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第8話 まさか未来の大魔王さまと

8-(7) 「魔導士の嫉妬」

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『エディ……』

 あの子の甘い声が私を呼んだ。

『エディ、お願い、僕に触って……』

 白く細い腕が伸ばされる。

『ああ、切ない……お願い、エディ……はやく……』

 懇願するように眉をしかめ、自分から淫らに足を開いている。

 この子は私を求めている。
 私の名を呼び切望している。
 私を欲しいというのなら、この身のすべてを捧げよう。
 出来ることは何でもする。
 欲しがるものをいくらでも与える。

『エディ』

 濡れた声に応えるように、私は微笑んで手を伸ばした。

 だが、私の手はその火照った体に届かなかった。
 まるで透明な壁でもあるかのように、阻まれて近づけない。

『エディ……』

 あの子が私を呼んでいるのに……。

 もどかしく、狂おしく欲情して、その肢体を凝視する。
 私の指で、私の舌で、かわいい声をあげさせてやりたい。

 するとあろうことか、褐色の肌の大きな手がその体を撫でまわし始めた。

『ああ、エディ……嬉しい……』

 あの子が嬉しそうに身をよじる。

 違う。
 ダメだ。
 私はここだ。
 そんな男に触らせるな。

 わめいても叫んでも壁の向こうには届かない。

 褐色の男があの子を犯す。
 好き勝手に凌辱し始める。
 リュカは陶酔したように男を受け入れ、嬌声と共に何度も私を呼んでいる。

 違う、それは私では無い。
 私はここだ。
 お前のエディはここにいる。

『気持ちいいよぉ、エディ』

 やめろ、やめろ、それは私のものだ。
 それは私を呼んでいるのだ。

 嫉妬のあまり、血が沸騰する。
 嫉妬のあまり、血が凍り付く。
 両目から涙が出ている。
 これは血の涙に違いない。


 透明な壁に手を当てて、憤りのままに魔力を込める。
 私とあの子を隔てるものが許せない。
 胸が熱い。
 息が苦しい。
 ありったけの魔力を込める。

 ピキピキと壁にひびが入り始める

 今、そちらへ。
 壁を越えて、すぐそばへ。





「エドゥアール!」

 悲鳴のような叫び声で目が覚めた。
 勇者が唖然とした顔で私を見ている。
 何があっても余裕で構えているあの勇者が、蒼くなって私の腕をつかんでいた。

「ゆう……しゃ……どの?」

 自分のいる場所を思い出すと同時に、その強烈な違和感に気付く。

 私は洞窟の中で休んでいたはずだが……。

 痛いほどの強い日差しが顔に当たっている。
 私は途惑いつつ立ち上がり、周囲を見回した。
 洞窟は、消えていた。
 その岩山ごとちりとなり、風に砂埃が舞っている。
 ここは砂漠ではなかったはずだが、かなり広い範囲が砂の更地さらちになってしまっていた。

「これは……?」
「これは? じゃねぇよ。自分でやっておいて」
「え」

 私がやった?

 勇者が私の腕をつかんだままで睨んでくる。

「お前がやったんだよ。魔力で吹き飛ばした。どんだけ夢見が悪けりゃ、こんなことが出来るんだ?」
「夢……」
「ああ、すげぇうなされていたぞ。ったく、街の中にいなくて正解だったな」

 夢?
 いや、違う。
 あれは夢ではなかった。
 あれは本当に起こっていることだ。

 報せの術をむりやり消された今、あの子の消息をつかむのは難しいはずだった。
 だが、あの子と私の間には、普通なら有り得ないつながりがある。
 あの子の体の隅々にまで私の魔力が流れているのだ。
 きっとそれが今、私の魔力と呼応しあったのだろう。
 あの子が強く私を呼んだから。

 そうだ、あの子は私を呼んでいた。
 この目で見た。
 この耳で聞いた。
 最初から最後まですべて細部までも思い出せる。
 あの子が夢現ゆめうつつに繰り返し誰を呼んでいたのか、意識のはっきりしないあの子の体を誰がもてあそんでいたのかも。

「おいエドゥアール、また魔力が大きく膨らんだぞ。どうなっているんだ」

 勇者の顔色が悪い。
 この男もこんな風に動揺した声が出せるのか。
 いつでも不敵にかまえている勇者しか知らないせいか、少しだけ愉快な気がした。

「勇者殿、どうして先程から私の腕をつかんでいるのです?」

 勇者は私をじっと見つめていて、がっちりとつかむ指に力を入れている。

「お前、どこへ行こうとしていたんだ?」
「は?」
「覚えていないのか? お前は寝ぼけて魔法陣も使わずに転移しようとしていた。転移先に同じ魔法陣が無ければ、彼方かなたの空間で迷子になるんだぞ」

 ああ、そういうことか。
 この男は私を心配して手をつかんでいてくれたのだ。

「もう離してもらってもよろしいですよ。意識も理性もはっきりしています」

 ほっとしたように息を吐いて、勇者はやっと手を離した。
 そして少し、眩しそうに私を見た。

「人類最強は俺だと思っていたんだがな」
「ええ、もちろん。最強は勇者殿ですよ」

 勇者は力なく首を振った。

「俺は自分より魔力の大きい人間を初めて見たぜ」

 私は自分の胸を押さえた。
 そうか、この短期間でもう勇者を超えてしまったのか。

「これは私自身の魔力ではありません……」

 本来は世界教会に属する聖職者、しかもエルフなどの長寿の種族がこれを受け継ぐべきだった。人間のように短命な種族はこの役目にふさわしいとは言えない。
 
 私の師匠の寿命があと十年長ければ……エルフの国の政変に巻き込まれ次の候補者達が殺されてしまわなければ……誰もが思ったことだろうが、継ぐ者のいない空白の期間が否応なしに訪れてしまったのだ。それで、たまたま適性があった私にそれが託されてしまった……。

 だが、人間は理性に乏しく感情の振れ幅が大きい。人間の私はほんの短い間の一時しのぎであり、単なるつなぎでしかなかった。
 私の役目は、中にあるものを極力刺激せずに心穏やかに過ごすこと。胸の中のものを引き継ぐには心臓ごと取り出さなくてはならないので、私の寿命が近づいた頃に次の者へ渡す予定だった。
 それまで私を幽閉しておくべきという意見もあったのだが、教皇がそれに反対してくれた。望んで引き継いだわけでも無い人間に、せめて人並みの人生を送らせてやれと。

 だから、この事態は私にとっても教会にとっても想定外だ。
 こんなに若い内に限界を迎えてしまうなんて。

 モンスター討伐だろうが、戦争だろうが、何があっても、私の心はたいして揺らがなかったのに。
 まさか恋情のために、いや……劣情のために、私がここまで狂ってしまうとは思わなかった。

 師匠も教皇も、私自身も、このエドゥアールという人間を見誤っていた。
 あの時点で教会の奥深くにでも幽閉してしまえば良かったのだ。

 もう猶予が無くなってきている。
 多分、長くても十数日……その間にこれを次の者へ引き継ぐ。
 私の心臓に完全に絡みついているこれは心臓ごと取り出すしかないから、私の命も残り十数日か。

 私自身に後悔は無い。
 この力があるからこそ、あの子を救い出すことができる。

「勇者殿」

 呼びかけて、派手な赤髪の男を見る。
 世界最強の男、世界唯一の勇者、自信過剰だが裏表のない好青年。

 あの子が別人だと分かった時、私は途惑いの中ですぐには言葉も出なかった。
 だが、この男はためらいもなくあの子を抱きしめ、安心させる力強い言葉を伝えていた。
 彼は勇者という名にふさわしい誠実で情の深い男だ。

「勇者殿、明日にはあの子をあなたへ返しましょう」
「は?」
「いえ、いくらあなたでも明日中に来るのは不可能か……」
「は、だから何が?」
「あさってまでにはシルヴェストルの森まで来てください。あの子を迎えに」

 私は自分の体に魔力を向けた。
 知らない者も多いのだが、実は転移陣が無くても転移はできる。
 膨大な魔力と、目的地の明確な目印があれば。

 私はあの子の居場所が分かる。
 あの子の中に私の魔力が流れているから。

「おい、エドゥアール? 何をする気だ!?」

 あの子を頼みますと言うべきだっただろうが、嫉妬心がそれを邪魔してしまった。
 私は何も言わずに勇者レアンドルに微笑みかけた。

 そして、瞬時にその場から消え失せた。








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