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第二章 亡霊、勇者のフリをする。

第十六話 女は灰になるまで乙女 #3

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 ぎゃあぎゃあと言い争う女達の声が、風に乗って聞こえてくる。

 遠ざかって行く二人と一匹を載せた馬車を眺めながら、ゴディンが虚ろな目をして、不安げな声を洩らした。

「大丈夫なのだろうか……司祭殿」

「ははっ、お主も心配性じゃのう。ドナ・バロットには封印の魔法をほどこした髪飾りを身に付けさせておる。以前の封印ほどではないが、そう簡単に悪霊が目覚めることもなかろうて」

「いや、私が心配しているのは、そこでは…………まあ、ともかく、勇者様がご帰還なさられたとなれば、王もお喜びになりましょう。これで我が国も安泰ですな」

 ゴディンのその一言に、ソフィーは呆れるように肩を竦めた。

「あのなぁ……お主。アレは勇者などではないぞ」

「え? それは……どういう意味です」

「そのままの意味じゃよ。勇者の強さは『聖剣が使える』ということ、その一点のみじゃ。昨日、ドナ・バロットと戦っておった時、あのゴブリンは聖剣を使っておったか?」

 その一言に、ゴディンは思わず息を呑む。

「勇者は……イノセ・コータは、お主らも知っての通り、別の世界から来た只の書生じゃ。聖剣の力が無ければ、ドナ・バロットどころか、その辺の兵士達にすら太刀打ちできぬよ」

「で、では、そこまで分かっていながら、なぜバロット殿を一緒に行かせたのです」

「まあ、渡りに舟という奴じゃな。トアナベの悪霊をこのままここに置いておく訳にはいくまい。兵士の士気に関わるからのう。それに、たとえ勇者でなくとも、あの強さは役に立つ。味方につけておくに越したことはあるまいて。まあドナ・バロットには、酷いことを命じたという自覚はあるがのう……」

 ソフィーが自嘲する様に口元を歪めると、ゴディンは既に豆粒の様に小さくなった馬車の方へと目を凝らし、溜め息を吐いた。

「……そういえば、勇者様を最初に発見されたのは、司祭殿でありましたな」

「そうじゃ、アレはなかなか情けない男でな。最初見つけた時には大聖堂の隅でメソメソと泣いておったわ。見慣れぬ奇妙な服を着て、男の癖に剣を握ったこともないような綺麗な手をしておったよ」

 ソフィーは懐かしむ様な、どこか遠い目をする。

 その横顔をじっと見つめて、ゴディンは静かに問いかけた。

「もしや……司祭殿は勇者様と、恋仲であったのではありませんか?」

 その一言に、ソフィーは急に目を白黒させて慌て始めた。

「な!? ば、馬鹿を申すでない。幾つ歳が違うと思っておるんじゃ、ワシにとってはアレは孫みたいなものじゃ。それにお主は知らぬだろうが、王は……奴が、コータが魔王を倒した暁には、オーランジェ様との婚礼を用意しておったのじゃぞ!」

「へー、左様でございますか」

「へーって……お主、信じておらぬな? まったく。何を勘違いすれば、そうなるのやら」

 ソフィーはバカバカしいと言わんばかりに、肩を竦める。

 だが、どこか白々しい声音で、ゴディンは言った。

「噂ですな。司祭殿が勇者様と常に一緒におられたのは、ヌーク・アモーズで知らないものはおりませんし、司祭殿が大司教位を投げ捨てられたのも、勇者様が行方不明になってすぐのこと」

「た、たまたまじゃ!」

「なるほど、たまたまですか。司祭殿が、自ら魔王領に最も近いこの砦に来られた時には、愛する勇者様を探しに来られたのだと、兵士達の間で随分噂になったものですが」

「馬鹿げたことを、そういうのを下衆ゲス勘繰かんぐりというのじゃ。さっきも言った通り、奴とわしでは、歳に差が有り過ぎると言っておろうが」

 ソフィーが背を向けて建物の方へと歩き始めると、ゴディンはその背中に向かって語り掛けた。

「司祭殿、私の叔母は恋多き女でございましてな。まあ、最後の最後まで親族全員を振り回したろくでもない叔母でしたが、彼女が申しておりましたよ」

 世間話でもするようだったゴディンの声音が、急に言い聞かせるようなニュアンスを帯びる。

「『女は灰になるまで乙女』なのだと」

 その一言に、ソフィーの耳が瞬時に真っ赤に染まるのが見えた。

「うるさい! うるさい! れ者が! それ以上、要らぬことを口にするようであれば、お主を背教者として教会に報告してやるからな!」

 ジタバタと足を踏み鳴らしながら、恨めしげな目を向けるソフィー。

 ゴディンは、それを微笑ましげに眺めて目を細めた。

「それは……照れ隠しにしては、凶悪過ぎますな」

 門の外、初夏の木陰で調子はずれの蝉が、ジリっと一節だけ鳴いた。
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