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第36話 - マナーバトル:第六王子ミゼル①

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「父上……本当に、良かったのでしょうか」

 薄暗い部屋の中。とある親子が、ひそひそと声を交わしていた。
 父上と呼ばれた男は、静かに頷いた。

「ルイス。お前のマナーは、なんだ」
「俺の、マナー……? いえ、マナーとは、教会が定めた約定《プロトコール》のことで、俺のマナーなんてものがあるはずはありません。その、特例のようなマナーがある、とは聞きますが」
「はっ、まだまだ、だな。……いや、私も、同じか。ルイス、約定のマナーとは、表層だよ。それを何故に行うのか、という本質こそがマナーだ。私は。それに従っただけだ。……そうすればよかったと、今更、気付いたのだよ」
「は、はぁ」

 わかったようなわからないような、不可思議なことを語る父親――カール・クラインをまじまじと見つめ、ルイスは首を傾げた。
 カールは椅子から立ち上がり、窓の向こうの空を見つめる。

「今日が、審判の日だ。我々の命運はここで決まる。領地交換の行く末を、座して待とう」

 領地交換の【テーブル】の日。隠された多くの陰謀。その中の己が罪を知るクライン一家は、その結末を待ち続けているのであった。



「おはようございます、ミゼル兄様。本日はお日柄もよく、大変嬉しく思います」
「いよォ、キース、ひゃはははは! なんだ、お前、やりゃあ挨拶できんじゃねえかよ!」
「よろしくお願いいたしますぞ、第七王子殿」

 燃えるような朱色の絨毯、惜しげなく飾られた宝石、陶器、美術品の数々。第七領にはない、贅沢を極めた王家の館。ここは第六領の王子邸。再び足を踏み入れたキースを迎え入れたのは、ミゼルとその副官、ガレンであった。
 彼らは、実に気持ちがよさそうに大笑しながら、席へ案内する。キースは感情を表に出さぬまま、無難な返事をするに留めていた。
 そんなつまらぬ男に話しかけるのに飽きたミゼルは、キースの隣で歩く少女に声をかける。

「それで、その女は、誰なのかなァ?」
「――第七領の財務……いえ、ただの、後宮に身を置く側女です。お気軽に、カイネとお呼びくださいませ」

 あの奔放さはどこへやら。しおらしく、そう答えた彼女をじっと見たミゼルは、興味など無さそうに欠伸した。

「はっ、なんだそのつまんねえ冗談。ま、なんでもいいや。さっさと始めよう。お前たちは大人しく、契約書にサインしてくれりゃいい」

 そういって、ミゼルは目の前の扉を開いた。そこは、応接室のような、こじんまりとした部屋になっていて、中央にセッティングの官僚した大きな卓が置かれている。
 そこに座っていたのは、クロシェであった。キースは思わず、固まってしまう。

「ミゼル兄様。これは、一体」
「ひゃははははははは! 大した間抜け面晒しやがるな、おい! 安心しろ、こいつは【テーブル】には参加しねえよ。ただの飾りだ。傍観者だよ」

 そういってミゼルはどかりと、クロシェの隣の席に座り、彼女の肩を抱いた。

「なんせ俺の嫁なんだからなァ? 特等席を用意してやるのは当然だ。なあ、キース、久々のご対面だ、喜べよ」
「……そうですか」

 感情を表に出さないことが精一杯であった。キースとカイネは揃って席に座り、ガレンも笑いながらミゼルの横に座る。

「じゃ、始めようか。答えは一個しかねえけどよ。楽しい楽しい【テーブル】の時間だ」

 そう言ってミゼルが腕を掲げる。他の三名も呼応して腕を掲げ、口上を述べる。

『【奇跡は天秤に。祈りは神に。此処には我らの誇りがあるのみ】――【オープン・テーブル】』

 そして鐘の音と共に現れる、神秘の天秤。その場にいる者のマナを回収し、傍観者たるクロシェ以外に「2」ずつ再分配する。
 いよいよ開かれた領地交換の【テーブル】。ここが最終決戦、勝者と敗者が決まる。だが、第七領に勝ち筋はあるのか。
 キースは、ただ真剣な目で、彼らと対峙するのみであった。

「……おいおいおいおい。カイネちゃんよォ、ちょいと気が早いんじゃねえのか」

 開幕早々、ミゼルが眉を顰め、指摘した。名指しされたカイネは、臆することなく、にこりと微笑みながら、それに返す。

「はて、なんのことでしょうか。ミゼル様が思うような、大それたことはしておりませんが」
「……はん、そうかい。ま、いいや。無駄な足掻きだな、って思っただけだ」

 ミゼルが指摘したのは、カイネのマナだ。可憐に微笑む少女の数字が「1」になっている。

 いつの間にやら、カイネは明らかに何らかの魔法を発動させている。だが、現状、特に場に何かの変化が起きている兆しはなく、静かなままであった。

(防御、カウンター型の魔法か? もう一回脅してやってもよかったんだが、気味が悪いな)

 先日、キースを叩きのめした際、重力で縛り付けてからのループで、大量のマナを獲得した。つまりキースに重力を回避する術はない。だから、今日の【テーブル】でも同じように、ループへ追い詰めて、交渉を決着させてやってもいい、と考えていたのだが。
 彼の部下のカイネが、何かの魔法を使っている。ブラフの可能性は大いにあるが、カウンター型の魔法であった場合、逆に反撃をくらってしまったら非常につまらない。
 正体がわからぬ魔法には、無暗に手を出さない。鉄則である。だが、念のための保険をかけるくらいはいいだろう。ミゼルはガレンに視線を送る。ガレンはにやりと笑って、己の魔法を発動させ、自身の近くに天使のような精霊を召喚する。

「西方魔術【嘘つき小僧の末路リトル・ボーイ】。カイネ殿、もう一度お伺いしますが、その魔法は、なんでしょうか? 例えば、相手の魔法に反応する類のもの、ですかな?」
「うーん、そうとも言えるし、そうとも言えないですね」

 ガレンが出現させた、小さな天使、微笑んだまま中空に浮かび、特段反応はない。更に追及しようとするところを、キースが抑えた。

「ガレン様。本日は、そのようなことを話し合う場でしたでしょうか」
「何?」
「ひゃはは! ま、いいさ。ガレン。しょうもねえ駆け引きに付き合うことはねえ。要するに重要なのはこれだよ」

 ミゼルがそう言うと、一枚の書類を卓の中央に置いた。内容は読むまでもない。

「そこにサインしたら、第七領のクライン領と、第六領のウィンブームの交換は完了だ。当然、同意するだろう? こんなに良い話は無いからなぁ」

 率直に、第六王子はそう問うた。人質を取られ、断る術もないキースは、その謀略に真っ向から立ち向かう。
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