竜の傭兵と猫の騎士

たぬぐん

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第五話 手紙

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『――好キ二シロ』

 自身の敗北を完全に認め、竜核を取り出そうと破竜の胸の穴をまさぐるシルの手を、破竜は拒絶しなかった。正確には拒絶する力も既に残ってはいなかったのだが。

「――お、あった。やっぱり七等級の竜核は小さいから見つけづらいな」

 竜核の大きさは破竜の魔力量に比例して大きくなる。破竜基準で見ると大した量の魔力を持たない七等級では、大抵は拳程度の大きさだ。

「これで本当の終わりだ」

 今更躊躇することは無く、シルは竜核を握り潰す。
 ガラスが砕けた様な甲高い音が辺りに響き、破竜の体が崩壊を始めた。

『完敗……カ』

「そうでもない。それなりには綱渡りだった。現に今の俺の残りの魔力じゃお前の竜核を砕けたかわからない。だからお前が咆哮を使うように誘導した」

 竜核を砕き、後は破竜の消滅を待つだけの勝利が確定したこの状況で嘘を付く必要はもう無い。シルの言葉は紛れもない真実だった。
 破竜を武器で地面に縫い付けて磔にしたまでは良かったが、実はシルにもとどめを刺せる余力は残っていなかった。

「竜核の周りは破竜の体で最も硬度が高い部分。いくら動きを封じても、鉱夫みたいに悠長に竜核を掘り当てる暇はさすがに無い。ようやく見つけた頃には俺とお前の魔力量は逆転して、次は俺が追いつめられる番だった」

『――仮ニソウナッテイテモ、策ハマダマダアッタンダロ?』

 破竜の指摘は的を射ていた。
 シルはこの戦いに望むうえで無数の保険を掛けている。仲間の存在を隠していたのもその内の一つに過ぎない。

「否定はしないが、俺を買い被り過ぎだ。だからお前は安易に最後の切り札の咆哮を使ってしまった。どうせこのままだと俺には勝てないと全てを諦めて」

『何モ買イ被ッテナンカイナイサ。破竜ノ特性ヲ見抜イタ見事ナ策ダッタ。ヤハリ僕ノ完敗ダ』

 シルはあくまで運良く策がハマった様に語っているが、その実シルの策は成功するべくして成功したものだ。
 理性を失った破竜が最後に追い詰められれば、何の躊躇もなく命と引き換えに咆哮を発動する。自身の生よりも破壊を優先する。それこそ破竜が破竜たる理由であるのだから。

 そして咆哮によって竜核周囲の防御が手薄になることが狙いなのだと、思考力を失った破竜は気づけない。
 やはり全てはシルの掌の上だったのだ。

『ナア、僕ハ何ノタメニ生マレテ来タンダロウナ?』

 四肢が完全に消滅し、死が確実に迫る中で破竜の胸中に浮かんだのは、これまで何度も考えた疑問だった。
 幾度となく考えても答えが出ることは無かった疑問だ。

(イヤ、答エガ出ナイコトコソガ答エカ)

「俺が知るかよ。でも、一つ言えるのは、具体的な理由があって生まれてくる奴の方が少ないってことだな。大抵の人間は何となく生まれてきてしまったから、それぞれの人生を何となく生きてるのさ」

『ソレモソウカ』

 自分が何のために生きるのか、という疑問に明確に答えられる人間はそういないだろう。
「だから自分自身で見つけるしかないのさ。自分が生きる理由をな」

 胸を張り、真っ直ぐ破竜の目を見据えてシルは答えた。
 その態度から破竜は確信する。

『オマエハソレヲ見ツケタンダネ』

「まあな。あの時色づいた俺の世界は、今もまた俺の進むべき道を照らしてくれている」

『本当ニオマエガ羨ヤマシイヨ。アア、ソロソロ時間切レカナ』

 遂に残る破竜の部位は頭のみになり、死へのカウントダウンはそう遠くないものとなった。
 死が近づいている事を自覚しながらも、破竜の胸中は穏やかだった。そもそも破竜である以上死への恐怖は無いも同然であるが、それだけが理由ではきっとない。

『ナンダロウ……最後二話ス相手ガ、オマエデ良カッタキガスル。初メテダヨ。少シダケデモ生マレテ来テ良カッタト思エタノハ……』

「そりゃ良かった。せめて安らかに眠れ、フィン・ダンバー」

 何の前触れもなくシルが口にした名前を聞き、破竜は驚愕の表情を浮かべた。
 その名は、破竜が破竜となる前の本名に相違なかったのだから。

『ナ、ナゼ僕ノ名前ヲ……⁉』

「やっぱりお前が……そうか、あの村がお前の故郷か」

『僕ノ村二……行ッタノカ?』

「正確には村の跡地、俺達が見つけた時には村は滅んでた」

 今から三年ほど前、ここから南に歩いて一週間ほどの地方でシル達は廃村を発見した。
 廃村を発見することは、傭兵として旅をしていれば珍しいことではない。ちょうど夜も更けていた時間だったので、シル達はその廃村で一夜を過ごした。

『滅ビタンダネ……盗賊ニデモ襲ワレタカ』

「多分それは無い。盗賊に襲われた村はもっと凄惨になるもんだからな。正解は流行り病で村が立ち行かなくなったからだそうだ」

『マルデ当事者カラ話ヲ聞イタミタイジャナイカ』

 村が滅びた原因をシルが確信を持って言い切れるのには、もちろん理由がある。
 それはとある家屋で見つけた遺体と、その傍にあった手紙だ。

「これは家の中で椅子に座ったまま死んでた女性が持っていた手紙を書き写したものだ。長いから端折って読むぞ」

『手紙……?』

「えー『フィン、お父さんとあなたがいなくなってはや五年が経ちます。去年流行った病で大勢が死んでしまって、みんな村を出て行きました。もうこの村に残っているのは私だけです』」

『マサカ……母サン?』

 もしかしたら今のような場面があるかもしれないと、当時のシルは手紙を書き写した。どうやらその判断は正しかったらしい。

「続けよう『でも安心してね。私はずっとこの村で待っています。だって、あなたが帰ってきた時に誰もいなかったら寂しいものね。だけど、私もそろそろ限界の様です。だからここに書いておきます。おかえりなさい、フィン。大切な私達の息子』」

『母サン……ゴメン、忘レテシマッテイタヨ。僕ハ……』

「見つかったか? 生きる理由とやらは」

 人は不幸な出来事ほど記憶に残りやすいらしい。

 破竜の記憶にあるのは、嫌というほど味わった理不尽と不幸の積み重ね。けれど、母からの手紙がその中に埋もれていた数少ない思い出を蘇らせてくれた。
 八年前までは破竜の思い出の大半を占めていた記憶、両親の慈愛に満ちた笑顔を。

『生キル理由ハ今モワカラナイ。デモ、思イ出シタ。僕ガ生キルコトヲ望ンデイテクレタ人ガ、少ナクトモ二人ハイテクレタコトヲ』

「そりゃ良かった。手紙に書かれてた状況とお前の境遇が一致し過ぎてたんで、まさかとは思ったが、こんな偶然もあるんだな」

『アリガトウ。悔イノ無イト言エルホドジャナイケド、少シハ満足ナ死ヲ迎エラレルヨ』

 破竜がそう言って目をつむると同時、破竜の粒子化は速度を増した。

「ああ、それじゃあな」

『本当二……アリ……ガ……トウ』

 最後にシルへ心からの感謝を伝え、破竜の体は魔力の塵へと変わった。
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