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19.初代聖女の憎しみ
しおりを挟むローウェンを見送り、尖塔にはわたしと聖女の2人だけとなった。
彼女はわたしへ向き直ると、「ありがとう」と謝辞を述べ笑いかける。
なぜ礼を言われたのか分からず、きょとんと彼女を見上げた。
「記憶のあるフリをしてくれたでしょう?」
「ちゃんと、できていたでしょうか」
「ええ、ローウェンが信じるくらいだもの」
それなら良かった。
彼に信じてもらえれば、それでいいのだから。
最後の別れは記憶のないわたしとするよりも、思い出を積み重ねたわたしと交わしたんだ、と思ってもらった方が断然いい。
「――では今から、貴方に魔神の心臓を委ねます」
空気が、変わる。
わたしは真っ直ぐに聖女を見つめ、頷いた。
「これを得る以上、貴方は不適合者でもなんでもない。紛れもない聖女となる」
「……聖女」
「ええ、この国の……いえ、終わりゆく世界の唯一最後の希望として、その名を冠しなさい」
彼女は神妙な面持ちでじっと見つめた後――己の胸を指先でなぞる。
瞼を閉じ、深く息を吐いて。
なにかを祈るように、覚悟を決めるように、目を開いた。
昏い光無き紫色の瞳には、希望を見据える光が灯っている。
彼女が器として機能するのはここまで。
今、最後となる聖女へ希望と共に託す。
「――ん、っ」
胸の中央に置かれた手が、黒い塊を体内から引きずり出す。
物理的に埋め込まれたものではない。抽象化した真っ黒に染まった存在を、彼女は苦悶に満ちた表情で摘出している。
丸みを帯びた形。
そこだけ孔が空いているような、光すら通さない真っ黒の闇が、目の前に差し出される。
彼女の細い体に収まっていたのが不思議に思うほど頭よりも大きい黒いモノは、色のある外世界との境界にモヤを漂わせている。聖女から離れまいとその黒いモヤが、本体であろう黒い孔と彼女の胸を繋げていた。
「……切り離せば最後。私は今みたいに話すことが出来なくなるかもしれない。だから、今のうちに言っておくわ」
恐れ。不安。そんな感情を滲ませながら気丈に振る舞う彼女は、手のひらの上にある黒い物体を通してわたしを見据えた。
「これは概念化された魔神の心臓……その表面を初代聖女の心が覆っているの。霧状に密集し蠢いているのがそうよ。初代聖女の心を解けば、魔神の心臓は元の場所へ元の形となって収まるはず」
「……初代聖女の心を解放して、わたしの心を同じように覆えばいいのですね」
彼女の頷きを確認してから、わたしの胸に手を当ててみる。
難しいように思うけれど、魔神の血が身体を巡っているなら概念化された時の情報が魔力として残っている。ならそれを読み取って実行することは可能なはずだ。幸い、お手本はここにある。
問題なのは、それを行う魔力の残量。
心臓を取り出して同じように覆う――それでたぶん精一杯。他のことに使える余分はない。
「わかりました。では受け取ります」
「……早急ね。私に少しの猶予も与えないつもり?」
呆れ笑いをされてしまった。理由が分からず首を傾げる。
「私の心と同化したものを切り離すのよ……いえ、同化していると信じていた。でももし、これ自体が私の心であったなら……私には何も残らない。ただの人形に戻る」
「……」
「覚悟、してたつもりだったんだけど……ごめんなさい。貴方に色々言っておきながら、私がこんなザマじゃあ格好つかないわよね」
モヤを切断するために魔力を張った片手が、小刻みに震えていた。
何を言っているか分からない。
なので、わたしは彼女に聞いた。
「記憶のないわたしにも欠片が残っているのに、貴方に何も残らないなんてこと、ありえるのですか?」
「――」
「だってソレが切り離されても、記憶は残るんですよね。記憶によって意思や感情が芽生えると……あれ、誰から聞いたんだろう……」
思い出せないけれど、でもそれがあるなら全て失うわけではない。
記憶のないわたしにだって感情の残滓があるのに、『他人の心』を手放して何も残らないなんて――そんなのありえない話だと思った。
「そう……そう、ね。ええ、その通りだわ」
驚いたのは一瞬。
泣き笑いを浮かべたのも一瞬。
震えが収まった彼女には、もう迷いなんてなかった。
「エレノア。真の聖女。――どうか、あの人とこの国を守ってね」
自らと繋がるモヤを、一息で断ち切る。
彼女は、自らの手で聖女の使命を終わらせた。
音もなく切り離された黒い物体――魔神の心臓は、崩れ落ちた彼女の手を離れ空中に浮かんだまま、静かに次の継承者を待っている。
倒れてしまった彼女は意識を失ったようで、穏やかな表情で眠っていた。
「――……」
一人残った空間に、風の音だけが止むこと無く音を鳴らしている。
蠢く孔を見つめる。
両手を物体の下に差し入れれば、漂っていたソレが宙に浮かんだまま収まった。
歩を進め、見晴らしの良い場所から遠方にいる魔神と向き合う。
強風にあおられ、バサバサと服の裾がはためく。
わたしの感情が乱れだす。これはそう、神に対する憤りだ。
――永きに渡る人の過ち。繰り返された業。
贖罪は意味を成さず。赦されることもない終わりの世界。
人が生き永らえたいと思うことが罪ならば、人を生み出し導いた神もまた、問われるものがあるはずだ。
それを傲慢だと思うのであれば、最初から知性のない獣として作ればよかった。
その手で生み出しておきながら無かったことにするなど、それこそ神の傲慢ではないのか。
どこかで終わらせなければいけないのなら、それは今この瞬間。
たとえ人が死に絶えたとしても、決して失われない罪ならば。
生きて贖い続けることだって、許されていいはずだ。
両手をかざし、手の上にある黒き心を掲げた。
魔神よ。あなたの心臓はここにある。
数千年の妄執、憎悪に塗れた心臓。
それを今、打ち祓うだけの心と共に返しましょう。
「――”神よ 我らの主よ”……」
多くの偶然と必然が道を作り、ここまで辿り着いた。
欠け落ちたわたしだけれど、繋げた人たちの想いを。決意を。無駄になどしたくない。
掲げた手のひらからソラに昇る黒いモヤ。
青の中にポツンとインクを垂らしたように、浮かび上がっていく。
すると花開くように、モヤが渦を巻きながら広がった。
わたしは煙と化すそれに呑まれていく。周囲が暗く淀み、景色を変える。黒く黒く。どこまでも黒く。
これは、初代聖女の心だ。
目眩すら起こすほどの永い時間、魔神の心臓を包み込んでいた初代聖女の心。
――ジャラリ、と鎖の音が聞こえてきた。
黒く蠢く霧の中。
霞の向こう側に、初代聖女がいた。
骨と皮しかない身体に鎖が巻かれている。死にながら生き続けた、最初の人形。
『……ようやく、解放されるのね』
陥没した目と合う。
口から顎まで布で巻かれており、彼女が自由にできるのは唯一視線だけだった。
わたしは真っ直ぐに見つめながら、永きに渡って在り続けた彼女に何を言えばいいか分からず、頷きで返す。
『あア、良かった……これで、私は……』
瞳が細められる。
感嘆と共に吐き出された言葉は――。
『憎い憎い人間どもを殺せる。それで全部、終わらせられる……!』
彼女から全てを奪い尽くした者たちへの怨嗟だった。
「っ、!」
途端に嵐が巻き起こる。
縦横無尽に吹き荒れる暴風の中、初代聖女の言葉に呼応するように、幾つもの声にならぬ聲が雄叫びを上げていた。
『イキタカッタ――』『ドウシテ――』『クルシイクルシイ――』
それは、感情の残り滓。
同じ器として生まれたわたしを取り囲むように、仲間だと手を差し伸べるように包み込んでくる。
「……ごめんなさい」
拒絶の意を込めて、謝罪する。
わたしは、そっち側にはなれない。
初代聖女の眼球が動き、嵐の中、背を丸め耐えるわたしを見る。
「わたしは、魔神の心臓を解放するために来ました」
『人間を滅ぼすのでしょう? えエ、貴方はとても正しい選択をしました。魔神を復活させ、たくさん人間を殺してもらいましょう。私にもぜひその光景を見せて。ぜひ見タイの。そのために私の心を解いてくれたのでしょう?』
「――いいえ。人間は1人たりとも殺させはしません」
嘆きの嵐が吹きすさぶ。
轟々と、恨み憎しみを募らせ荒れ狂う。
ジャラリと鎖の音が、その中で響いた。骨と皮だけの身体が、鎖に縛られながらもがき出す。
『あア……アアあ……』
人間とは思えない呻き声に、身が竦む。
怖いわけがない。彼女の肉体はもうこの世にいない。対峙しているのは魔神の心臓を封じるために、概念化された彼女の魔力――そして心だ。
それが生前の姿を取って、怨恨を撒き散らしている。何千年も。ずっと。
生者が死者のそれを恐れるのは、至極全うな感覚だ。
その心は、もはや呪いと化していた。
『なぜ! 貴方も器として生まれたのなら分かるハズ! 人として当たり前に持つ権利も義務も何もかも奪われ! 一生涯、生まれてから一度たりとて陽の光を見ることすら叶わず! 鎖に縛られ喉を潰され、自由を剥奪され! 勝手に生贄にした癖に大義ゆえにと正当化し! 心が擦り減るまで耐えて耐えてタエテきたのに――! なぜ人を殺すことを否定するの!?』
咆哮が、轟く。
鎖の音がひっきりなしに耳を穿つ。
黒い霧がわたしの肌を打ち、風が殴るように身体を押す。
初代聖女の心が、無理矢理にでもわたしの中に入ろうとしてくるのが分かった。
「だめ……! わたしの中に、あなたの居場所はない……!」
『聖女であるのなら受け入れるべきよ! 貴方の心を蝕み、犯し、全て染め上げてやる――!』
黒が、更に濃くなる。
ちがう。視界が遮られたのではない、瞼が勝手に閉じるせいで黒より深い闇に覆われてしまったのだ。
目を開けなきゃ。そう思うのに、わたしの身体ではないみたいに動かすことができない。
抵抗などほぼ出来ないまま、わたしの意識はぷつりと途絶えた。
***
初代聖女は、生まれて間もなく選ばれた、最初の器だ。
選ばれたことに理由など無い。あえて理由をつけるとするならば、ただ魔神を打ち倒したときに生まれた。それだけだろう。
自分が何をされ、なぜ檻に入れられ、なぜ鎖に縛られ、声も出せず、人の形を取りながら人間として扱われないのか、理解しないまま生きてきた。
それを理解する知能すら許されなかった。
ただ唯一分かるのは、自分の内から湧き上がる衝動だけだ。
『ニクイ――アア、ニクイ――』
歩くこともない、鎖で縛られたままの足。
彼女にとって世界とは、暗く冷たい檻の中だけだった。
ただ栄養をとり、眠り、檻から見える人間を眺め、栄養をとり、眠る毎日。
時折、思い出したかのように衝動に苛まれた。
衝き上げるままに憎しみに支配された。
動けない身体が呪わしい。床をのたうち回り、もがき苦しんだ。
いつもと違うことが起きたのは、眠りから目覚めた時だった。
たくさんの人間が、檻から彼女を見ていることに気づいた。
ひとりの人間が、檻の中に入ってきた。彼女と向かい合い、視線を合わせるためにしゃがみ込む。
「お前はもう死ぬ。その前に一仕事こなしてもらいたい」
彼女は理解していなかった。なぜなら彼らの話す言葉が分からないから。
人間が手を翳して、何かを唱える。
額が熱くなって、ひどい頭痛に苛まれた。奴隷の紋を刻まれたのだ。
だが彼女は分からない。魔法なんて手枷のせいで、生まれて一度も使ったことなどないから。
しかしその手枷がカチャンと音を立て外れた。
慣性に従って腕がぶら下がる。動かせると分かったのに、どう動かしていいか分からない。
「命令だ」
なにか、人間が声を発している。
「お前の魔力を全て用いて、魔神の心臓を破壊しろ」
なにか、死を宣告された気がする。
瞬間、意思とは無関係に血が逆流し沸騰したように熱くなる。
身体中が悲鳴を上げるほどに痛んだ。
けれど悲鳴など上がらなかった。彼女の喉は、食物を通す以外の機能は失われていたからだ。
「アあぁア――……!」
代わりに出るのは、獣のような呻き声。
のたうち回る。床を這い、転がり、足掻き苦しむ。
魔神の心臓が胎動する。
決して人の手では殺せないそれは、神によって与えられた魔力で傷ついていく。
否、自分自身と同じ魔力だからこそ傷ついている。
魔力が注がれ続ける。壊すために体内で放たれるソレは、心臓と共に別の器官を壊していく。
およそ、彼女に魔力の貯蔵があれば壊しきれたのだろう。
あるいは、少しでも長く耐えられるだけの強靭な肉体であったのなら。
赤い血に沈む。
はじめて腕を動かした。ひどくクルシイ胸を掻きむしるために。溢れる血液を止めるために。
そして、短いようで長い時間が過ぎ、魔力はついに枯渇した。
意識はとうに失っていた。
いや、死んでいた。
息が止まり、動かせるものなどもう何もない。
脳が死を受け入れ、止まるほんの4秒のことだった。
『コワセ……コロセ……』
弱い鼓動を鳴らす心臓の切なる声を、1秒聞いた。
『コロセ……コロセ……ニクイ、ニクイ……』
それは、彼女にとって光のように煌めく声だった。
神による天啓。お導き。啓示。神託。救済。
魔力の残滓が心臓を包み込む。守るように、もう二度と傷つかぬように。人間によって壊されぬように。
物体である限り、いずれ害されてしまう。そんなことはさせない。これは人間を苦しませるために必要な装置だ。
――故に概念化するのに3秒。
そして、初代聖女は完全に死んだ。
「……なんと、このようなことが……! 見ろ、魔神の心臓が」
彼女が死した後、人間は破壊されなかった魔神の心臓に嘆いたが、概念化された状況に驚き、そして喜んでいた。
初代聖女の最後の功績として讃えてすらいた。
「よし次の赤子へ移そう。ソレは最後の力でもってして、魔神の心臓を封じたのだ。贄の者がここまで役に立つとは」
愚かな人間。哀れな彼ら。血塗れの亡骸は、物言わぬ瞳で愚の権化を見つめる。
心臓が物体化したままであれば、傷ついた心臓はいずれ鼓動を止めていただろう。
彼らは唯一の対抗手段が失われたことに、気づいていないのだ。
心臓が傷ついていたことにすら、愚かな彼らは気づかなかったかもしれない。
魔神の心臓を壊せるとしたら、魔神の力、もしくはそれを上回るものだけ。
だが概念化したがゆえに、もう何物も傷つけることはできない。存在はすれど、無いと同じことなのだから。
ザマアミロ、ザマアミロ
愉悦に嗤う。人の愚かさが可笑しくて可笑しくてたまらない。
――そして、聖女という地獄の歯車がまわり始めた。
初代聖女は己の魔力と心を使って、魔神の心臓を保護した。
だからといって何かが出来るわけではない。器の協力が必要だった。
故に呼びかけた。人間に復讐しましょうと、嬉々として語りかけた。
反応ひとつ返してはくれなかった。
―魔神を解放し、人を殺しましょう。たくさん壊しましょう―
それでも必死に呼びかけた。呼びかけ続けた。
ある日ふと気づいた。聖女たちには、憎悪がない。歓喜もない。嘆き憐れみ侮蔑嫌悪なにもない。
器となった彼女たちは、皆心が死んでいた。
中には緩やかに心が育った聖女もいたが、強い憎しみを抱くまでには至らなかった。
ソレがなければ、共感を得られない。
所詮、肉体を捨てた僅かな魔力と未熟な心の残り滓だ。生者を操ることなどできはしない。ただ彼女たちの心に触れ、融合するだけ。
人間に強い憎悪を持つ聖女を待ち続けた。待ち続けた。ひたすら待ち続けた。
数百年、あらゆる聖女たちの心と重なり、混ざり合ってきた。望む聖女は現れなかったが、代わりに多くの感情を知った。
それだけではない。
知らなかったことも知った。
人の歴史、愚かな過ち、繰り返す愚行、人形を弄ぶ聖職者。
本能による男と女の交わり。子の増やし方。家族という構成。
生きる上で最低限の食事。贅をこらした最高級の食事。
ベッドの温もり、眠る安心感、夢を見るということ。
甘いお菓子、香り立つ紅茶、鮮やかな花々、瑞々しい木々、太陽の眩しさ、月の幻想的な光……。
色々なことを知った。
こんなにも世界は新しい発見にあふれている。
聖女の心を通して、たくさんの知識を得た。
けれどやがては知り尽くしてしまうもの。
飽きるのは、とても早かった。
千年経った。
未だ反応を返してくれる存在は現れなかった。
それから数百年経った。
なぜこうしているのか、わからなくなった。
また千年経った。
疲れていた。
誰か、誰でもいい。誰か、私を解放して。自由にして。
そして魔神の心臓を元に戻して、終末の装置を起動させるの。
魔神の心臓を入れた聖女は、私という心の基盤を得て感情を顕すけれど。
誰も私を見つけてはくれない。
それでも燻る人間への復讐心は、私の存在理由だった。
真っ暗な中、聖女1人ひとりの物語を鑑賞し続ける。
ある聖女は、男たちの慰め者として使われたが一人の聖職者に救われ短い生を終えた。
――『人間が憎いですか?』『……』
ある聖女は、庭師から熱烈なアプローチを受け応える前に寿命を終えた。
――『人間が憎いですか?』『……』
ある聖女は、ささやかな悪戯をして人間を困らせるのが好きだった。
――『人間が憎いですか?』『……』
ある聖女は。ある聖女は。ある聖女は――……。
――『約束をするわ。きっと貴方を解放する。貴方だけの自由をあげる。だから、どうか』
欲しかった言葉。
でもそれは、違う意味合いだと気づいて落胆した。
彼女の心は、私に対する抵抗と憐れみ、人間へ向けられた愛情しかない――憎悪がない。
どうして?
どうして誰も共感してくれないの。同じように全てを奪われ、心を殺されておきながら――どうして。
「――……あなたの憎しみは、人の抱くものとは違うものです」
白い少女が、憐れみと共に言う。
黒い真っ暗な中に、ぽつんと浮かび上がる白。
「あなたはもう……」
言い淀む。
けれど穏やかな口調で、続きを口にした。
「もう、わたしすら呑み込めないほど摩耗しています。ここにあるのは、あなたであった残滓。乾ききった水の跡みたいなもの」
『人間を殺したいのよ』
「それは叶えられません」
『だって、私、とても苦しんだのに。とても痛かったのに。なんで……どうして……』
少女は、とても悲しそうな表情をする。
違う。同情をして欲しいわけじゃない。それを向けて欲しいんじゃないの。
初代聖女になんてなりたくてなったわけじゃない。
ただ偶然産まれて、偶然埋め込まれて。それだけで生涯鎖に縛られて、全部を奪われたの。
聖女だって同じでしょう。
それなのに、なぜもっと憎まないの。憎悪を燃やさないの。
数千年――数千年ずっと見てきたけど、人間は何も変わってない。あの劣悪さ醜悪さが変わるわけない。
滅ぼさなきゃいけない存在。
あってはならない存在なのに――どうして――。
「あなたの憎しみは、もう……終わっているんです」
終わってなんかいない。
分かっている。過去の人間が今の人間に対しできることは、呪いを残すことだけだって。
でも、だからと言って許せるわけない。この感情が消えることなんてない。
私を見て嘲り笑った人間が、もう骨だけになったとしても――心を穏やかにすることなんてできない。
目に見える人間すべてが憎い。憎くて憎くて堪らない。
「人を殺したい……壊したいという欲求。わたしはそれを、よく知っています」
『分かった素振りをしないで……! 私の憎しみを理解できる人なんていない!』
「はい。きっと、誰も理解できないと思います。だって、だってそれは――」
悲痛な顔をして、少女は告げた。
「魔神の破壊衝動……それと強く結びついて残ったのが、あなたですから」
『はかい、しょうどう……?』
知って、いる。
遠い遠い過去に、救いとして受けた神からの啓示。
ニクイ、ニクイ、コロセと――ああ――そう、か。
ずっと消えずにいた憎悪の炎。
それを何千年も、人間として生きられなかった人間未満が持ち続けるなんて、よくよく思えば可笑しな話だった。だって出来るわけない。肉体は無く、心だけになって、それも永い永い時間の中で擦り切れていったのに。それだけの熱量、一体どこから湧き出るものだったのか。
私の憎しみは、『ザマアミロ』と思った瞬間に終わるはずだった。
主神の命令を伝える声の、残響でしかなかった。
「――なので、あなたがいつまでも縛られていることもないと思うのです。解放されるべきだと思うのです」
少女の手が、私を縛り付ける鎖にかけられる。
ジャラジャラと音を立てて、鎖が剥がれていく。
足が、手が、胴体が、とても軽くなって。けれど動かし方なんて分からないから、立ち上がることなんてできなかった。
白くて綺麗な手が、差し伸ばされる。
『……』
私は、その手を取ろうと腕を動かした。
パキパキと音が鳴る。
当然だ。動かしたことなんて数回しかない。動くはずがない。最早化石のようになった腕。
でも手を――その手を取れば、救われる気がした。
「あなたはもう、終わっていいんですよ」
少女の手が、動かない私の両腕を迎えにくる。
触れた瞬間、淀み穢れ黒くなった景色が、眩しく温かな光に包まれた。
「――……ああ、」
はじめて、喉を震わせ声を出した。
もう知らないことなんてないと飽きていたけれど、まだここに、知らないものがあったなんて。
「ようやく――……」
はじめて聞いた私の声は、涙に濡れていた。
身体が風に吹く砂のように崩れていく。光の中に溶けるように、消えていく。
永い、とても永い夢だった。
終わりはとても心地よくて、優しい色をしていた。
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