を優先してください』と言った妻が消えた翌日、夫は領地の会計書類が全て白紙になっていることに気づいた

歩人
ファンタジー
侯爵家に嫁いで五年。ルチアは夫エミルの領地会計・社交・使用人管理を全て一人で担ってきた。だがエミルはいつも幼馴染のアリーチェを優先する。「アリーチェは体が弱いんだ、お前とは違う」——その言葉を百回聞いた日、ルチアは微笑んで離縁届に署名した。「ええ、私は丈夫ですから。どうぞ幼馴染様をお大事に」。翌朝、エミルが目にしたのは——税務報告の締切、領民からの陳情の山、そして紅茶の淹れ方すら知らない自分。三ヶ月後、かつて「地味な妻」と呼ばれたルチアは、辺境伯の財務顧問として辣腕を振るっていた。

亡き姉の身代わりとして嫁いだ私ですが、離縁状を置いた翌朝、夫が私の「真実」に気づいたようです』

まさき
恋愛
「サインはもう、いただきました。あとは私がこの屋敷を出るだけです」 ​五年間の結婚生活。侯爵令嬢エルゼが演じ続けたのは、亡き姉・ロザリーの「身代わり」という配役だった。 夫であるカイル公爵が愛していたのは、かつて雪の中で自分を救ってくれた初恋の少女・ロザリー。 生き写しの妹であるエルゼを娶りながらも、彼は一度も彼女を「エルゼ」と呼ぶことはなかった。 ​冷淡な視線、姉と比較される日々。 「君はどこまでいっても、ロザリーの代わりにはなれない」 その言葉を最後に、エルゼは静かに離縁状を置き、屋敷を去る決意をする。 ​しかし、彼女が消えた翌朝。 カイルは、エルゼが大切に遺していった古い小箱を見つける。 そこにあったのは、十五年前のあの日、彼が「命の恩人」に預けたはずの片方のカフスボタン。 そして、幼いエルゼが綴った、あまりにも切ない真実の日記だった。 ​――「あの日、雪の中で貴方を抱きしめていたのは、お姉様ではなく、私だったのです」 ​真実を知り、絶望の中でエルゼを追うカイル。 だが、すべてを捨てて「自分」を取り戻したエルゼは、もう二度と、彼の隣で微笑む仮面の妻には戻らない。 ​これは、名前を奪われた女が自由を掴み、愚かな夫が真実の愛を失うまでの、静かで鮮やかな再生の物語。

『愛人を連れて帰ってきた翌朝、名前すら呼ばれなかった私は離縁状を置いて旅に出ます。これからは幸せになります――そう思っていました。』

まさき
恋愛
夫に名前すら呼ばれず、冷たく扱われ続けた私は、ある朝、ついに限界を迎えた。 決定打は、夫が見知らぬ女性を連れて帰ってきたことだった。 ――もういい。こんな場所に、私の居場所はない。 離縁状を残し、屋敷を飛び出す。 これからは自由に、幸せに生きるのだと信じて。 旅先で出会う優しい人々。 初めて名前を呼ばれ、笑い、温かい食事を囲む日々。 私は少しずつ、“普通の幸せ”を知っていく。 けれど、そのたびに――背中の痣は、静かに増えていた。 やがて知る、自らの家系にかけられた呪い。 それは「幸せを感じるほど、命を削る」という残酷なものだった。 一方その頃、私を追って旅に出た夫は、焦燥の中で彼女を探し続けていた。 あの冷たさも、あの女性も、すべては――。 けれど、すべてを知ったときには、もう遅くて。 これは、愛されていなかったと信じた私が、 最後にようやく“本当の愛”に気づくまでの物語。

「今更、あなたの娘のふりなどできません」〜ずっと支えていた手を、そっと引っ込めただけです〜

まさき
恋愛
父が死んだ日から、私は屋敷の「異物」になった。 継母は新しい夫に夢中で、義姉たちは私を使用人のように扱い、継父は三年経っても私の名前を覚えない。 気づいていなかったのだ、あの人たちは。 私の「静寂の手」がずっと、この家を守り続けていたことを。 ある夜、私は静かに荷物をまとめた。 怒りもなく、涙もなく、別れの言葉すら残さずに。 三ヶ月後、屋敷に原因不明の病が広がり始める。 「リーナを探せ」 今更、ですか。 私はもう、別の場所で別の名前で——ちゃんと生きています。

【短編】花婿殿に姻族でサプライズしようと隠れていたら「愛することはない」って聞いたんだが。可愛い妹はあげません!

月野槐樹
ファンタジー
妹の結婚式前にサプライズをしようと姻族みんなで隠れていたら、 花婿殿が、「君を愛することはない!」と宣言してしまった。 姻族全員大騒ぎとなった

幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない

しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。

『お前を愛する事はない』旦那様、それではごきげんよう

あんど もあ
ファンタジー
結婚初夜に「お前を愛する事はない」と言われたアレクシア。成金男爵令嬢が名門旧家の伯爵家の令息との恋を実らせたはずが、彼は贅沢を享受したいだけで、愛する女性は別にいた。それから三年。アレクシアは夫から家を追い出される事になるが……。

番ではないと言われた王妃の行く末

にのまえ
恋愛
 獣人の国エスラエルの王妃スノーは、人間でありながら“番”として選ばれ、オオカミ族の王ローレンスと結婚した。しかし三年間、彼に番と認められることも愛されることもなく、白い結婚のまま冷遇され続ける。  それでも王妃として国に尽くしてきたスノーだったが、ある日、ローレンスが別の令嬢レイアーを懐妊させ、側妃として迎えると知る。ついに心が折れたスノーは離縁を決意し、国を去ろうとする。  しかしその道中、レイアー嬢の実家の襲撃に遭い、スノーは命を落とす寸前、自身の命と引き換えに広域回復魔法で多くの命を救う。  これでスノーの、人生は終わりのはずだった。  だが次に目を覚ますと、スノーは三年前の結婚式当日に戻っていた。何度死んでも、何度拒絶しても、結婚式の誓いの瞬間へと戻される。  番から逃れようと、スノーは何度も死を選ぶが――。