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第5話 まさか紅蓮の勇者さまと
5-(4) この体は誰のものか
しおりを挟む「何なんだよ、お前……」
『日野陽介』が、腕を組んで仁王立ちし、こちらを睨んでいた。
あれ? ここって日本の僕の部屋?
六畳間の中に、ベッドと机と小さなテレビとパソコンがある。
懐かしいという気持ちとともに、記憶と違うものがあることに気付く。
アニメのポスターがあったはずの壁に、ムキムキの男の人がファイティングポーズをとっている男臭いカレンダーが貼ってあるのだ。
これ誰だろう? 有名な格闘家とかなのかな?
「なぁ、お前はきれいな顔が欲しかったんだろう? お望み通りの美少年になれたんだから、文句を言う筋合いはないはずだろ? 違うか? そうやって未練がましく何度も何度もこっちに来るんじゃねぇよ」
『陽介』が怖い顔ですごんでくる。
え、なに?
君、リュカなの?
っていうか、僕の喉って、そんなに大きな声が出せたんだね。
僕の顔って、そんな怖い表情が出来たんだね。
びっくりするぐらい迫力があるよ。
「やっぱり……この体に戻りたいのか……?」
強気な瞳の奥に、ちらっと怯えが見える。
未練なんて、まったく無いよ!
僕はその体には戻りたくない……。
「本当か……? でも、そこは毎日が地獄のようだろ? お前がそっちで、性奴隷としてどんなひどい目にあっているか俺は知っている。けど、俺はもう二度と……絶対に、そこには戻りたくないんだ……」
『陽介』の肩が少し震えている。
え? 今なんて?
ええ? こっちの世界が地獄?
「俺はこの体になってやっと……やっと本当に息が出来るようになった気がするんだ……。誰もこの体を情欲のこもった目つきで見てこないし、いやらしい手つきで触ってきたりしない。男に性の対象として見られないことが、こんなにも自由だったなんて……」
その瞳が真っすぐこちらへ向けられる。
「頼む……。俺は、この体で男として生きていきたい」
『陽介』の瞳は、感情が高まりすぎたみたいに潤んでいた。
決意を込めたその顔は、不思議とブサイクには見えなかった。
気を失っていたのはほんの少しの間だけだったと思う。
エディの施す魔法の光が、僕の体を温めていく。
レオが泣きそうな顔で僕の頭を撫でている。
その後ろにフィルとジュリアンの蒼ざめた顔が見えた。
―― 男として。
今のは幻じゃないと思った。
リュカの……『陽介』の声も瞳も真剣だった。
―― 男として生きたい。
耳に響いたその一言で、すべての疑問が解けた気がした。
どうしてリュカが、ブサイクな僕を見て「いいなぁ」と言ったのか。
どうして素敵な男の人達にこんなにも愛されているのに、きれいな顔を僕にくれようとしたのか。
完全無欠の美少年として生まれて、数々の男の人に愛される……そんなのは、まったくリュカの望みとは違っていたからなんだ。
リュカはずっと、一人の『男』として生きたかったんだから。
でも、僕は……。
「リュカ」
「リュカ、大丈夫か」
優しい声が聞こえる。
「ごめ……なさ……しんぱい、かけて……」
かすれた小さな声しか出ない。
四人の優しい男の人達が、心配そうに僕を見つめてくれている。
僕は『男』として生きられなくてもいい。
優しくされて、守られて、心配される。
これがどんなに幸せなことか……。
僕とリュカは正反対だ。
男らしい魂を持つリュカと、まったく男らしくない僕。
僕は一生愛玩奴隷でもいい。
一生自由が無くてもかまわない。
こんな僕を心配してくれる四人がいるから……。
「いったい何が起きている。リュカの怪我はすでに治っているはずだろう?」
ジュリアンが厳しい声を出した。
「はい、怪我は完全に治っています」
「では、なにかしらの呪いの類いか?」
「いえ……呪いの気配は一切ありません。はじめは疲労のせいかと思っていましたが……」
「だが、起き上がることも出来ないのは異常だ」
エディが何か考えるように、真剣に僕を見ている。
「勇者殿、リュカの体を起こしてもらえますか」
エディに言われて、レオが僕の体を起こしてくれる。
エディは僕の首の後ろに触った。前にフィルが、魔力を封印した印があると言っていた箇所だ。
「調べてみましょう。御三方、少しの間声を出さないようお願いします」
と言って、エディは目を閉じた。何かに集中するように眉間にしわを寄せている。
首の後ろから、温かいような冷たいような、奇妙な感覚が流れ込んでくる。
なぜか、ハッ、ハッ、と息が上がってくる。
痛いわけじゃないけど、なんだか体の内側と外側がひっくり返ってしまいそうな……体験したことのない気持ち悪い感覚が這い上ってくる。
「う……」
エディの集中を妨げないように、必死に声を我慢する。
レオの手が、僕の腕をさすってくれる。
僕は力の入らない指で毛布をつかもうとしたけど、うまくできなかった。
やがて、エディは僕の首から手を離し、ふうっと息をついた。
おかしな感覚から解放されて、僕はぐったりとレオの腕に寄り掛かった。
「エドゥアール、何か分かったか」
レオも、他の二人も真剣な顔でエディを見る。
エディはうなずき、汗で張り付いた僕の前髪をかき上げた。
「リュカは、魔力が枯渇しかかっています……」
はい? 魔力の枯渇?
僕にはもともと魔力なんてないけれど?
エディの言葉はもちろん無知な僕にはよく分からなかったけど、他の三人にもあまり伝わっていないようだった。
「リュカは奴隷だ。魔力は封じられているんだから、無いのが普通だろう?」
フィルが疑問を口にする。
エディは首を振った。
「この世界に生まれたもので、魔力が無いものなど存在しません。たとえ魔法を使えなくても、魔力を封じられていても、魔力はその者の体の中を常に血液のように巡っているものなのです。魔力が完全に枯れてしまうと、その者はこの世界で生きてはいけません」
あ。
なんか、この不調の原因が分かった気がする。
僕は魔力なんて持っていない。
最初は体に残っていたリュカの魔力で生きていたけど、きっとそれももう限界なんだ……。
「恐らく、短い期間に二度も死にかけたことによって、魔力が外へ流れてしまったのでしょう。昨日も癒しの魔法が効きにくくて、傷の治りが異常に遅かったのです」
エディは『陽介』のことなんて知らないから、いい感じに解釈している。
「補給することは可能か」
ジュリアンの質問にエディがうなずく。
「可能です。この首の封印のところから、魔力を流し込めばいいだけですから。ただ……」
「何か、不都合でも?」
「ええ。自分のものではない魔力を他者によって流されると、恐らく副作用が出ます」
副作用? 僕の体、どうなっちゃうの?
「深刻な副作用か?」
「ええまぁ……。この先、定期的に外から魔力を補充しなくてはならなくなるでしょうし、それに……体の成長が完全に止まると思います」
「年を取らなくなるのか」
「はい。それと、将来子供も望めなくなると思います」
ジュリアンはホッとしたように少し笑った。
「なんだ、それぐらいか。愛玩奴隷にはもとから必要の無いものではないか」
うわ。ジュリアン、相変わらずの鬼畜発言。
そうだよね、奴隷って人間じゃなくて所有物だもんね。
「それは、そうなのですが……」
えっと、普通の人にとっては成長が止まって子供を作れなくなるって、けっこう大変なことだと思うんだけど。なんか、まだよく実感がわかないけど。
エディとフィルが心配するように僕を見た。
僕の体を支えているレオの手が、ぐっと力を増した。
「でも、リュカは今日、大きくなりたいって俺に言ったぞ……」
「リュカが?」
ジュリアンは心底驚いたように目を開いた。
奴隷がそんなことを望むなんて、考えたことも無かったって顔だ。
ジュリアンが近付いてきてベッドに腰を下ろし、僕の顔を覗き込んだ。
「リュカ……。そなたは本当に、大きくなりたいなどと口にしたのか?」
その声は、咎めるような感じでは無くて、愛しいものへ向けるような優しい響きを持っていたので、僕はこくりとうなずいた。
ジュリアンがそっと小さく息を吐いた。
「そなたは本当に、何も知らない幼い子供に戻ってしまったのだな」
ジュリアンの白い手が僕へ伸びる。レオがちょっと警戒したようだったけど、ジュリアンはかまわず僕の頬を撫でた。その指から薔薇のような甘い香りが漂う。
「リュカ、今のそなたは覚えていないようだが、そなたは自ら志願して奴隷になったのだ。癒しの魔法でも治せないような難しい病にかかった妹を助けるため、その治療費のために、自分で自分を身売りしたのだよ」
この場にいたみんなが息を呑んだ。
そう、何も知らなかった僕も含めて。
自分で自分を、奴隷として売った……?
病気の妹を救うために……?
頭の中でジュリアンの言葉を反芻する。
「リュカは、自分が愛玩奴隷になれば食事制限を受けて成長が阻害されることも分かっていたし、平民に戻ることが難しいことも分かっていた。平民にはなれないのだから、妻を娶ることも子を作ることも、もとから望める立場では無い。リュカはすべてを承知で妹のために身を捧げた。生半可な覚悟で愛玩奴隷になったのではない」
僕を見つめるジュリアンの目には、尊敬の念のようなものが見えていた。
「そなたは自分の美貌の価値を知っていて、一番高く買ってくれるのが王宮だと判断して、自分で自分の値段を交渉したのだ」
リュカ……。
やっぱり君と僕とでは何もかもが違う。
いじめられてひたすら縮こまっていた僕と、妹のために身を捧げた君。
君はすごく強い心を持っていたんだね。
「私はその誇り高い魂に魅かれ、そなたを深く愛したのだが……」
ジュリアンのまつげが悲し気にふせられる。
ジュリアンが愛したリュカはここにはいない。
ここにいるのは、誇り高い魂なんて欠片も持っていない僕だ。
でも、顔を上げたジュリアンの目はとても優しい色をたたえていた。
「だからもう、良いのではないか? 妹は病も癒えて故郷で元気に暮らしているというぞ。そなたは十分に役目を果たしたのだ」
ジュリアンの白い手が僕の頬を撫で続ける。
「そなたが今、過去のすべてを忘れ去り、その体も成長を止めるというのならば、これから先は『幼子でいても良い』という神の暗示かも知れぬ。この先はただ、何も心配せずに、幼い子供のように周囲に甘えて生きればよいのだ」
いろんなことがぐるぐると頭を駆け巡る。
うまく思考が整理できなかった。
とりあえず、ジュリアン、鬼畜なんて思ってごめん。
僕はジュリアンの手に自分の手を添えて、頬ずりした。
「かわいいな、リュカ。私は生涯そなたの味方だ。ここにいる他の三人と同様にな」
「当たり前だ」
「ああ、俺もずっと味方だ」
「一生リュカを大切にしますよ」
涙で瞳が潤んでくる。
ちゃんと分っている。
リュカが受け取るはずだった四人の優しい想いを、偽物の僕が受け取っている。
そのことに対する罪悪感は消えないけれど、リュカ本人はきっと男達の想いなんて欲しがらない。
リュカはブサイクな顔をいいなぁと言った。
男として生きたいと願った。
僕はきれいな顔をいいなぁと言った。
愛されて生きたいと願った。
リュカも僕も、この入れ替わりで互いに欲しいものを手に入れていたんだ。
この体は誰のものか。
リュカがもうこの美しい体を望まないというのなら……。
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