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第4話 - 第七領

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 アストリア王国は、古くから続く国家である。代々の王は堅実に今の権勢を維持することに努めてきたのだが、今代の王、ガリアス・ユークリッドは違った。
 彼は苛烈な思想を有しており、それを叶える才能を持った傑物であった。容赦無い外交で以て、周辺諸国の諸王を惑わせ、気付けば皆、彼の掌の上で踊らされていた。
 こうして勢力を拡大したアストリアは、かつてなく広大な版図を広げることに成功した。
 その広大な領地を、ガリアスは、自らの手で治めていたが、数十年経ったある日、彼は突如、その領土を十分割することを宣言した。
 中央の王都は引き続きガリアス直接の統治とし、残りの九つの領土を、自らが産み落とした九人の王子に統治させる――「分割統治」の構想を打ち出したのであった。
 それぞれの王子の統治の結果次第で、次期国王が決められるのだ、などと噂されているが、その真意は未だ定かでない。
 現在、その九領土は、各王子の順番に応じて呼び習わされることとなる。
 長男である第一王子の領地は「第一領」、第七王子たるキースがの領地は「第七領」と。
 その新たな治世が始まり、数年が経過する。
 それぞれの派閥があるものの、基本的に領地の運営は、各王子の裁量に任される。故に、優秀な成果を収める者と、悪化の一途を辿る者の、明暗がくっきりと分かれるようになった。
 残念ながら。第七王子、キース・ユークリッドの成果は「最悪」そのものであったのだ。

「予想はしていたけど……やっぱり酷いな……」

 少年――キースは、浴槽のぬるま湯に浸りながら、そう独りごちた。
 民衆からのあの反応から、ある程度想像はしていたが、改めて馬車での「妹」からの言葉を反芻すると、気分が塞ぐばかりであった。

 キースとクロシェが乗った馬車は館に到着した。「王子邸」とも呼ばれる、王子の居住地兼、執政を行う館だ。
 そこでクロシェはキースに、まずは風呂に入るよう促した。

「とりあえず、お体をお清めください。そのあと、我々が今直面している事柄について、お話ができればと思います」
と。

 馬車の中では、大した話は聞けなかった。転生者、というのは非常に珍しく、この国でも数件ほどの例しかないこと。そして、この国の簡単な説明と、第七王子が如何に適当な運営をしていて、皆に嫌われていたのか、を聞かされるのみであった。
 王子たちに分け与えられた領地の運営などまるで興味は無く、日々遊び呆けるばかりで、他の兄弟達の駆け引きや策謀に負け続けた結果、この土地を見事に貧しくさせた、という痛烈な事実をクロシェが突き付ける。

「……まぁ、そうだろうね。なんとなくわかってたよ」

 言葉にされずとも、あの民衆の態度が何よりの証拠である。きっとロクでもない領主であることは明らかであった。
 転生、という世にも珍しい経験をしているのに、その転生先は大外れだったらしい。つい気分が塞いでしまうが、気持ちを切り替えなければならない。
 とりあえず、転生などという他人に説明しずらい事象を既に理解している存在がいることは、不幸中の幸いと受け取るべきだろう。
 これから自分が何を為すのか、はまるでわからないが、この短い時間の中で出くわした、未知の情報について、整理するべきだろう、と考えた。

 僕は前の世界で、死んで、この世界に転生した。衣服の破れと流血の痕跡から、おそらく前の持ち主は死亡していたはずだ。その傷は見事に塞がっている。転生のはずみで治った……のだろうか?
 そして、この国の七番目の王子の身体に乗り移った。彼はいわゆる無能な領主で、相当嫌われているらしい。
 目覚めた後は、黒衣の集団に、魔法としか思えないモノで命を狙われ、鉄の騎士に助けられた。
 命からがら自らの首都にまで逃げ込んだが、民衆には大いに嫌われており、ここでも身を危険に晒す。
 そして妹を名乗る少女、クロシェに助けられた。彼女は転生の秘密を知っていた。

 情報が多いな、と嘆息する。一見バラバラの事象だが――少年の直感は、注目すべきポイントは一つだ、と告げていた。
 ロック、という男が口にした言葉――【テーブル】とマナー違反、について。
 少年の元の世界にも、これらの単語は一般的な用語として存在する。だが、彼が口にしたそれらは、元の世界にはない言葉の重み、違和感があった。
 そして、その後出会った少女も口にしていた。
「【テーブル】に着いていただきたい」と。
 これが特別な意味を持つとしたら、どうか。
 この【テーブル】とやらのために、第七王子は相当な恨みを買っていて、襲われた。【テーブル】という場で十分な役目を果たせなかったからこそ、民衆に嫌われているのだとしたら。【テーブル】のために、クロシェが必死になって自分を探していたのだとしたら。

「筋は通る……のか?」

 だがそれが一体なんなのかは、これ以上考えてもわからないことであった。
 更に、あの鉄の騎士は何者か、クロシェはどうして転生の秘密を知っていたのか、などといった疑問は解消されない。
 知恵熱なのか風呂の熱気に当てられたからなのか、脳まで茹だってきたので、キースは一旦思考を打ち止めることにした。
 疑問点はあるが、紛れもなく動かない事実として、自分は転生をした。だが、この新しい世界で自由に伸び伸びと生きる、というわけにはいかない。なにせ何者かに命を狙われているのだ。
 非常に癪ではあるが、第七王子としての責務と向き合い、己の敵は誰なのか、どのように立ち向かうのか、を見極めなければならないのだ。
 後ろ向きな決意を固めて、キースは溜息を吐きながら湯舟から立ち上がった。

 脱衣所へと戻った彼の目の前に、一人の女の子がいた。

 ふんふんふふーん、なんて能天気な鼻歌を奏でながら、床をモップで磨いている。
 ふりふりのメイド服を着て、ご機嫌そのもので床を掃除している。
 と、彼女がにこにこの笑顔で、キースのほうへ振り向いた。
 そこには生まれたての姿のキースがあり、がっつりと真正面から見られている。
 そのメイドは笑顔のまま固まり、みるみるうちに顔が紅潮して、

「ふ、ふぎゃぁぁぁあああああああああああああああああああああ!」

 叫んだ。

「お、お、王子様ぁぁあああ……その、しばらく留守にされていると聞いて、いないものだと……! ま、まさかお風呂に隠れていたとは……あっ、そんな、王子様の王子様が……!」

 そんなとぼけたことを早口でまくし立てると、彼女は再び「ふぎゃああああ」と叫んで、両手で目を覆いながら逃げてしまった。
 呆然とするキース。なんだあれは? と首をかしげることしかできなかったが。

「失礼致します。よろしいでしょうか」

 そして、入れ替わるようにして、別の声が呼びかけてきた。
 それは、落ち着いた初老の男性の声で、声色から紳士然としている。
 動揺しながらも「ど、どうぞ」と招き入れると、そこには、整えた銀髪の、やけに姿勢のいい執事が、入室してきた。
 両手に、清潔な衣服を携えている。

「新しいお召し物をお持ちいたしました。こちらへお着替えいただければと」

 この館には、有能なベテランの老執事がいる。困ったことはなんでも彼に聞くとよい、と、馬車の中でクロシェがそう言っていたことを思い出した。
 その落ち着いた挙措と、彫り込まれた深い皺から、彼こそがその執事の、クロードであると判断した。
 キースは、咳をしながら、衣服を受け取る。

「あ、ありがとう、クロード。その、今、メイドは」
「マロンのことですか? 失礼いたしました。予定表も見ず、奔放に掃除をしていたのでしょう。大方、御主人様がお帰りになっていることも知らず、鉢合わせてしまったのかと」

 こちらの弁明を聞く前にあらかたの事情を察知し、柔和な笑顔でそれを簡潔に伝えてくれる。確かに、クロシェが評するとおりの、有能な人物でありそうなことが感じ取れた。
 それに引き換え、今のメイドは、相当そそっかしいようだ。
 予定も見ず奔放に掃除する使用人、なんて聞いたことが無いぞ、と、キースは苦笑した。

「そうか。全く、そんなメイド、誰が雇ったんだか……」

 軽口を叩きながら、もらった布で体の水分を拭うキース。それを聞いて、クロードは、おや、と眉を上げた。

「これはこれは。異なことを仰いますね」
「え?」
「マロンは、御主人様自らが迎え入れたんじゃないですか」

 ふふふ、と笑いながら、クロードは、深々とお辞儀をする。

「それでは、お召し変えが済みましたら、お嬢様がお呼びでございますので。お部屋へ向かってくださいませ」

 そして華麗に脱衣所から去るクロード。キースは、しばしの間、立ち呆けた。
 第七王子自身が、あの女の子を、雇い入れただって……?
 仕事ができそうな感じはしなかった。愛人として迎え入れたのか? とも訝しんだが、あの初心な反応を見ると、そんなこともなさそうである。
 命を狙われるほど憎まれ、民衆から嫌われている、この第七王子は、人の心がわからないような男だと、考えていた。
 それが、あの取り柄の無さそうな少女を、金を出して雇う、だなんて。
 己の胸に手をあてて、しばらく黙考する。このろくでなしの王子の本性が、わからない。

 そして、着替えが済み、館の廊下を進む。
 突き当りの扉を開けると、その広い部屋の中には、黒白の一輪の花が咲いていた。
 いや。それは、窓からの光を浴びている、クロシェに他ならなかった。
 椅子に座っている彼女は、こちらを見て、にこりとほほ笑んだ。

「お待ちしておりました。まずは、お話を、させていただければと思います」
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