ワールズエンド・カーニバルシティ

緑茶

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第1章 ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル

#12 電撃バップ

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「――どうする」


 チヨはフェイに問いかける。しかし彼女は前方を見たまま動かない。

 シャーリーが、化け物に向かった。



「このっ……エスタを、離せええええッ!!!!」


 彼女はもう一度腕を振るった。片足が地面につんのめり、その勢いのまま右腕の先が外れ、ロケットのように飛んでいく。というよりは、伸びていく。ジェット噴射のごとく後方には青白い光。


相対する化け物はそれに対して、腕を交差することで迎え撃った。彼女の脚元で地面が少しめくれて、彼女は姿勢を崩す。先程より、拳の勢いは弱まっている。ゆえに、だろうか――確かに、風は起きた。そして拳は飛来していった。


 だが、今度は先程のような結果を生み出さなかった。


 拳は、化け物の腕に受け止められ、止められた。今度は全く効いていない。奴はやや後方へ引き下がり、その前方のアスファルトに僅かな轍を作り出し、周囲に風圧を生み出した。だが……効かない。


「えっ、」


 彼女はやにわに狼狽える。化け物は歯を食いしばったままシャーリーを見つめる。拳が……弾き飛ばされる。


 彼女もまた後方へ転倒して尻餅をつく。その腕の先に拳が戻り、嵌まる。


 彼女は肩を上下させながら前方を睨む。その右腕と交互に。未だその力の制御には至っていない。まだまだ足りない、届かない。化け物は変わらぬ巨体を、壁のごとく彼女の前に晒している――。


「どうするのかと聞いている、おい。フェイ――」


「彼女を……奴の中に取り込んだのは……」


『そう。シャーロット・アーチャーを覚醒させるため。この事態へと、到達させるため』


 スマートフォンの中で、ディプスは答える。彼女は肩を揺さぶられ、言葉をぶつけられているが、それはまるで遠くに聞こえた。彼女とディプスの問答が続く。


「何故、そんなことが必要なんだ」


『決まっているじゃあないですか。僕の倦怠を破壊するために……必要なこと』


「それなら――」


『ああ、勘違いしないで欲しい。君にはもう、期待しちゃいませんよ』


「ッ……」

 

 “どうして、こんな力を”


 かつての会話が、フェイの脳裏で蘇る。今よりもずっと前、まだまだ何も理解できていなかったあの頃、自分の所に降り掛かってきた状況。そして力。


(剣に、ランダムに僕の遺伝子を混ぜたんですよ――誰がその力を得るかは予想もつかない。しかし、これだけは言える。それこそがこの世界の運命を変える……君がその力を知るたびに、この街は大きく変革することでしょう!)


「ならば……今が、その運命の時なのかもしれない」


 フェイはそう言った。そこで音が戻り、傍らのチヨに気付く。


「おい、フェ――」


「……どうやら、やはり自分は最低らしいぞ」


 そう言って彼女の肩を叩く。それから、その横を素通りする。

 ……地面に片足をついて前を向いている、異形の右手を持つ少女に近づく。それから、歯噛みする彼女に向けて声をかける。


「くそッ、どうしたら」


「シャーリー」


「フェイさん、ボクは……」


 ……その時。


『さぁッ!! いよいよ――今回の演目も、クライマックスと行こうかッ!!!!』


 化け物の咆哮とディプスの声が同時に響き、その変化が――最後の状況の変化が現れた。


その身体が、更に一段階巨大に膨れ上がる。


 めりめりと音を立てて肥大化する肉。地面にめり込む脚。のたうつ触手。苦痛のような声が響いてくる。


 それから再び咆哮。周囲の全てを揺らしながら――揺らめく薄暗いストリートの中で、そのシルエットが更に巨大になり、まだ残っていた人々がおののきながら逃げていく。

 それは暗がりの中で随分と遠くに見えてしまっていた。それがなおさら恐怖を掻き立てているようだった。


 そして彼は轟音を立てながら、その四肢全てを投げ打つようにして走り始める。先程までとはまるで違う動き。天空より長大な操り糸で動かされているかのように。そこには規則性があった。

 そしてそれは――数日前、誰もが実際の目で、あるいはモニター越しで目撃した動きだった。


 転進――爆走。


「あいつ……」


 ミランダはその動きを見て、ぽつりと零す。


「また……向かい始めた。ヘヴンズソードへ」


 そう。振り出しに戻る――ディプスの目的第1段階が達成された今。


「いいか、シャーリー。これからが大詰めだ。君にも協力してもらう」


「フェイさん……」


 化け物が移動を始める――周囲が揺れる。その巨大な影が建物の間から顔を出し、動いていく。そのたびに周囲に地震が起きる。地面がめくれ上がり、看板が折れ曲がる。


 先程よりも明らかに速い速度で、彼は往く。


 フェイが、スマートフォンで各員に連絡を始める。


『――ということだ、ミランダ』


「……本当に言っているの、それ」


『大マジだ。彼女はもうこちら側になってしまった』


「……それはきっと、とても不幸よ。これは私のせい? それとも……」


『いや、違う。“私達のせい”だ――』


 ……ミランダは機器から耳を離し、どこか遠くを見た。それは化け物でもなく、街並みでもなく。今この時間そのものを見ているようだった。


 彼女は大きく息を吐いて、それから一つの表情を作る。

 それは、笑みだった。安堵するような。


「分かったわ。だったらやりましょう……この呪われし身にかけて」


『頼む――鷹の目』


 ……通信終わり。

 彼女は夜空の下で、その長大な翼を広げた。


「……ワオ。そんな馬鹿な話がある? あんた、ヤバいヤクでも打った?」


『馬鹿を言え。わたしがハイになるのはな、全てが終わるか、始まる時だけさ』


「……シラフじゃ聞けない話ね」


『だが。事実だ……そして、お前のやるべきことは変わらない』


「……後悔、してないの?」


『したさ。数秒間に、何百回も。だが、答えは一つだった』


「……それは?」


『犬にでも食わせろ、だ』


「――あはっ」


 グロリアは思わず噴き出した。すぐ近くに居た警官が不審な顔をした。

 その後彼女は……なんだか無性に、泣きたくなった。


「また……増やすつもり? あんたの、銀の庭の仲間を」


『どういう意味だ?』


「別に。――要は、こっちに来るんでしょ? それでやることは変わらないってことね。りょーかい。グロリアは、フェイ・リーに従います」


『あぁ――頼む』


 言葉が切れた。


「……」


 彼女はしばらく、機器を弄くり回していた。その間彼女は俯いていた。笑みはなかった。


 今ここにミランダが居なくてよかった。そう思って安堵すると、なんだか途端におかしみがこみ上げてきた。それは、観客の居ないパントマイムのような心地だった――。


 そして今。キムは。


「……」


 深い瞑想のような境地の中に居た。既にそこへ入門してから数分が経過していた。彼女は割れた地面に埋まった電線へと直に手を触れながら、長い間目を瞑っていた。


 それから、来るべきものをずっと待っていた。『それ』がやってくれば、たちまち何もかもを解放する――骨の折れる仕事だ。精神的にも、あるいはもしかすると、物理的にも。


 そこへやってきた知らせは、彼女を大きく動揺させた。


「それ、マジなんスか……シャーリーちゃんが……」


『ああ、本当だ』


「うっぷす……」


『しかし、お前の行動に変更はない。奴をそこまで誘導させる。難易度は高いがやるしかない』


「なるほど……」


 苦笑いが浮かぶ。全く、軽々しく予定変更を投げてくる。


『不満は……ないか?』


「不満? そりゃ1ダースじゃ足りないほどに、どっさりあるっスよ」


『――そうか』


 ……だが、そこでフェイは謝罪しない。


 そう。それでいいのだ。


 彼女は、ポケットの象に触れる。それだけで、安心が溢れ出た。大丈夫だ、自分は大丈夫だ――。


「了解しましたよ。お仕事、頑張りましょう」


『――頼む』


 そして最後は、チヨだった。フェイのすぐ傍に降り立っている。


「……頼めるか」


 彼女の返答は、簡潔にしてすべてを物語っていた。

 ――その瞳が、まっすぐにフェイを見て、言った。


「儂の居場所はお前達の居る場所だ。お前を殴りたくて仕方がないが、その事実が変わらぬ限り、儂のやることは変わらない」


「……そうか」


「――先に行くぞ」


 ……それだけ言い残して、チヨはスズキ・カタナに跨った。


 エンジン音が駆動して、その場を走り去る。既に化け物はその通りから消え去っていた。だが、遠くでその巨大な足音が響いている。彼女はその追跡へと向かった。

 夜が訪れようとしているストリートに、銀髪と藍色のキモノが浮かび上がっている――。


 その場には、二人だけが残る。誰も居ない。遠雷のように響く音だけがそこにある。


「君は……自分が何をしたのか、理解しているのか」


 フェイはスマートフォンをポケットに収め、地面に落ちたコートのゴミを払って羽織る。そして、シャーリーにそう聞いた。


「それは……」


「君は、アウトレイスとなった。あの短剣は、人間を細胞レベルで変化させてしまう。君はもう二度と、普通の人間に戻ることは出来ない」


 どこまでも残酷だが――決して変えることの出来ない事実。今ここで、口ごもることもなく、フェイは突きつけた。


 しかし。


「……それでも」


 シャーリーは俯いた。それから、正面を向いて言った。


「それでもボクは、やらなきゃならないんです。後悔なんて、後からいくらでも出来ると思うから。だから……」


 ――フェイは、その瞳に射抜かれて動けなくなった。


 真っ直ぐな、やや赤みがかった瞳。突き刺さった事実に衝撃を受けて、そこから確かなダメージを感じている証左。揺れる色。だが、それでもこちらを見てくる。たとえどれだけ苦しくとも、前を向くことを決めた者のみが持つことの出来る瞳。


 彼女は、そこからそっと距離をとった。それから、零す。


「……ああ、なんということだ」


 それは心の奥底から自然に漏れ出た嘆きだった。途方に暮れたように上を向いて、ぽつぽつと零す。


わたしフェイは、君を止めるべきだというのに。今、どうしようもなく君を信じたくなってしまう自分がいる。わたしは最低だ――」


「フェイさん――?」


「かつて、君と全く同じような目を持つ人間が居た。わたしフェイはそれをあまりにも知りすぎている」


「それって、」


「ああ、こうなったらもう。やるしかないな、ちくしょうめ」


 シャーリーからそれ以上のことを聞かれる前に、フェイは言った。いつもより多く、口から煙を吐き出す。そして、今度こそ狼狽えずに、彼女の正面に立った。そこにある瞳はやはり揺れていた。決意が揺らいでいるわけではない。己の中で戦っている瞳だ。

 しかし、だからこそ……信じられるのかもしれない。


「こうなれば、彼女と世界――どちらも救ってみようじゃないか。さぁ、行こうシャーリー」


 ……フェイは、そう言って笑った。それは、今現在気持ちが奮い立っている自分に対する苦笑の意味があった。


 ああ、結局自分は、こういう人間なのだ。逃れようもなく、どうしようもなく。全く、救いようがない。あの頃からまるで変わっちゃいない……。


 シャーリーはしばしフェイを見つめていたが、やがてその瞳に決心を滲ませて、大きく頷いた。

 夕日が、沈んでいく。


『さぁーーーーーーーて今夜もロズウェル・ナイトショウが始まるよ!! なんだかダウンタウンは精力が足りていないみたいだね、そんな皆を最高にヒップさせる、この男をゲストに迎えよう!! さぁ皆、盛大に出迎えてくれ!! ――』


 ……あの日と同じように。

 だが、全く何もかも違う夜がやってくる――。





「ジーザス、まただ」

「別の回線を試してみろよ」

「違うよ。これ、映像レベルで途切れてんだ」


 ストリートの裏路地で、数人の若者が固まりながらスマートフォンでテレビ映像を見ていた。


 それは現在のロサンゼルスの様相を克明に捉えている映像……のはずだったが、時折不自然なほどにカクつき、映像がカットされる。


『私は今ストリートの真上に居ます――化け物は突如向きを大きく変えて、転進!! 見えますでしょうか、更に巨大に膨れ上がっています、ああっ、次々と――次々とビルが!! ビルがなぎ倒されていきます!!』


 映像の中では、恐怖というべき光景が繰り広げられていた。


 更に巨大になったあの化け物が、ストリートを、まるで蛇のように横薙ぎにブレながら進んでいくのだ。その度に建物が衝突し、根本から転倒し、破壊されていく。まるでドミノを倒していくかのように……解体現場のように。


 次々と建物が白煙に呑まれ、瓦礫が飛び散っていく。出来の悪いモンスター映画のようだが、紛れもない現実の光景である。しかし、それも時々途切れてしまう。


「どうなってんだ? おかげでこれがどこを映してるのかも――」

「おい、お前テロドだろ。どうにかしろって」

「バカ言え、俺の力は鉱石ラジオ専門だ」

「くっそ、つまらねえ」

「おい、つまらんとか言うなよ。そもそも俺達だって逃げたほうが――」


 ――と、そこで轟音。

 彼らは身体を揺らして、びくりと反応する。地面が大きく揺れる。軒下から、ぱらぱらと石の欠片が落ちる。


 ……沈黙が彼らの間に流れ、まるで示し合わせたかのように画面を見ることをやめる。そのまま、表通りに出る。

――そこで、目にしたのは。


「どうなってるんだ、なんでまたこっちに来るんだッ」

「逃げろ逃げろ逃げろ逃げろおおおおおおおお」

「馬鹿、押すな、押すなぁッ!!!!」

「子供が、子供がまだあそこにッ――」


 大量の軍勢が悲鳴を口々に上げながら逃走していく、その情景だった。

 ある者は走り、ある者は飛翔し。あるいは、もっと別の方法で。多種多様な姿の者達が一様に逃走していく。

 そして、その群衆の向こう側で。


 咆哮と共に、ビルディングに衝突、破壊しながらこちらに向かってくる巨大な化け物が居た。


 白煙の向こう側、ブレていく視界。その奥。目線は群衆にあって、その奥ではない。しかしその影は絶えず見え続けている。限りなく夜に近づいたストリート。ダウンタウンの至る所に灯りが灯り始める頃――奴は、向こう側からやって来る。


 醜悪な触手のごときものを身体中に纏わせながら、苦しみ、悶えるように建物に衝突する。料理店が複数横薙ぎになり、崩れ落ちていく。

 その下で頭を抱えて叫んでいる者を、別の誰かが助け起こして逃げていく。あるいは、その横を素通りしていく。混乱と恐慌のさなか。どこにも逃げ場などない――化け物は千鳥足で確実にこちらに向かってくる。


 全てを粉砕する重機のように、その巨大な脚で地面を陥没させ、破砕しながら進んでくる。


「……――」


 青年たちは呆然と、その光景を見た。傍らを、他のすべての者達が通り過ぎていく。


 それから――わずかに、口から言葉を漏らした。


「……マジかよ」





「ッ、この……」


 背中、脚、腕――それぞれの裏側に備わった『孔』全てを全開にして青白い光を噴出させる。


 そして空中を自在に駆け巡りながら、チヨがカタナを振るう。化け物が繰り出してきた拳は、あのナイフの暴漢の時のようにするりとかわしながら、同時にその赤黒いのたうつ肉の腕の上に乗り上げる。


 それからその上をサーフィンのように滑りながら、肉を切り刻んでいく……だが、まるで効き目がない。斬り裂いた部分は、浅い部分から徐々に再生していくのだ。時間が経過していくうちに――その速度は、早まっていくように思われた。  


 彼女の左右には建物。下にはストリート。そして、拳――正面からぶつかる。カタナで受け止める……が。


 力が溢れて、弾けて、彼女の目の前に閃光が奔った。波濤のような音が響いて、彼女は吹き飛ばされる。その後方に、斜めにくずおれた建物がある。


 彼女はぎりぎりのところで脚部から孔を作動させる。全身をしたたかに打ち付けることだけは避ける……だが。その身体は、やはり建物にぶつかり、埋まってしまう。必然だった。


 周囲にヒビが走り、彼女はぼやけた視界と漂う煙の中で呻く。そして、幾つかの悪態を化け物に差し向ける。当然、聞こえていない。


「チヨっ――」


 ミランダの叫びが聞こえた。


 チヨを吹き飛ばした化け物は、ゆっくりと身体を動かして、寝返りをうつかのような動きで向きを変えた。そのまま、別の方角へ頭を向ける。


 それは――グランドパークのヘヴンズソード方面だ。このまま化け物がまっすぐ進めば、いともたやすくそちらに到達してしまうことだろう。

 そうなれば、待機しているグロリアもキムも無駄足を踏むこととなり……ミランダの精神は、更に悪化すること間違い無しだった。


 そうは、させない。


 させるわけにはいかなかった。彼女はしっかりと構え、そして、撃った。おっかなびっくり、自分たちの絶望へと足を運ぼうとしている醜い化け物の脚元へ。


 銃撃が突き刺さる。ダン、ダン、ダン、ダン。遥か彼方で鐘が鳴動し、その響きが空気を伝わってその場で聞こえるかのように。轟音が数度鳴り響く。


 本来ならば戦場で、戦闘車両を相手取って銃弾を放っていたはずのライフルは今、このアンダーグラウンド以外ではあり得ないほどの更なる高威力を実現した状態で、彼女の鷹としての力により確実に保持されている。空中で構えられ、放たれる。


 化け物の脚元に巨大な銃痕が花開くと、彼はたちどころに方向転換を余儀なくされる。それは極めて生物的な反応といえた。彼女はそうして、彼をここまで誘導してきた――でなければ、化け物はとっくにヘヴンズソードへと到達しているといえた。


 化け物は――ミランダの方を向いた。そのスキを逃すつもりはなかった。


「……醜い顔。可哀想に」


 その顔面に、巨大な弾痕が開いた。周辺に放射状の肉片が飛び散る。


 ミランダは眉をひそめながら自分の所に飛来してきたそれを回避する。

 化け物は呻き、ふらつく。腕が建物の端に当たってさらなる被害をもたらす。

 

 たたらを踏んだ脚元で車が一台犠牲になって、アラートと一緒にか細い金属質の断末魔を上げる。その周囲を、人々が逃げていく。今だ逃げ切っては居ない。ミランダから見れば、それはまるで蟻のようで――愉快ではない想像だった。


 ……その彼女の目の前に向けて、化け物は苦し紛れの拳を放った。突風と共に迫りくる。彼女の長い黒髪が後方へとなびく。構える――頬に汗。しかし、それには及ばなかった。


 拳は彼女の目の前で突如勢いを失って、そして崩れ落ちた。真下に落下したのである。その部分だけが。――目の前を通り過ぎるモノ。いや、違う――人。一瞬見える、青白い光と、黒檀の軌跡。


「……チヨ」


 切り飛ばされた拳の先が地面に落ち、化け物が再び悶絶の舞踏を始め、足元を大混乱に陥れ始めるのとほぼ同時に、少女は地に降り立ち、うっそりと彼女の方を向いた。


 和装の少女はミランダの危機を救ってカタナを一旦収めると、酷くうんざりした口調で言った。


「……そろそろ仕舞いにしたいものだな」


 彼女は自らの苦境から抜け出すのにそれなりの労力を要したらしく、至る所に煤汚れと細かな傷があった。それでもなお、そのまっすぐに射抜くような目線だけは健在だった。


 ミランダはふっと安心したように笑って、言葉を返す。


「えぇ……本当に、そう思うわ」


 そこで――不意に。


『だったら――あたしが必要なんじゃない?』


 通信が入る。振り返ると、ストリートの真ん中。大勢の人間が逃げ惑っていく中、それに逆らうように立っている女がいる。


 グロリアだった。


「あなた……」


 ミランダが思わず声を漏らす。


「あんたら夢中で気付いてなかったでしょ? 気付かないうちに、合流地点に来てたのよ」


 彼女はそう言った。その後方で。


「オラオラぁこっちだぁ!!!!」

「さっさと逃げろって言ってるのが分からんのかぁぁぁぁ!!!!」

「こらそこォ!! 何撮ってる――あぁ!? インスタぁ!? そんなもん面白いパフェだけにしとけぇッ!!!!」

「こちらグランドアベニュー手前! 避難ポイント変更の是非を問う、どうぞォ!!!!」


 荒くれた警察官たちが、逃げ惑う人々を束ねて、一つの方向に誘っている。怒鳴りながら、時折人々と揉み合いながら――その指揮を、あの“ロットン坊や”がとっている。叫び、血管が切れんばかりに怒号しながらも……職務を果たしている。

 彼が、振り向いて――空中でホバリングを続けるミランダに言った。


「俺達警察はな。あんたらが気に入らない」


「……」


「何が超法規的機関だ、クソ食らえ。普段は正体隠して英雄気取りの癖に。面倒事が起きれば全部俺達に押し付けやがる。最低だよ」


 彼は背を向ける。


「だが、現状はあんたらが頼りだ――うちの一班の長からの伝言だ。“オレが居ないからって調子に乗ると許さねぇ。だが、半端な結果を出せばもっと許さねぇ”……だそうだ」


「……ふふっ」


 思わず、ミランダは笑みを漏らした。グロリアも同じく。


「……――こらそこォ、なぁにニヤつきながら歩いてる!! てめぇヤクやってんじゃねぇだろうなぁ!!!! とっとと歩けぇッ!!!!」


 彼は再び怒号を再開し、彼女たちから離れていく。祭りの列が猛スピードでやってきて、あっという間に通り過ぎていくかのように。


 そしてグロリアが、改めて化け物を見る。


 ……チヨが、戦っている。何度も斬撃を浴びせながら、背を向けて進もうとしている彼を押しとどめている。その下を、人々が逃げていく。ミランダが――改めて、対戦車ライフルを空中で構え直す。

 

 そこに、グロリアの声。


「で? あいつの中に入ればいいわけ?」


「……そうよ」


「無理よ。今の状態なら」


 グロリアはきっぱりと言い放った。相手がミランダであるから、というわけではないようだった。

 厳然たる事実を述べているだけに過ぎなかった。化け物は身体をくねらせ、チヨの斬撃に晒され続けている。彼女が能力を発動させるためには……奴が正面を向き、かつその『唇同士』が完全に重なる必要がある。


 最もグロリアは、ここまで来るまで何度もその絵面を想像し、自分がお役御免となることを願い続けてきたのだが。


「……」


 ミランダは何か言いたげだが、何も言わなかった。


 ……と、そこへ。


 アスファルトの擦れる音。ゴムの削れる音――振り返ると、シトロエンDSが半円状の轍を描きながら路上に突っ込み、強引に停車した。往来の真ん中である。逃げていく人々はそれからも逃げる羽目になった。そこから。


「エスタっ……!」


 お決まりの言葉を口にして、シャーリーが降りてくる。


 そして、フェイが後に続く。


 彼女は降りて――前方を見た。そこで起きている戦闘を。そして、シャーリーを見た。彼女は顔を見返してくる。小さく頷きを返す。


 シャーリーは一歩前に進んで、破れた袖のある右腕を前方へ突き出す。


「あの子が、本当に」


 ミランダの小さな声。フェイは何も言わなかった。グロリアでさえも。


 シャーリーの右腕が、バリバリと裂け、大きな変化を迎える。徐々に、肘の先がひとつの異形へと変貌を遂げていく。周囲の彼女たちは見守るしかなかった。つい数時間前まで人間であった者の変化を。


 変形は完了した。

 シャーリーの右腕が、巨大な杭打ち機のような形を得、その先に大きな握り拳を展開した。彼女の首元からは赤いマフラーがたなびいている。


「……あなたが」


 ミランダが、下に居る彼女に言った。

 彼女は顔を向ける。


「……あなたが、只の人間であればよかったのに」


 そう、言った。

 シャーリーは……俯く。


 グロリアはそんな彼女に何か声をかけようとした。だが、手が彼女の肩に触れる直前で止まり、やがて何もしなくなった。


 ……地面を削る音。

 ――チヨが、彼女たちのところにまで引き下がり、後退してきた。


「おい、お前達」


「チヨ……?」


「グロリア。ミランダ。貴様らはいつも通り下らぬ口論などやっておけば良いのだ」


 彼女は荒く息をしながら、黒檀のカタナを構え直す。そして背を向けて移動していく化け物に切っ先を向ける。


「儂がスキを作る――……ミランダ。頼むぞ」


 ……和装の少女が、しっかりと光の灯った瞳をミランダに向けて、言った。


「……分かったわ」


 ミランダは、頷いた。


「えっ? えっ?」


 グロリアは分かっていない。

 フェイは、シャーリーに語りかける。


「いよいよだ。……いいね?」


「――っ」


 目指すは化け物の中心核。

 そこに、エスタが居る。今度こそ、自分の心からの言葉を届ける。そして、救い出す。

 ――シャーリーは息を吸い込んで、決意を新たにする。


「……はいッ!!」


 そしてチヨが、脚部の『孔』を展開して一気に駆け出す。ミランダが飛翔し、銃を構えて後方から彼女を支援する。


 銃撃――化け物の前方へ。彼の進撃が一瞬停止する。それから。


「……おい」


 声――化け物は反応しようとした……が。


 そこで斬撃が迸る。チヨだ。肩口から一気に斬り裂いて、彼の真上に乗り上げる。化け物はバランスを崩してふらついて、身体の向きを大きく変える。ヘヴンズソードに対し――背を向ける。

 それはそこにあった。呑気に電飾を光らせ、天へと繋げている。


 ……長く、息を吐く。

 その、幾つもの刹那の時間が経過して。


 チヨは、化け物の身体から逆さに落下する。その目の前に、胴の中央部……大量の触手がひしめいているその場所を見る。彼女はカタナを構える。


 ――化け物が、咆哮した。


 それに答えるように、チヨは唱えた。その刀身が、光を放ち。全身の孔が、唸りを上げる――。


「芦州一刀流――奥義……――」


 そして、極みの技が炸裂する――。
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