Aランクパーティーから追放されるかと思いきや、溺愛されています

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七話

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 地下三十一階層に足を踏み入れたタリヤ達は仰天していた。
 湿地帯とはうってかわり、タイルが敷き詰められた床は歩きやすく、空気も湿ったものではなく、やや肌寒ささえ感じる。
 だが、床以外は一面、海の底の様に青かった。
 壁や天井がガラスで出来ている様で、その向こう側には、海に生息する魚たちが泳いでいる。
 魚の骨の形をしたモンスターも混じっていたが、生きている海洋生物を攻撃する素振りはなく、ただ自由気ままに泳いでいた。
 自分が生きた魚だと勘違いでもしてそうだ。

「…異常すぎる…」

 ぽつりと、トラスが言葉を漏らした。
 タリヤが視線を向けると、トラスは珍しく焦りを滲ませた表情をしていた。
 金色の瞳は海の底を映し出し、小さな水底模様を浮かび上がらせているが、それは決して、目の前の光景に感嘆としているわけではない。
 いつも冷静なトラスが、確かに、慄いているのだ。

「まあまあ!トラスもそぉんな可愛らしいところがおありですのね。意外ですわ」

 サイリがわざとらしく口にするが、その顔は真剣そのものだ。
 むしろ、どこか安堵している様にも見える。

「トラス」

 タリヤがトラスのそばまで行き、篭手をはめた手の甲に、自身の指先を添える。湿地帯でトラスがした様に。
 トラスの目が、ゆっくりとタリヤを捉えると、タリヤは一つ、大きく頷いた。
 そしてトラスの隣にレンが、タリヤの隣にサイリが並び、トラスの顔を覗く。
 レンもサイリも、油断はもちろんしていない。
 ただ、根拠のない自信はある様だった。

「用心して進もう」

 トラスがゆっくりと目を閉じて、口にする。
 そしてもう一度目を開いたトラスの表情は、いつもの冷静なものへと戻っていた。
 タリヤは、トラスが普段と変わらない様子に戻った事に安堵した。

「見てみるね」

 タリヤが目を凝らす。
 グリーンの瞳が光りを帯びて、海の青と混ざった。
 何度も繰り返してきた事を、同じようにやっていく。
 上から下へ、右から左へ、一つの小さな異変も逃すまいと目を凝らす。
 シーフ以外には感知できない抜け道はある様だったが、それ以外一直線にしか道はない様に感じた。
 やはり、トラスの言う通り『異常』だ。
 どこかへ誘導されている様にさえ思える。

「一本道だ…けど、何か居るかも。ちょっと見てくるね」

 足元に魔力を集め、タリヤは『消えた』。
 奥へと高速で進んでいくが、やはり道は、感じた様に一本道だ。
 隠し通路の脇道はいくつかあるが、周辺の景色に擬態していて、目が良いシーフ以外にはまず見破れないだろう。
道端に薬品がいくつか落ちていたため、それを回収するのも忘れない。
 道を塞ぐように、モンスターが何体かいた。
 骸骨兵や、タコの様なモンスター、水がないのに空中を泳いでいる魚の様なものもいる。
 ガラスの外のモンスターと違い、彷徨っている様に見えた。

 一通り見て回って戻ると、ティオナが「わ~…現れた」とこぼす。
 何回もしてきた行動だが、ティオナは慣れないらしかった。

「どうだ」

 トラスの問いかけに、タリヤは頷く。

「基本は一本道だったよ。隠し通路もあったけど、それ以外は分かれ道さえもなかった。あと、その一本道にモンスターが何体かいた。今回は、物理の方が良いかも、戦うの。壁が崩れるとどうなっちゃうかわからないし…」

 つまり、派手な爆発やら魔法やらの衝撃で、ガラスの様な壁を壊すわけにはいかないという事だ。
 もしかしたらガラスの向こうは、海に見えているだけで実際は別の空間が広がっているかもしれないが、そうとも限らない。
 何も分からない以上、安全をまず考える必要がある。

「あ、はい、これ」

 タリヤがサイリに回収したものを手渡すと、サイリは例にもれなく『発作』を起こしたが、レンに突っ込まれていた。

 タリヤを先頭にして歩き出す。
 自然とトラスがその横を歩くが、タリヤは何も言わず、ただ、トラスの様子を気にかけた。

 ダンジョンの構造が十階層ごとに異なる。
 それも、造りから気候から、兎に角あらゆる環境が変わっている。
 本当に、一つの入り口から入った、一つのダンジョン内なのかを疑う様な造りだった。
 タリヤ達も、国からの要請による冒険者協会を介した依頼はそれなりに受けてきたが、そのどんな内容よりも、足を運んだどのダンジョンよりも、異質だった。
 トラスが慄くのも無理はない。
 アーチェスたちの様子も気がかりだが、今のところ、殺伐とした空気はしていなかった。
 ただ、双子に関しては活躍の場が少ないという不満はあったようだが。

 暫く進み、レオリオ、レン、トラスを最前線に配置したモンスターとの戦いを何度か繰り返す。
 一本道だったため、迷う事なく三十二階層へ続く階段の前に辿り着くことが出来た。
 次に気候を含めた空間の造りそのものが変動するのは、四十一階層だろうと予測していた。
 下階層へ続く階段へと辿り着き、メンバーが足を踏み込んでいく中、タリヤがぴたりと足を止めた。

「タリヤ?」

 トラスが振り返る。次いで他の全員も足を止め、振り返った。
 タリヤの表情が強張っていく。
 地下から流れてくる微かな風が、タリヤを包む。
 それは酷く乾いていた。
 タリヤがくん、と鼻を利かせると、土埃の独特な臭いがする。
 はっとして、弾かれたように振り返ると、じっと目を凝らした。
 グリーンの瞳が光りを帯びるが、焦りを滲ませている。
 奥の奥、視界では捉えられないものを捉えようとする。
 一瞬、ぐにゃりと空間が歪んだ様に見え、心臓が嫌な音を立てた。

「位置が、変わってる…」

 ぽつりと零す。
 想像した事に、思わず身震いした。

「タリヤ」

 数段奥へと降りたはずのトラスが、タリヤの腕を緩く掴み、顔を覗き込んだ。
 突然視界に入ってきたトラスの顔の近さに驚いて、はっとする。

「どうした」

 トラスの柔らかな声に、タリヤは、体中に入っていた余計な力が抜けていく感覚がした。
 安心感にも似たそれに、細く息を吐き出してはじめて、息が詰まっていた様な感覚がしていたことを知った。

「上に戻る階段の位置が変わってる。それに、この下から乾いた風と土埃の臭いがする」
「下から、ですの?」

 サイリもタリヤのそばに寄る。
 タリヤは頷いて、もう一度振り返り、下に繋がる階段の向こう側に目を凝らす。
 ぼんやりと、六等星の星よりも更に暗く淡い、オレンジ色の光りが揺らめいてるのが見えた。

「…松明の灯り」

 タリヤの言葉に、聞いているだけだったレンも、アーチェスも目を見開いた。

「なんだか、この場所そのものが意思を持ってるみたいに感じる」

 自分の頭に過った想像に、タリヤ自身が恐怖を抱いた。
 だが、実際そんな事があるのだろうかとも同時に考える。

 ダンジョンは分かっていない事が多く、また、モンスターも居るため研究がなかなか進まない分野である。
 そのために、こうしてダンジョンの調査依頼が冒険者に来るわけなのだが、明らかに、このダンジョンは何かがおかしい。

「用心して進むぞ」

 アーチェスが険しい顔をしながら言うと、全員が頷く。
 もう一度、一歩一歩、先を確かめるようにしながら階段を降りた。

 地下三十二階層は、地下一階~十階層までと同じ造りになっていた。
 壁画で埋め尽くされた壁に、南方特有の乾いた風、そして均等な距離で壁にかけられている松明。
 ただ、最初とは違い道がより複雑になっているのが、降り立った場所からでもタリヤには感じられた。
 曲がり角が幾つもあり、行き止まりかと思いきや、また別の道がある。
 もちろんそれは隠し通路ではない。
 そして何より異常だったのは。

「は?消えた?」
「消えたねぇ…階段」

 ティオル達双子が後ろに振り向き、顔を真っ青にする。
 タリヤ達も振り返るが、今しがた降りてきたはずの階段はどこにもなかった。
 一瞬、息を呑んだ。
 階層全体のどこかには存在していると考えられるが、常に一定の場所にあるはずの階段が消えるという事は、タリヤ達の精神状態を追い込んだ。
 今まで顔色一つ変えなかったレオリオでさえ、慄然とした表情になった。

「上に戻るための階段と、下に行く階段、それから、念のために隠し通路も見てくる」

 タリヤは言うが早いが、足に魔力を込めてその場から目にもとまらぬ速さで移動を開始した。
 まずは状況の把握、把握ができたら対策。
 鉱石や薬草も、少し多めに回収する事にした。
 独断ではあるが、それでトラスが怒ることはまずない。
 余ればサイリが後日消費するし、多くても損があるわけでもない。
 進捗が遅くはなるが、今はそれぐらいでちょうどいいとも思った。
 心配なのは、気候の変動が激しい事による体力の消耗と、ダンジョンの異様さによる精神力の消耗だ。

 タリヤは空間をしっかりと把握してから戻る。
 今や、全員がタリヤの報告を待っていた。

「やっぱり別の場所に、上に繋がる階段があったよ。隠し通路もあったけど、相当長かったから奥までは行かなかった。下に繋がる階段もあったけど、様子まではしっかり見てない」

 タリヤの報告に、トラスとアーチェスが考え込む。
 ここから先に足を運ぶべきか、引き返すべきかを考えていた。
 実際、冒険者協会から依頼された調査の目標地点は地下四十五階だ。
 だが今の時点でも、報告できる内容は幾つか用意出来た。
 その時点で、依頼内容の意図としては達成していると言える。

「なんだよ、行かないのかよ」

 ティオルが、青い顔をしながらも、拳を振るわせていた。

「俺達の任務は、四十五階層までの調査だろ」

 今にも消え入りそうな震える声で、そう口にする。
 ティオナはそんなティオルを見ているだけで、意見を述べる気は無いようだった。

「行くにしても、対策を練りなおした方がいい。気候の変動による体力と精神力の消耗は、私達の把握している以上だと考えるべきだろう」
「わたくしも、アーチェスに賛成ですわ」

 アーチェス、サイリは戻るつもりの様だった。
 トラスはまだ考えている様だったが、やがて、大きく頷いた。

「あらゆる気候に対応できるよう、備えてから再度入るのも一つの手段だ。冒険者協会側に、再調査の依頼をこちらからかければ通る可能性は高い」
「なんでそう言いきれるんだよ」

 ティオルは、泣きそうな、ふてくされている様な尖った声を発した。
 トラスはそんなティオルの様子にも、冷静な態度で口を開く。

「調査依頼の紙には、こういった異常は記載されていなかった。恐らく、まだ協会側が把握していないから記載できなかったという事だろう。本来こういった変動は、協会側が把握していれば、依頼内容に必ず記載する項目に当たるからな」

 トラスも、アーチェスたちと同じ意見の様だった。
 二人のパーティーリーダーが同じ意見を出しているとなると、一度戻るしかないのは分かり切っている事だ。
 タリヤもトラスの意見に、小さく頷く。
 モンスターのレベルに対するものよりも、著しい環境の変化に順応できるだけの精神的なレベルを有していないと、認めざるを得ない。
 だがティオルは、なわなわと拳を振るわせ、下唇を噛み締めたままだった。

「っ…なんだよ、怖気づいたのかよ!俺は一人でも行くからな!」
「ティオル!」

 弾かれたように走り出すティオルを、ティオナが慌てて追いかける。
 タリヤもトラスに目配せをすると、すぐに動き出した。
 地図もなしにこの場所を動き回れば、最悪、一生出られなくなる可能性があった。
 何回曲がり角を、どこで、どのように曲がったのかを把握していられるほど、この空間は狭くない。
 へたをすれば小規模の集落一つぶんほどの広さがある。

 足に魔力をため、消えたと錯覚させる事が出来る程に動きの速いタリヤがティオル達に追いつくのは実に容易かった。
 魔導士・魔術師とはいえ肉体は成人を迎えているもので、ティオルも走る速度という意味では早いが、それでもタリヤから見れば、赤子と大人ほどの速度差がある。
 二つほど曲がり角を曲がったところで、タリヤが、ティオル達の進行を阻むように回り込んだ。

「帰るよ」
「帰るならお前らだけで帰れよ!俺は一人でも行くんだよ!」

 頑なに意見を変えようとはしないティオルと、無表情のままのティオナに、タリヤは眉を寄せた。

「回復魔法だけで、敵が倒せるの?先に進めるの?」
「つ、杖だって立派な武器だろ!」
「対複数戦は?どうするつもりなの?」
「お前にそんな事関係ないだろ!」
「あるよ」

 いたって冷静に、けれど真剣に、ティオルを見つめるタリヤに、ティオルは顔を真っ赤にしていく。
 眉が吊り上がり、まるで噴火寸前の火山の様だ。

「意味わかんねぇんだよ!だいたい一人じゃ何にも出来ないシーフが何でそんな事言ってんだよ!人の心配してねぇで、自分の身の振りでも心配したらどうなんだよ!どいつもこいつも俺の事、ガキ扱いしやがって!俺は専門学校を首席で卒業したんだぞ?!」
「だから、何?それがどうしたの?」

 タリヤの目の前で、ティオルが愕然とする。
 どこからか、ガラスでも割れた様な音がしてきそうだと思った。
 そして、自分が大人げない態度をとっている事も、タリヤには分かっていた。
 冷静に、感情的にならない様に、タリヤはそう意識して再度口を開く。

「子供扱いじゃない。子供なんだよ、間違いなく」

 そう言い放ち、じっと、真剣な表情でティオルを見続ける。
 目を細め、一歩、タリヤはティオルに歩み寄る。
 同じだけティオルも一歩引いた。

「シーフは確かに、一人じゃ何も出来ないよ。ダンジョンの攻略なんてそれこそ一人じゃ無理だよ。けど、何のためにパーティーを組むのか、よく考えて。アーチェスさんが、何を思っているのかも。どうしてパーティーメンバーを入れ替えながら形を保とうとしてるのかを――」
「タリヤ」

 ティオル達の奥にある曲がり角から、アーチェスたちが曲がってくる。
 ようやく追いついた様で、トラス達の顔には焦りが滲んでいた。
 アーチェスは無表情だったが、その目は確かに、怒りを孕んでいる様だった。

「これは、君の役目ではない。後は私が引き受けよう」
「ごめんなさい、出過ぎた真似を」
「いや、良い。ありがとう」

 アーチェスが首を横に振り、ティオルとティオナの後ろに立つ。
 レオリオはアーチェスの隣に立ち、おもむろにティオナを抱えると、大きな荷物を担ぐように肩に乗せた。

「た、俵担ぎですわ…女の子をあのように持ち上げるのはいささか…いえ、いえ、構いませんのよ、ちょっとした仕置きだと思えば、ええ…」

 あのサイリでさえ、レオリオがしているティオナの抱え方にはドン引きの様だ。
 なるほど、あれはタワラカツギと言うのか、なんて、タリヤは苦笑いを浮かべた。

「話は宿屋に戻ってからだ」

 アーチェスの厳しい目が、ティオルを見下ろす。
 ティオルは真っ青になって体が震えていたが、タリヤは、また別の事を考える。
 その調子でアーチェスは、自分が思っている事や、考えを話すことが出来るのだろうか、と。
 そんな心配が出来る程、心に余裕が出来た。

「タリヤ、抜け道はどこだ」

 アーチェスが、ティオルの首根っこを掴んで猫の様に引きずりながら問いかける。
 レオリオといい、アーチェスといい、何とも運び方が雑と言うか。
 そんな状況に突っ込みを入れるべきではないと思い、タリヤは言われるまま、抜け道を探すため目を凝らした。
 グリーンの瞳が光りを放つ。
 上から下、右から左へ目を凝らしていく。
 壁の一部に微かな歪みがあるのが見えた。

「あった。あっちかな」

 タリヤを先頭にして、歩き出す。
 ティオルは抵抗する事なく、ずるずると引きずられたままだ。
 どうやらタリヤに、「子供」と言われたのが相当ショックだったらしい。

 タリヤが見つけた抜け道を使って、ひたすら坂道を上っていく。
 どこにでもある様な、岩を切り出した洞窟の様な道だった。
 ダンジョンの広い空間と違い、やや狭く、二列になって歩いていく。
 タリヤは、隣を歩くトラスに視線を向けた。
 流石に疲れた様だが、その中に、安堵の色が伺える。
 やっぱり、よく見なければわからないものだったが。

「トラス」
「なんだ」
「考えたんだけどさ。私やっぱり、第二ジョブの発現の魔道具、使ってみようと思う」

 トラスが一瞬、ぴくりと動きを止めた。
 後ろがつっかえるものだからすぐに動き出したものの、険しい表情だった。
 タリヤが慌てて両手をふり、苦笑いを浮かべる。

「ああ、そんな変な意味じゃないから、誤解しないで。ただ、選択肢は多い方が良いのかなって思っただけだから」
「選択肢?」
「うん、そう。選択肢」

 トラスは話の意図が掴めないのか、眉を寄せる。
 ただ、タリヤはトラスとは反対に、晴れやかな表情をしていた。

 坂道をひたすら登り続けると、自然光が前方に見えてきた。
 どうやら隠し通路は地上へ通じていた様で、それぞれの足取りが軽くなる。
 ティオナに関しては担がれたままだし、ティオルに関しては引きずられたままなので、足取りとは言えないが。

 段々と光が大きくなっていく。
 一直線に進むと、中央と南方の境界線あたりに辿り着いた。

 太陽の光りを浴び、風で揺れる葉の擦れる音が耳に心地よく届く。
 少し先にはダンジョンの入り口だった、白いレンガで出来た神殿が見えた。

 タリヤ達はその光景に、本当の意味で安堵した。
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