アリアドネ・コード─少女兵たちよ人類を奪還せよ─

チャハーン

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アリアドネの繭・前編

第3話 鉄の揺り籠

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 タロスが動き出した。
 キャリアーを模したこの車両は、過酷なサイレント・セラムを駆け抜けるために三対の頑強な脚が備わっている。この脚があることにより、最も効率的で柔軟な機動を可能にしたのだ。

 規則的な振動が響く。リリスは血と粘液で汚れた装備を外そうとした。リグの針が脊髄から抜けると、彼女は体の力が一気に抜けた。膝をつきそうになりながら、近くにあった席に腰を深く沈める。

「お疲れ様リリス、任務は無事成功したみたいね」

 操縦席の奥から一人の女性兵士が出てきた。リリスとベティが所属する強襲救出大隊アリアドネ第四分隊を率いる分隊長、サラ・ヴァレンタイン大尉だ。彼女もまた、リリスたちと同じくシンクロ・リグを着て戦う。しかし今はそれを装着せず、軍服を着ていた。
 リリスより数歳年上の彼女が見せる落ち着きは、戦場帰りの二人の緊張を僅かに綻ばせた。

「分隊長……」

 リリスは思い出したように胸ポケットを探る。震える手で銀色のドッグタグを取り出した。

「シオン・カトラス中尉の、最期を見届けました。これをどうぞ」

 サラの瞳が僅かに細くなる。彼女はリリスに歩み寄り、震える彼女ほ手からプレートを受け取った。

「彼女は……エレン・ヴァンスの……護衛だった。恐らく、一足先に食われてしまったようだな。悔しかっただろうに……」

 サラは冷静さを保っていたが、指先が震えていたのをリリスは見逃さなかった。サラはタグに付いた血を吹くと、背を向ける。

「辛い役目をさせたね。でも……リリスの選択は正しかった、きっと……シオンも感謝しているわ」
「分隊長、エレン・ヴァンスは無事ですか?」

 リリスはストレッチャーに横になっているエレンを見て言う。
 サラは小さく返す。

「ええ、今のところは。もう少し遅かったら、エリア九に送られるところだったわ。とにかく、ご苦労さま」
「ところで、この人って誰かわかる?」

 ベティが横から聞く。サラはしばらく答えず、タロスの狭い覗き窓の向こうの景色を見つめていた。

「強いて言うなら……救世主になるかもしれない人物」

 * * * * *

 タロスが停止した。いよいよセクターの中に入ったのだ。長い揺れがようやく収まり、リリスたちは立ち上がる。いくら外界に適応した構造とはいえ、脚で動く以上無限軌道やタイヤよりも体にかかる振動は大きい。
 毎回降りる度に船酔いのような感覚に襲われていた。

 気密ハッチが解放され、中に新鮮な空気が流れ込む。漂白剤のような臭いは消え失せ、代わりにエンジンオイルの臭いが鼻を刺す。外には白い防護服を着て武装した兵士数名と、その中心に男が立っていた。

「お疲れ様ですカイン」
「そちらこそご苦労。どうやらターゲットは無事なようで」

 カインと呼ばれた男が合図を出すと、兵士たちがタロスの中に乗り込み、エレンが乗ったストレッチャーを運び出す。彼らからは割れ物を扱うような慎重さを感じた。そのまま医務室に連れていかれ、再び静寂が戻る。

「カイン大尉、来ていたんですね」
「ベティ、今回も無事に帰還したか!」
「私は簡単にくたばるつもりはありませんよ」
「頼もしいな。じゃあ俺はここら辺で失礼するよ」

 カイン大尉は手を振りあげると、エレンを運ぶ兵士たちの後を追うように歩き出した。背中を見送っていたリリスは、思わず彼を呼び止めた。

「その……大尉!」
「……どうした?リリス」
「シオン・カトラス中尉についてなんですけど」
「ああ、彼女の件か。報告は受けている。何か遺品があったらサラに預けておけ。もちろん、彼女は軍人として当然の名誉を受けることになる」

 無機質だった。
 シオンが必死に出した言葉も、彼女が残りの力を全て捧げて引きちぎったドッグタグも、組織ではデータの一つとして処理される。

 カインたちが角を曲がって見えなくなると、サラがリリスの横に立つ。

「行きましょう。まずは除染室よ」

 サラの言葉に従い、リリスは除染室に向かった。ここはセクター九、最外殻の隔離ブロックだ。病人や難民が隔離され、万が一要塞が突破された時は、彼らが最初の犠牲者になる。言い換えると、天然の防護壁だ。
 サイレント・セラムからも近いため、建物の中ではセラムの粒子を排除するため換気扇のファンが絶え間なく回っていた。
 除染を終えると、三人はすぐ宿舎に帰ることになった。
 今日の任務はこれで終わりなため、あとは各々が自由時間を過ごすのみだ。

「相変わらず、ここは治安が悪いな」

 装甲車に乗り込んだベティが呟く。
 農業をしようにも、飛来してくるセラムがそれを邪魔する。食料のほとんどは政府の配給頼りだったが、それでは足りないため道端では闇市が常に開かれている。路地裏を見ると、死体のようなものが転がっていた。リリスはそれを見ないように、視線を下に逸らす。

 装甲車はセクター九の区域を通り抜け、八、七、六と軽快に進んでいった。隔壁を抜ける度に空気は澄んでいき、彼女ら軍関係者が過ごす四層に入る頃には、空は明るく、かつての地球を思い出させるような大気が見えた。

 一時間が経過した頃、背中の痛みが増していく。リバース・シンクロの反動は、肉体よりも精神を削っていった。

「はぁ……やっぱり外す度に痛むね」
「ずっと付けてたら?」
「死んじゃうでしょ、多分……」

 リリスとベティは軽口を叩く。

「あ、付いたわ。降りましょう二人とも」

 サラが二人を引っ張るように装甲車から降りた。装甲車がアリアドネ分隊専用の宿舎の前で止まる。サラが二人の肩を軽く叩き、耳元で喋り出す。

「今日はもう解散。シャワーを浴びて休みなさい。それと、何かあったらすぐに連絡すること、わかった?」
「わかったって。多分大丈夫だからさ。サラもあんまり残業しすぎないようにな。事務のしすぎでパワーが衰えたら許さないから」

 サラは姉のような笑顔を見せると、装甲車の中に戻った。
 二人は空っぽの宿舎に入った。二段ベッドのほとんどが空席で、主を失ったロッカーが大量に放置されている。かつてアリアドネ分隊は、一小隊規模の大所帯だった。作戦会議中には野次が飛び、小さいとはいえ食堂も常に満席で騒がしかった。しかし、数年もすれば隊員の顔ぶれが変わっていく。一人、そしてまた一人と捕まり、苗床にされ、やがて巨大な組織に取り込まれて存在が消える。
 遡ること一年前、大規模な救出作戦を経て隊員の数は激減し、やがてたったの三人になった。

 リリスは自分のベッドの前に立つと、崩れ落ちるように腰を下ろした。

「静かだね」

 部屋の前でベティが足を止めた。リリスの部屋は、昔小隊長と副長が使っていた一番広い部屋だった。他と違い二段ベッドではなく、独立したベッドが二つ置かれている。寝心地は最高だ。

「ねぇベティ」
「なんだ?」
「ここが埋まってた時って、どんな感じだったんだろう」
「きっと、耳栓が必要になるくらい騒がしかったんじゃないかな。夜中まで騒いで、はしゃいで、今日を振り返ってから明日に備える。きっとそんな感じだったと思う」

 ベティは棚の上に置かれていた一枚の写真立てを手に取った。十一年前に撮られた、アリアドネ結成当時の写真だった。十八人の若い兵士たちが笑いながら各々ポーズを取っている。
 ここに写っている人たちのほとんどを、二人は知らない。
 彼女らが入隊した時、第一小隊はほとんど壊滅状態だったからだ。

「そろそろ遺品整理しないとね~」
「先輩たちの思い出がたくさん見つかるかも」
「だね。でも私たちが知らない人ばっかり」

 リリスが立ち上がると、引き出しを開ける。
 埃と共に写真や小道具が出てきた。彼女たちが生きていた痕跡だ。その中にあった写真をしばらく見つめてリリスは小さく呟いた。

「……ねぇベティ、いつか……いつか入ってくる後輩たちも、私たちの写真を見て『この人誰だろう?』って言うのかな」
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