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第54話:レウシア、飲み込まれる

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 翼の無い竜が、長い尾を水平に湿地帯を駆けていた。

 強靭な二本の後ろ脚が踏み出されるたび、疎らに立ち並ぶ針葉樹が背後の景色へ置き去りになる。
 その背で上下に跳ねながら、エルは先ほどから「あわわ」と狼狽した声を漏らし続けていた。

 竜の顎には鉄柵のような口輪がなされ、短い前足には革籠手が被せられている。
 口輪から伸びる手綱ごと青灰色の竜にしがみつき、エルはついに泣き言を叫んだ。

「――む、むりっ、無理です! 落っこちちゃいます! わ、わ、わ!?」
「ああ!? そりゃてめぇ、そんなべったり引っついてたら逆にずり落ちらぁな! 背筋を伸ばせ、背筋を!」
「そん、な、むり、でっ、ゆ、ゆれっ、揺れてま――」
「だぁから、引っついてっから余計揺れんだよ! つーか走らせ過ぎだ、少し緩めろ!!」

 翼の無い竜――〝走竜〟を並走させながら、ヴァルロがエルに警告する。
 エルは目を白黒させてそちらを見やり、助けを求めるようにかぶりを振った。

「む、む、無理ですっ。落ち、落ちッ!?」
「だぁッ、クソッ、このままだとレウシアとはぐれちまうぞ!」
「れ、レウシアさんっ!?」

 がっと手綱を引き絞り、エルが無理やり姿勢を起こす。
 彼女を乗せた走竜は足元の水溜まりをばしゃりと跳ねさせ、大きく首を振って立ち止まった。

「おいレウシア! 置いてくぞッ!!」

 手綱を引いて竜の速度を緩めながら、ヴァルロが背後を振り返り叫ぶ。

 エルの乗った竜の眼前を横切って、彼は己の乗った竜の頭をいましがた来た方角へと向けた。
 遥か後方には、レウシアの騎乗した走竜の姿がぽつんと見える。

 レウシアはとことこと暢気に歩む竜の背で、相変わらずのぼんやり顔で揺れていた。
 走竜がときおりなにかに興味を示し足元の湿地を覗き込むと、彼女もまた釣られてそちらを覗き込む。

「……な、なんだか、あっちは仲がよさそう、ですね」
「なんだぁ? 走竜に嫉妬かよ? てめぇだって、自分の竜とべったりくっついて仲良さげじゃあねぇか」
「こ、これは浮気には入りませんっ!」
「あ? なに言ってんだ……?」

 エルからの思わぬ返答に、彼女が走竜に乗り慣れていないことをからかったヴァルロは首を捻った。

 やがてレウシアの乗った走竜が、のんびりとエルたちに合流する。
 想い人の騎乗した竜にエルがじとりとした視線を送ると、エルを乗せた走竜は彼女の苛立ちを感じ取ったのか、ばしゃりとその場で足踏みをした。

「……える?」

 くるる、とレウシアの走竜が喉を鳴らし、大儀そうに頭を揺らす。

「いえ、その、ずいぶん落ちついている子ですね? 私のと違って……」
「まあ老竜だからな、そいつは」

 溜息混じりにヴァルロが告げて、進む先へと竜の頭を向けなおす。僅かに嫌がるそぶりを見せる己の竜に、チッと小さく舌打ちを漏らす。

「なんっか、竜の調子がよくねぇな。なにかに怯えてるっつーか……」
「レウシアの奴を警戒しているのではないか?」
「あん? こいつらもかよ? 出発のときゃまだ平気そうなのを選んだはずなんだがな。……まあ確かに、そもそもの相性がよくねぇみてぇだが」

 老竜の鞍に取り付けられたリュックから魔導書の声が響き、ヴァルロは顔をしかめて相槌を打つ。

 竜人ドラゴニュートが走竜に怖がられる。――などという話は、貸し竜屋の店主も聞いたことがないそうだ。
 しかし、目の前の少女を連れて竜を選びに行った際の有様を思えば、納得できなくもない意見であった。

 なにしろほとんどの走竜が、軒並みレウシアの騎乗を拒否したのだ。
 逃げ出そうと暴れたり、急にひっくり返って気絶する竜までいる始末だった。

「……?」

 唯一レウシアを乗せることを嫌がらなかった老竜の背で、なぜか竜を怯えさせる体質の少女はぼんやりと周囲を見回している。
 老竜のほうもなにやら落ち着かない様子で、頻りに足元を気にしているようであった。

「……なにか、いる、よ?」
「え? 野生動物でしょうか……? 鳥すらも、いないように見えますけど……?」
「つーかよ、こりゃ道を外れちまったんじゃねぇか? ちっと待ってろ」

 ヴァルロがポケットからコンパスを取り出し、回る針を覗き込む。――針は止まらず、くるくると忙しなく回転を続けている。

「――あ?」
「え? わっ、きゃ――ッ!?」
「わ、わ、わ!」

 次の瞬間。
 ぐわりと地面が持ち上がり、エルがバランスを崩して走竜の背から転げ落ちた。

「チッ――!」

 地面の起き上がりが角度を増し、レウシアの乗った老竜が、その場からひょいと大きく飛び退く。
 驚愕に仰け反る若い走竜の背中から、ヴァルロが舌打ちとともに飛び降りた。

 その途端、起き上がった地面が大きく開いた口をばくんと閉じる。
 現れた巨大な生き物に、ヴァルロの乗っていた走竜は一瞬にして飲み込まれた。

「クソッ、なんだこいつぁッ!?」

 腰の鞘から剣を抜き放ち、ヴァルロは突如として出現した怪物を鋭く見据える。

 巨大なカバのようなその生き物は、どしゃり、と湿地に前足を落とし、反り返った角がいくつも生えた頭をぶるりと震わせると、倒れ伏すエルに視線を向けた。

「へっ? え? ちょっ――」

 ぐわりと巨大な顎が開き、落竜して泥に塗れた少女へ迫る。

「だめっ」
「ッ!? レ――」

 銀色の髪が軌跡を残し、エルが泥地に跳ね飛ばされる。
 怪物との間に割って入ったレウシアが、洞穴のような口の中へ飲み込まれた。

「レウシアさんっ!?」
「チィッ!」

 ヴァルロの剣が怪物の前足を斬りつける。
 ドワーフの鍛えたミスリルの刃が浅く皮膚を切り裂いて、怪物はぶるりと前足を振り払った。

「――ガッ!?」

 枯れ木のような元船長の体が、弾き飛ばされて宙を舞う。
 ヴァルロの体が水しぶきとともに湿地帯に落下すると、巨大なカバの怪物はゆらりと頭をそちらに向けて、ぐわっと大きく顎を開いた。

「くっ、〝怒りグラム〟よ――ッ」

 ――あまりにも大きな相手である。
 腰に吊った銃では威嚇にもならないと判断したエルが、〝聖剣の欠片〟を薬指から抜き放つ。

 しかし、白い魔力が渦巻き始め、指輪が剣を形作ろうとしたその途端。
 怪物はふいにびくりと体を震わせると、どしゃんとその場に俯せになった。

 開いた顎が地面を跳ねて、がくんと口が閉じられる。

「……え?」

 怪物はそのまま、びくん、びくんと何度か巨体を痙攣させる。
 やがてぱかりとその上顎が持ち上げられて、中からひょこりと、竜の少女が顔を覗かせた。

「……える」
「れ、レウシアさんっ!」

 驚きのあまり魔力が霧散し、〝聖剣〟がすっと指輪に戻る。

 慌ててエルが駆け寄ると、レウシアはもぞもぞと体を捩りながら怪物の口から這い出して、振り返りながらぽつりと告げた。

「……なんか、なかに、誰か、いた、よ?」
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