悪女

笹椰かな

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 エロー伯爵夫人であるコロンブは、大層な悪女であると囁かれている。

 よその夫と寝ただとか、若い使用人を取っかえ引っ変え寝室に招いているだとか、高価な衣服や装飾品を頻繁に購入して夫に多額のお金を使わせているだとか――とにかく悪い噂が絶えない。

 けれど、その証拠となるものを実際に見たり聞いたりした者は誰もいなかった。本当にひとりもいないのだ。
 だというのに、今日も元気に噂は闊歩かっぽしているようだった。



「なぜかしら?」

 コロンブは首を傾げながら、応接間の窓の前に立ってよく手入れされた庭を見つめた。
 その顔には深刻そうな色はない。何事も起きていないかのように、実にあっけらかんとしている。

「なぜって……誰かがあなたを陥れようとしているとしか考えられないのだけれど。それよりも、どうしてそんなに平然としていられるのかしら? そちらの方が不思議だわ」

 コロンブの友人であるセバスチアンヌは、ソファに腰かけたまま、心底おかしなものを見るような目で窓辺の麗人を見た。

「だって、噂は噂。本当のことじゃないわ。言いたい人には言わせておけばいいのよ。それにそんなことくらいで傷付いていたら、社交界になんていられなくてよ」

 強がりを言っているふうではない様子のコロンブに、セバスチアンヌは思わず歯噛みした。

(傷付いてみっともなく泣きわめく姿を見てやりたかったのに!! なんて女なの!!)

 ぎゅっとドレスのスカートの一部を握りしめながら、真の悪女は窓の外を見つめている豪気な淑女の背をじっとりと睨みつける。


 セバスチアンヌは、コロンブに最初からこのような醜い感情を抱いていた訳ではない。

 伯爵である夫がよそに女を作っているのを感じ取り、苛立ち、不満を夫にぶつけてしまい喧嘩ばかりの毎日。
 そんな自分たちとは反対に、夫婦仲が良いと評判のエロー伯爵夫妻。

 セバスチアンヌはコロンブに会う度、誰かから間接的に彼女の話を聞く度に、「コロンブは幸せそうなのに、どうして私は……」と深淵に落ちていくような感覚に襲われた。

 つまりは妬ましさから、友人という関係だったはずのコロンブの悪評を流すという愚行に走ったのだ。自分が噂の根源だとは気付かれぬよう巧妙に、汚泥を社交界に垂れ流してほくそ笑んでいたのだ。

 けれど、セバスチアンヌは気付いていない。噂の源が誰なのかを、コロンブはすでに突き止めていることに。
 そして、コロンブが淡々とセバスチアンヌを追い詰める算段をしていることにも――。
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