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第8話 まさか未来の大魔王さまと

8-(1) 会いたいよ

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「ひっ」

 息を吹き返した僕が最初に発したのは、そんな小さな悲鳴だった。

 羊のように巻いている黒い角、ゆるくうねった白い髪、褐色の肌に金の瞳。
 僕の右手首を魔法で焼いた冷酷なアラン王子が、10㎝くらいの間近から怖い目で見下ろしていた。

「いや……!」

 嫌だ、怖い、助けて。
 叫びたいのに、うまく声が出ない。
 体が勝手にカタカタと震えてしまう。

 褐色の大きな手が近づいて来る。
 殴られると思って、とっさに目を閉じた。

 でも、次の瞬間に感じたのは僕のほっぺたをつんつんと触る指の感触で。

「生きているのか」

 え? それ、僕への質問?

 瞬きをすると、アランがさらに不機嫌な顔をする。

「生きているのかと聞いておる」
「あ……は、はい……生きています……」

 アランの口元がほんの少し緩む。
 あれ? 笑った?

「フン……それなら良い」
「は、はぁ……」

 思ったより怖くないのかな?
 と油断した途端に、今度は片手でグイと首をつかまれた。

「うぐっ」

 苦しい。息ができない……!

「奴隷のくせに主人を楽しませもせずに勝手に死ぬな。もし今度簡単に死にかけたら、この首へし折るぞ」

 ひ、ひどい、そんなの理不尽すぎる。

 というか、く、苦しい。
 このままじゃほんとに死んじゃう……!

「すぐに手を離してやらないと、本当に死んじゃうけど?」

 聞こえてきた声に驚いたように、ぱっとアランの手が離れた。
 酸素を求めて、僕はゲホゲホと咳き込む。

「カミーユ、たったこれだけで死んでしまうのか?」
「そりゃ死ぬよ。その子は、角無し族の中でもひときわ虚弱な個体のようだしね」

 アランがまた顔をドアップで寄せてくる。

「弱い、弱いぞ、弱すぎる」

 そんな不条理なことで怒られても……。

 逃げ場を求めて視線を動かすと、アイアンアートみたいな繊細な細工の鉄格子が見えた。
 その向こう側から、アジアの民族衣装っぽいものを着た男の人が覗き込んでいる。アランと同じで耳の上の方に角が生えているその人は、アランとそっくりの金色の目で面白そうに僕らを見ていた。

「女の姿に変化へんげしてまで、勇者の専属奴隷を盗んできたんだってねぇ。父上にも内緒で」
「余のすることを、逐一父上に報告する義務は無い」
「妹姫の縁談もぶち壊しちゃって」
「だから何だ」
「まったくもう……。アランが何をしたって結局許されるのは知っているけどさぁ、俺を巻き込まないでよ」
「余に脅されたとでも言えば良い」
「初めからそう言うつもりだったけど」

 男がくすくすと笑う。

「ま、この城はアランの宝箱だからね。王城みたいにうるさい輩もいないし、せいぜい楽しめばいいよ。だけど殺すなよー。大きな国際問題になったら、返さなくてはならなくなるし」
「たかが奴隷一匹だ。大した問題にはならんだろう」
「そうかなぁ? あの勇者、そうとうこの子に入れ込んでいたらしいよ。単身で攻めてくるかも」
「奴隷一匹のために国境を超えるバカがいるか」

 アランの声にかぶせるように、男はぶはっと大きく噴き出した。

「あははは、アラン、それ本気で言ってる?」
「何がおかしい」
「だって、その奴隷欲しさにアランは国境を越えたじゃないか」

 図星をさされたのか、アランはむっとした顔で黙り、立ち上がった。

 さっきからずっと顔のどアップだったから気付かなかった。この王子、フィルと同じくらいに背が大きい。というか、角がある分もっと大きく見えた。
 もう一人の男と同じような、中国風というか、モンゴル風というか、前を合わせて右の肩で結ぶ民族衣装っぽい服を着ている。黒地に金糸で豪奢な刺繍がされていて、ぶっとい金の帯みたいなものをウエストに巻いていて、とにかく豪華で派手な出で立ちだ。

 長身のアランがすごく高いところから僕を見下ろす。

「お前は余がここで飼ってやる。素直にしていれば贅沢をさせてやろう」

 吐き捨てるように言って、アランは鉄格子の向こうに顔を向けた。

「カミーユ、癒しの魔法をかけてやれ」
「えー、むり。できない」
「なぜ出来ないのだ」
「そんな高等魔法、僕には一日一回が限界だよ。さっきかけたのでもう打ち止め」
「……ではポーションでも与えておけ」
「はーい、了解」

 カミーユという男の口調はすごく軽い。見た目はアランと同じか少し年上くらいに見えるけれど、この人は誰なんだろう?
 鉄格子の扉のところで、アランが裸足の足をぬっと出す。
 すると、カミーユが毛皮のブーツのような履物をアランの足に履かせた。
 あれ? すごく親しそうに話をしていて服も上等なものなのに、跪いて靴を履かせるってことは、ルーみたいな奴隷なのかな?

 アランが振り向く。
 金の鋭い目で僕を睨む。

「お前、逃げようとすれば確実に死ぬぞ」

 蛇に睨まれた蛙みたいに、びくりと体がすくむ。

「そうそう、大人しくしててね。死んじゃうとめんどくさいからさ」

 アランはそのまま振り向きもせずに歩いて行く。カミーユが楽しそうに後ろをついて行く。床が石で出来ているらしく、カツンカツンと靴音が響いていたが、次第にそれも遠ざかって行った。



 僕は足音が聞こえなくなってからやっと、ふぅっと息を吐いた。

 アランの威圧感だけで息が苦しかった……。
 やっと普通に呼吸ができるようになって、きょろきょろとあたりを見回す。

 僕はおりの中に寝かされていた。
 それは猛獣を入れるような武骨な檻では無くて、観賞用みたいな豪華な檻だった。鉄格子が普通の棒じゃなくて、草花を模した繊細な細工になっていて、あちこちに宝石がはめ込まれてキラキラしている。大人が4、5人は寝れそうな広い円筒形で上も丸く閉じているから、なんというか巨大な鳥籠みたいだ。
 檻の底には全体に柔らかなクッションが敷き詰められていて、ふわふわとしてあったかい。

「あれ……」

 どういうことだろう? 驚いたことに檻の扉は開いたままだった。

 これ、僕を閉じ込めるための檻なら、まったく役に立っていないよね?
 
 檻があるのは広くて天井の高い石壁の部屋だ。壁の高いところに窓があって、暖かそうな日が差している。多分、昼間みたいなんだけど時間は分からない。

 僕はとりあえず体を起こそうとしてみる。

「あうっ」

 ズキンと走る右手の痛みに小さく悲鳴を上げた。

 そうだ、僕、アランに右手を焼かれて……。

 痛みをこらえてそっと右腕を持ち上げて見ると、手首に生成きなりの布がぐるぐると巻かれている。つーん、と酸っぱい匂いがするのは、軟膏薬でも塗られているんだろうか。
 左手でそっと右手首に触ってみると、ビリビリと強い痛みが走った。

「う、いたた……」

 さっきのあのカミーユっていう人、癒しの魔法をかけたって言っていたような……?
 でも、ぜんぜん治っていない。
 今までどんなにひどい怪我をしても、僕の体はすぐに治っていたのに。
 
 そこまで考えて、ハッと気付いた。
 そうか、それだけエディがすごい魔導士だったんだ……。

 エディ……。

 不意に思い出してしまって、胸が苦しくなる。

 これまで、何度も何度もエディのあのきれいな手が僕の体にかざされた。
 暖かい光が降り注いできて、とても気持ちが良くて……見上げるといつもエディは優しく微笑んでくれていた……。

 戻りたい……。

 苦しいくらいに、そう思う。
 こういう気持ちを、きっと渇望って呼ぶんだと思う。
 絶対にこの手にできないものを、望んでしまう苦しい気持ち……。

 嘘をついて騙していたことを、まだちゃんと謝れていない。
 きっと許されないだろうし、許されることを望んじゃいけないのかもしれない。

 でも、頭の中に浮かぶのはエディの優しい顔ばっかりだ。
 あの優しい微笑みが、本物のリュカへ向けられたものだというのは分かっていても。
 偽物だとばれた今になってはもう微笑んでもらえないと分かっていても。
 
 エディに抱きついて甘えたい。
 まるで何も無かったかのように、あの胸にすがりつきたい……。

 会いたい。
 エディに会いたいよ。

 泣きそうになるのを、唇を噛んでこらえた。
 だめだ。
 泣いている場合じゃない。
 しっかりしなくちゃ。


 ぶるぶるっと頭を振って、大きくゆっくり深呼吸する。

 ちょっと混乱しているけど、今の状況を頭の中で整理してみる。
 ええと、僕はお姫様にさらわれてしまって、お姫様だと思っていたのは実はアラン王子で、そのアランは僕をここで飼うと言っている。
 飼うって言うのは、きっと、愛玩奴隷としてってことだよね。
 でも、僕はレオと専属契約している。
 レオは一度した約束は必ず守ると言った。
 だから、レオは必ず僕を取り戻しに来る。
 つまり、レオは国境の結界を壊してしまうから、それが宣戦布告になってしまって、また戦争が起こってしまう……。

 ごくりと喉が鳴る。

 たかが奴隷のために戦争を起こすのか? 
 普通の人ならそんなバカなことするはずがないけれど、レオは普通の人じゃなくて最強の勇者様だ。
 僕が奴隷だろうが偽物だろうが、勇者レアンドルには関係がない。今までにも何度も『リュカを殺されたら国を滅ぼす』なんて怖いことを平然と言い放っていた。あの人は、恐ろしいぐらいに一本気な男の人だ。
 レオは『勇者は一度交わした約束は必ず守る』と高らかに言った。どこまでもまっすぐな勇者レアンドルが、その約束をたがえるはずがない。
 僕が戻らないと、戦争が起こる。
 戦争になったら、いっぱい人が死んでしまう。

「そんなの……だめだ……」

 僕は左手で体を支えて何とか起き上がってみた。
 自分の体を見下ろす。
 僕はさらわれた時のひらひらブラウスと長ズボンを履いていた。ベストと上着とブーツが無くなっている。ハッとして胸を押さえる。ブラウスを開いてみると、お守りはちゃんとそこにあったのでほっと息をつく。

 動かせる左手で体のあちこちを触ってみるけど、右手の火傷やけどのほかには怪我はないみたいだった。なんだかまだ転移のせいでくらくらしているけれど、動けないほどじゃない。

 僕は這うようにして扉へ向かった。左手で檻の格子をつかんで、ゆっくりと立ち上がる。

 扉の外に顔を出してぐるりと見まわす。床も壁も天井も飾り気のない白っぽい石で出来ている。僕が入れられていた巨大な檻のほかには家具も何も置いていないから、やけに広くて殺風景だった。

 そっと、檻から裸足の足を踏み出す。

「ひゃっ」

 びっくりするほど、石の床が冷たい。氷みたいだ。
 窓からの日は暖かそうなのに、魔族の国は寒い地域にあるのかな。

 また一歩、前へ進む。
 ぞわぁっと寒気がした。
 檻から離れると、一気に気温が下がる。
 僕は動く左手で、右腕をさすった。

 アランは僕が逃げ出すことなんて、考えてないんだろうか。
 それとも、まだ体を動かせない状態だと思ったんだろうか。
 檻の扉も閉めず、この部屋の扉も開けっ放しで、まったく警戒していないみたいだ。

 部屋の扉は分厚い鉄製で、きっと閉まっていたら僕には重くて開けられなかった。開いているのを幸いに、恐る恐る廊下へ出てみる。

 そこは豪華でロマンティックなお城の中というよりも、砦や要塞と呼んだ方がいい造りをしていた。天井が高くてやたら長い廊下に装飾は一切無く、一定間隔で石の切れ目から光が差し込んでいる。その切れ目のところには窓があるようなんだけど、僕の背よりずっと上の位置だから外を見ることはできない。

 ビュウビュウ、ボウボウとさっきからずっと不気味な音が響いている。多分、風の音だと思うんだけど、獣の呻き声みたいでちょっと怖い。

 吐く息が白く、歯がカチカチと鳴って、歩くごとに体温が奪われる。
 まだ部屋から出て数メートルしか進んでいないのに、僕の体はがくがくと震えてこわばってきている。
 もう裸足の指先の感覚が無い。

 ……どうしよう……寒すぎて、もう動けない。

 体の力が抜けて、廊下に崩れ落ちる。
 ダメだ、ヤバイ。
 石の床に触れたところから、さらに体が冷えていく。

 これは、普通の寒さじゃない。
 もしかしてこのお城の魔法なのかな……。

 ああ、僕って本当に弱くて何もできない。
 判断力も無いから、いつも選択を間違える。

「たすけて……」

 もう死にかけたりするなよって、『陽介』に言われたばかりなのに。
 嘘をついていた四人にも、まだちゃんと謝れていないのに。

「だれか、たすけて……」

 …………エディ………たすけて……。

 不安な時、いつもエディを想ってしまう。
 でももう、僕のもとへ来てくれるはずがない。
 報せの術は消されてしまったし、そうじゃなくても僕は偽物だ……。

 僕はぐっと強く歯を食いしばった。
 こっちの世界で生きるって、自分の意思で決めたんだ。
 今までみたいにすぐ諦めちゃだめだ。
 僕はこわばる手を伸ばして、必死に這い始めた。





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