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第64回[帰路]
しおりを挟む飛英の異変を察知した礼慈郎は、「だいじょうぶか?」と、声をかけた。額の痣が熱を帯び、じわじわと顔面にひろがるような痺れを感じる飛英は、微かに「うっ」と、苦悶の表情を浮かべた。ようすを気にして近づこうとする礼慈郎に、「来ないでください」といって、うしろへ躰を引いた。梅小紋がはだけて浅黒く変色した肌が見えると、あわてて衿を合わせ、帯を結んだ。英理が山道で脱ぎ捨てた草履は、礼慈郎が回収し、旅行鞄の横にそろえて置いてあった。
淫呪の血は、男同士の性交によって奇蹟的に受け継がれてきたが、織原の末裔にあたる飛英は、織江の血筋とはまったく無縁である利玄礼慈郎と肉体関係に発展したことで、忌まわしい血脈に終止符を打つ形となった。もとより、飛英の父は、残酷な儀式をくり返す集落から逃げだして、一般女性とのあいだに子をもうけている。その時点で、織原の特異な遺伝子は崩壊し、男性が妊娠する機能は引き継がれていなかった。
「……苦しそうだな。」
近づくなと云われた礼慈郎は、その場から一歩も動かず、飛英の顔色をうかがった。いつもの白い肌が褐色に染まったかと思えば、見ている目のまえで元どおりに引いてゆく。飛英自身も、全身の熱気が急激に冷める感覚に、うろたえた。いわゆる、後天的な細胞分裂による思考力の低下や眼のかすみ、腰痛といった症状のあらわれだが、疲労のせいで身体能力が減退状態にあると誤認した飛英は、
「すみません。少し、ひとりにしてもらえませんか……?」
といって、礼慈郎の存在を遠ざけようとした。ふたりのあいだには、先程から妙な緊張感が漂っているため、要望を聞き入れた軍人は、無言で立ちあがった。念のため、汽車の時刻に遅れないよう注意を促しておき、静かに視界から外れた。朽ちた家屋に残された飛英は、ようやく、ホッとため息がもれた。既成事実を鮮明に思いだすことは不可能に近いが、もうひとりの人格に、気がつきはじめた。
「……まさか、わたしのなかに、……誰かいる?」
その正体のこたえをみつけられないうちに時間が経ち、飛英は帝都へ帰るため、礼慈郎を探しに向かった。軍人は、枯れた樹木に背を預け、腕組みをして佇んでいた。飛英が歩み寄ると、ふたりで駅舎を目ざした。
✓つづく
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