あやし聞書さくや亭《十翼と久遠のタマシイ》

み馬下諒

文字の大きさ
8 / 70

十翼と呼ばれるもの

しおりを挟む

 まずは、とにかく、亭主が帰宅するまえに、起きたことをまとめておこう。……それに十翼じゅうよくってなんだ? 考えてもわからないはずなのに、なぜかわかった。

「ネコも十翼ってやつか」

 さくら亭には、十翼と呼ばれるものがやってくる。押入れの女の子は、十翼なのだ。おそらく、姿かたちが不安定なのは力が足りないからで、おれのウロコがあれば、本来の姿をとりもどせる。なんて、実際には論外だ。まったく、この家は、どうなっているんだ。ただの書道教室じゃないのは、よくわかった。オーケー、ふざけた亭主め。はやく帰ってこい。手かげんするから、一発殴らせろ。


「ゴフッ!!」


 殴られたのは、おれだった。すまん。寝過ごした。腹が減ったんだな、ネコ……。台所の冷蔵庫は、青年に荒らされっぱなしだ。片づけなくては。そのまえに、服を着てくれ、仔猫こねこちゃん。だめだろ。大事なものは隠しておけって。……おれみたいにさ。

「ネコ、いま用意するから、向こうでおとなしくしててくれ」

 女の子にシャツをひっぱられてうろたえる螢介は、居間で大の字になって眠りこけていた。柱時計の短針は午后六時をさしている。……ずいぶん、ぐっすり寝たな。亭主は帰ってないのか?

 玄関を見にいくと、革靴があった。天候は雨だというのに、ほとんど汚れていない。


「先生」


 螢介は、亭主を先生と呼ぶ。さくや亭は書道教室みたいだし、そう呼んでもおかしくはない。時と場合により、「亭主」と「先生」を使いわけることにした。墨汁の薫りがする。床の間の卓袱台で、黒衣に着がえた亭主が、墨をっていた。窓の外で、稲妻がひらめく。おどろいて肩をゆらす螢介だが、亭主はすずりに水滴の水をこぼすと、静かに筆を持ち、墨をふくませた。

 螢介は廊下に正座して、じっと、亭主の横顔を見つめた。巻紙を軽く押さえた亭主は、まっすぐ筆をおこす。斜めに引いて、四つの点をはねた。……えん

 螢介の位置から巻紙は見えないが、手の動きで文字は読める。炎、炎、炎と書いて、次に筆を持ちあげた瞬間、巻紙が燃えた。立ちのぼる火柱は、流れ星のように四方へ散った。螢介は「なんだ、いまのは!」と声がでた。立ちあがり、あわただしく卓袱台をのぞきこむと、ひろげた巻紙には、なんの文字も書かれていなかった。

「手品かよ」

 ムスッと顔をしかめる螢介は、頬のガーゼを見て笑う亭主に、ますます憤ったものの、注意ぶかく硯や墨を見つめた。変わった道具はなにもない。窓を流れる雨水は、増水した川のように激しく、外の景色はほとんど見えなかった。紙袋をさしだされた螢介は、黙ってうけとり、中身を確認した。パーカーやジーンズ、ルームウェアなどがはいっている。下着もくつ下も新品だ。当座の着がえを手配してもらったので、いちおう頭はさげておく。一発だけ殴りたかったけど、そんなすきは、あたえてもらえなかった。
 

〘つづく〙
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...