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第4話 まさかゴブリンやオークやトロールと???
4-(4) 勇者の涙
僕は『日野陽介』の姿を見ていた。
なぜか『陽介』は笑っている。
すごく変な感じだ。
僕って、あんな風に笑えたんだなぁ……。
開いた口から、銀色の金具がキラッとのぞいた。
それは歯の矯正具だと分かった。
『陽介』は弟の雄介と並んで歩いている。
時々、立ち止まって宙に拳を突き出す。
多分、ボクシングのポーズだ。
雄介が『陽介』の拳を触って角度を変え、何かアドバイスでもするかのように自分もボクシングの構えをしてみせる。
雄介にボクシングの心得があるなんて知らなかったな……。
同じ学校に通っていたのに、上の学年にいる弟とは出来るだけ関わらないようにしていた。同じ家に住んでいたのに、ほとんど口もきかなかった。
二人は軽口を言い合い、まるで友達みたいに笑い合っている。
これは……何?
僕の夢?
僕の願望?
だって僕ら二人は、美形で優秀な弟・雄介と、醜く不出来な兄・陽介の、互いに干渉することのない形だけの兄弟だったはず……。
こんな風に、まるで親友のように対等な関係を築けるわけが無いんだ。
僕は見えているものが信じられなかったけれど、二人は普通の仲のいい兄弟みたいに、楽しそうな笑顔で並んで歩いて行く。
待って……行かないで……。
兄弟二人で笑い合っているところ、もうちょっと見ていたい……。
ねぇ、これって本当のことなの……?
突然、『陽介』が振り返った。
鋭い目でこっちを見て、何かを言った。
「……この体はもう…………」
何を言われたのか聞き取れなくて、すごく息が苦しい気がして、海の底から浮上するみたいに目が覚めた。
右からも左からも柔らかな寝息が聞こえる。
赤いテントの尖った天井が見えた。
今見たのは何だったんだろう……?
首を左に動かすと、間近にフィルの寝顔が見えた。
僕の左手を握ったまま眠っている。
右を向いてみると、斜めにエディの寝顔が見えた。
僕のお腹と右腕に手を当てたまま、力尽きたようにうつぶせで寝ている。
モンスターに襲われた時、僕の右の手首が光っていた。あれはエディがかけたおまじないだったと思う。僕の危機をエディが察してくれて、みんなで助けに来てくれたんだろう。
僕は寝ているエディの髪に触れた。
柔らかくて滑らかで、かすかにラベンダーっぽい香りがした。
怖いことがあったら必ず助けてくれるって、エディはあの約束を守ってくれたんだ。
胸の中がふわっと暖かくなる。
「エディ……ありがとう……」
エディに抱きつきたかったけど、体が重くてあまり動けない。
手だけは動くので、僕はしばらく眠るエディの髪を撫でていた。
僕が触っても目を覚まさないのは、それだけ疲れ切っているからだと思う。
エディの足の向こう側に、椅子に座ったままテーブルに突っ伏している銀髪の王子様が見えた。
みんな心配してくれたんだ……。
僕は幸せ者だな……。
なんだか涙が出そうな気分で僕は自分の体を見た。怪我は全部治っているみたいで、どこも痛くない。赤いバスローブみたいな寝間着を着せられているけど、サイズが大きいから多分勇者のものだろう。ちゃんと、お守りの革袋が首から下げられている。
「リュカ」
頭の上から声が聞こえて驚く。
首を反らしてそちらに目を向けると、勇者があぐらをかいた姿勢で僕の頭のそばに座っていた。
ここは勇者のテントの、あの大きなベッドの上だ。男四人が乗っていているのに、まだまだ余裕のある大きさはちょっと笑える。
「勇者様……」
僕が出した声はなぜか掠れていた。
勇者が心配そうに上から僕の頬を触る。
「どこか痛むか?」
「いいえ、もう痛くありません……」
「声が枯れているな」
「はい……」
不思議だった。あの時は怖すぎて、ほとんど叫び声も上げられなかったのに。もしかしたら吐いたせいで、胃液で喉を痛めたのかも知れなかった。
「ポーションを飲めるか?」
僕がうなずくと、勇者は一度ベッドから降りてポーションの小瓶を持ってきた。
渡されたものを持とうとして、ぽとっとベッドに落としてしまう。
「すいません……手に力が入らなくて」
言うと、勇者は何かを我慢するように一瞬ギュッと目を閉じた。
そして勇者は、フィルの手とエディの手をそっと外して、僕を後ろから抱き上げた。自分の胸に僕を寄り掛からせて、ポーションの栓を抜く。
勇者が口元に瓶を持ってきて、ゆっくり、ちょっとずつ傾ける。僕はそれを、ゆっくり、こくんこくんと飲んでいく。
とても静かだった。まだ真夜中なのかもしれない。
僕は右腕を持ち上げて、少し動かしてみた。
「魔法とポーションってすごいんですね。骨が折れていたはずなのに……」
呟くと、耳元でかすかに嗚咽が聞こえた気がした。
「……勇者様?」
泣き声が少し大きくなる。
「リュカ……ごめんな……リュカ……」
僕は体をねじるようにして、勇者の顔を見た。
わ……勇者、泣いてる……。
大人の男の人が、かなり本気で泣いている。
ど、どうしよう……。
ええっと、こういう時、何て言えばいいの?
人生経験が少なすぎて分かんないよ。
「どうして、泣くんですか」
とりあえず、無神経かもしれないけど直球で聞いてみた。
勇者は両手でぎゅうっと僕を抱きすくめた。
その体が少し震えているようだった。
「怖かった……」
ええと、魔王に匹敵するくらいに強い勇者様が何を怖がるの?
勇者はさらにきつく僕を抱きしめてくる。
ちょっと苦しかったけど勇者が震えているので僕は我慢した。
「……死ぬほど、恐ろしかった……。リュカが目を覚ますまでずっと、気が気じゃなくて……。リュカがもう目覚めなかったらどうしようかと……」
勇者の目からぽろぽろと涙がこぼれてくる。
今までずっと、元気で威勢のいいお兄さんという感じだったのに、そうやって泣くとまるで子供みたいだった。
「勇者様……」
「リュカを……失うかもしれないと思って……心臓が凍るかと思った……。リュカが死んでしまったら、俺は……」
うっうっと勇者はまた嗚咽を漏らす。
明らかに僕よりも年上で身分も高くて力も強い男の人が、かっこつけずに素直に泣いている。勇者がどれだけ僕を心配してくれていたのか、真っすぐ僕の心に響いてくる。
「もう大丈夫です。本当にどこも痛くないですよ。勇者様達が助けてくれたからです」
人を慰めるのは慣れていないけれど、僕はできるだけ元気そうにニコッと笑ってみた。
「うん、良かった……。本当に良かった……」
手の甲で乱暴に涙を拭い、必死に笑おうとしている顔を見ると、この勇者は心から『美少年リュカ』を大事に思っていたんだなと思った。
僕は昨夜の蜂蜜ゲームを陽介時代のいじめと重ね合わせてしまったけれど、きっと勇者本人には何の悪気も無かったんだろう。
だって、リュカは愛玩奴隷なんだし。
みんなで一緒に『きゃっきゃうふふ』するっていうのは、勇者にとっても、本物のリュカにとっても普通のことだったんだろうな……。
まるで主役俳優のような派手な顔立ちの勇者が、小さな子供のようにしゃくりあげている様子を見ていると、ちょっと不思議な気持ちになってくる。
こういうの、何て言うんだっけ?
えっと、母性本能、みたいな?
僕は男だけど、なんかそんな感じがする。
勇者が、なんだかかわいく見えてくる。
僕は手を上げて勇者の顔に触った。
後から後から溢れてくる涙を、指先でぬぐう。
「泣かないでください」
「でも、俺が何も気付かずにお前たちを帰したから……」
「勇者様のせいじゃありませんから」
僕は勇者の震える肩を撫でた。
「泣かないで、勇者様」
そして、ふと思いついて言い直した。
「泣かないで、レオ」
うううー、っと声を上げてレオがさらに泣き出した。
やばい、逆効果だった!?
「リュカ……リュカ……!」
レオがしがみつくように僕を抱く。
ちょっと驚いたけど、僕はその肩や腕を温めるように撫でた。
本当は頭や背中を撫でてあげたかったけれど、横から抱きつかれたままでは手が届かなかったからだ。
「リュカ、絶対にいなくなったりするなよ。ずっとそばにいてくれ……どこにも行くな……」
僕はうなずいた。
「はい、どこにも行きません」
リュカは本当に幸せ者だ。
魔王ほどに強い勇者様からも、これほどまでに大事にされている。
それなのに、どうして?
また同じ疑問が浮かぶ。
どうしてリュカは、陽介のブサイクな顔を「いいなぁ」と言ったの……?
さっき見たあの幻……笑いあう兄弟と、ボクシング。
あれが、その答えになるのかな。
あれは、あっちの世界で本当に起こっていることなの?
それとも、僕が罪悪感から逃れるために見たただの幻?
本物のリュカに会って聞いてみたい。
あれが、あっちの世界にいることが、リュカの本当の望みなのかどうかを。
「絶対……絶対に、俺の前から消えたりするなよ……リュカ……」
「はい……大丈夫です、レオ……。僕、死んだりしない、です……。この世界に、ずっといる……ずっと、いたいです……」
レオに向かって言いながら、僕は自分自身にも、言い聞かせていた。
僕はずっと、ここにいたい……。
ずっと、この世界で生きていきたいです……。
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